2006年07月01日

適当なこと95

 びっくりです。

http://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20061231/p1#c

 孤高のトップに張ってあったヲチ対象へのリンクが消えてます。談話室になってます。
 おそらくこの場所とは別の場所からヲチしているのでしょうが。

 そんな方々を上手に説明なさっているので2chから引用させていただきます。投稿者の方ありがとうございます。

http://money4.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1151415330/l50より

50 :名無しさん@3周年:2006/07/01(土) 03:05:53 ID:ZCvlf96b

 ニートや引篭もり・社会的弱者が、嫌韓厨や国粋主義者「ネットウヨク」になりはてる理由

●第一に、右寄りの言動により、自分を強く見せることができるからだ。

 ニート・引篭もりは、言うまでもなく社会的・経済的弱者である。
 だが、右寄りの言動を採ることにより、いかにも現実的で、強い考え方の持ち主であるかのように周囲に、そして自分自身をだますことができるからネットウヨクになりはてるのである。
 平和・人権・民主主義の尊重などを口にしていては、いかにも「夢見る少女」的な、軟弱なロマンチストという烙印を押されてしまうと恐れている。
 ニート・引きこもりは常に何かの意見をきき、その意見を自分の意見として語るだけの追従者だ。
 偏った知識でのみ判断し、それは「思考」ではなく、常にだれかの考えを「追従」しているのみ。
 その自分というもののなさが自信のなさにつながり、結果として極度に批判を自分への攻撃と捕らえ、恐れている。
 ネットでは、そのような人間が集まり、攻撃的な集団が形作られる。
 その集団にまぎれることで自分ひとりが攻撃されることから逃げるのである。




51 :名無しさん@3周年:2006/07/01(土) 03:06:25 ID:ZCvlf96b

●第二に、国家や社会に尽くしているように思わせることができるからだ。

 ニート・引篭もりは、国家や社会にとってはお荷物であり、国益や公益の形成には役立たない者達であるという負い目をいつも感じている。
 しかし、個人よりも国益・公益を優先させる右寄りの言動を採ることで、いかにも国家・社会に尽くし、自分は大義をつくしていると勘違いすることができる。
 ネットウヨクとなることは、ニート・引篭もりにとっては、自己防衛の手段なのでもあろう。


52 :名無しさん@3周年:2006/07/01(土) 03:20:51 ID:ZCvlf96b

●第三に、ニート・引篭もりにとって、国家は手軽な帰属先であるからだ。

 ニート・引篭もりは、会社や学校に所属していないので、どこかに帰属意識を求めることができない。
 家庭はあるが、ニート・引篭もりは、家庭に帰属意識を求めることもできない。
 しかし、何もない彼らにもとりあえず国民という共通項がある。
 従って、心の拠り所を求め帰属意識を持つとすれば、国家しか彼らには残されていないのである。
 又、叩くというコピペレベルのだれでもできる行動で一体感を得ているのだ。
 生産的な言動など何もできない彼らは、きいたことを吹聴することしかできない。
 だが吹聴するだけの同じような人間が何人もいる。それゆえにそんなものにさえ一体感を感じ、
 俺に味方してくれる人がいるという間違った安心感を得てしまうのだ。
 どの国ででも反他国を煽動している人がやってることといえば、できるだけたくさんの自国の美談を集め、憎む国の醜聞を並べみて、それみよという。
 いわれた・書かれた伝聞をそのまま受け取り、それだけで判断を下すしかない多くの人にとっては、その伝聞情報がすべてで、簡単に歪んだ認識を植えつけられる。実に愚かだ。やがてその人たちは偏った知識で感情的に相手を罵倒し始める。
 どの場所にもよい人もいれば、クズみたいな人間もいるのだから、どの国にも自国の素晴らしい美談もあるし、最低なニュース・醜聞も当然ある。
 つまりどの国ででも自分のよい部分だけ、それに対する相手の悪い部分だけもってくることができてしまう。



