2008年01月03日

休止宣言から13回目

 うれしいニュースである。
 薮中三十二外務審議官が事務次官に就任とのこと。



 この人が務省では珍しく日本のために行動してきたのは周知の事実だろう。
 本当の意味で務省として活動してる有名人はこの人だけではなかろうか?
 他には田中均とかいう馬鹿や、その類例が多々いる屑機関としての印象しかなかった。
 それがこれだ。




 悪くかんぐると、日本のマスゴミのよくやる戦法の、

1、高い地位につけておだて上げる
2、持ち上げきったところで罵詈雑言をあびせて傷つける
3、最後はやる気をなくさせて辞任に追い込む
4、で「辞任したのは本人の意思。俺は知らない」とそっぽを向く

というのが考えられる。
 いわば害務省の保身だ。



 でなければ、良く言えば親中、実際は土下座・尻穴奉仕のこびへつらいしか出来ない福田のような馬鹿の下でこんな人事が成り立つはずがない。
 まして野党も小沢という屑が牛耳ってるような日本の屑政治の現実がある。



 正直俺にはこれが、去年の安部元総理大臣のような「孤立無援作戦」に思えて仕方がない。
 安部元総理はそれでも国会決議17回という快挙を成し遂げたが、ついに力尽きた。
 傍らに麻生太郎という人間がいたにもかかわらず、だ。
 それを考えると楽観視はできない。



 多少なりとも出来ることは、ネットの中だけでもいいので、藪中外務次官を応援し続けることだろう。
 それがどれだけ藪中氏に届くかわからないが、安部元総理のようなことにならないようにせねばなるまい。






 で、書いてる途中に思ったのだが。
 小沢ってのは結局「元自民党」だろ?
 つーことは、今の国会は福田と小沢の「旧自民党勢力の派閥争いの拡張」ってことにならないか?
 だとしたら、これは「爺政治による若手つぶしの結果」としか思えない。
 それを選択してる右や左の馬鹿は何を考えてるのやら・・・・。
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2008年01月01日

2ちゃんねる から子供たちを守ろう!

 以下の人達の言ってる事を読む前に、上記の場所を読んで下さい。

 粘着イタイ非徒妄言居士レッテル貼り電波さん生態標本破綻
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2007年12月29日

休止宣言から12回目

 月刊現代とかいう雑誌がある。
 本屋に平積みされていたので「なんだこれ?」とか思ったのだが、その表紙の端っこに小さく掲載されていた文字が笑った。
 ちらっと見ただけなので正確なところは忘れたが、中島ナントカというどっかの大学の教授が自分のご意見を小林よしのりに誹謗中傷された、とかいうようなことでケンカをふっかけてるらしい。



 このお方のご意見は、確かパール判事の思想や考えについてのものだったと思うのだが、それが非常に「?」のつく内容だったのをおぼえている。
 記憶違いでなければいいのだが、パール判事は憲法九条支持者だとかいうようなことを述べていたのかな、と。
 あるいは違ったことを述べていたかもしれないが、俺の記憶ではそうなっている。



 だからこそおかしいと思うのだ。
 憲法九条に賛成・・・・・・・、だとすると、パール判事はなぜ
「日本は現在独立国とはいえない、しいて言うならば半独立国である」
という発言をしたのか?
 それは現状の憲法を否定することにもなるはずだ。
 何せ現在の憲法は、国家主権の存在しない(独立していない状態)でアメリカによって押し付けられたのだから。
 占領下の議会による議決など、占領者/征服者の意のままになるなど自明。そんなものをいまだに抱いている国家のどこが独立国なのか、ということである。
 その時点で日本が猛然とアメリカに反撃し、アメリカ軍を太平洋にたたき出していたのならともかく。



 まあ、こんな単純なところから俺は中島ナントカという人間の言動をまったく信用できない、と思うにいたった。
 そして、こんなことはゴーマニズム宣言に書かれていたと思うのだが。
 こんなのが教授やってるという事実には唖然とする。



 で、よりにもよってこんな人が小林よしのりに、
「自分の著書を誹謗中傷された」
などと言ってるのだから
「はあ?」
といいたくなる。



 おそらく、

・反対意見が出たので出版部数が減るのを恐れた
・今後、自分が出版できなくなることを恐れた

としか思えない。
 中島はパール判事の言葉の一部を自分の都合のいいように使ってるという印象をぬぐえない俺としては、
「売文業ってのは大変だねえ」
としか思えない。
 小林よしのりは噛み付き相手としてさぞありがたいだろう。
 論争に勝とうが負けようが、興味のある人はこの人の書いてるものに目を向けるだろうし、その中には本を買う人もいるだろうからね。



 こちらとしては、月刊現代は立ち読み、中島の本も立ち読み、古本屋に出回ったらそれを買う、という立場でいたい。
 新品で買うと高い。
 本屋は儲かるかもしれないが、それによって「儲かるから仕入れよう」などと思われてはかなわん。
 なおかつ、中島の収入に貢献してやるつもりもない。
 まあ、そのうち大量に古本屋に出回るだろうから、そのときに値崩れした中島の本を買って読めばいい。
 古本屋も儲かるし、俺も経済的に助かる。
 なにより中島の収入に貢献しないですむ。



 というわけで皆さん。


「中島の本は古本屋で買おう!」



 ということでこのエントリーをあちこちにトラックバックしてみようと思います。
 ここに目を通した方々の一助になれば幸いでやんす。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 16:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月28日

休止宣言から11回目

 世の中を悪くする連中に左翼というのがいる。
 左翼をもっと簡単に言うと「反体制」とでもなるのだろうか。
 事実連中のいってることややってることは、どんな理由がつこうとも「現状の否定」「現状の破壊」「悪い方向への突撃」にしかならない。
 だからこそ俺はそういう考え方に反対する。


 そんな左翼の求めるものは、どうも二種類あるように思える。


 一つは「政権奪取」
 自分が支配者になって欲望の限りを尽くそう、というもの。
 だからこそ今現在の政権が邪魔になる。
 邪魔だから、とるにたらないつまらないことに噛付いて、相手の足を引っ張ろうとする。
 こういう連中が政権を握ると、不思議なことに今までの政権よりも独裁的・命令的・統制的になっていく。
 いい例がフランス革命であり、ロシア革命であり、共産中国である毛沢東であり、金日成・金正日による北朝鮮であったりする。
 どこもかしこも「圧政からの自由を!」といって始まり、それまで以上の圧政を敷いている。
 いわゆる左翼、と言って簡単に思い浮かべるのはこっちではないだろうか。


