2006年07月18日

適当なこと112

 いつも通りの擁護

http://miraclemiracle.seesaa.net/article/20983038.html#trackback


 いや、同じ対応とってた人達を非難してたんだから文句言われて当然。と思った俺がいる。考え方は人ぞれぞれ、というところか。

 もっとも

とはいえ、削除というのはいわば伝家の宝刀なので果たして戦術上今が抜くべきタイミングだったかどうかは疑問が残る。もう少しお馬鹿ぶりをエントリを起こして思う存分晒しあげてからでもよかったのではないかなと思う。
削除も、エントリを起こすことも、虫に餌をあげるという意味ではなんら変わりは無いのだから。



 どこまでも「俺達は正しいんだ!」という姿勢は崩さない模様。
 こういうところから当事者間に溝と亀裂と壁が生じ、乖離が発生していくんだろう。
 というのが分かるから主張の違う者はそんなに仲良くするべきではないとも思う。
 対立する意見を見て、どちらに正当性があるか、どちらがマシかと考えるのは眺めている方であって当事者ではないし。残念ながら「こっちの方が正しいんですよ!」と言ったって、見ている人が「はいそうですね」と頷くわけでもないし。
 ただ、一生懸命に客を取り込もうと必死なのが見てて感じられる。



 そんなにして主導権を握りたいのだろうか?
 そこまでして勝ち負けにこだわりたいのだろうか?
 大いに疑問である。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 20:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

適当なこと111

http://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20060717/p9

一生懸命「批判」しようとしてるのは分かるんだけど、もう少しがんばりましょう。気持ちが先走ってちゃんと整理できてませんよ?迷いが見えるっつか。


 は?
 批判?


 感じたままの文字通り感想が批判ですかごくろうさまです。
 で、どこが整理できてないのか
 どのあたりに迷いがあると思うのか
 その根拠と基準などを明確に


 言いたいことが明確でないのは孤高と同じか。ま、仕方ない。


 しかしつくづく品評がお好きなようで。さすがヲチャ。今後も頑張ってくれたまい。


 孤高も篠原と同じでやたらと他人を評価したがるな。癖なんだろうか? 習性? 中毒? あるいは病気? どうにも。



 さーて、返答が楽しみだ。どんな事言ってるくるんだRO!



posted by つれづれなるまま・・・・に? at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月16日

適当なこと110

 非難しているようで、

http://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20060715

じつは自分の都合を押しつけてるようにも見える。
 こいつが以前どこかで書いていた「ヲチャの都合」を押し通しているだけのようにも見える。結局コメント・トラックバック削除という行為が許せないという事なのだろうか。
 それこそ人ぞれぞれだろうに。
 篠原も孤高もミラクルもそうした行為を非難してたんだから自分ややるなよ、ってだけの話なんだが。

なんでわざわざ「削除」というアクションを起こすのかなぁ。。。。放置しときゃいいのに。

 確かにカマッテチャンが一回につきいくつもの記事にTB飛ばしてくることはよくあるし(あたしんときもそうだった)、まぁウザいっちゃあウザいんだけど、んなもんほっとけばいいじゃん。敢えて削除する手間かけてまで相手に光線投げる口実を与えることもあるまい。
 そりゃ毎日100個もTB飛ばしてくりゃそれは完全な spam で削除&受信禁止の処置は妥当だろうけど、高々数個でしょ?それに飛ばしてくる方は(その主張が正しいかは別にして)あくまで関連がある(と信じている)エントリに対して飛ばしてるんだろうし、それはそれで「尊重」しないと、これまた光線投げる機会を与えてしまうことになる。それを狙って削除してるんだとしたら、それは下等な戦術。

 少なくとも「TB荒らし」として「同人によるTBを削除した」っていう処置はマズい。変な「基準」を設けてあれこれ削除や拒否をするのは、結局自分の首を絞めてるだけ。

 米も同じ。処刑ライダーが捨て台詞突してたらしてたで、ほっときゃいいじゃん。馬鹿は晒しとけ。「醜い」という理由で削除してしまったら、それは「嫌がらせコメント」として削除しちゃう komich タンと同じになってしまう。

 米削除ってのは、諸刃の剣、つか、非常に危険。いくつかの「醜い」米を消すことによって得られる利点(あたしはほとんど無いと思う)より、「管理者がコメントを「醜い」と「勝手に」判断して消した」という「事実」が残るマイナス面の方が大きい。あと(前にも書いたけど)後からの今北産業がその「醜い」米を検証できなくなる、という点もある。

 繰り返しになるが、基本的に米は開放している以上、運営に深刻な影響を与える場合を除き削除すべきではない。削除すべきものは、

・個人情報が晒されているとき
・犯罪等法に触れる可能性があるとき
・連続AAコピペなど明らかな spam

 など。議論継続中には基本的には手をつけない。下手に「削除というアクション」をおこすデメリットの方が大きい。まだ篠原氏は米の方は削除していない模様だが、すべきではないと進言しておきます。




 そう思うのは勝手だが、それもサイトやブログの主の判断だろう。
 で、それを否定しているんだから削除などはするべきではないだろう。
 こいつもヲチャの立場とかなんとか色々言い方変えながら頑張ってるが。言ってる事が正しいのかどうかは何とも。部分的には正しくも間違ってるようにもみえる。そういうのが混ざってるというところか。

 結局孤高も、


あくまで「地球市民」の方々が痛い言動したときに晒して遊ぶ、というのがヲチャの基本態度だと思う
http://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20060715/p3

という不明確な基準で行動しているのだからやってることは篠原と同レベルに思われる。痛い言動の基準はどこにあるんだか。



 こういう部分こそが痛いというべきではないのだろうか。そんな方々とお仲間の皆さんをまともに相手できるだろうか? というのが普通の人の感覚ではないだろうか。まあ、普通の基準というのもかなり曖昧なものでこれといった定義を示すのも難しいのだが。
 そんな方々の呟きがこちらに。

http://miraclemiracle.seesaa.net/article/20749838.html#comment

しかし、気ままにつれづれの人は俺のコメント完全無視のようですね。
なんで同一記事を複数記事にTBしたのか。
その理由を聞いただけなんですけどね。

Posted by 飛鳥五郎 at 2006年07月15日 19:33

まあ、無視をするならするで構わないのですが、理由が答えられないというのはいただけませんね。嫌がらせ目的でしたといってるようなものです。
もうひとつ可能性があって(私はこちらを有力だと考えていますが)トラックバックの意味とか理解していないんじゃないですかね。ほら、絵で書いても理解しない人だし。

Posted by 管理人 at 2006年07月16日 13:15


 呟きご苦労。
 しかし、こういうコメントで質問する人って、「質問した以上答えは絶対に返すもんだ」とでも思ってるのでしょうか?
 そもそも相手されるのが当然という肥大化した自我はどこから生まれてくるのだろうか?
 自分がその他大勢の一人であるという事実を認識できないのだろうか?
 であるならば、こういう方々とは距離をおくのが正しい態度というべきなのだろうか。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月15日

適当なこと109

 なぜ左翼思想ではなく右翼思想にはしるのか?
 というkomichiさんの疑問に自称ウヨの俺が思うところを述べてみたい。

http://moon.ap.teacup.com/applet/komichi/89/trackback

 格差社会とか対米依存とか色々と言われているが、それでも現状を肯定するのは、「その方がましだから」と考えた結果である。左翼思想よりは右翼思想の方がはるかにましだ、と。
 それは左翼思想の結実たるフランス革命やロシア革命、あるいは日本における学生紛争などを見ての考えであり、「こんなのやるくらいなら現状の方がまだマシだよ」と思うに到った。


 よくよく考えれば、俺は左翼が批判する「体制側」に生まれたときから組み込まれている。そしてこの体制というのが左翼の言うほど悪いものではない、と感じている。一部の人にとっては嫌な存在なのだろうが、その一部の人の行動が「無意味に日本の治安を乱した人々」であるならば、こんなのイラネと言うしかない。
 現状の体制が最高至上のものである、とは決して思わないが、紛争・戦争が耐えない諸外国や、独裁者に支配されている国家に比べれば桁違いの天国であるのに変わりはない。少なくとも俺は天皇批判をしても(文句は言われるだろうが)牢獄にぶちこまれる事はない。政府の政策を批判しても、それで処刑になることはない。
 今まで何度も繰り返されてきた言葉だが、こういう言葉に説得力があるので左翼思想を敬遠する事になった。


 また、これは最近になって考えがまとまりはじめたのだが。
 左翼思想の根底にある「平等」という考えが全く理解できない、賛同できないのにも原因があるかもしれない。極端な事を言えば「格差社会の受容」という考えが根底にあるから、全ての存在が全くおなじ水平に立っているという考えになじめないのだ。

 全ては全く違う。

と言っていいかもしれない。
 あるいは、

 誰もが不平等だ。

ともなる。
 顔かたち、性格、人格、経歴などなど。同じ人間という種族の中であっても、我々は一人として同じではない。どこまで似通ってもあくまで他人だ。全くおなじということはない。
 一個の生命体である、という点では共通するが、その共通点を土台にして成り立つ我々一人一人はあまりにも違う。
 そんな不平等が当たり前なところに平等を持ち込もうというのが無理である。
「個人の違いを無視して全てを均等にする」
という考え方は、結局は破綻する。
「個々人の違いを鑑みて、適切な結果を採用する」
というならまだ分かるが。
 個人的に前者を平等、後者を公平、と言っている。
 平等は、能力や性格などを無視して全てを均等にすること。差など生まれようがない。
 公平は、能力や性格の違いによって与えるものや量を変えること、当然差が生まれる。
 どちらの方がましだろうか?


 格差社会、というものを例にとって考えてみたい。
 まず、格差が生じるというのは悪いことではない。頭のいい奴や働く奴がより多くの報酬を得るのは当然の結果だ。それが悪いなんてこれっぽっちも思わない。少なくとも怠け者に配分がいくよりはましだ。
 これは個々人の能力の違いである。仕方がない。怠け者を排除するためには必要な措置である。
 ちなみに怠け者というのは、「働けない者」ではない。「働こうとしない者」である。やりたくても障害や事情のせいで出来ない、という者には大いに同情するが、何もしようともしない連中には一切の憐憫がわかない。さっさとくたばれ、といいたい。
 俺もそれほど多くを見たわけでもないが、怠け者の共通点は、「言い訳をする」「言い訳が通じないと逆ギレする」「それも通じないと嘘泣きをして同情を引こうとする」ということであろうか。なんとなく篠原を思い出したのは気のせいだろう。
 実際職場でこういう奴に出会ったのだが、どうしようもない奴だった。こういう奴にとっては「何もしなくても一定の所得がある」というのが甘美に思えるのだろう。ふざけんなといいたい。
 こういう実例を目の前で見てきたから、俺は平等というのが嫌いである。
 結果的に差が出るのが当たり前、と思っておいた方が世の中は良くなると思われる。


 さて、格差社会がなぜ危険視されるのか。
 それについては二つほど理由が考えられる。

・たんなる僻み
・公平性の欠如

 前者は富裕な人間への羨望や嫉妬からくる低俗な考えである。「あいつはあんだけ裕福なのに、なんで俺はこんな状態なんだ。不公平だろ!」というアレである。こういうあほな意見に同調したり共感するほど暇ではないので、これ以上何も述べるつもりはない。ただ、「ふーん」と言って冷たい目で見つめ続けるに留めよう。

 問題なのは後者である。
 公平、というのは「違いを認める」という前提に続き「その違いに応じて結果を得る」というのが基本になっている。
 同じ作業内容ならば、より多く働いた者に多くを得る権利がある。
 作業を効率化させてよりスムーズに運営できるようにした者には、より大きな成果を約束するべきである。
 自ら事業計画を立てて仕事をしている者と、上からの命令に従って作業をこなしている者には大きな差がある。
 こういった差を認め、その結果に違いが出るのが当たり前、と思わなければいけない。
 さて、こういう前提に立った場合、一番の害悪は何になるか。それを考えれば自ずと答えは出てくる。
 可能性の否定、である。


 人間の能力と才能には確かに差があり、優劣が存在する。そして、それを埋めて、なおかつ越えるための努力というものが存在するのもよく知れ渡っている。また、才能や努力と同時に運という要素もある。
 これらが組合わさって結果が出てくるのだが、それを否定するのが格差社会の悪いところだろう。どれだけ働いてもたいした差が出てくるわけではない。地位が上がるわけでも収入が増えるわけでもない。休暇もどんどん減っていくとなれば、馬鹿馬鹿しくなっていく。
 格差社会を危惧する者達は、おそらくこういう事態を危惧しているのではないだろうか?
 究極的には、格差が生じることすらも容認できるだろう。
 だが、努力が認められないのがいやなのではないだろうか? より正確には、努力して成果を出してるのにそれを認めようとしない状態、と言うべきか。
 こういう状況を嘆いているのならば、それは理解できる。働きに見合った報酬がないのならば仕事をする気にもならない。そういう意味では格差というのは必要なものであろう。
 これを否定し、努力と成果を認めない社会というのは、結果を同じにする平等社会ではないだろうか。
 あるいは、成果固定社会というべきだ。


 左翼思想というのは、今のところ成果固定社会を造りあげてきた。そこは働かない者にとってはパラダイスだが、働き者にとっては地獄である。その結果がどうなったかについては、資本主義社会と共産主義社会を見比べればよいだろう。統一する前の東西ドイツ、現在の南北朝鮮も良い例になる。
 これを見て左翼思想が良いと思う者がどれだけいるだろうか? これは独裁体制が悪いのであって、左翼思想が悪いわけではない、という聞き飽きた言葉には「独裁者を産んできたのが左翼思想ではないか」と述べるしかない。
 結局、左翼思想を俺が選ばなかったのは、人の努力を無にする、努力する人を認めない、という一点につきる。


 ちなみに。
 特に才能も努力もしてないごく普通の人でも、格差社会(競争社会)の中にはちゃんと居場所がある。世の中を引っ張っていくのは天才かもしれないが、それを支えるのは普通の人々である。
 世の中は偏差値50前後の人が一番多いのだ。その中で偏差値51程度の努力をしていればそれでよい。少なくともごく普通に生きていける。
 しかし人間というのは面白い者で、自分の出来ることをちゃんとやっていくと能力が伸びていく。無理して出来ない事に挑戦する必要はない。そういう事は天才や勇者という人種がやってくれる。彼らは世のため人のために骨身を惜しまない。そういう存在だ。全ての人間がそういうものでないのは、誰もが納得しているだろう。難しいことはそういう方々にまかせておきなさい。そういう人達はより大きな報酬を得るだろうが、それに到るまでの苦難は常人には耐えられない。
 世の中というのはそういうものだろう。


 と、愚考を述べてみた。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 20:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

適当なこと108

 ああ、とうとうそこまで・・・・・wwwww

http://shizurus.blog63.fc2.com/blog-entry-38.html#comment-top

皆様お元気ですか。

私は7月に入ってから極端に業務が多忙になりまして新エントリが滞りがちです。

ファイ さん

醜いコメントは削除しますので、スルーしてください。

(例)
いよ、屑どもっ
夕べはほうっといて悪かったな、寂しかったろう?