53 :名無しさん@3周年:2006/07/01(土) 03:21:21 ID:ZCvlf96b

 自分の悪い部分、相手のよい部分をわざわざ集めて発表する人はほとんどいないが、その逆は気味が悪いほどいるのが現実だ。
 日本は政府単位で反他国教育していないという点で賢明なのに、歪んだ知識のみ吸収した一般人が始末の悪いことに正義感で反他国感情を煽動するようになってきている。
 その姿は、その人が憎んでる相手とまったく同じ姿なのに気づいていない。実に、実に愚かだ。
 そして自分こそが正しいなどと思っている。(実際は限定され取捨選択された伝聞情報をみて判断しただけ。思考はない。)
 ナショナリズムの歪んだ姿で、知性のない感情的なあり方だ。無知性で感情的、そんな人ほど与えられた情報のみからしか判断せず、感情のみで判断して憎しみをもつようになる。いがみあいの連鎖。
 自分は知識(偏った)がある分だけ普通の人より民族間問題に精通していると勘違いしている愚か者の大量発生だ。人の愚かさとは無慈悲なものだ。
 偏った知識でも他人より多くの知識で判断しているのだからという錯覚で、馬鹿ほどインテリぶることができ、卑小な快楽が得られるためにそれは起こるのだろう。
 隔離板で知性のかけらもないストレス発散の醜態を見せたり、なんでもかんでも反他国に結び付けるので疎まれていることに気づいてないのは本人だけだ。
 群れに混じって中傷だけしてれば反論されない。自分と中身のないクズの常套手段である。
 嫌韓流という本がやたらにネットの某掲示板で宣伝されていたので読んでみた。
 韓国については自分のような若い世代はそれほど関心もないので、どこまで誇張してあるか分からないが、知らないことも載っていた。
 だが、この手の本は偏向すぎる。


54 :名無しさん@3周年:2006/07/01(土) 03:22:12 ID:ZCvlf96b

 あるイデオロギーを押しつけようとしているのと変わりなく、それはまさに嫌韓している人が嫌ってる韓国人の姿となんら変わりない。
 そこにはなにも知性は感じられず、感情にまかせて両者がなじりあっている、なんともまぬけな状況になってゆく。
 このような本をネットを使って煽りまくっている一部の人たちの思う壺だ。
 日本人として自立するために他国民の負の感情をわざわざ見ては、それを罵倒するような人にはまともな判断は無理だろう。
 これは日本人に限らずどの国にもいるタイプの人だ。
 物事の本質に迫るなら、今度はそのような人たちを取り扱った本を出してほしい。
 なぜなら反日、反韓などの根本の原因は、その人たちが作っているのだから。



 これも何らかのコピー&張り付けなんだろうけど、言ってることに頷ける部分はある。全部を鵜呑みにする必要はないだろうが、参考になる部分はあるのではないだろうか?

 あるいはネットウヨというものについての理解の一助になるかもしれない。


 しかしこういうのを見てふと思った。
 ミラクルは「普通の人」とか言ってるが、普通の人はそれほど政治に関心があるわけではない。良かれ悪しかれ。
 ネットであろうとなかろうと、政治について何かを述べるのはそれなりに関心のある限られた人間だろう。あるいは、そういう人間がネットに入ることで情報を得ようとしているのかも知れない。だとしたら、ネットはネット外よりは政治について関心の高い地域と言えるかも知れない。
 ミラクルが何を持って普通と言ってるのか分からないが、そう考えるとネットは普通とは言い難い部分があるだろう。ましてコメントしたりブログやサイトをやったりしているというならばそれはもう普通をほんの少しは逸脱している人、と言えるかもしれない。
 掲示板に始めて書き込んだときなどを思い出せば、コメントを残すことなどがどれだけ勇気がいる事なのか想像できそうなもの。言いたいことを主張する、となれば更に度胸が必要ではないだろうか?
 そう考えると「普通の人」というミラクルの言い分には素直に頷けない何かがある。