 二つ目は「無政府状態」
 政府や政治、集団や組織といったものが人の自由をなくしていく。
 規制や法律、習慣や慣習が人の抑圧の原因である、と考えている連中である。
 一見正しそうに見えるが、こいつらの言ってる「束縛」というものには、人として守らなければならない最低限の礼儀や行儀というのも含まれているから注意が必要。
 つまり、
「殺すな」
「盗むな」
「壊すな」
「傷つけるな」
「悪口を言うな」
「これまであげた悪いことをするやつらを許すな」

というのを排除するのが目的である。
 これらのない状態がどんなにひどいものかは、インターネットにおける荒し問題を見ればわかるだろう。
 「野放し」を「自由」と言い換えて暴言を吐き続ける行為が「荒し」である。
 そういった荒し行為をなくしていくための行動を否定する。それでどうしてインターネットにおいて荒しをなくすことができるのか?
 インターネットでなくてもこれは同じで、先にあげた
「殺すな」
「盗むな」
「壊すな」
「傷つけるな」
「悪口を言うな」
「これまであげた悪いことをするやつらを許すな」

というのを守っていかないでどうやって世の中の平安を保っていくのか?
 悪さをするやつを排除することで平和を出現させ、これを続けることで平和を維持する。
 そのために警察や軍隊が存在し、それらが動く基準として法律が存在する。
 また、法律をつくるにあたり、基準となるのがこれまでの習慣などになる。伝統と言ってもよい。
 そして伝統といわれるものにはさまざまな試行錯誤が詰め込まれている。今ではなんでそんな事を守るのかわからないけども、それにはちゃんと意味がある、というのが伝統に含まれてるさまざまな要素である。あるいは習慣というのはそういったものである。
 だからこそ、一見理不尽なように見えても守らねばならないのが伝統である。
 こういった伝統、あるいは習慣、あるいはそれらに基づいて出来上がった社会秩序を維持するための法律。それらを破壊して人間の悪い部分を解き放とうというのが、左翼のもう一つの顔である。




 このどちらも最悪であることにかわりはない。
「選ぶならどっち?」という究極の選択の対象にもならない。
「どっちも選ばない」という回答以外に幸せになる道はない。




 一つ目の左翼の形は世界各国で出現した。
 ソ連、中国、北朝鮮を代表例として、その他にもいろいろあった。
 残念ながら戦争中の総動員体制の日本も、こういった体制といえる。
 不思議なもので、今現在の左翼といわれる人々は、ソ連や中国や北朝鮮の体制を賛美しながらも、日本の戦時体制は否定する。なぜなのか俺にはさっぱりわからない。




 そして二つ目の左翼は、今現在日本で猛威を振るっている。
 規制しなければならないものを開放し、開放しなければならないものを規制しようとしている。
 俺にはそのように見える。
 規制しようとしているものについては、タクシーの運賃値上げや農家への保障、福祉政策に在日朝鮮人といえる。
 保護という名の規制により、一部の人間に保障を与えてそのほか大勢の人間に負担を強いる。負担が税金であらわれるのは言うまでもないだろう。
 本来人間とは「自分で食べる分は自分でかせぐ」のが基本だ。
 ところがそんな基本を無視して、偽善としかいえない善意でかれらに施しを与える。
 施しを受けるのは、基本的に乞食である。
 そして乞食とは、「楽して(働かない)で儲けよう」という連中である。こんなのに与えるもんなんて、侮蔑以外に存在しない。
 むしろ「さっさと死ね」といいたい。



 そして規制しなければならないものとして、犯罪行為がある。
 断っておくが、犯罪とは「法律に引っかかるもの」ではない。
「人としてやってはいけないこと」である。
「人としてやってはいけないことを明文化したのが法律」でなくてはならない。
 実際に法律は人が作るものだから穴もある。それは気づいたときにどんどん直していくしかない。
 また、穴があるからもれることもある。間違いもある。
 だから法律が正しい、とは絶対に言わない。
 しかし法律がどうであれ人として守らねばならないことを投げ捨ててる連中が法律家に多いのは見過ごせない。
 その最たる連中が光市母子殺人事件の弁護士である。
 他にも法律を婉曲して自分の都合のいいように遣ってる連中は数多いだろう。そういった連中を知らないのは、俺のミスでもある。できればこの場においてでも少しは告発したいものだ。
 が、それは今のところ無理なので、知ってる範囲でものを言っていきたい。



 光市母子殺人事件の21人の弁護団がどんな連中なのかはネットで検索すればおおよそ分かるだろうから説明は省く。
 こいつらが様々な理由をつけて、
「何の罪もない」
「一人の女性を強姦し」
「その女性を殺し」
「その場にいた女性の子供をも殺した」
のは偽りのない事実である。
 こんなことをする人間をどうして無罪にできるだろうか?
 また、こんな人間の罪をどうして軽くすることができるのだろうか?
 こんな危険なことをするやつを排除してきたからこそ、人類は現在まで生き残ってきたはずだ。でなければとっくに人類同士での殺し合いを際限なく行っているはずである。
 こんな危険なことをする連中を追放したり殺してきたから、そのほかのまともな人間が安全に生き残ってきたはずである。
 人間の中には、時に危険なヤツが発生する。
 衝動的に暴力を振るう、人を傷つけるのを楽しむ。そういった連中が、どういうわけだから確かにこの世には存在する。
 それを説明した本にこのようなものがある↓


「良心をもたない人たち―25人に1人という恐怖

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 この本によると、世の中には人の痛みが理解できない人が確かに存在する。
 本文の中にも書かれているが、そういった人たちは誰かが傷つくところを見てもそれへの同情をおぼえない、理解できないのだそうだ。
 これは、脳の中の「他人への同情」「他人への共感」を覚える部分が働かないからだという。
 普通の人であれば他人が傷つくのを見て脳内のその部分に血液が集まるそうだが、他人の痛みが理解できない人はまったくそこが機能しないという。
 そんな人間、他人への同情をまったく抱かない人間とあなたは付き合いたいだろうか?
 こういう人間は自分の楽しみのために平気で人を傷つける。
 身近な実例としては、ネット内にいる荒し連中を見れば分かるだろう。
 俺はこういった人間との付き合いは願い下げである。