クビ吊って死ねやw
| 2006-07-08 (Sat) 23:35:51 | 処刑ライダー◆.EDMOUBKE2


| 2006-07-15 (Sat) 15:08:31 | 静流 | URL [ 編集 ]


 あーあ、ついにやっちまったよ。
 他人にはさんざん「やめろ」「消すな」と言ってたコメント・トラックバックの削除をはじめやがった。そういえば承認制にも文句言ってたな。ここに来て自分の態度を変えるのはいかがなもんなんだろうか?
 言ってることとやってることに大きな乖離を感じるのは俺だけ?
 おまけに、(例)とか言って自分と違う意見の人をあげてるし。あんた「反論有るならどうぞ」って考えじゃなかったの? 違う立場の人間を排除するなら、あんたが今まで文句言ってた多くの人達と何も変わらない。と言ったら篠原に文句言われてた人達が可愛そうだな。多くは「反日のレッテルを貼ってまわってる篠原の被害者」だからね。


http://miraclemiracle.seesaa.net/article/20749838.htmlには、そういう被害者の代弁が。

トラックバックスパムを送りつけておいて、削除したら鬼の首とったかのように叫んで回るって、どんなマッチポンプだよと思ったりなんだり。
posted by ミラクルさん at 00:34| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 この


記事へのコメント


こんばんは、飛鳥五郎です。
ちょっと質問があるんですが、
TBと言うものは、同じ記事を送り先の複数の記事に送信するってことは通常の事例としてあるんですか?
どこのブログでも「最近のトラックバック」と言う形で、TBを送ったら送り主にちゃんとわかると思うので一つに記事に送れば十分だと自分は考えるのですが。
そこらへんどうなんでしょうか。

Posted by 飛鳥五郎 at 2006年07月14日 01:03

普通1つ送るだけですよ
ああも、ぽこぽこ送られても困るし、ウザいし、キモイだけですよ
今回はまさにマッチポンプw
つうか相手への最低限の礼儀としての問題

Posted by ニダーって・・・ at 2006年07月14日 01:08

こんにちわ。

>飛鳥さん
複数エントリに言及した記事をおこしたりしたときに複数送ることはまあ、可能性としてあります。
しかしながら、あれだけの数をぼこぼこ送るというのは立派なSPAMですね。

>ニダーって・・・さん
そうです。トラックバックの機能の問題というよりかは、礼儀の問題です。
先方の都合を意識しているかですね。

Posted by 管理人 at 2006年07月14日 10:12



 そう思うなら削除されるようなコメントやトラックバックはやめなさい、って。
 本当に自分の都合でしか動かない人達だ。そもそもこいつらの言うスパムってなんなんでしょうね。自分に都合の悪いことは全部悪いこと。自分に都合の良いことだけが許されるべきこととでも思ってるのでしょう。少なくともこいつらの行動を見ている限りではそうとしか思えない。あ、「いつそんな事言った」とかいうガキの反論はやめてくれ。こちらはあんたらのとってる行動からそう判断しただけだから。もっとも、こいつらはそれでも違うというだろうが。


 結局ヲチして遊ぶために反日というレッテルを貼り付けて遊んでいたのだろう。遊びたいなら仲間同士でやってくれ。他人を巻き込むな。


 篠原(そして類似するネットウヨク)の問題点などについては、被害者の一人でもある山澤氏がるいネットで提示したエントリーの方がよく実状を伝えているだろうと思う。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=125211
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=125213

「文句は言うが代案がない」というのは活動家に共通する致命的な欠点だろう。当面の「打倒、悪い者」というのはそれなりに正しい(だって悪いのを潰すんだから)のだが、それを達成したらどうするのか、という事である。
 そして悲しいことに、「悪い者を倒したら、もっと悪い時代がやってきた」という状況を招くのも革命の基本である。
 その違いは、アメリカ独立と共産革命の違いと言えるかもしれない。
 アメリカは、宗主国イギリスの下ではやっていけないよ、という事で袂を分かった。あくまで生き延びるための方策として手を切ったというだけであり、別にイギリスと全く違う何かを創り出そうとしたわけではない。王制と大統領制という目立った違いはあるが、政治制度などは特に革新的な部分があるわけでもない。
 これに対して共産革命(に限ったわけではないだろう。それまでの政権を打倒するためだけの反乱行為全て)は、政権の打倒・現政権の否定だけにこだわるから、制度としての良い部分を学ぼうとしない。今までと全く違う形を創り出そうとして失敗する。
 良くも悪くも統治機構というのはさほど悪いものでもない。ただ、指示を出す人間が悪いというだけである。むろん現状の日本のような官僚支配のような構造もあるので断言はできないが。
 篠原のやってることはまさに共産革命と同じ手口である。
 文句は言う。しかし代案がない。
 それでは結果が見えてくるではないか。


 反日というレッテルが正しいかどうか分からない。
 しかし、仮にそれが正しいというならば、反日を潰して何を求めるのかを示さなくてはならないだろう。敵を殺しまくる勢力は常に敵を求め続ける。いわゆる左翼思想というのは「あそこに悪い奴がいるから叩きつぶそう!」という考えの集合体だろう。その先にパラダイスがある、というが具体的なパラダイス構築方法は何一つ持ってない。悪い者を倒せば自然に世の中がよくなる、というおとぎ話の論理だ。
 現実がそうでないことは、歴史上に残る革命のその後を追跡すれば分かりそうなもの。


 篠原が何を言うかは関係がない。
 ただ、その行動があまりにも左翼活動に似ているので反発を覚える。奇しくも、篠原自身が言ってるように、「極端な右は左と同じ全体主義・統制体制になる」。そして篠原自身がそれを体現している。そこに苦笑を漏らしてしまうのは失礼なのだろう。いや、もしかしたらそういう笑いをとりたいのかもしれない。実際篠原が何を考えているのか。そこにはちょっと興味がある。
 とりあえず、笑いをありがとう。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 19:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月13日

適当なこと107

 必死になって自己弁護。それがよけいに胡散臭さを増加させているように思えるのが俺の気のせいであることを願う。

 http://shizurus.blog63.fc2.com/blog-entry-38.html#comment-top

ダークマターさんへ

>山澤氏が「ネトウヨという偶像」的なものや、凄まじい思いこみを理由に適当なことを言っている、というのは私もそう思いますが、それならばそれのみを批判すべきです。<

これに関しては見解の相違としか言えません。それ(「ネトウヨという偶像」的なものや、凄まじい思いこみを理由に適当なことを言っている)のみを批判すべきかどうかは別にして、それ(同上)を中心に批判していましたよ。少なくとも、それを批判せずにそれ以外を批判したのではありませんでした。

>はっきり言えば、あなた個人が「ネットウヨ!」と言われたわけではないように、私にも見えるんです。<

当時ではなく現在形での発言ですね。では確認してみましょう。

るいネット山澤氏への確認事項
http://shizurus.blog63.fc2.com/blog-entry-52.html#trackback40
[ 118511 ] を投稿する以前に、山澤氏は既に反日ブログ監視所の管理人、篠原静流はネットウヨクであると認識し判断していた。そして、そのうえで[ 118511 ] を投稿した。YES or NO ?

125211 批判を超えた可能性を提起してこそ反左翼といえる@ 山澤貴志
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=125211
>YES
反日ブログ監視所を名乗る篠原さんは広義には「ネットウヨク」であろうと推察しました。・・・・・ネットウヨクとは「ネットの共認形成力を見逃せなくなった政権側が有料でフリーのライターなどを雇い、煽った結果の現象ではないか?」と推察した・・・・・、「篠原氏が権力で買われた可能性は高い」と思っていました。(今も思っています)

これでもまだダークマターさんは篠原個人が「ネットウヨ!」と言われたわけではないように見えますか?ちなみにこの山澤氏の発言を得たのは山澤氏が「ネトウヨという偶像」的なものや、凄まじい思いこみを理由に適当なことを言っているに過ぎないので、それのみを批判するだけで事足りるという態度ではなく、私が不明な点を確認するということをしたからこそわかったことですよ。

>取り上げたことには、「なぜ鵜呑みにしたのか」程度の批判しかできません。
取り上げただけなんですから。<

文責は山澤氏にあるでしょう。彼は一介の個人ブロガーではなく、巨大サイトの委員であり、投稿を審査する権限があります。しかも自称ITコンサルタントです。死ぬのはやつらだが取り上げたサイトを自らの投稿文に記載する際にはソースを調べるぐらい極めて容易なことです。無料で短期間で、数クリックでこちらへ到達します。それさえしていないと予想するのは困難です。そもそも山澤氏が「鵜呑みにしただけ」だというのは私から反論したからこそわかったことです。ダークマターさんは私からの反論に対する山澤氏からのレスを見る前に、山澤氏がこちらを見ずに鵜呑みにしていただけだと如何にして知り得たのでしょうか?

>第一山澤氏の主張にはあの時点ではたいした根拠なんてなかったでしょう。<

だからそれは私と山澤氏とのやり取りを見て後でわかったことでしょう。

>これを片手に乗り込んでくる馬鹿がいたらその都度反論するか、そのときに記事書けばいいまでです(こういうのに対してこそ専守防衛です)。<

ダークマターさんが、こう述べるのには同意しかねます。山澤氏が死ぬのはやつらだを引用していた投稿への私のあるべき態度として「なぜ鵜呑みにしたのか程度の批判しかできません。取り上げただけなんですから。」と考えるなら、山澤氏の投稿を片手に乗り込んできた人に反論しようとしても「なぜ山澤氏の投稿を鵜呑みにしたのか程度の批判しかできません。取り上げただけなんですから」ということになりませんか?ダークマターさんは、この両者への対応に一貫性が無いように思います。

>私はあなたの「反日」の定義には賛同できません。

そうですか。では今度はダークマターさんの「反日」の定義を御掲示ください。

>私にとっては、左も右も、方法論の違いとしか思えないんですね。

これが「左も右も、方法論の違いであり、どちらも間違っている」というのなら同意します。私は何度もそう述べています。左右問わず極端な思想は全体主義へと傾倒します。

私の政治思想は極めて「一見右翼的なるもの」でしょう。しかしながら、それらは実際には右翼独特のものではなく、本来独立国家国民であれば誰しもが持つ自然な発想であると理解しています。私が右翼に賛同できない部分は「皇室を中心とした全体主義」です。そしてこれこそが右翼の本懐です。私はまさに右翼の真髄を完全否定しています。

だからこそ中道派を自認できるのです。中道派であるかないかは全体主義者であるかないかです。軍事や徴兵制の話題など無関係です。

私のブログの記事は中学生の方々も読んでいます。(ある理由で知りました)。私が恐れていることは、私の主張に賛同した若年層の方々が自分は右翼的だと思い込むことです。これらは実際には右翼(全体主義の片翼)思想とは無関係であるにもかかわらず、右翼思想に同意している自分という錯覚に陥ることです。そうなれば、ある人は「右翼に賛同している自分」に嫌気が差し、次第に中身ではなく、このブログの存在自体を避けることになるでしょう。またある人は逆に自分が右翼思想の持ち主であると考え、全体主義へと傾倒しかねません。これが怖いんですよ。