 ま、他人の言動にあれこれネチネチ絡むような「普通」というのはまずいない。そういう意味でも、普通というのは当てはまらないと思うが、さてどうなんだろう。
 ミラクルの考えは俺には理解できない。それが俺の無能さ故であることを、ミラクルの言ってることが間違っているからではないことを神に祈る次第である。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 21:58| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

適当なこと94

 言ってもいないことを「お前が言った」というのは嘘であろう。

http://miraclemiracle.seesaa.net/article/20099717.html#trackback

まして、山澤さんは篠原氏をとっ捕まえて「お前みたいのがいるからネットは闇空間から脱却できないんだよ。この暇なぶら下がり人間」と噛み付いたわけですからそれが立証できなかった以上、一般論をあれこれ言う前にきちんとるいネットの中で謝って篠原氏に関する部分を撤回するべきではないのかと思うわけですよ


 引用したブログの記事にたまたま反日ブログ監視所が書いてあった。ただそれだけのことをここまで拡大解釈するとはおそれいる。ここまでくれば事実のねじ曲げであろう。


 と傍観者の一人は思うわけです。
 「普通の人はあなたが思っているよりも賢い」と言うが、そうであるならばミラクルの言ってることにおかしさを感じる人も多々いるであろう。


【例(用語の詳しい意味まで説明しません)】
建設業の皆様へWebサイトを作ってる

AJAXを用いて便利なユーザーインターフェースを採用した

AJAXはMacIE5には対応していなかった

ミラクルさんはMacIE5を使う人はもう無視できるくらいの少数だと考えた

客:うちの業界はCAD使うのでMacOS9で使用できるIE5に対応していないと困ります


自分に都合のいい例えを持ち出さないでください。
説明しているようで全く説明になってないのは詭弁の特徴です。

いま、ネットの中で右方向の言説が優位なのは、誰もが自分の検証能力に基づいて様々な事象を検証した結果に過ぎません。権力に買われたとか邪推をする前に山澤さんももっと様々な事象を検証されてはいかがでしょうか? チームセコウばかりに注目してないでもっと視野を広く持ちましょうよ。

 その検証をしている人達が本当に検証したのか。
 検証結果は正しいのか?
 検証している人達が特定の団体なり個人なりに依頼されてる可能性はないのか?
 そういった可能性がある以上ある程度疑うのはやむをえない。


 何より、そんな雰囲気に乗じて対立する意見を潰しにかかる連中は正しいのか?
「皆が言ってるから正しいんだ!」と言い張る幼児に等しい態度としか思えない。


「ネットウヨクなどという集団はありません。普通の人が普通に行動してるだけです」

 個人的にそう思うのは勝手だが、それはそう思ってる人達にとって正しいというだけに過ぎない。
 そもそも普通の人達がとってるネットウヨク的な行動が本当に正しいとどうしていえるのか?
 そもそも、こうした行動が「普通」なのかどうかどうやって確認するのか?


 自分にとっての普通をおしつけないでいただきたいものwwwwww





 そんな風に思いました。
 普通の人はたぶん俺より賢いだろうから、ミラクルの言ってることの胡散臭さをもっと感じているだろう。ただ、それを上手く説明できないだけではないだろうか?
 何も言わない、でも見つめている多くの人達が何をどう思っているのかは分からないが。
 もっとも、自分と違う意見・対立する意見を見つければすぐに「反日」とかのレッテルを貼り付けようとする方々に、あえて否をつきつける者はいないだろう。こうして良心的な人達をどんどんと遠ざけていくのが閉鎖集団の特徴。カルトと言ってもよろしかろう。
 やってることはオウム真理教と同じ。
 少しは自分の態度というのを考えてもらいたいもの。