 人類の歴史、あるいは文明の発展は、こういう危険な人間を排除することで成り立ってきた、と思う。
 でなければ他人との協調は存在しない。
 強調のない人間がどうやって多くの作業をこなしていけるのだろうか。
 文明は一人で作り上げられたものではない。
 発案者は一人であったかもしれないが、それに賛同する多くの人間がいたから、今のような巨大で複雑な文明を作り上げてきたのではないだろうか。
 光市母子殺人事件の弁護団を見ていると、そういった文明のあり方に逆行しているようにしか見えない。
 この事件の犯人を即座に殺害してこの世から排除すると同時に、このような人間を擁護するような様々な人間もこの世から消えてもらいたい。
 でなければ世の中には目的達成のために殺人すら容易に行うような人間があちこちに野放しにされるだろう。
 2ちゃんねる問題に代表される荒し問題の現実版だ。
 どんな言い訳をしようとも、無法・野放しの助長でしかない殺人犯への同情・無罪放免の獲得に俺は断固として反対する。



 ただし、少しだけ条件をつけよう。
 長期にわたる(いや、短期であってもだが)虐待や罵倒・愚弄、そして理由なく行われる様々な傷害(殺人も当然含む)への反撃は当然である。
 また、そのために「加害者を殺す」のも手段の一つとして当然認められると考える。
 これはすでに述べた「これまであげた悪いことをするやつらを許すな」の中に含まれている、と考えてもらいたい。
 こんな事をあえて書くのは、揚げ足を取る馬鹿がでるからである。
 面倒なことこの上ない。




 長々となってしまったが、最後に一言。



 左翼の大勢は良心的な人のようだ。
 だからこそ夢のようなことを語る左翼の思想に共鳴するのだろう。
 だが、それは偽善である。
 あるいは小善である。
 それは決してよい結果を招かない。
 歴史がそれを証明してくれている。
 俺の好きな言葉を最後に書いてこのエントリーは終わりにしたい。


小善は大悪に似たり

大善は非情に似たり
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 17:02| Comment(0) | TrackBack(5) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月12日

休止宣言から10回目

 なんて言ったらいいのかねえ・・・・・・。



 しょーもない人のしょーもない行動はまだ続いてるのか、と思ったりする今日この頃。
 その概要は下記の場所を参照していただければよろしいかと。


保身と責任転嫁に必死な『反日ブログ監視所』管理人
http://komichin.blog80.fc2.com/blog-entry-117.html


 まず人間関係の基本だが、


・相手にしてほしかったら、相手にあわせろ
・反対の立場をとるなら、衝突になるのは当たり前
・自分が正しいというのは自分にしか通じない
・自分の基準で相手を裁くならば、相手の基準で自分も裁かれる


というのくらいは理解してもらいたいもんだ。
 篠原の言動は、
「そういう事を言う連中もいる」
「それに賛同するやつらもいる」
「でも、それが正しいとは限らない」
で終わる。
 まあ、反日に対抗する、というのは理解できるが。
 もっとも、反日の基準がポストコロニアリズムだけってのはどうよ?
 守り伝えていかねばならない日本てのは、「父祖が築き上げ、子孫に渡していきたい自由な国」ではないのかねえ・・・・・。
 その自由を、「今まで何とか伝えてきた。これを今後も継続する」というところにある。
「そのために、自由を何とかはぐくんできた、また維持してきた過去や現在の制度を何とか維持し、必要なら改善して伝えていく」というのがいわゆる保守だろう。
「これに反するのが反日」というならまだわかるが、「旧植民地・旧支配地域の連中がいってくる文句」であるポストコロニアリズムだけってのはいただけない。


 まあ、篠原って輩は、
「反日に該当しそうな連中をネット上でいたぶって遊ぶ」
ことにあるようにしか見えないので、そんなことはどうでもいいのだろう。
 いってみればヤツのよりどころは「正義」や「道理」にしかあるまい。
 もっとも、

・正義や道理というのは、個々人の勝手で使うことはできない
・それは後世から見て、「あれは結果として正しかった」「あれはその当時は正しかったかもしれないが、やはり間違ってた」というようなときにしか使えないだろう。
 そんなもんをふりかざしてどうすんのだろうか?




 ま、あれだ。
 コメントやトラックバックを承認してもらいたいなら、こっちに都合のよい事を書いて来い、というだけの話である。
 それがいやなら、こちらの目に触れないところで勝手にやってろ、というしかない。
 議論がしたいなら、それに応じてくれるやつだけを相手にしてればいい。
 ただ、議論てのは結局のところ「理非を問わず勢いのあるやつが勝つ」というもんなので意味があるとはまったく思わない。
 そもそも議論というから何か高尚なもんに思えるだけで、その実態は「言いくるめ」「嘘」「揚げ足取り」の応酬である。
 アホらしくてやってられん。




 久々にあほな人がいるなあ、と思ったのでエントリーにしてみた。
 
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 20:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月05日

休止宣言から9回目

 休止宣言から9回目。
 本当に休止かいな? と自分でも思いつつ思ったことを書く。




 俺が「荒らし」「炎上」と呼ばれる「罵倒」「暴言」などの行為が嫌いなのは、言ってしまえば次のような理由による。


・相手の権利の侵害


 どういうことかと言えば、


・サイト主への一方的な攻撃
・暴言を投げつける人間は安全圏にいる


 ということである。
 また、単にそれだけでなく、


・自分の行為は棚上げ
・不利なルールは相手にだけ押し付ける


 というのが見えるのが気に食わない
 なんでこれらが嫌いなのかというと、それが左翼と呼ばれる連中の常套手段であるからだ。



 もう少し突っ込んでみると、


・文句は言う
・しかし代案は示さない


 政治における野党と呼ばれる連中に共通する悪癖だ。
 言い換えれば、


・責任を放棄している


 といえる。
 それらが荒らしにも共通しているので反吐が出るほど嫌っている。


 また、荒らしが活動できるのはサイトなりブログなりホームページがあるからだ。
 それがなくなれば荒らしは行動できない。
 つまり荒らしは、自分の居場所を自分で破壊している。
 わかるだろうか?
 俺にはそれが、「自分の居場所たる国家を破壊する左翼」と同じに見えて仕方がない。
 あるいは平和な環境を破壊すべく、平和を維持している秩序を破壊している連中と同じに見える。
 これはテロリストにたとえる事もできる。
 また、死刑廃止論者や平和主義者などにも共通する。
 死刑廃止論者は、刑罰廃止論者とも共通するように見える。連中の意見や理論は一見それなりの説得力があるように見えるが、目指しているところは「秩序の破壊」である。
 光市母子殺人事件をはじめとする凶悪犯罪をみるがいい。
 あんなことをする連中をどうして生かしてこの世に徘徊させないといけないのだろうか? 犯罪を犯せばどうなるかぐらいはわかってるはず。にもかかわらず犯罪に手を染めたのだから相応の報いがあってしかるべきだろう。
 それをふざけた屁理屈で救おうとするのだから救いがない。
「自分の行為を正当化する。そのための屁理屈をいくらでもこねる」
「自分に都合のよい部分だけを抜き出す」
という荒らし行為の常套手段と、あの弁護団となんの違いがあるのか?
 俺には同じ種類の人間にしか見えない。