わたしがネットウヨクという一見右翼に関連するかのごときレッテルを貼られた際に、ことごとく否定するのは、このためです。

左翼全体主義者は右翼に批判されても平気です。彼らが恐れるのは中道派による批判なのです。だからこそ私の記事へ批判するのではなく、ひたすらレッテルを貼ろうとするのです。それに対してこちらが負けて「誰がどのようなレッテルを貼ってくれようと、自分は自分、この態度をネットウヨクと呼ぶなら俺はネットウヨクでいいよ」などと言おうものなら彼らは小躍りして喜ぶでしょう。おそらくその後はこちらを中傷しなくなるでしょう。工作完了とか何とか言って(笑)

私はこのブログを見て私に賛同していただいている方に「これは独立国家国民の当然の主張」であり「右翼、左翼の全体主義を否定するものの主張」であり、「善良な市民」という仮面を被った国家破壊主義者の化けの皮をはぐブログに賛同していただいてるのだということを繰り返し述べる必要があると考えています。


>あと、良く考えると私、ここの存在そのものに喧嘩売ってるみたいですね。

ダークマターさんの本心は私にはわかりませんが、私見では「存在そのものに喧嘩売ってる」ようには全然見えませんでしたよ。おかげさまで少々自己主張もできましたしね。楽しいやりとりだったと思います。喧嘩している訳ではありませんからね。また異論があれば、どんどんぶつけていただきたいなと思います。頼りにしているんですよ、本当に。

| 2006-07-13 (Thu) 17:47:19 | 静流 | URL [ 編集 ]



 全体的に「答える振りして質問責め」という印象が拭えない今日この頃です。
 ま、それはそれで問題ですが、もっと問題とするべき所をば。

私の政治思想は極めて「一見右翼的なるもの」でしょう。しかしながら、それらは実際には右翼独特のものではなく、本来独立国家国民であれば誰しもが持つ自然な発想であると理解しています。私が右翼に賛同できない部分は「皇室を中心とした全体主義」です。そしてこれこそが右翼の本懐です。私はまさに右翼の真髄を完全否定しています。

だからこそ中道派を自認できるのです。中道派であるかないかは全体主義者であるかないかです。軍事や徴兵制の話題など無関係です。

私のブログの記事は中学生の方々も読んでいます。(ある理由で知りました)。私が恐れていることは、私の主張に賛同した若年層の方々が自分は右翼的だと思い込むことです。これらは実際には右翼(全体主義の片翼)思想とは無関係であるにもかかわらず、右翼思想に同意している自分という錯覚に陥ることです。そうなれば、ある人は「右翼に賛同している自分」に嫌気が差し、次第に中身ではなく、このブログの存在自体を避けることになるでしょう。またある人は逆に自分が右翼思想の持ち主であると考え、全体主義へと傾倒しかねません。これが怖いんですよ。

わたしがネットウヨクという一見右翼に関連するかのごときレッテルを貼られた際に、ことごとく否定するのは、このためです。

左翼全体主義者は右翼に批判されても平気です。彼らが恐れるのは中道派による批判なのです。だからこそ私の記事へ批判するのではなく、ひたすらレッテルを貼ろうとするのです。それに対してこちらが負けて「誰がどのようなレッテルを貼ってくれようと、自分は自分、この態度をネットウヨクと呼ぶなら俺はネットウヨクでいいよ」などと言おうものなら彼らは小躍りして喜ぶでしょう。おそらくその後はこちらを中傷しなくなるでしょう。工作完了とか何とか言って(笑)

私はこのブログを見て私に賛同していただいている方に「これは独立国家国民の当然の主張」であり「右翼、左翼の全体主義を否定するものの主張」であり、「善良な市民」という仮面を被った国家破壊主義者の化けの皮をはぐブログに賛同していただいてるのだということを繰り返し述べる必要があると考えています。



 つまり、

・私は完全に中立だ
・中立の立場からの批判なのである
・中立であるという根拠はない
・しかし私の批判を恐れる者達の存在が私の立場を実証してくれる
・私が批判している者達の立場を見れば、私が中立派であることを即座に理解できよう
・私は中立なのだ
・私を中立以外の何かに分類するのを断固として拒否する
・なお何度も言うが、これらの主張に一切根拠はない


ということですか。
 えー、なんといいましょうか。

 だからあんたがそうやって自己主張するのは勝手だけど、周りがそう見るかどうかは別だっての。

 ともう何度も俺は言ってるような気がする。
 まあ、どこぞのテストで中道派だという判定結果が出てるから、という根拠であれこれ言われてもねえ。だから何なの? としか言いようがない。正義感と使命感と義務感による自己陶酔には呆れるしかないのが現状です。
 それに本当に右でも左でもない中道派というならば、どんなレッテル張られたって何の問題もないだろう。見ている人達が「ああ、またレッテル貼りしてるバカがいるよ」と思うだけで終わる。自ら立場を説明する必要もない。見てる人達にはちゃんと伝わる。
 何より普段のエントリーで篠原という人間の立場をそれとなく察するだろう。



 こいつがレッテル貼りを極度に恐れているのは、レッテル貼りの効能を自分が良く知っているからだろう。
 人は正体不明の相手には態度を決めかねる。だが、どこかの誰かが「あいつはこういう奴だ」と断言すれば、それを基準にして行動を開始する。その断言が良かれ悪しかれ。
 篠原の場合、「反日ブログ」というレッテル貼りが武器であり、それによって攻撃目標を叩く理由にする。この際便乗するアホが多数いるので余計に楽しいお祭りとなる。
 つまりは暇を持て余しているのだろう。そうとしか思えない。


 人間とは嫌なもので、どんな悪いことでも権威のある者から言われたら従ってしまうという習性がある。それを拒絶する事が出来るものはなかなかいない。そして権威のある者とは「道理をわきまえた者」ではなく、「偉そうに見える人」である
 権威が善良なる存在だったら良い結果が生まれるのだろうが、そうでない場合にどんな悲劇が訪れるか。それはナチスドイツなどを見れば分かるだろう。権威であるヒトラーが命令するからこそ、ユダヤ人迫害などが出来たのだろうから。
 あるいは共産圏諸国における強制収容所や秘密警察などを見ればそれが分かるかもしれない。どれほど非道であったとしても、それが「国家の」「主席の」「警察の」権威によるものならば、人はおそれおののきながらも従ってしまう。
 悲しいかな、これが現実である。
 ちなみに、こういった心理はとある実験で確認されている。
 篠原のやってることは自らを権威とした統制状態、関連している者達を煽動するための催眠術、篠原が嫌っていると自ら述べている命令国家と同然である。認めないのは本人ばかりなり。



 まあ、自分が独裁者だという独裁者はいないだろうし、これはこれでしょうがない事ではある。しかし他人が自分をどう見ているのか、という事を好きなように操作することはできない。それをこの御方は理解できていないように思える。おそらく気のせいだろう、そう思いたい。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 20:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月12日

適当なこと106

 適当なこと105を書いてる最中に、ダークマターさんによる反日ブログ監視所でのコメントが掲載された。

http://shizurus.blog63.fc2.com/blog-entry-38.html#comment-top

 勝手ながらこちらにも掲載させてもらいたい。自分にとってこれが非常に大事な事だと思うから。

では時間できたのでいきます
>トンチャモンさん

http://shizurus.blog63.fc2.com/blog-entry-57.html
http://shizurus.blog63.fc2.com/blog-entry-41.html

少なくともトンチャモン氏が取り上げられた部分は定義には見えないのですが、
上記の記事に反日の定義が書いてあると見ていいのでしょうか。
下の記事には、それらしき定義は見受けられないので、
上の記事につっこみ入れておきます。

>miracleさん

>先に出す必要はないよということですね。

「反日」に対して各人が勝手に解釈して「私は反日じゃない!」と言っている以上、
それは言い訳にはならないと思います。ここでの「反日」が個人定義や集団定義とは思わないでしょう。
ニュースでも「反日デモ」っていう時代ですよ?
それにそのままでは例えば何の根拠もなく突然ネットウヨ呼ばわりしてくる人がいたら
どちらが先に出すか、という話になります。
これがこちらが先に出していれば、「さああなたも出してください」となるわけです。
もっとも突然殴り込んでくるやつなんてたいてい馬鹿ですけど、
レッテル貼りなんてどっちにしろ不毛だと思ってます、俺は。
個々の主張に対して批判、議論すべきです。

まあ私はこういう罵倒論争が嫌なので、普段から侮辱にならないよう、不特定多数に関する話をするときは、「左側の方々」「市民の方々」とかそういう言い方をするんですけどね。
思想と行動を関連づけをして印象操作を狙っているようにも思える「ネットウヨ」とか「ブサヨ」とかは嫌いです。

馬鹿には馬鹿で十分です。馬鹿には定義じゃなくて、
馬鹿と呼ばれるだけの理由をつければいいだけですから。
もちろん共通認識で、「これは皆さんも馬鹿だと思っていただけるだろう」という場合はつけません。
時間の無駄ですからね。
レッテルってのは『馬鹿』より攻撃的で侮辱的で印象操作込みなんですよ。

まあ何が言いたいか、というと、このブログの名前とアンテナの名前が最大要因ですね。
これが市民アンテナとかだったらこそこそ運営できてたと思います。
どっちにしろ利用方法は左も右も今と変わらなかったでしょう。
アクセス数に変化はあったかもしれませんが。

>ファイさん

なんか勘違いしてるようですが、私はnizan氏だとか死ぬのはやつらだ氏(ほんとは氏なんてつけたくありませんけどね、この人には)を擁護してるわけではありません。
あくまで、泥棒が泥棒に物言いしたって五十歩百歩だと言いたいだけです。

あと、その罵詈雑言は処刑ライダーと同質に見えます。
そういう物言いは2chでやってください。


| 2006-07-12 (Wed) 21:00:14 | ダークマター | URL [ 編集 ]




>静流さん

スルーと、「呼ばれても構わない」宣言では多少ずれがあると思います。

まあ、それはいいとして、私は今回の山澤氏VS篠原氏には、
「気ままにつれづれ」の記事に(罵倒的部分、決めつけ的部分以外)おおむね同意しています。

山澤氏が「ネトウヨという偶像」的なものや、凄まじい思いこみを理由に適当なことを言っている、
というのは私もそう思いますが、それならばそれのみを批判すべきです。
はっきり言えば、あなた個人が「ネットウヨ!」と言われたわけではないように、
私にも見えるんです。

下品で罵倒好きで陰謀論好きな死ぬのはやつらだ氏にはそれはそれで個別に批判すればいいでしょう(一度だけはっきり言っちゃいます)。
取り上げたことには、「なぜ鵜呑みにしたのか」程度の批判しかできません。
取り上げただけなんですから。
第一山澤氏の主張にはあの時点ではたいした根拠なんてなかったでしょう。
これを片手に乗り込んでくる馬鹿がいたらその都度反論するか、そのときに記事書けばいいまでです(こういうのに対してこそ専守防衛です)。
これ読んで「ああ、そうなのか」なんて思う馬鹿はいずれ別のときに「ああ、そうなのか」って思う程度だと思いますが。

うーん、本当は定義に関しても該当記事につっこむつもりでしたが、時間ないのではっきり言います。
私はあなたの「反日」の定義には賛同できません。
細かく言うと「社会主義≠アナーキズム」とか「日本は最も成功した社会主義国家であると呼ばれている通り云々」とかいろいろあるんですが、
私にとっては、左も右も、方法論の違いとしか思えないんですね。
例えば良く右の方も「軍国主義!」とか「軍靴の足音が」とか言われますが、
軍事に関してある程度学んで、パワーバランスを考えたら、ある程度の軍事力を持っていた方が平和を維持できるって考えるだけの話で、平和を望んでることに違いはないわけです。
まあ現代の戦争では徴兵制なんてクソの役にも立ちませんし、左の方が言うような日本なんて来ないとは思いますけど。

あと、良く考えると私、ここの存在そのものに喧嘩売ってるみたいですね。
これの反応次第ではもうわかりあえないと思って放置するかもしれません。
反論して三日経って音沙汰なかったらそう思ってください。

| 2006-07-12 (Wed) 21:03:00 | ダークマター | URL [ 編集 ]



 この言葉は篠原やあのブログの常連に対しての言葉ではない。名前の部分を他の誰かや自分にあてはめても充分に通じる。もちろんこの文章は今起こってる事態などについての意見だから限界はあるが、言いたいことを汲み取れば誰にでもあてはまる警句だろう。
 もっとも、何を言いたいのか何となく分かるのだが、それを言葉に出来ない。それがもどかしい。
 ただ、自分が言いたいことをしっかりと述べていかないといけない。その為の努力をしていかないといけない。そう思わせるだけの何かがこの言葉の中にある。


 正直ダークマターさんにはもうこれ以上来て欲しくない。あまりに的確に間違いを指摘し、なおかつ「こうするべきである」という事を言ってくる。あるいは自分の意見を述べてくる。困ったことにそれが間違ってると思えない。ありがたいとは思いつつも怖くて近寄れない人である。
 なので、ここで言っておきたい。

 俺は自分の都合でコメントやトラックバックを承認します。それをどう思おうとも構わないし仕方がない。

 とはいえ何か言われるのはやはりつらい。この事についても色々と言いたいことがあるだろう。が、変える気はない。少なくとも今のところは。
 しかし、こんな奴でもいいのならば、コメントやトラックバックをどうぞ。



 我ながらもの凄く我が儘で独善的だ。が、気にしてたら仕方ないのでこれでやっていく。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 21:38| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