 平和主義者も似たようなもの。
 平和を求めるのは大切な事だが、そのために武装を放棄する、という意見は理解しかねる。
 平和を守るために武器が必要なのだろうが。
 もしこの世が本当に平和なら、なんで武器があるんだ、ということだ。
 世の中は決して平和ではない。
 残念ながら世の中には「相手から略奪して豊かになろう」と考えてる連中がいる。
 北方領土を占領しているソ連。その後継国家ロシア。
 日本の領海をおかして資源を採掘する中国
 自国領土と言い張って竹島を占領している韓国
 ゼロ金利という政策を強制し続けてきたアメリカ
 日本の周りはそんな連中ばっかである。
 こんな連中にどうして言葉が通じるのか?
 言葉が通じないから態度と腕力で示さないといけないのだろうが。
 にもかかわらず「話し合いで解決を!」だと?
 頭がいかれてると判断するしかない。
 こういう「言っても無駄な連中」がいるから、俺は気に食わない連中のコメントやトラックバックは受け付けない、という方針を貫いている。
 その結果、このブログはかなり平穏だ。


 また、荒らし連中は自分の居場所をしっかりと確保している。
 そのくせ、他人の居場所はつぶそうとする。
 俺にはそれが自国の利益のみを言い立てるアメリカ・ソ連(ロシア)、中国、北朝鮮、韓国と同じに見える。
 なるほど、やつらはそういう考えなのだろう。
 では日本の立場は?
 日本の利益は?
 この日本を「荒らしの標的になってしまった被害者」と言い換えてみれば、インターネットにおける暴言・罵倒問題である「荒らし行為」というものの本質が浮かび上がってくる。
 俺はこれらを次のように考える。

「自国の利益だけを求めて、相手国の都合を無視し、踏みにじる」
「自分の娯楽のために、相手サイトにいる人々の気持ちを踏みにじる」

 この二つは本質的に同じに見える。


 だからこそ、俺は思想的には右(国体保護、自国優先、部外者の排除)であるにもかかわらず、いわゆる右な連中を非難している。正確に言えば、右翼的な言動を使って荒らし行為をする連中を。


 そしてこんな身近な体験から、やはり協力できない連中とは縁を切るしかない、という考えをいっそう強化することにもなった。
 インターネットで言えば「気に食わない連中とは付き合わない」
 国家で言えば、「日本に都合のよい連中としか付き合わない」
 これである。




 俺には荒らしが、侵略者に見える。
 2ちゃんねるがソ連に見える。
 2チャンネル系のサイトやブログなどがソ連の衛星国家に見える。
 だからこそ、荒らし連中が嫌いである。






 今回もあまり考えずに文章を書いている。
 だが、

「荒らしは本質的に侵略者(左翼)でしかない」

ということだけでも伝わればよい。
 例によって反論などは受け付けない。
 言いたいことがあるならば自分のサイトなりブログなりでやればよい。
 そしてブログというのはとてつもなく簡単に開設できる。
 どんな事情があるにせよ、これすら開設できないなどとはいわせない。
 どうしてもできない、というならば自分と同じ意見の人間のところにいけばいい。
 なんで俺が考え方の違う連中の言うことを聞かねばならんのか? 俺にはそれを聞く理由もなければ受け入れる理由もない。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 17:04| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月23日

休止宣言から8回目

 たまにはまともに。


 左翼とはなんだろう、と考えてみる。



 左翼が「独裁」「独占」「権力の独占」「抑圧」「特権」というものになってしまうのは歴史を振り返れば明らかだろう。
 結果として、


・権力を持つもの以外の自由がない


という事態に陥る。
 逆に言えば、これに該当するのが左翼であるともいえる。
 表向きの政治体制など左翼・右翼の分類手段・手法にはならない、ともいえる。


 一番わかりやすく左翼と認識されてるのは、共産党による一党独裁だろう。
 だが、これ以外にも独裁手段はある。
 ヒトラーによる権力集中も、これまた独裁という点では左翼といえる。
 日本における大東亜戦争中の軍部も、いわゆる左翼であろう。国家権力を軍部が好きなように使ったのだから。


 こう考えると、天皇陛下を担ぎ上げてるから右翼だ、というのはあたらない。



 これらの対極である「保守」というのも気をつけねばならない。


 保守、というと「現状維持」と考えられてしまう。
 こんな考えでは、「左翼政権を維持しつづるならば、それは『左翼政権の保守』である」などという頓珍漢なことをいうようになってしまう。
 そんなわけがない。
 保守主義や保守思想は「左翼に対抗するために」生まれたものである。
 また、「左翼から保守する」ために生まれたのが保守主義である。間違っても左翼を保守する保守主義や保守思想などありはしない。


 俺の知る限り(wiki)ではあるが、保守主義とは大事な何かを守るための思想であり主義である。
 その大事なものがなんであるのかを考えねばならない。
 そのためには、保守主義というのが何に対抗して明確に形となったのかを考えねばならない。


 保守主義が明確になった一番大きな出来事はフランス革命であるという。
 この革命に対抗するために猛然と唱えられたのが保守主義であり、保守思想であるという。


 つまり、保守主義が敵としたのは、

・王様殺しの革命であり

・富裕階級を殺しまくった革命であり

・民衆を暴徒として扇動した革命であり

・そんな革命を煽った革命家という権力簒奪者であり

・そんな権力簒奪者の思想根拠となった思想である


 といえる。


 となると保守主義や保守思想が守ろうとしたのは、


・王様であり

・富裕層である



と考えられる。
 なんだそりゃ、結局特権階級の保護かよ。と思ってしまうだろう。
 だけどちょっと待ってくれ。
 これには続きがある。


・そんな体制の中ではぐくまれた自由であり

・殺し合いを絶対に認めない世界



 が王様や富裕層を認めることで守られてきた。
 また、王様が各自の自由を認め、これを侵害させないことに注力したから社会全体が豊かになってきた。
 それもまた事実だろう。
 保障する、ではなく「侵害させない」ということに注意してもらいたい。