適当なこと105

 お、理由を付けてトラックバックの削除に乗り出したか。

http://shizurus.blog63.fc2.com/blog-entry-38.html#comment-top


べつにトラバ自体を拒否したわけではないので、送信者は自分の記事一つにつき一回だけ最適な記事に向かって送信する場合に限り再送信を許可します。

なお、上記送信者は当初からトラバ荒らしの常習犯であるため、今後単一記事を複数回トラバ受信した場合、全部のトラバを削除する場合もあります。

今回送信された「適当なこと100(07/05) 」も複数受信したことを伝えておきます。今回も通常どおり一つは残しておきましたが毎回毎回一つだけ残して後を削除するのはうざいです(笑)

よって、まことに残念ながら同人によるTBを全て削除しました。今後も全て削除しますのでご了承ください。彼は再三のチャンスを棒に振りました。


 さて。
 かつてkomichiさんがコメントやトラックバックの削除をした時になんて言ってたんでしょうねえ、この御方。そしてこの御方の周辺の方々は。
 さすが独裁者。やる事が違う。他人には「やるな」と言っておいて自分は「やる」のか。スバラシイ


 再三もなにも自分で勝手に決めたルールだろうに。それを強要してどうするのだろうか? この人はそういうのが嫌いなんじゃなかったのだろうか?
 失礼だが、komichiさんを引き合いに出させてもらう。
 komichiさんも篠原も「条件を付けてコメントやトラックバックを削除している」。篠原なり孤高なりミラクルなどはそんなkomichiさんに非難を浴びせたのではないだろうか? それが今になって同じ態度をとるとはどういうことだろう? 理解に苦しむ。
 きっと、篠原には篠原なりの理由があるのだろうが、その理由というのが俺には分からない。彼が説明するまで今後も分からないままなのかもしれない。
 とりあえず彼が自分勝手に物事を解釈していく人間であるという確信を俺は得た。他の人がどう思ってるのか知らないが、俺にはそう思えた。


 人間というのは悪いことが出来ないようになっている。基本的に。
 例えば人を殺すという行為は例外的な人間以外にとっては、心理的に拒絶反応が出る。この心理的な拒絶反応が強すぎて実行を躊躇ったりするものだ。残念ながら例外というのは存在するのだが、ここではその説明などは割愛させていただく。
 だが、実際にこの世には殺人事件や戦争などが存在する。(両者を一緒くたにするのは間違いであるが、「人を殺す」という行為が共通するのであえて並べている。ご了承願いたい。)
 なんでこんな事が起こるのだろうか?
 それは「条件付けが為されているから」という風に思われる。
 人間というのは必要とあれば残虐になれてしまうものである。それが良い場合もあれば悪い場合もある。
 生命の危機に瀕しており、その危機を排除しなければ自分の命が危ない場合。
 あるいは、それを排除しなければ同胞や仲間の身に危機が降り懸かる場合。
 人間はこういう時に無意識に課している自分への制限を解放する。
「やむをえない」という言葉で。
 それは非常に正しいと思う。とはいえ、それは頻繁に発生してはいけない事でもある。
 殺人も、例えば「何者か襲われ、対抗として暴力を使わざるをえなかった。その結果相手を殺してしまった」、というならば許されない行為ではあっても同情の余地がある。
 戦争も、「相手が攻め込んできたので血で血を洗う戦争に突入せざるをえなかった」というならば納得してしまう。
 緊急避難措置、とでも言うのだろうか。そういうものはやはり必要なものであると思う。
 komichiさんのとっているコメント・トラックバック禁止と削除もそういった緊急避難措置として「やむをえなく」行っているものだろう。俺の贔屓目かもしれないが。
 そして篠原などはそれに異を唱えている。だとするならば、篠原とその同調者や支持者はkomichiさんのとってるような行動をとるべきではないはずだ。連中は例外を作ることを非難していたはずなのだから。


 なお、篠原の「俺ルール」はとどまる所を知らない。


ただし、こちらが拒否しているのは、あくまでTBだけで、同人による「反日ブログ監視所」への書き込みを拒否しているわけではありません。苦情・反論があればいつでも可能です。しかしながら、これまでのペナルティーとして、書き込み中に同ブログへのリンクがあった場合は、そのコメントをすべて削除します。(コメントの一部削除ができる仕様になっていないため)


 なんでコメントしにいかなければならないのか疑問である。それこそこちらの自由だろう。

 しかし。。。。。。。。。。

 篠原はこういう自分のブログの運営に関わることをコメント欄にて発表するという非常に姑息な手段をとってますな。なんでエントリーとして堂々と表に出さないのだろうか。今後の方針に関わることなのだから、訪れた多くの方々に理解できるようにエントリーにしておけば良いと思うのは俺だけだろうか? そのあたりは彼の自由であると言えばその通りなのだが。
 他人がどう思うか全く気にしないのならば、それで良いのかもしれない。しかし、それならばネットウヨク呼ばわりされても文句言わずにいれば良いと思うのだが。
 いや、他人につっこみを入れられたくないので、読みにくい所においてあるのだろうか?

 いや、篠原は「コメント欄くらい目を通せ!」と言いたいのだろう。でも、多くの人が見るのは、まずエントリーの方じゃないだろうか? また、エントリーの方が読みやすくないだろうか? コメント欄の中から運営方針などを見附だ吸ってのは結構難しいと思うのだが。
 俺の気のせいだろうか?


 篠原の奴が「トラックバック削除」を打ち出してきたので、このエントリーを送っても意味はないだろう。が、それでも一応奴の所には送っておこう。トラックバックする事で、俺が新しいエントリーを作ったという事が確認できるだろうから。



 というわけで
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 21:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

適当なこと104

 コメントへの返事も含めて少々。

 えー、課長様。
 URLをクリックしても課長様のサイトに行けません。何か事情があるのかも知れませんが、これでは課長様がどういった主旨のサイトをやっているのか分からないので、リンクのほうはご遠慮したいと思います。

 そしてダークマターさんですが・・・・・。
 これについては関連する事が、勝手に決めつけ野郎のところとも関連するのでそちらも眺めながら思うところを。

http://shizurus.blog63.fc2.com/blog-entry-38.html#comment-top

 最初ここに書き込んだダークマターという人物は、そう名乗ってるだけの別人ではないかと思っていた。何せネットという世界である、別人を名乗ることくらい簡単に出来る。本人であるという確認はほとんど出来ない。
 が、ネットウヨクのイチャモンブログにおけるこのコメントを見る限りでは、どうも本人らしい。あんな所にも自分なりの考えを持っている人がいたんだ、とちょっとびっくり。「一匹狼」と自ら言ってるだけはある。

 しかし篠原教祖を中心としたカルト集団には彼の思いが今ひとつ(いや、これっぽちも)伝わっていないようで、
 ちなみに、

>私はブログを反日認定します。反日認定された側が「自分が反日認定されることはない」という根拠を提示し、私が同意すれば取り消します。それと同様に、私をネットウヨク認定するのも自由ですが、私はそれに対して抗議します。実際にデータも提示して抗議しました。認定するし認定される。抗議するし抗議も受け付けている。私の行動に何ら二重基準はありません。

 これって本当に篠原がほざいた寝言なのだろうか?
 つまり、「世の中の善悪や明確な基準など関係なく、俺が決めたことに従え。違うというなら俺に対して文句を言って見ろ。この明確なる基準である俺様に!」と。すばらしい。どこの独裁者なんでしょう。あるいはカルト教団の教祖なんでしょう。



 独裁者やカルト教団の教祖。
 そんな連中と王者の違いは何か?
 明記されているかどうかに関わらず、一定のルールに従ってるかどうかである。このルールはどこかの誰かをひいきするようなものではなく、多くの者達を公平・公正に扱おうというものである。
 独裁者は「その時の気分次第で、自分の都合によってルールを好き勝手に変更する」という悪癖を持つ。どうも篠原とその周囲にいる人間はそういう傾向があるようだ。
 こういう場合、中心となる人物の周りにいるのは、中心にいる人間に都合のいい者しか表れない。篠原はまさにそういう人間のようである。

 で、上記の篠原の言葉の何処に問題があるのか?
「口の上手いのが勝つ」
という結果になるのが明白だから問題がある。
 言い換えれば、「詐欺師の論理」とでも言うべきものだ。
「言いくるめられる奴が悪い」
「騙される方が悪い」
という事だろう。
 被害者に全ての責任がある、と言う事である。
 なんかこの辺り人権派弁護士共と共通するような。加害者を庇うその姿勢はイタダケナイ


 で、篠原の最新エントリー

http://shizurus.blog63.fc2.com/blog-entry-57.html

1.日本人が日本人であることを恥と感じること。国家があるから日本人であらねばならず、国家という枠組みが無くなれば恥辱から開放される。(社会主義世界への道)

2.日本人は生まれた時から原罪を負い、日本が解体する日まで、果てしなく謝罪しつづけ、償うことだけが日本人の存在理由であると解き、(日本流ポストコロニアリズム)やがて日本は単なる賠償の為の残務処理機構となる。一方自分は、市民の謝罪意識管理者であり、それゆえ原罪に対する免罪符を保持している管財人の地位を得る。

「反日ブログ監視所」はポストコロニアリズムを断固排撃する!


 で、反日レッテルを張り付けている、と。
 でも、

1、張り付けている相手がポストコロニアリズムであるとどうやって判定するのか?
 判定基準は正しいのか

2、篠原にそれをやる権利があるのか?


 という新たな疑問が。
 そもそも、なんで篠原に反日断罪の権利があるのか?
 勝手にあんたがやってるだけでしょ?
 いい加減、私的制裁をやってるんだ、と明言しないさいよ。それとも、公に認められた行為とでも言うのだろうか?
 まあ、勝手に断罪するなり断定する分には問題ないかもしれない。だって「それ、あんたが勝手に言ってるだけでしょ」で終わるからね。
 反日レッテル張られている皆様は、こういうアホは無視していきましょう。
 必要ならコメント・トラックバックの削除、書き込み禁止措置などを断固としてとっていきましょう。言ってることが良いか悪いかは、眺めている人が考えればいいことですから。
 世の中には篠原のような輩もいる。
 篠原に攻撃されてしまう被害者もいる
 だが、加害者が常に正しいわけではない。
 被害者が常に間違ってる訳ではない。
 少なくとも篠原のごとき人間が勝手に決めるような事ではない。

 という事であろう。
 しかし良心をもって行動するというのは大変だ。一匹狼になるしかない、という言葉に説得されてしまう。


訂正とか修正とか

 ダークマターさんからツッコミが入りました。確かにその通りなので、該当部分に打ち消し線を入れました。
「言ってることが良いか悪いかは、眺めている人が考えればいいことですから。」の部分を削除という事でお願いします。

 俺は、自分に都合の良いコメントやトラックバックのみを残す、というので良いと思ってる。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 07:49| Comment(1) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月07日

適当なこと103

 あと、安部晋三問題で色々と話がわいているが、これについても一つ言いたいことがある。


 疑惑があるから問題視するのはいいとして、その先はどうするのか?


 安部晋三を追い落とせばそれで終わりなのか? だったらただの足の引っ張り合いと見られて終わってしまう。
 安部晋三に代わる者を、もっと相応しい人物を提示できなければ、適当な人間が誰もいないという事態を招くだけになる。
 ここで大切なのは、より相応しい人物の推挙だろう。
 これがなければ「ただの権力闘争でしょ」の一言で終わってしまう。最低でも安部官房長官に匹敵するほどの人物を推挙できなければ、ちょっと盛り上がっただけで終わってしまう。

 もし適切な人物をあげる事が出来なくても、今現時点でこういう事をしてもらいたい、こういう事が出来る人間であってほしい、という要求は出しておいた方が良いのではないだろうか。それが実現するとは限らないが、何も言わないよりはましである。
 少なくとも、未来に対して提案していくというのは大事だと思う。理想の人物像をあげるのも、最初の一歩にはなると思う。


 なお、日本は選挙制度の国である。誰もいないならば俺が出馬する、というのもありだろう。今のところこれは冗談でしかないが、将来的にそういう人物が出てくるかもしれない。志有る者は、是非その事についても考えてもらいたい。
 と思うのだがいかがだろうか。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 19:51| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

適当なこと102

 ネットウヨク(というか右翼的な意見などを利用した言いがかり)的な行動を見ていて常々感じるのは、
「やたらと勝敗・論破にこだわる」
ということだろうか?
 ネットウヨクに限った話ではないが、相手を叩いて遊んでるタイプに見受けられる。少なくとも俺の目にはそううつる。


 実際連中が何を考えて行動しているのか分からないが、彼らの目的は相手の非を責めてるのではなく、自分の言いたいことを押しつける事なのではないかと思われる。
 少なくとも、「あなたにはあなたの考えがあるのだろうけど」というような思いやりが感じられない。
 とにかく「お前は間違ってる、やり直せ!」とこちらに何かを命令するようなところがある。いや、命令しているというべきだろう。
 そこには、「これをどう思うかはあなたの自由だけど、こういう考えもあると胸に留めておいてくれ」というような思いやりはない。最終的に受け入れられない意見であったとしても、こういった態度をとられれば「なるほどなあ」と思うものだし、その事について考えてみようという気にもなる。よほど根性がねじ曲がってなければ。


 おそらくウヨとサヨは決して分かりあう事はないだろう。両者の求めるものが正反対である以上これは仕方のないことだ。当然対立は激化する。
 しかし、それであったとしてもいわゆるネットウヨクと呼ばれる者達の行ってる行動はどうなのだろうか? やってる自分達は気持ちいいのかもしれないが、見ている側からすると顔を顰めるような言葉の羅列になってしまっている。
 翻ればかつて自分もやっていた事なので偉そうな事はいえないが、こういう事を続けていくと、

・同じ様な考えの者だけの集団になる
・ほんの少しでも違った意見は認められない空気が発生する

こういった事態になる。
 正直ついていけないものがあった。幸か不幸かネットだけの関係だったので簡単に抜けることが出来たが、リアルで出会って行動を共にしていたらどうだったのだろう。今でも不安に思うことがある。


 今でもどちらかというと右翼な考え方だし、左翼の考えには否定的である。
 もうちょっと具体的に言えば、自民党支持であり、他の政党には賛同しかねる。更にローカルに言えば、安倍官房長官の件についても何らかの間違いか、さもなくば何らかの陰謀ではないのだろうか、と思っている。そう願っている。
 しかし、だからといってあのような口調や言動には賛成することが出来ない。
 日和っていると言われればそれまでだろうが、相手を叩きつぶしても何の意味もない。そんな事を続けていけば、本来主張を歌えるべき人達に恐怖感を与える。「右側の人は怖い」と。


 主張というのは、繰り返し述べていく事だと思っている。
 対立する意見を述べる者もいるだろうが、そういう場合でも対立する者を非難するのではなく、あくまで自分の意見を訴えるべき人達に述べていく事が大事だと思う。
「私の考えはこうです」と。
 それがよりよいものだと思ってくれれば支持も得られよう。
 だが、自分の優位を確保したいが為に相手の足を引っ張ったり非難したりすれば、確実に支持を失う。
 今、ネットにて愛国心に従って行動している(と信じたい)者達には、今少しその辺りを理解してもらいたい。本当に愛国・憂国の思いがあるならば、ソレに従って敵対的な者達を叩きつぶすのではなく、ネットを通じて見知らぬ誰か(何も言わない大多数の人達)に訴えるべきである。いや、既にそうなっている。現実に対する影響力も出てきた。
 だからこそ落ち着く必要がある。


 よく言われるような話しになってしまったが、偽らざる心境はこんなものである。ネットウヨクという言葉が悪い意味で使われているのは残念だが、それも理由のないことではない。少なくとも反日的な言動に対してとっている行動は、良識があるとは思えないものがある。
 そこまでしなくても、多くの国民はどっちに理があるのか肌で感じている。今まで左翼的な論調でやってきてここまで悪くなったのだ、本当は右のほうがいいんじゃないのか、と。
 そんな時に右の人間が激烈な言葉を使って叫んでいたら、誰だって距離を置く。
 そこにどんな理由があるにせよ、人は右の陣営に懸念を抱くだろう。


 今のネットウヨクの現状について危惧するのが上記のような事である。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 19:40| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月05日

適当なこと101

 ネットウヨクとは何なのか?
 それについてはまだ明確に「こういうのだ!」という定義付けはないように思える。しかし、「こういう感じかな?」という曖昧な範囲でならば何となく認識されていると思う。
 それについては「適当なこと99http://anklgh90iosa.seesaa.net/article/20270594.html」で少し述べたが、ここでもう少し思うところを書き出してみたい。
 とはいえ俺もまだ考えがまとまってない部分が多々あるので、整合性もなく矛盾だらけとなるだろう。それをあらかじめお断りしておく。


 まず、ネットウヨクというのを見たときに感じるのは、

・日本の保守派
・あるいは守旧派
・現状維持派
・良くも悪くも古くからある日本のあり方に関心があり、それを保とうとする
・こういった立場に立ってネットにて言論を展開している

とでもなるのだろうか。
 右翼というものから連想するのが黒塗りの車で騒音公害を撒き散らしている団体などを思い浮かべてしまうのでどうしようもないが、良心的に捉えれば上記のようになるのではないだろうか?
 基本的には、「日本の良きところを守り保っていきたい」という考えであると思う。違ってたらごめん。
 俺は自称ウヨなので、基本的には上記のような考えである。少なくともそうでありたいと思っている。それが良いか悪いかは時と場合によるが。


 ただ、ネットウヨクと呼ばれる存在はこういうのとはいささか違うようだ。
 それについては下記のブログのエントリーを見て貰いたい。

http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50484324.html

東京弁護士会に所属する小倉秀夫さん(37)のブログに寄せられるコメントの数は多いときでも月に20前後だった。それが昨年2月初め、10倍近くに急増した。
 普段はIT関連の問題について考えを掲載している。そこに、他人のブログに攻撃コメントをしつこく投稿する行為をいさめる意見を載せた。その直後のことだった。
 コメントの大半は批判だ。差出人の名前の欄は「Unknown」。匿名だった。「あなたは勘違いしている」「なぜ非を認めないのか」・・・・
 回答しないと「このまま逃げたらあなたの信頼性はゼロになりますよ」。反論すれば、再反論が殺到した。
 議論の場から離れることを一時も許さない「ネット右翼」だ。
 数年前からネット上で使われだした言葉だ。自分にとって相いれない考えに、投稿や書き込みを繰り返す人々を指す。右翼的な考えに基づく意見がほとんどなので、そう呼ばれるようになった。
 小倉さんはたまらず、対談を呼びかけた。
「カミングアウトしてくださる方を求む

 □

このブログを毎夜見つめる男性が東京の下町にいた。自分でもブログを持ち、「炎上観察記・弁護紙編」と題するコーナーを設けている。
30代半ば。かつては小説を出版したこともあるが、いまは無職。両親と同居し、昼夜逆転の生活。「観客席」は自宅2階、6畳の自室だ。 
 チェック開始は午後11時。自らもコメントを送りつつ、批判コメントが殺到し制御不能(ネット用語で「炎上」)に陥っていく様子を伝えた。
 男性のブログは、匿名掲示板や軍事をテーマにしたサイトともつながる。「観察記」を見た人がどんどん、小倉さんのブログに集まってきた。
 「たかだか200や300の批判で黙られても困りますねえ。あれじゃあ、議論にならない」
 男性はそう冷やかす。
 共産主義に傾倒した時期もあったが、「だんだん国を愛する気持ちが強くなった」という。自分のような人間を「ネット右翼」と呼ぶ人がいることも知っている。
 「朝日新聞を筆頭に既存メディアの報道に感じる違和感を消化するため、僕は僕なりの考えで調べ、主張する」

 □

 炎上を眺めていた男性は西日本にもいた。
 30代の大学教員。拉致問題や安全保障をテーマにしたブログを運営しながら、北朝鮮への姿勢が「甘い」と思う評論家やマスコミを批判してきた。匿名掲示板や他人のブログにも投稿した。
 「左翼的な意見に批判的な私たちは、自由に語れる場がなく窮屈な思いをしてきた。ネットの普及がはけ口をくれた」
ネット右翼を「素朴な愛国心から過激な民族主義にいたるまで、雑多な主張の集合体」と見る。予備知識がなくてもコメントやリンクをたどることで、容易に論陣を張れるブログの特性が、活動を支えていると分析する。
 「ノリ」で議論に加わるものも増え、論調は過激になりがちだ。ネット上の保守論壇が異質な意見への寛容さを失ってきていると感じ、ブログを一年前に閉鎖した。

 □

 「対談」は実現しないまま、小倉さんのブログは閉じられた。
 職業柄、議論することに煩わしさは感じない。それでもつくづく思う。
 「あれはもはや、議論とはいえない」と。


 ネットにはソースがないとの事なので引用させてもらったが、こういう事をしているのがいわゆるネットウヨクと呼ばれる存在であろう。少なくともネットウヨクという言葉で連想するのは上記のような姿乃至上記のような行動をしている者達ではないだろうか?
 これは朝日新聞という反日的で左翼的な新聞が言い出す前からこういう兆候があったように思えてならない。


 こういうのは、右翼的な時流に乗って騒いでるだけの暴徒と思って差し支えないと思われる。
 具体例は下記の場所を見れば分かるだろう。

http://kregend.exblog.jp/

 ここの適当なコメント欄を開いてみればよく分かる。
 このブログはいわゆるサヨク系、あるいは反日的な言動をしているブログである。その事については大いに反発する。ふざけるな、と。
 だが、このコメントからは冷静な意見や真心に基づいた反論などを感じられるだろうか? どうにもそれが見受けられない。あるのは「適当な攻撃対象が見つかった、ラッキー」というような浅ましさくらいである。
 反論らしきコメントも幾つか見えるが、大半が常軌を逸した暴言の類にしか見えない。こういう連中が使ってる論法や理論や意見が右翼的だからネットウヨクと呼ばれるのだろう。
 たぶん、迷惑しているのは本当に日本のことを考えて保守・右翼的な意見を述べている人達ではないだろうか? などと思ってしまう。
 まあ、半端なウヨである俺がどうこう言っても仕方ないのかもしれない。


 しかし、こいつら本当に頭使って考えてるのだろうか?
 たんに使えそうな言葉をネットなどから探ってきてそれをコピー&ペーストで張り付けているだけではないのだろうか? そんな気がしてくる。
 こういうのはネットウヨクではなく、「ネット暴徒」「ネットちんぴら」とでも言うべきのような気がする。
 気がするだけで終わってくれれば良いのだが・・・・・・。


 ただ、ウヨ的な立場にいるはずの篠原が「ネットウヨクと呼ぶな!」と絶叫しているのだから、やはりネットウヨクは良い意味では使われてないのだろう。残念な話である。
 身から出た錆としか言えないが。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 23:53| Comment(0) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

適当なこと100

 あいも変わらずよーやるよ。何を必死になってるんだか。

http://shizurus.blog63.fc2.com/blog-entry-52.html

ネットウヨク系のテーマについては私も解明の努力に貢献したいとは思うのだが、その前に、山澤氏には一般論と私人への言及とを明確に区別していただきたい。

 だったらさっさと自分の意見を言えばいいのである。
 何を言っているのだろうか?

これまでの山澤氏の投稿を拝見するに、私の目から見て、山澤氏の篠原評は、上記確認事項すべてをYESとするように見受けられるのだが、誤解があってはならないので、私の判断をすべて真実と決める前に、山澤氏自身の言葉で確認させていただきたく思う。勿論、私自身はネットウヨクなどという気持ちの悪いものではないと最初から繰り返し明示している。

 つまりこいつはネットウヨクという言葉について悪い印象のある言葉、と認識しているようである。それだけでも分かったのはめっけもんというべきか

私のブログに訪問いただき賛同していただいている多数の方々、この件に関してメールを頂いた何人もの「るいネットを愛好している」と仰る方々の為にも是非、回答を請う次第である。

 自分の意見は言わずに他人の意見だけ貰おうという姿勢はとても「ネットウヨク系のテーマについては私も解明の努力に貢献したい」とは思えない姿勢である。

部分否定・部分肯定もあるかもしれないので、その場合は、どの部分を肯定し、どの部分を否定するのかも知らせていただきたいと思う。大多数の方が納得し得る回答を期待している。

 どこまでも他人任せ。

山澤氏に、この記事へのTBを希望する。それが無ければ、るいネットに返信投稿されただけでは、こちらが気づかない場合があるので。

 監視が仕事の暇人が何を言ってるのやら。。。。。。


http://shizurus.blog63.fc2.com/blog-entry-53.html

 意地でも「ネットウヨク」というものがネット界の元凶であるかのごとく主張する山澤氏の矛盾を追及する。

 フシギフシギ。
 この記述のあるエントリーのすぐ前のやつで、篠原は

私自身はネットウヨクなどという気持ちの悪いものではないと最初から繰り返し明示している。

 と述べている。
 つまりはネットウヨクは気持ちの悪いものという認識があるようだ。

 その上で、今回の記述は、ネットウヨクという存在は決して悪い者ではない。しかしそんなネットウヨクをネット界の元凶であると主張するのはどういうことか?という主張になっている。
 この矛盾はいったいなんなんだろうか?

反日ブログ監視所を管理している私、篠原は右翼でも左翼でもない中道派であるという主張を山澤氏は拒否した。では山澤氏に問いたい。

 あなたがどんな風に主張しようとも、周りの人の評価が変わるわけではない。これを変更しようとするならば、他人に強要するのではなく自分が変わる必要がある。
 そういった努力を篠原は自らに課すべきであろう。

 また、こうまで主張して「私はネットウヨクという気持ちの悪いものではない」というのがどういう事なのだろうか?
 ネットウヨクという言葉が悪い意味で使われているという前提にたたねばこういう主張は出てこない。

 何より篠原は他人にレッテルを貼っている。反日ブログという。明確な基準を何一つ示さずに相手を分類しようとする行為はレッテル貼りではないのだろうか?
 自分でそれをやってるくせに他人のレッテル貼りは許せない、というのは独善的で傲慢にしか見えない。篠原に他人をとやかく言う資格はないと思われるが、本人にその自覚はないようだ。

問1.仮に「反日監視」が山澤氏の仮説通り「ネットウヨクと呼ぶのが一般的な分類」であるなら、そこを中傷するものは、一般的に分類すれば何なのか?彼らは「反日」なのか「ネットサヨク」なのかどちらだ?