 王様は、あるいは権力機構は、決して誰かに手を差し伸べるということはない。
 ただ、権利の侵害になるあらゆることを許さなかった。
 それが正解ではないだろうか?
 王様は貧乏人を救わなかったかもしれないが、誰かが努力してなりあがろうとするのを侵害させはしなかった。
 だからこそ個人の自由が保障されたのではないだろうか?
 また、そんな国だから、結果として豊かになっていったのではないかと考える。
 時間はかかるが、これがもっとも間違いのない手段であると思う。
 即効性はないが。
 一言でまとめるのも難しいが、
「一人一人、己の務めを果たせ」
というのを結果として奨励してきた、ともいえる。
 こういったものを守るのが「保守主義」であり、「保守思想」であろう。


 これの対極が左翼思想であり、革命思想である。
 結局フランス革命は何十万人もの人間を殺した。
 そして結局はナポレオンによる皇帝即位にいきつき、ナポレオンによる海外遠征にいきつく。
 遠征を侵略と言い換えればもっとわかりやすいだろうか。
 この時フランスは徴兵制によって国民が大量に動員された。
 否応なしにそれはフランスの国力を大きく削ぐことになる。
 これも俺の知ってる限りだが、ナポレオンによって徴兵された兵士は数十万ではきかない。全部あわせれば百万から二百万にのぼったのではないだろうか。
 当時のフランスの人口は二千数百万人であったという。人口の一割が軍に徴集され、死亡した。
 国民の一割がいない、その大半が死亡したというのがどれだけ大きく産業にダメージを与えるのかを考えてもらいたい。
 加えて、フランス革命時に殺された人間の数を加えれば相当なものになる。
 革命からナポレオンの時代まで数十年の月日がたっているが、その間にフランスがこうむった被害はこれほど大きい。
 民主化をうたった革命が、民衆を災厄に巻き込む事態に至るというのはなんたる悲劇か。


 正直、こんな惨状をあらためて眺めれば、まだしも王政のほうがましだ、と思う。
 それが最善だとはまったく思わないが、革命よりははるかにましだ。
 まして、革命政権が倒そうとしているのが「革命よりまだましな王政」であるならば。
 こんな革命を肯定するのが左翼思想であるならば、俺はこんなものを否定し、弾圧し、抹殺したい。


 長い時間をかけて何とか各自の自由が保たれるようになったにもかかわらず、それを破壊して権力を奪取するのが左翼思想である。
 どんな理想をかかげていても、どんな口約束をしていても、結果は歴史を振り返れば明らかである。
 革命で幸せになった例はほとんどない。
 例外はアメリカにおける独立戦争くらいではないだろうか?


 そのアメリカにしても、大統領は民衆の直接選挙で選ばれるわけではない。民衆は大統領への投票権を持つ代理人を選挙するだけである。
 また、本当に民主主義で王政に対抗するならば、大統領は議会から選出されるはずである。だが、そうなってない。
 それどころか大統領は議会への拒否権をもっていると聞く。
 だとしたら、「民選による議員への抵抗装置」と言えるのが大統領である。民主主義の象徴たる民選議員の議会に抵抗する装置があるというのはおかしではないか。
 いわゆる民主というのを求めるのが革命の常套句であるならば、独立後のアメリカはそれを否定する方向で政治制度が作られている。


 俺が知る限りの知識ではこの程度しか考えられないが、結局は革命や独立の根拠となった「王様打倒」はどこかで否定されている。
 アメリカにおける議会への拒否権はイギリス国王の権利でもあるらしい。ならば、形は違えど似たような体制をとったことになる。
 王様と大統領は確かに違うかもしれないが。


 結局、王政か、それに近い制度が今のところ考え付く最善の、そうでなくても次善の制度であるように思える。
 次善ですらなくても、「最悪よりはまし」「最悪を排除する」という点においては革命よりはずっとましと考える。


 振り返って日本を見てみれば、この国は長い間天皇陛下を中心とする皇室という一族を頂点にしてまとまってきた。
 その中だけを見れば、確かに問題も多い。
 だが、外に目を向ければ、もっとひどい状態の国が多数存在する。
 もっとも近い外国であるシナ地域は王朝が変わるごとに戦乱と戦争を繰り返している。
 王朝交代などというが、とんでもない誤解だ。
 交代でなく、簒奪・破壊・虐殺である。
 王朝を破壊して新たな王朝を作る。それを数百年ごとに繰り返しているのがシナ地域である。
 こう言い換えてもいいかもしれない。

シナ地域では、

数百年ごとに、

フランス革命を行っている


 そして今まで作ってきたものを破壊し、何もないところからやりなおす。ものすごい無駄と手間だ。
 こんなののどこがいいのだろうか?


 世界中を振り返っても、内部からの革命がよい状態を作り出したことなんてほとんどない。
 ただ、混乱と権力争いによる内戦が続くだけである。
 それよりは革命なんてのを放棄して、現状の政権を維持しているほうがよい。
 その政権が左翼政権でなければ、であるが。



 結局、保守主義や保守思想とは、長い年月をかけて何とか安定してきた国内と、その中ではぐくまれる自由を守ろうとしているのだろう。
 その成長はとても遅く、その自由はとてもわかりにくいものだから、誰もがそれを大事と思えないのかもしれない。
 だが、ちょっと外に目を向ければ、平和で安泰な政権が続くというのがどんだけよいものなのかがわかろうというものだ。
 そして平和な時代に叫ばれるのは、どういうわけだか「格差問題」であるのも共通する、というところか。
 これは人間の嫉妬心によるものだと思う。


 同じ社会にいながら自分より豊かなものがいるのが許せない、というのが嫉妬心である。
 階級が固定されてるならともかく、立身出世が可能な世の中ならば、こんな嫉妬心は認められない。一念発起して努力するのがすじというもの。
 そして努力は常に報われるとは限らない。失敗する可能性のほうがはるかに大きい。
 その失敗が怖くて現状に甘んじているならば、文句を言うのはおかしい。
 なによりも、最底辺にいるにしても飢えに苦しむことがないということを忘れてはならない。世の中には飢えに苦しむ者達が数多い。
 そしてそんな国というのは決まって国内が安定してない。常に内戦状態だ。内戦でなくても治安が悪いことが多い。
 それらと比較して、現状を少しは考えろ。左翼に俺は強く言いたい。




 いつもどおり反論は受け付けない。
 いいたいことは自分でブログを作ってそこに書けばいい。
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2007年11月15日

休止宣言から7回目

 さて、何を書こうか・・・・・・・。




 何から書こうか・・・・・・・・・・・?