 中傷とはなんなのだろうか?
 誰が中傷しているのだろうか?
 少なくとも山澤氏は篠原や篠原のやってるブログを中傷したのではないだろう。ネットにはこういう人がいる、という意味で引き合いに出したにしても、だ。
 また、引き合いに出すといっても、今回の場合は「反米兼日宣戦」なるブログからの引用であったというだけであり、そこにたまたま篠原のブログが記載していただけである。
 文句を言うならば、引用もとのブログにも言うべきであろう。

 なお、篠原は答えを限定している。

>彼らは「反日」なのか「ネットサヨク」なのかどちらだ

 こういうふざけた二者択一は、提示した者の都合で行われているので質問として機能しない。
 また、反日監視が篠原の独断で行われていた場合、公明正大で誰もが納得する明確な基準がないかぎり、必ず誰かの批判を受ける。それが敵対的な立場の者からの場合も有れば、良識・良心を有する有識者と呼ばれる者からの指摘である場合もあるだろう。
 篠原は意図的に後者(良心的な存在)からの指摘を除外している。その可能性が全くないというつもりなのだろうか?
 肥大化した誇りは、傲慢さに繋がる。篠原はその悪癖に陥っているとしか思えない。

問2.以下の引用は、私が中傷であると思う投稿であるが、山澤氏には、どう見えるのか答えていただきたい。ただし、山澤氏が回答する際の考えるヒントとして「篠原」の名前を「山澤」に「反日ブログ監視所」を「るいネット」に変えておいた。これなら山澤氏にもよく理解できるであろう。


「るいネットをウォッチするスレ 」http://money4.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1151415330/l50

1 :hellboy:2006/06/27(火) 22:35:30 ID:9Wp1QfxR
【るいネット】を運営する 山澤貴志さんをウォッチするスレです。
あまりに痛い山澤さんに愛の手を!

18 :名無しさん@3周年:2006/06/27(火) 23:57:58 ID:9Wp1QfxR
山澤関係にはイタイ方が多いんですね。

44 :名無しさん@3周年:2006/06/30(金) 23:26:13 ID:nDpSDFuD
山澤には深く係わらんほうがいいと思うよ。
やつはマヂでヤヴァイ。
冷静になってよく見てごらんよ。山澤の言動を。
あれに係わってると人生をパーにしてしまう可能性大だと思う。
これは本気の忠告です。

66 :名無しさん@3周年:2006/07/02(日) 21:06:51 ID:NrMh0VYH
山澤>気持ち悪い

89 :名無しさん@3周年:2006/07/04(火) 08:19:25 ID:S3IHf7Zm
山澤って気持ち悪いね


 これらは全て篠原が行っている一連の行為の分かりやすい事例である。
 まず、篠原は自らの行いを反省するべきであろう。
 上記のような行為を続ける篠原に賛同するべき部分はどこにもない。


問3上記スレッドを立てたのがhellboyであり、この人物の「るいネット」への投稿文と山澤氏の返信を再度コピペしておく。

123900 反日ブログ監視所
  hellboy  ( 不詳 道々の者 無職 ) 06/06/26
山澤さん、はじめまして。
反日ブログ監視所管理人の篠原某なる人物は、本物の反日です。
愛国者の仮面をかぶった売国奴。
実も蓋もない小泉安倍マンセー信者。
カルトメンバーであるという疑惑も濃厚です。
かくなる人物に中傷誹謗されるのは、かえって名誉であるかもしれませんね。w
アホの篠原などは無視されるのが一番かと思います。
薄汚いネット工作員には負けないでください。
応援しています。

123974 hellboyさんへ   山澤貴志  ( 41 鹿児島 ITコンサル ) 06/06/27 PM01 
応援いただきありがとうございます。
チームセコウとネットウヨクの事実関係について、もしなにかご存知でしたら教えてください。
それと、「マンセー」ってなんでしょうか?(^^;)

hellboyの投稿を振り返って、どう判断するのか?これは山澤氏への応援なのか?篠原に対する言及に正当性はあると思うか? 「薄汚いネット工作員」は誰なのか?


 意見は千差万別。
 篠原の行動に対する否定的な意見も当然ながらこの世に存在するであろう。これはそれが表に出てきたほんの一例としか言えない。
 このような意見に正当性がない、というならばそれもまた良しだが、言われるだけの何かをしているという自覚を篠原は持つべきである。
 また、

>「薄汚いネット工作員」は誰なのか?

 これはhellboyさんへの質問であって山澤氏が答える筋のものではない。
 篠原はこんな事も分からないほど頭が混乱しているのだろうか?


問4.下記は山澤氏の[118511 ] の投稿文からの引用である。
「現在のネットの最大の問題はつきつめると、まじめにモノを考えている人ほど忙しく時間がない。ということにつきるのではないだろうか?ヒマな人間ほどぶら下がり人間であり、まさにこのヒマなぶら下がりが巣食うことによってネットは闇空間から脱却できず、ついにはネット○○○まで生み出してしまった。」
○○○の中に入るカタカナは「ウヨク」か「サヨク」か?


 篠原は目が見えないのだろうか?
 しっかり本文を読めといいたい。


 こういう遠回しな言い方で相手に何を伝えようというのだろうか? 少しは他人との付き合い方、言葉の使い方をわきまえてもらいたい。いや、俺が言うようなことではないか。


 ただ、この○の中に入るのは篠原のようなネットウヨクという人種が最も適切かと思われる。
 しかしあれだな。
 こういう言葉の使い方を見ていると、結局は篠原もネットウヨクやネットサヨクという言葉にこだわっているのがよく分かる。だからこそ執拗にレッテル貼りだなんだと言ってるのだろう。
 篠原にとって大切なのは、「とにかくこれだけは言いたい。間違ってるかも知れないけど、でもどうしてもこれだけは譲れないんだ」という正義感や使命感、義務感ではなく、「他人が俺をどう見ているのか、どういう風に行動したら人気が出るだろう」という売名行為しか見えない。本人がどんな思いでやってるのかは分からないが、文面から判断するにそんな感想しかいだかない。抱けない。
 とどのつまり信念がない。
 おそらく篠原は、サヨクが主流なら左翼的な言動を取って「保守勢力監視ブログ」なるものを立ちあげるのだろう。また、保守・右翼的な行動や言動に言いがかりを付けているのだろう。
 世の中がどちらかと言えば保守・右翼的だからこいつはこんな言動を取っているものと思われる。

 似たようなのが、

http://miraclemiracle.seesaa.net/

とか

http://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/

にいる。


http://miraclemiracle.seesaa.net/article/20309059.html#trackback

における、

あなたに甘いorあなたの味方をするorあなたに都合のいい=良識的という物の見方は改めたほうがよいと思います。そうではないとおっしゃるかもしれませんが、結果そうなっているということを自覚していただきたい。

 篠原・ミラクル・孤高の事だろうか?


http://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20060704

 他人の考えに一々文句を言いたくなる浅ましい根性が見えるのは気のせいであると思いたい。

 また、「痛い奴を監視する」と言ってるが、その痛い奴に自分らが入ってるという事は考慮しないのだろうか?
 そもそも「あんたら視点での」痛いヤツラでしょ?
 そんなもんであれこれ言われちゃたまらんわな。

よーするにネット右翼っつうのは「我々の正義に同意せずいちゃもんばかりつけてきてコメント攻撃で誹謗中傷を繰り返しすわうぜぇぇぇんだよこのゴキブリどもがてめぇら低脳低学歴ニートヒッキーにはオレの崇高な思想なんて理解できねぇんだよ右よりの思想っぽく見せてればカッコいいとでも思ってのかゴルァ!手前のサナダムシ味噌汁に混ぜて顔を洗うぞってんだバーカ」ってことでしょでしょ?

 あんたがそう思ってるだけじゃない?

■ るいネット
すっげー読みにくい。流れが追えない。ダメすぎなシステム。


 じゃあもっと良いシステムを紹介してくれ。



 とかく文句を言いたい、それが格好良いと思っているお年頃の少年に見えるのは俺の気のせいだろうか。気のせいだろう。たぶん。





 詰まるところ、ネットウヨクと呼ばれる人々というのはこういう人達なのだろう。
 こんな監視なんて、これを仕事にしているかよほどの暇人か、さもなければとんでもない天才の類でないとできないかと。これはkomichiさんの意見だがもの凄く納得できる。
 また、自らが嫌う行為を平気で他人に対して行う非常識さは何と言えばいいのだろうか? 適切な言葉が思い浮かばない。
 篠原がコメントしているが、

# 静流 『最初はここまで痛い人と思わなかったんだよおおお(泣』 (2006/07/05 13:42)(http://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20060704/p5#c1152074549にて)

 それはこちらの台詞だwwwww
 いや、まさかここまで痛い人だったとは。
 とりあえずネットウヨクの特徴というかなんというか・・・・・・、

・自分中心に物を考える
・自分以外の価値観を全く認めない

というのはあるようだ。
 あと、

・肥大化した自我を持つ

というのも間違ってはいないだろう。
 典型的なネットウヨクという事で観察対象にはなるかもしれない。何というか、あれだ。


・時流に乗って威張り散らす奴


 というのが篠原のようなネットウヨクには相応しいのかもしれない。どうせこいつ日本の将来とかなんてどうでもよくて、たんに誰かを攻撃して自分の優位性を確保したいだけなんだろうから。誰もがもっている低俗な部分、でも克服しなければいけない悪い部分。それを何故か後生大事にしているのが篠原とその同類かと。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月04日

適当なこと99

 ネットウヨクとは何なのか?
 それについては何とも言えないが、おおよそ

・日本主義とでもいうべき日本中心の考えをする者達
・日本以外を認めない排他性を持つ者達
・ネットにてこのような発言を繰り返す者達
・これらを理由に他者を攻撃する者達


となるのだろうか。
 しかしウヨの言動を見ていると、上記のような事は二の次三の次、あるいはどうでもいいことのような気がする。ネットウヨと呼ばれる連中の態度に見え隠れするのは、

・反日を理由にして攻撃する
・相手を叩いて遊んでいる


とでもいうべき低俗性であろう。少なくとも愛国心とか郷土愛とか日本への愛情などは感じられない。連中がネットでこれらの言葉を使ってもどこか胡散臭く感じる。


 言葉というのはその人の人間性がでるもので、そういった文言を使わなくてもおどろくほど本音が出てくるものである。
 本来愛国心というのは良いものであるはずなのだが、それを利用して自分の欲求不満を解消しようとする浅ましさを感じてしまう。このあたりは実際に被害にあった方々ならば分かるのではないだろうか?
 相手に対する正当な評価というのは敵が出すもの。
 本当に敵であるかどうかはともかくとして、一度その攻撃を受けたものならばこそ見えてくる真実というものもあるだろう。


 また、当事者でない傍観者であるからこそ見えてくる何かもある。
 傍観者が常に正しいとは言わないが、当事者ほど熱がないので冷静にものが見える瞬間がある。
 一度距離をおくというのも時には必要なのかもしれない。


 とりあえず今のところネットウヨクという言葉から感じるのは上記のような事である。本当に愛国心から発露しているネットウヨクの方もおられるとは思うのだが、世の中にはそうした真心からの発言者に便乗して図に乗る輩というのがいるもの。そうした者達の発言にはどこか卑しさがつきまとう。
 それは雰囲気のようなもので説明しがたいのだが、何となく分かる方もおられるだろう。そしてその感覚は間違ってはいないと思う。




 山澤氏が新しいエントリーをるいネットにて掲げてくれた。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=124776

 なるほど、と思う。
 ネットウヨクというのがマイナスイメージで使われる言葉ならば、それに対抗する形で別の言葉を使えばよいという事だろうか。勝手にそのように解釈してこのエントリーを読んだ。
 ネットウヨに対して「ネット愛国者」「ネット憂国者」と。
 何が適切な表現なのかはまた今後考えていく必要があるとして、こういう呼び分けは便利だと思う。
 実際俺が愛国者なのかどうかは自分で判断しづらいし、自ら名乗るような事でもないだろう。そうありたいとは思うし、そうであればと願わずにはいられないが。このあたりは自分以外の人に判断を委ねたい。もっともどのような評価を得ようとも俺は俺である。評価が正しかろうと間違ってようとそれはそれ。俺の本質を表してるかどうかは神のみぞ知るというもの。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 20:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月02日

適当なこと98

 ありゃま。トラックバックが削除された。全部ではないが。

http://shizurus.blog63.fc2.com/

 関連すると思われるエントリーに張り付けたのになんで消すんだろ? その削除基準はなに? 今ひとつ篠原さんの行動の基準が分からない。いったいどんな考えでやってるんだか。その辺りを明確にして下さいよ。


 次はどんな手でやってくるのだろうか。
 トラックバックの受付拒否だろうか。それともこちらへの誹謗中傷としか思えないエントリーのアップだろうか。
 それをやる際には「あのブログはこんな所だ。だからこれをやってもいいんだ」というような自己正当化を行うのだろう。何言おうとも勝手だが、それをどう受け取るかは眺めている人達に委ねられているという事をお忘れ無く。
 少なくとも篠原のやってることに懐疑的な人間がここに一人いる。何も言わずに見つめているが、同じように首を捻っている人はもっといるだろう。
 そんな篠原ちゃんの行動に対して出てくる疑問の一部が以下のもの。
 いまのところ答えは貰ってないけどどうしたんだろ。


・いかなる権限があって、反日ブログ認定をしているのか?
 その明確な基準はなにか?