 福田内閣誕生でも絶望的な気分を味わった。
 これを見て思ったのは「昔の(悪い)日本が復活したな」というものだった。せっかく安倍晋三という人物によって日本がよい方向に舵取りできる、と思ってた矢先のことだったので絶望感は大きかった。


 安倍晋三という男は、小泉議員以前の政治とも、小泉劇場とマスゴミと左翼がほざいていた「旧弊の」破壊型政治とも違う。
 淀みのたまった政治の世界を小泉がぶっこわし、安倍が更地となった政治の世界に作らねばならない国家という家を作る、というものだったと今は思う。
 が、日本人がそれをぶっこわした。
 これからの日本を考えることなく、ただただマスゴミの情報に従って民主党に入れた。





 まあ、日本人ってその程度か、と思って絶望し、あきれ、今は笑っている。





 で、民主党。




 ここで思いっきり「ばーか」と言ってやれば楽しいんだろうなあ、と思うんだが、今は少しばかりまじめに語ろうと思う。




 一時的かもしれないにしても、参議院選挙であれだけの議席を得たのだから少しは覚悟を決めねばらなかったのが民主党であろう。
 野党の第一党として、自民党という保守(?)政権とどこかで同じような政策を採りながらも、「でもこっちの方がいいんじゃねえのか?」というのを呈示していかねばならなかったはずだ。
 しかし現実にはそんなことがまったくできてない。
 というか、勝手にあれこれでっち上げて自滅した、というのが俺の知る限りの民主党の動きである。



 なぜインド洋における海上給油をさえぎったのか?
 そして、それ以上に危険極まりない陸上任務に自衛隊を投入しようとしたのはなぜか?
 まったく理由がわからない。
 給油活動すらも憲法違反というならば、交戦が確かな陸上任務に自衛隊を派遣するなど問題外ではないか。
 言ってることが滅茶苦茶だ。
 おまけに「憲法」を錦の御旗にして給油活動を阻止しておいて、「国連の決定ならば」といってるのだからおかしな話になる。

 自国の憲法を大事にするから

他国との強調を

切り捨てた


にもかかわらず、今度は

不特定多数の他国の集合体

である国連に従う、

とはどういうことか?



 これはとんでもない矛盾ではないか。



 その挙句が辞任騒動であり、間髪おかない続投宣言である。
 言葉は悪いが、続投を宣言してからほどなくして辞任を告げた安倍元総理のようだ。
 もっとも、安倍元総理と比べるのは安倍氏に対して失礼すぎるが。
 なぜか?
 安倍元総理は、国会議決をわずか一年あまりの期間に17回も実行したからだ。仕事の完遂能力とその意思において小沢ごときなど足元にも及ばない。



 しかしそれでも日本人は小沢のような男をおすだろう。
 それは安倍元総理を「お坊ちゃん」と言ってバカにする一方で、
 小沢のようなやつを「大将」といってもちあげるのがバカな日本人だからである。



 俺からすれば、豪腕・強引などというのはまったく評価対象にならない。
 声がでかい、腕力がある、というのはたんなる「暴れん坊」であり、ヤクザと一緒である。そんなやつを持ち上げるバカの気がしれない。


 大切なのは「自分の都合のいい方向に強引に持っていくバカ」ではない。
 「理非曲直を見定め、本質を見極め、やるべきこと・手をつけねばならないことを見定める能力」である。
 そして、
「やるべきことに立ち向かっていく勇気」であり、
「やるべきことを完遂する能力」である。
 結果論になるが、安倍元総理はそれをやった。実績がある。
 で、小沢にしろ民主党にしろそんなものがあったのか?
 俺の知る限りにおいて、野党の連中に何かを完遂する能力があるようには思えない。



野党にあるのは、

政権政党を

バカにするだけの

数多くの言葉だけ


ではないか。

 代表例が共産党だったり社会党(社民党)である。




 結局、文句しか言わない(何の提案もできない)野党の連中と、


 そんあ足を引っ張る連中を相手にしながらも国をしょってきた自民党(というか、その中の一部の議員だろうけど)


の差が出たと思える。最近の動向を見ていると。






 民主党に入れた連中は本気でこんな連中に何かを託したのだろうか?
 アンチ自民党として民主党に入れただけだとしたら、考えがなさすぎる。
 少しは考えるべきだろう。

「今後何年間か議員を務める連中を選ぶ」

ということを。
 言い方を変えよう。

「選んでしまったら何年間かはとりかえしがつかない」

 そのことを本気で考えたやつがいるのだろうか?
 選択する権利というのをもう少しまともに使ってもらいたいもんだ。





 人をけなし、たたき、引き摺り下ろす。
 マスゴミが参議院選挙でやったのは、ネットにおける荒らし行為以外の何者でもない。
 それにのっかった連中は、荒らしに便乗した連中だろう。
「そんなつもりはなかった」
と後から言うのだろうが、言い訳はやめてもらいたい。




 ここにいたって求めるのは、

・国民が少しは賢くなる
・自民党がこの難局を、それでも強引にでも乗り切る
・民主党が改心する

ことであろうか。
 どれも期待できそうにないものばかりだが。特に最初のやつは。




 ま、こんな政権を選んだのは(俺以外の)日本人だ。そのとばっちりをうけるのは腹立つが、俺が責任を感じる必要がないのがせめてもの救いか?
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 15:49| Comment(0) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月09日

休止宣言から6回目

 さて何を書こうか。


 テレビも見ない、ラジオも聞かない。ネットにも最近つながってない、という状況では世間の流れなんてもんがわかるはずもない。
 それでも福田内閣が誕生したのは何とか知っておるが、まあ、どうでもいいわな。日本が崩れていくのは目に見えておる。いまさら嘆いても始まらない。これを求めたのは日本人の大半であるし、その結果起こるさまざまな出来事はすべて日本人の責任である。


 まあ、マスコミの垂れ流す情報やら、功績のほうには目を向けずにしくじりのほうにばかり目を向けていたのだからそれも仕方ないのか、な?


 そんな連中とは一緒にされたくはないが。


 こちらとしては、無能が下流に流されていくのも、能力あるやつや努力したのが上に上っていくのも、その結果出てくる格差も当たり前と思ってるので、これがさえぎられるのが少々・・・・・いやカナリいたい。
 何より、平等の掛け声のもとに行われる努力した連中(=金持ちになったものたち)への迫害が本格化するのかと思うと目も当てられない。


 もともと人間は格差がある。
 それは生まれた身分もそうであるし、もって生まれた能力でもある。
 性格・人格、後天的な努力(それをしようという根性すら)も違う。
 やるヤツは人の二倍三倍働く(その結果手取りが増える)し、さもなくば要領よく(無駄な手間は省き、要点をまとめて効率よく)仕事する。
 あるいは、危険を覚悟でリスクのあるところに足を踏み込み(起業もそうだし、株などの金融に入っていくのもそう)、知恵を使って持ってるものを増やそうとしていく。
 なんにせよ、普通にはやってない。やってないから普通なだけの人間より大きく稼ぐ。
 それもしないで「格差」を叫ぶのは間違いだろう。
 いや、格差を叫ぶのは問題ないのかもしれない。
 稼いだヤツが有能で、それをしない自分が無能、もしくは安全なところに潜んで何もしなかったと自覚してるのだろうから。
 しかし、何もしないで格差が開くのを悔しがってるような連中がなんで格差に文句を言うのか。
 まったく理解できない。


 俺も最底辺である(と思われる)ホームレスやワーキングプアよりはましなところにいるにすぎないのかもしれない。
 だが、生活してほんの少し趣味に手を出し、それでも毎月過ごしていけるだけの金はある。
 酒もタバコもやらないし、付き合いもよくないから変な金の使い方をしないだけ、ともいえる。まあ、いわゆるオタク趣味はあるが、さほど金を使ってるわけでもない・・・・・と思いたい。
 結構気楽に暮らし、それでちゃんと生きていけるのだから文句はない。これ以上を望むならば今以上に働かなくてはなるまい。
 で、俺の場合これ以上は勘弁と思ってるからこのあたりにいる。これは俺の責任である。誰が悪いわけでもない。


 人によって考えはさまざまだろうが、「女房子供をもって、なおかつ自宅(戸建て、マンションは問わず)がある」というのを求めるならば、寝る間も惜しんで働くのが普通だろう。
 そしてそれは努力してるヤツか、能力のあるヤツの特権である。
 手抜きして生きていこう、誰かにたかって生きていこうなどと考えてるやつには本来できないことである。
 今までの日本は、少なくともバブルの頃の日本はそれができていたかもしれないが、そんなの例外だ。
 そして例外を基準にしてはいけない。


 しかし、世の中というのは偽善者が多いようで、他人の金である税金を使って最底辺(と思われるあたり)にいる連中に施しを与えるのが正義であると考えているようだ。
 福祉を充実させ、フリーター・ニート問題を解決させよう、としている。
 また、ワーキングプアも何とかしようと思ってるようで。
 頭が悪いとしか思えない。


 フリーター・ニートはそいつに能力がないかやる気がないのが問題である。こういうのはほっとけばよい。餓死するか途中でやる気を出して死に物狂いになるかはそいつしだいだ。
 死なせたら、厳しい生活させたらかわいそうだ、などという甘ったれた考えで接するな。マザコンボーヤを増やすだけだ。よっかかる相手がママか社会(政府)であるかの違いだ。


 ワーキングプアに関しても能力問題であろう。
 業種自体が縮小傾向にある、他にかわりがいくらでもあるようなものならば否応なしに値下げ競争になる。いやでも賃金は低く抑えねばならない。
 また、能力がないならば高い能力を要求される、そのために高賃金の職につけるわけもない。
 低い賃金の労働も似たようなもので、低賃金というのは「誰がやっても同じ。大差はない」から低賃金になる。
 俺がこの辺りにいるからよくわかるが、もし俺が今の職場からいなくなっても誰も困らないだろう。一週間もすれば他の誰かが代わりにがんばってくれる。そして職場は俺がいなくなる前と同じように仕事をこなしていく。
 こんな人間がどうして高賃金で雇われるのか?


 少しでも賃金を上げたかったら、残業代を稼ぐか、自分で勉強して技術を身につけ、能力を磨くしかない。
 そしてそのための時間と費用を会社に要求するな。
 会社は「能力のある人間が集まって仕事をする場所」である。
 能力もないのに会社に来るな、と言いたい。ささやかな実体験であるが、無能なやつや屁理屈こねて仕事をやらないやつなどがいるとそれだけで能率が下がる。いないほうがよい。できればこの世からも消えてもらいたい。
 こんな連中の支援のために、なんで会社(ひいてはまともに働いてるそのほか大勢の人々)がリスクを背負い込まねばならないのか。
 それは努力してる人、普通に生活している人への虐待である。



 一応いっておくが、ここでいう「普通」とは本当に普通の人々である。
 特に能力があるわけでもない、よくある仕事をごく普通にこなせる人である。人の何倍も働けるようなやつや、どんどん出世していく人間ではない。
 能力や技術的には、そうしたエリートからは劣るだろう。
 いわゆる中間層というべきか?
 無能というのは、こういう中間層を含めたそのほか大勢への無駄な負担になる。


 そしてこんな無駄な人間を何とか生かしていこうとしているのが、いわゆる社会正義やら福祉政策やら社会政策である。


 正直反吐が出る。


 まず基本に立ち返ってもらいたい。
 人間に限らず、この世に生きるものは「自分で糧を見つけるかつくる」のが基本のはず。
 なぜならば、
「稼いだ以上に消費することはできない」
からである。


「稼いだ以上に消費することはできない」


 この意味を理解してる人間がどれほどいるのだろうか?
 いわゆる社会福祉などを求める連中には皆無だと俺は思っている。
 もし本当にこの意味を理解してるならば、社会福祉なんて口にしないだろう。夢想だにしないはずだ。聞けば嫌悪感を抱くはずだ。


 この世は何もしないで生きていくために必要なものが提供されるほど甘くはない。
 衣食住という生きていくための基本セットからして「作り出さねば手に入れられない」ようになっている。
 木の実を採取してくる育てる必要はないかもしれないが、その場合でも山の中に分け入らねばなるまい。
 洞穴にこもるにしても、洞穴を見つけねばならない。
 衣服なんて作り出さねば存在しない。これなしで生きていけるのは赤道付近の暑い地域に限られるだろう。
 ごく限られた地域を除き、何もしないで生きていくことなどできはしない。
 生きていくためには否応なしに稼がねばならないのだ。