・必要に応じて教育的指導を施すというが、そのようなことをするだけの見識なり知識などが篠原にあるのか?

・最低でもこの二つくらいの条件を満たさなければ、篠原の行っている反日ブログ監視及び教育的指導は、個人の勝手な行動でしかない。そのような行動に対して丁寧に対応する義務などは一切ない。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

適当なこと97

 一種の病人であろう方々のお言葉を眺めているのもある意味楽しいもので。

http://miraclemiracle.seesaa.net/article/20135397.html

57 :名無しさん@3周年:2006/07/01(土) 22:31:10 ID:9yIRVSl6

>ミラクルさん、孤高さん

貴方たちにはたしかに愛国心があると思います。

冷静な目で篠原の言説を検討してみてください。
彼は本当に愛国者なのでしょうか?
彼を友人として恋人、妻、両親に紹介できるでしょうか?

よく考えてみてください


 これに対してどうでもいい事を書いていますが、ミラクルの本音は次の部分にあると思われます。

得てして静流ちんに反日認定されたほうが知能に欠陥があることが多いので問題ないんじゃねえの。

 同病相哀れむ、か。
 同じ種類の人間同士で固まってると、普通と違う基準で動いていてもそれが当たり前と思えてくるのだろう。
 一歩そこから離れて自分のいたところを眺めてみれば、
「うわ、なんて閉鎖的な集団なんだ」
と思うことも有る訳なのだが。
 おそらくそういう事に気付くことは無いんだろう。哀れなり。


 愛国心についての意見なんぞ上記の質問に対しての答えでもなんでもないんで除外する。大切なのは、「あんたらのとってる行動を親兄弟や恋人・友人・知人に紹介できるのか?」ということ。
 つまりは「自分のやってることを他人に対して堂々と主張できるのか?」という事だろう。
 それについては全く答えてないような気がする。どうしたんだろうミラクルちゃん。
 思わず「うわ、こいつ本物の馬鹿だ。うぇ〜へっへっへ」と言いたくなってしまった。残念なのは一緒になって笑い会える静流のようなアンポンタンがいないことか。いや、それは良いことなのだろう。そんなあほな事をする低俗な人間がいない、という事なのだから。


 似たような勘違いをしているバカがもう一人。

http://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20060701/p3#tb

 それとも俺の考えの方がずれてるのか?
 悩むところ。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 14:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

適当なこと96

 当然だわな。

http://plaza.rakuten.co.jp/615815/にて。

 こちらのブログのhttp://plaza.rakuten.co.jp/615815/diary/200606220000/にて述べられているのですが、コメント欄を閉鎖したそうです。理由についてはhttp://plaza.rakuten.co.jp/615815/diary/200605260000/における次の一文を読めば分かるだろう。

さてさて、色んな方々が、前回の日記で触れた日記に対して、問題にケリをつけろとか、コメントをしないのであれば閉鎖しろとか言ってますね。

 いつも通りにネットウヨクが質問や疑問にかこつけた誹謗中傷発言を繰り返した事によります。かつての左翼の行っていたデモ行進や押し掛け抗議(一種の暴動ですな)と同じで、こんな事やってるヤツラをまともに相手にする人はいません。
 そう言うことを全く考えないネットウヨクという存在が、このような事態を引き起こしています。
 また、次のような記述もあります。

「話し合い」ってのには、最終的な目的として、お互いのためを思って行うものだと思います。
両者が良くなっていくことを思っての話し合いは素敵ですが、「相手のほうがもっと悪い」といった50歩100歩の言い争いは、見苦しいだけです。

キモイだとか、消えろだとか、帰れといったコメントは、どう考えてもお互いのことを思いあってのコメントではありません。
相手を毛嫌いしてのコメントです。


 こういう書き込みがどうして真っ当なコメントなのだろうか? という事ですな。
 こういう形でコメント閉鎖やトラックバック閉鎖が進む事で、ネットウヨクはどんどんと発言の場を失っていく。もっとも、掲示板やブログなどはそれなりに簡単に作ることが出来るので、本当に発言の場を失う事にはならないが。
 問題なのは、こうしたブログやサイトの主が行う防衛策を「卑怯」とか「卑劣」というレッテルを貼って非難するミラクルや孤高や反日ブログ監視所の篠原のような人間だろう。
 そもそもコメント・トラックバック拒否という事態を引き起こしているのは自分達である、という自覚を持つべきである。それを非難するというのは自分自身を攻撃しているということに気付くべきである。


 こうやって騒いでいるから、http://anklgh90iosa.seesaa.net/article/20121101.html#commentに書かれているように扱われてしまうのである。全ては自業自得だ。
 kaetzchenさんコメントありがとうございます。こんなブログまで足を運んでいただきありがたいことです。こんな形で申し訳有りませんが、返事とさせてください。
 とはいえ自分を病気だと自覚しようとする病人はなかなかいないだろう。風邪くらいなら、「自分は風邪だ。だから早く治そう」と思うかも知れないが。
 ネットウヨクはそうではない、というのはここ最近の篠原の狂乱ぶりを見ればよく分かる。自覚がない、というより自覚しようとしないから先に進まない。少しは成長して貰いたいところだが。
 無理かwwww


 ネットウヨクと呼ばれることを嫌う篠原の叫び一覧

・るいネット山澤氏への抗議文
http://shizurus.blog63.fc2.com/blog-entry-46.html

・るいネット山澤氏への抗議文(2)
http://shizurus.blog63.fc2.com/blog-entry-48.html

・べそかきhellboy君を笑う
http://shizurus.blog63.fc2.com/blog-entry-50.html

・るいネット山澤氏は一般論と個人への批判を混同するな!
http://shizurus.blog63.fc2.com/blog-entry-51.html




 あと、2chを基準にものをみている篠原とお仲間の皆様の寂しい発言

>「マンセーってなんでしょうか?」を見たときの絶望感は想像するにあまりあります(爆)<

あれは笑いましたよ。
悪気は無いのでしょうが、山澤さんの無邪気な質問がhellboyを突き刺しましたよね。
たとえば、あのhellboyの投稿に批判するとしたら、
「hellboyよ、ここで君はマンセーという言葉を使っているが、どういう理由だ?」
と相手のヘイト癖を突っ込む形をとるでしょうね、私なら。
それを山澤さんがやっちゃった(笑)

| 2006-06-30 (Fri) 17:59:43 | 静流 | URL [ 編集 ]



 全ての人間が2chに入ってると思ってるのだろうか? 全ての人間を自分基準で見ているともとれるこの書き込み。笑いを取るためのネタなのだろうか?
 恥ずかしい奴。
 世の中には2chに行かない人間もいるんだよ、ということを少しは知りなさい。2chのオタクはこれだから。

 似たような輩もおられるようで。

それと、「マンセー」ってなんでしょうか?(^^;)
それと、「マンセー」ってなんでしょうか?(^^;)
それと、「マンセー」ってなんでしょうか?(^^;)

だと、コレで確信しました(爆)。多少なりともネットコミュニケーションの経験があれば、「自分で調べろ!」とか「ググるコトもできんのか!」と言われかねないこんな質問は出てこないはず。でもこの山澤貴志さん、(自称)「ITコンサル」なんですね!!!(ちょ、ほんとやめて>< おれ笑い死ぬwwwwwwwwwwwwwwww)

| 2006-06-30 (Fri) 17:35:05 | ιょぅ | URL [ 編集 ]



 オタクの特徴は

・自分の知ってる知識でしかものが話せない
・自分の知ってる範囲が世界の全てだと勘違いしている
・自分の知ってる範囲で序列をつくりだし、優劣をつくりだす。

篠原もこの手の類であったか。


 あと篠原さん。さっさとこちらの質問に答えて下さいよ。

・いかなる権限があって、反日ブログ認定をしているのか?
 その明確な基準はなにか?

・必要に応じて教育的指導を施すというが、そのようなことをするだけの見識なり知識などが篠原にあるのか?

・最低でもこの二つくらいの条件を満たさなければ、篠原の行っている反日ブログ監視及び教育的指導は、個人の勝手な行動でしかない。そのような行動に対して丁寧に対応する義務などは一切ない。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 13:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月01日

適当なこと95

 びっくりです。

http://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20061231/p1#c

 孤高のトップに張ってあったヲチ対象へのリンクが消えてます。談話室になってます。
 おそらくこの場所とは別の場所からヲチしているのでしょうが。

 そんな方々を上手に説明なさっているので2chから引用させていただきます。投稿者の方ありがとうございます。

http://money4.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1151415330/l50より

50 :名無しさん@3周年:2006/07/01(土) 03:05:53 ID:ZCvlf96b

 ニートや引篭もり・社会的弱者が、嫌韓厨や国粋主義者「ネットウヨク」になりはてる理由

●第一に、右寄りの言動により、自分を強く見せることができるからだ。

 ニート・引篭もりは、言うまでもなく社会的・経済的弱者である。
 だが、右寄りの言動を採ることにより、いかにも現実的で、強い考え方の持ち主であるかのように周囲に、そして自分自身をだますことができるからネットウヨクになりはてるのである。
 平和・人権・民主主義の尊重などを口にしていては、いかにも「夢見る少女」的な、軟弱なロマンチストという烙印を押されてしまうと恐れている。
 ニート・引きこもりは常に何かの意見をきき、その意見を自分の意見として語るだけの追従者だ。
 偏った知識でのみ判断し、それは「思考」ではなく、常にだれかの考えを「追従」しているのみ。
 その自分というもののなさが自信のなさにつながり、結果として極度に批判を自分への攻撃と捕らえ、恐れている。
 ネットでは、そのような人間が集まり、攻撃的な集団が形作られる。
 その集団にまぎれることで自分ひとりが攻撃されることから逃げるのである。




51 :名無しさん@3周年:2006/07/01(土) 03:06:25 ID:ZCvlf96b

●第二に、国家や社会に尽くしているように思わせることができるからだ。

 ニート・引篭もりは、国家や社会にとってはお荷物であり、国益や公益の形成には役立たない者達であるという負い目をいつも感じている。
 しかし、個人よりも国益・公益を優先させる右寄りの言動を採ることで、いかにも国家・社会に尽くし、自分は大義をつくしていると勘違いすることができる。
 ネットウヨクとなることは、ニート・引篭もりにとっては、自己防衛の手段なのでもあろう。


52 :名無しさん@3周年:2006/07/01(土) 03:20:51 ID:ZCvlf96b

●第三に、ニート・引篭もりにとって、国家は手軽な帰属先であるからだ。

 ニート・引篭もりは、会社や学校に所属していないので、どこかに帰属意識を求めることができない。
 家庭はあるが、ニート・引篭もりは、家庭に帰属意識を求めることもできない。
 しかし、何もない彼らにもとりあえず国民という共通項がある。
 従って、心の拠り所を求め帰属意識を持つとすれば、国家しか彼らには残されていないのである。
 又、叩くというコピペレベルのだれでもできる行動で一体感を得ているのだ。
 生産的な言動など何もできない彼らは、きいたことを吹聴することしかできない。
 だが吹聴するだけの同じような人間が何人もいる。それゆえにそんなものにさえ一体感を感じ、
 俺に味方してくれる人がいるという間違った安心感を得てしまうのだ。
 どの国ででも反他国を煽動している人がやってることといえば、できるだけたくさんの自国の美談を集め、憎む国の醜聞を並べみて、それみよという。
 いわれた・書かれた伝聞をそのまま受け取り、それだけで判断を下すしかない多くの人にとっては、その伝聞情報がすべてで、簡単に歪んだ認識を植えつけられる。実に愚かだ。やがてその人たちは偏った知識で感情的に相手を罵倒し始める。
 どの場所にもよい人もいれば、クズみたいな人間もいるのだから、どの国にも自国の素晴らしい美談もあるし、最低なニュース・醜聞も当然ある。
 つまりどの国ででも自分のよい部分だけ、それに対する相手の悪い部分だけもってくることができてしまう。



53 :名無しさん@3周年:2006/07/01(土) 03:21:21 ID:ZCvlf96b

 自分の悪い部分、相手のよい部分をわざわざ集めて発表する人はほとんどいないが、その逆は気味が悪いほどいるのが現実だ。
 日本は政府単位で反他国教育していないという点で賢明なのに、歪んだ知識のみ吸収した一般人が始末の悪いことに正義感で反他国感情を煽動するようになってきている。
 その姿は、その人が憎んでる相手とまったく同じ姿なのに気づいていない。実に、実に愚かだ。
 そして自分こそが正しいなどと思っている。(実際は限定され取捨選択された伝聞情報をみて判断しただけ。思考はない。)
 ナショナリズムの歪んだ姿で、知性のない感情的なあり方だ。無知性で感情的、そんな人ほど与えられた情報のみからしか判断せず、感情のみで判断して憎しみをもつようになる。いがみあいの連鎖。
 自分は知識(偏った)がある分だけ普通の人より民族間問題に精通していると勘違いしている愚か者の大量発生だ。人の愚かさとは無慈悲なものだ。
 偏った知識でも他人より多くの知識で判断しているのだからという錯覚で、馬鹿ほどインテリぶることができ、卑小な快楽が得られるためにそれは起こるのだろう。
 隔離板で知性のかけらもないストレス発散の醜態を見せたり、なんでもかんでも反他国に結び付けるので疎まれていることに気づいてないのは本人だけだ。
 群れに混じって中傷だけしてれば反論されない。自分と中身のないクズの常套手段である。
 嫌韓流という本がやたらにネットの某掲示板で宣伝されていたので読んでみた。
 韓国については自分のような若い世代はそれほど関心もないので、どこまで誇張してあるか分からないが、知らないことも載っていた。
 だが、この手の本は偏向すぎる。


54 :名無しさん@3周年:2006/07/01(土) 03:22:12 ID:ZCvlf96b

 あるイデオロギーを押しつけようとしているのと変わりなく、それはまさに嫌韓している人が嫌ってる韓国人の姿となんら変わりない。
 そこにはなにも知性は感じられず、感情にまかせて両者がなじりあっている、なんともまぬけな状況になってゆく。
 このような本をネットを使って煽りまくっている一部の人たちの思う壺だ。
 日本人として自立するために他国民の負の感情をわざわざ見ては、それを罵倒するような人にはまともな判断は無理だろう。
 これは日本人に限らずどの国にもいるタイプの人だ。
 物事の本質に迫るなら、今度はそのような人たちを取り扱った本を出してほしい。
 なぜなら反日、反韓などの根本の原因は、その人たちが作っているのだから。



 これも何らかのコピー&張り付けなんだろうけど、言ってることに頷ける部分はある。全部を鵜呑みにする必要はないだろうが、参考になる部分はあるのではないだろうか?

 あるいはネットウヨというものについての理解の一助になるかもしれない。


 しかしこういうのを見てふと思った。
 ミラクルは「普通の人」とか言ってるが、普通の人はそれほど政治に関心があるわけではない。良かれ悪しかれ。
 ネットであろうとなかろうと、政治について何かを述べるのはそれなりに関心のある限られた人間だろう。あるいは、そういう人間がネットに入ることで情報を得ようとしているのかも知れない。だとしたら、ネットはネット外よりは政治について関心の高い地域と言えるかも知れない。
 ミラクルが何を持って普通と言ってるのか分からないが、そう考えるとネットは普通とは言い難い部分があるだろう。ましてコメントしたりブログやサイトをやったりしているというならばそれはもう普通をほんの少しは逸脱している人、と言えるかもしれない。
 掲示板に始めて書き込んだときなどを思い出せば、コメントを残すことなどがどれだけ勇気がいる事なのか想像できそうなもの。言いたいことを主張する、となれば更に度胸が必要ではないだろうか?
 そう考えると「普通の人」というミラクルの言い分には素直に頷けない何かがある。

 ま、他人の言動にあれこれネチネチ絡むような「普通」というのはまずいない。そういう意味でも、普通というのは当てはまらないと思うが、さてどうなんだろう。
 ミラクルの考えは俺には理解できない。それが俺の無能さ故であることを、ミラクルの言ってることが間違っているからではないことを神に祈る次第である。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 21:58| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

適当なこと94

 言ってもいないことを「お前が言った」というのは嘘であろう。

http://miraclemiracle.seesaa.net/article/20099717.html#trackback

まして、山澤さんは篠原氏をとっ捕まえて「お前みたいのがいるからネットは闇空間から脱却できないんだよ。この暇なぶら下がり人間」と噛み付いたわけですからそれが立証できなかった以上、一般論をあれこれ言う前にきちんとるいネットの中で謝って篠原氏に関する部分を撤回するべきではないのかと思うわけですよ


 引用したブログの記事にたまたま反日ブログ監視所が書いてあった。ただそれだけのことをここまで拡大解釈するとはおそれいる。ここまでくれば事実のねじ曲げであろう。


 と傍観者の一人は思うわけです。
 「普通の人はあなたが思っているよりも賢い」と言うが、そうであるならばミラクルの言ってることにおかしさを感じる人も多々いるであろう。


【例(用語の詳しい意味まで説明しません)】
建設業の皆様へWebサイトを作ってる

AJAXを用いて便利なユーザーインターフェースを採用した

AJAXはMacIE5には対応していなかった

ミラクルさんはMacIE5を使う人はもう無視できるくらいの少数だと考えた

客:うちの業界はCAD使うのでMacOS9で使用できるIE5に対応していないと困ります


自分に都合のいい例えを持ち出さないでください。
説明しているようで全く説明になってないのは詭弁の特徴です。

いま、ネットの中で右方向の言説が優位なのは、誰もが自分の検証能力に基づいて様々な事象を検証した結果に過ぎません。権力に買われたとか邪推をする前に山澤さんももっと様々な事象を検証されてはいかがでしょうか? チームセコウばかりに注目してないでもっと視野を広く持ちましょうよ。

 その検証をしている人達が本当に検証したのか。
 検証結果は正しいのか?
 検証している人達が特定の団体なり個人なりに依頼されてる可能性はないのか?
 そういった可能性がある以上ある程度疑うのはやむをえない。


 何より、そんな雰囲気に乗じて対立する意見を潰しにかかる連中は正しいのか?
「皆が言ってるから正しいんだ!」と言い張る幼児に等しい態度としか思えない。


「ネットウヨクなどという集団はありません。普通の人が普通に行動してるだけです」

 個人的にそう思うのは勝手だが、それはそう思ってる人達にとって正しいというだけに過ぎない。
 そもそも普通の人達がとってるネットウヨク的な行動が本当に正しいとどうしていえるのか?
 そもそも、こうした行動が「普通」なのかどうかどうやって確認するのか?


 自分にとっての普通をおしつけないでいただきたいものwwwwww





 そんな風に思いました。
 普通の人はたぶん俺より賢いだろうから、ミラクルの言ってることの胡散臭さをもっと感じているだろう。ただ、それを上手く説明できないだけではないだろうか?
 何も言わない、でも見つめている多くの人達が何をどう思っているのかは分からないが。
 もっとも、自分と違う意見・対立する意見を見つければすぐに「反日」とかのレッテルを貼り付けようとする方々に、あえて否をつきつける者はいないだろう。こうして良心的な人達をどんどんと遠ざけていくのが閉鎖集団の特徴。カルトと言ってもよろしかろう。
 やってることはオウム真理教と同じ。
 少しは自分の態度というのを考えてもらいたいもの。


 裏で権力が働いている可能性は否定できない。
 結局世に出ている意見や考えに従ってしまうのが普通の人。自分の頭で考えるという事は滅多にない。
 ニュースや新聞や雑誌に書いてあるとおりの事を「そんなもんか」と受け取り、それを疑わずに生きているのが普通の人。残念ながら情報を流している者達に言いように利用されている可能性は否定できない。それは俺もミラクルも篠原も孤高も同じ。
 こういうのを「自覚無き共犯者」とでもいうのだろうか? 世論や風潮、雰囲気といったものに知らず知らず巻かれているのが人間。今のウヨっぽいネット空間も、もしかしたら誰かが企図したものかもしれない。


 ま、それはそれ。
 真相がどうあれネットは誰もが参加できる空間だ。特別な資格は必要ない。そこで思い思いの意見を出すのは問題なかろう。むしろ歓迎したいところ。ただ、意見の対立は免れない。そこをどう乗り切るかが問題だろう。
 少なくとも篠原やミラクルや孤高のとってる行動が正しいとは思えないけどねー。



 さて、普通の人を甘く見るな、というのがミラクルの言いたいことの一つらしい。
 であるならば、普通の人でもある山澤氏の意見もそれなりに尊重したらどうなのだろうか? いつのまにか山澤氏はミラクルにとって特別な存在になってるようだ。いったいどこでそうなったのだろうか? これもまた一種の決めつけに等しかろう。
 などと思ったりする。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 21:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

適当なこと93

 考え方は人それぞれであり、それについてとやかくいうつもりはない。
 とはいうものの、「おいおい、そりゃねえだろ」と言いたくなるような事はある。良心的に考えれば反日ブログ監視所をやってる篠原なんかは、そんな思いでああいう言動をしているのだろう。それもまた自由ではある。
 しかし、自由というのは「自分も好きかってやるが相手も好きかってやることを認める」というものではないだろうか? だからこそ各々の自由に制限がついてしまうものと思う。
 それでだ。

http://shizurus.blog63.fc2.com/blog-entry-51.html

 尚、るいネット常連投稿子、あるいは私のエントリを見ての質問その他があれば、遠慮なくこの記事にコメントを付けていただきたい。批判・批評も歓迎する。ネット世界には他者を批判するが自分が書いた記事への批判は自分のブログではさせないという幼稚で卑劣な輩が数多い。批評記事のコメント欄を閉じていたり、承認制にしていたりする批評は全て反論に耐えられない記事を書いていることを自覚している批評家気取りの偽者と断言してよい。苦情がコメント欄に反映されないことを前提としての批判なら小学生にも出来る。因みに山澤氏が最近好意的に評価したブログは以下の三つである。


 という言葉は一見それなりの説得力があるが、ちょっと待てといいたい。
 コメントトラックバックの削除や承認制というのがどれだけ問題なのかについては疑問を持つ。むしろ何一つ問題ないだろ、というのが俺の考えだ。


 まず、コメントやトラックバックを受け付けないのはサイトを主催している者の自由である。よからぬ輩を排除するのも必要な行為なのだから。
 分かりやすく言えば、家に泥棒や強盗を招く必要はない、という事である。
 今回篠原は名指しで俺のブログを含む三つを非難している。

・反米嫌日戦線(コメント欄で管理人が反論できなくなると頻繁にコメント削除する常習犯、本人も白状した。証拠あり)
・「気ままにつれづれ」(篠原を批判。コメント欄が承認制。篠原の反論コメントを承認せず。ただしこちらでログを保存している)
・嗚呼 負け犬の遠吠え日記(自分の気に入らないコメントを手当たり次第に削除する常習犯。削除されたコメントを保存しているので、どれだけまともなコメントが削除されたかの証拠提示可能)


 その言い分の幼稚さについては実に笑うべき所が多々あるが、こうした強硬な言動がネットに出せると言うだけでも充分に言論活動は可能である、というべきだろう。少なくとも批判や苦言を述べるというのが不可能ではない事を示している。
 問題なのはそれを直接言う機会がなくなるという事だが、検索エンジンの存在がそれを助ける。
 この場合で行くと、山澤氏のエントリー内にて出された「反日ブログ監視所」という単語で検索すれば監視所にたどり着くことも可能である。そこで示されている言動を眺めていけば、山澤氏と篠原のどちらに理と非があるのか分かるであろう。少なくとも自分で考えることはできる。
 ネットとはそういう空間なのだから、コメントできない、トラックバックを受け付けてくれない、というので文句を言うのは幼稚としか思えない。


 さて、それはそうとして話を振り出しに戻した篠原には、こちらも同様に篠原に聞いてみたい事がある。というか最初から聞いていたのだが。

・いかなる権限があって、反日ブログ認定をしているのか?
 その明確な基準はなにか?

・必要に応じて教育的指導を施すというが、そのようなことをするだけの見識なり知識などが篠原にあるのか?

・最低でもこの二つくらいの条件を満たさなければ、篠原の行っている反日ブログ監視及び教育的指導は、個人の勝手な行動でしかない。そのような行動に対して丁寧に対応する義務などは一切ない。



 そもそも篠原は何の根拠もなくネットウヨクというレッテル貼りをされた(と思いこんでるだけなのだが)について怒ってるようだ。ならば反日ブログというレッテルを貼り続けている篠原にはどんな根拠や権限があるのか? その根拠なり権限などがどれほど公平かつ公正で正当なものなのか。それをさっさと述べて貰いたい。
 自分勝手にこんな事をしているならば、山澤氏を非難している篠原自身が同じ過ちを行っているという事にしかならないだろう。説明を要求する。

 また、批判意見を受け付けろというならば、自分に対して囁かれている苦情や文句についても受け入れて考えるべきである。なぜ彼らが素直に篠原の述べている事を受け入れられないのか? 他人にだけ原因を求めるのは幼稚な精神のあらわれであろう。
 大人というのは原因を自分にも求める。必要ならば改める。篠原にそんなものは全く見えない。
 こんな事を言った場合の篠原(及びその同類)は「俺は悪くない」といったような言動を繰り広げるだろう。実に馬鹿馬鹿しい。
 考えの違う人間が集まって暮らしているのが社会だ。自分と違う意見などあって当たり前だ。それを許容できないならばネットという不特定多数と接触する空間から去ってもらいたい。ここでは篠原と違う考えの人間が山ほど存在している。篠原の言動を見る限りでは、それらは篠原にとって敵であろう。おそらく今後も篠原は敵を求めて暴言をはき続けるに違いない。
 そういう輩の言ってることをまともに受け取る人間などいない。いるとしたら同類のみである。その事をわきまえる事が篠原に必要と思われる。



 篠原に対して言うべき言葉は山澤氏のこの言葉がもっとも適切である。
素人を排除しようとするのは、プロ気取りのセミプロ、プロくずれでしかないからでしょう。否そうでない、というのであれば、ホンモノの答えを提示するか、あるいはせめてインターネットを占拠しようなどというスタンスを改めていただきたいと思います。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 11:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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