 であるならば、稼ごうとしないやつが生きていく資格などない。
 稼げないならば死んでいくしかない。
 基本的にはそういうものだろう。
 まだ未熟な子供や、勤めを果たした老人、怪我や病気で一時的に戦線を離脱せねばならない者はともかくとして。
 こういう例外的な者達(未熟な者たち、功績のある者達、不慮の事故など)を助けるというならばまだわかる(それでも今まで稼いだ分で彼らを養わねばならないのは理解するべきだろう。仕方ないとは思うが)。
 しかし、そうでない連中にまで手を伸ばそうというのはどういうわけなのだろうか?
 人間皆平等、というふざけた言葉のもとでこんなばかげたことが実施されてはたまらない。


 国の借金というのはこういうところから発生する。
 やらんでいい手助けのために、福祉は必要という根拠のないバカの信念のために、まじめに働いてる人々が圧迫される(税金や年金などの源泉徴収で)。
 それでも足りずに国責を発行して金を集めている。
 言葉をごまかしているが、国責とは借金である。
 借金はするもんじゃない、と俺は親に教わり多くの人に同じようなことを言われてきた。自分で考えてみても、借金はしないほうがいいな、と思うのだが、そう思わない人がこの世には多いようだ。
 カード破産などには大騒ぎするのに、国の借金には何も言わないのはどういうことなのだろう?


 小泉時代から安部政権にうつり、国責は25兆円にまで下がった。
 その結果福祉は圧迫されたが、これは当然である。本来必要ない物だし、あってはいけないものですらある。それがなくなるのはめでたい限りであったのだが、どうやらそう考えないアホが大勢いたようだ。
 なるほど、借金してまで自分の取り分を確保し、それを未来の青少年たちに押し付けようというのか。ひどいクズばっかである。


 社会主義や共産主義の社会政策、福祉政策が間違っていた、それに賛同していた自分たちがバカだったんだ、という反省はないのだろうか?
 そんなものに頼らず、自分の食い扶持と老後くらいは自分でなんとかつくる、という気概はないのだろうか?
 ろくな蓄えがなくても、それは自分の責任だ、という覚悟はないのだろうか?
 それはあまりにも無責任だろう。自分自身に対して。
 自分以外の誰かに手を差し伸べられる偉人になれとはいわんが、自分自身の面倒くらいはみたらどうだ、といいたい。



 まあ、いっても無駄だろう。
 日本人は自由が嫌いで、
 努力が嫌いで、
 自分以外の誰かにたかるのが大好きな、
 生来の共産主義者・社会主義者でしかないのだから。



 反論異論は多々あるだろうが、そんなもん受け付ける気はない。
 今これを読んでるあなたにあなたの考えがあるように、これが他の誰のものでもない俺の考えなのだから。
 これを受け入れる必要もないかわりに、
 あんたの考えを押し付けられる必然も必要も俺にはない。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 16:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月20日

休止宣言から5回目

生きてます。


まだ生きてます。







ゴキブリより盛大な生命力でもって、まだまだ生きてます。






 えー、このブログを楽しみにしている方がどんだけいるのかわかりませんが、一応は生存を報告しておかねば、と思って書き込んでます。



 周知のごとく参議院選挙における日本人のアホな投票には呆然としてるし、それについても書きたいことがいろいろあるんですが、どうにもこうにも・・・・・・。



 まずもって「やる気」がない。
 これが致命的ですね。
 まあ、まったくやる気がないのかというとそうでもないですが。

 ただ、それに追い討ちをかけるように・・・・・・、



パソコンの画面がぶっ壊れた!!



 もう何か精神的につらいもんがあります。たったこんだけのことで。



 もう何なんだよ、と。





 まあ、そんな状況で、とりあえずエントリーだけでもあげておこうかと。




 そして、一言二言だけいいたいことを書いておこうかと。




 参議院選挙ですが。


これって


民主党か自民党かの違いだけで


本質的に郵政民営化選挙と


何一つ変わらないじゃねえか!!





 自民党が負けた、といって喜んでる連中の気が知れない。
 そもそも自民党が負ければいいのか?
 確固たる政策や憲法に対する姿勢・態度をまったく出さず、ただただ「年金」と「大臣の醜聞・言動の揚げ足取り」だけに終始した今回の騒動のどこに日本の未来があるのか?



 右も左も郵政問題だけで選挙した、といった衆議院選挙と今回の選挙、その本質において何がどう違うのか?
 「郵政」と「年金」を入れ替えたら今回の選挙は何一つ違うところがない、と感じるのは俺だけか?



 むろん俺は自民党に投票した。
 それが実に正しい選択だった、と今でも思ってる。


 なぜならば、

形だけでも国防について考えてるのが、


安部総理(と一部の政治家)だけだからだ。




 国防とは国家が真っ先に取り組まねばならない問題である。
 国土が侵略されることなく安泰であることこそが、平和の根源である。
 今のイラクを見てみろ。
 独裁だなんだといわれていたフセイン政権がつぶれてイラクはどうなった?
 平和がやってきたのか?
 無秩序の混乱の中で犯罪が横行し、国境を越えて進入してくるさまざまな勢力がイラク国内を荒らしまわってるというではないか。
 やたらとアメリカを非難し、イラク戦争後の混乱を問い詰める連中は、なぜか日本の秩序や国防については口をつぐむが、いったいどういうことなのか?
 日本の場合、真っ先に思い浮かぶのが北朝鮮による日本人拉致であるが、これに対して行動を起こしている人間の足を引っ張ってどうするのか?
 今回の参議院選挙の結果については腑に落ちない。



 つまりはあれか。
 他人だから拉致被害者がどうなってもいい、ということか。


 つまりはあれか。
 自分が被害にあったときに、同じように無視されてもかまわないという覚悟があるのか(それはそれでたいしたもんである。俺はごめんだが)


 つまりはあれか。
 税金を食い荒らし、国民に・・・・・ひいては自分の子孫たちに負担をかける年金を今後も持続し、自分だけ小遣いをもらえればそれでいいのか。



 俺には日本人の考えが理解できん。
 一応俺も日本人だが、今回の選挙結果はまったく理解できなかった。



 この際理由や理屈などどうでもいい。
 出てきた結果が何をもたらすのか少し考えるがよい。




 などと書いたところで今回のエントリーは終わりにしよう。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 19:30| Comment(1) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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