 裏で権力が働いている可能性は否定できない。
 結局世に出ている意見や考えに従ってしまうのが普通の人。自分の頭で考えるという事は滅多にない。
 ニュースや新聞や雑誌に書いてあるとおりの事を「そんなもんか」と受け取り、それを疑わずに生きているのが普通の人。残念ながら情報を流している者達に言いように利用されている可能性は否定できない。それは俺もミラクルも篠原も孤高も同じ。
 こういうのを「自覚無き共犯者」とでもいうのだろうか? 世論や風潮、雰囲気といったものに知らず知らず巻かれているのが人間。今のウヨっぽいネット空間も、もしかしたら誰かが企図したものかもしれない。


 ま、それはそれ。
 真相がどうあれネットは誰もが参加できる空間だ。特別な資格は必要ない。そこで思い思いの意見を出すのは問題なかろう。むしろ歓迎したいところ。ただ、意見の対立は免れない。そこをどう乗り切るかが問題だろう。
 少なくとも篠原やミラクルや孤高のとってる行動が正しいとは思えないけどねー。



 さて、普通の人を甘く見るな、というのがミラクルの言いたいことの一つらしい。
 であるならば、普通の人でもある山澤氏の意見もそれなりに尊重したらどうなのだろうか? いつのまにか山澤氏はミラクルにとって特別な存在になってるようだ。いったいどこでそうなったのだろうか? これもまた一種の決めつけに等しかろう。
 などと思ったりする。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 21:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

適当なこと93

 考え方は人それぞれであり、それについてとやかくいうつもりはない。
 とはいうものの、「おいおい、そりゃねえだろ」と言いたくなるような事はある。良心的に考えれば反日ブログ監視所をやってる篠原なんかは、そんな思いでああいう言動をしているのだろう。それもまた自由ではある。
 しかし、自由というのは「自分も好きかってやるが相手も好きかってやることを認める」というものではないだろうか? だからこそ各々の自由に制限がついてしまうものと思う。
 それでだ。

http://shizurus.blog63.fc2.com/blog-entry-51.html

 尚、るいネット常連投稿子、あるいは私のエントリを見ての質問その他があれば、遠慮なくこの記事にコメントを付けていただきたい。批判・批評も歓迎する。ネット世界には他者を批判するが自分が書いた記事への批判は自分のブログではさせないという幼稚で卑劣な輩が数多い。批評記事のコメント欄を閉じていたり、承認制にしていたりする批評は全て反論に耐えられない記事を書いていることを自覚している批評家気取りの偽者と断言してよい。苦情がコメント欄に反映されないことを前提としての批判なら小学生にも出来る。因みに山澤氏が最近好意的に評価したブログは以下の三つである。


 という言葉は一見それなりの説得力があるが、ちょっと待てといいたい。
 コメントトラックバックの削除や承認制というのがどれだけ問題なのかについては疑問を持つ。むしろ何一つ問題ないだろ、というのが俺の考えだ。


 まず、コメントやトラックバックを受け付けないのはサイトを主催している者の自由である。よからぬ輩を排除するのも必要な行為なのだから。
 分かりやすく言えば、家に泥棒や強盗を招く必要はない、という事である。
 今回篠原は名指しで俺のブログを含む三つを非難している。

・反米嫌日戦線(コメント欄で管理人が反論できなくなると頻繁にコメント削除する常習犯、本人も白状した。証拠あり)
・「気ままにつれづれ」(篠原を批判。コメント欄が承認制。篠原の反論コメントを承認せず。ただしこちらでログを保存している)
・嗚呼 負け犬の遠吠え日記(自分の気に入らないコメントを手当たり次第に削除する常習犯。削除されたコメントを保存しているので、どれだけまともなコメントが削除されたかの証拠提示可能)


 その言い分の幼稚さについては実に笑うべき所が多々あるが、こうした強硬な言動がネットに出せると言うだけでも充分に言論活動は可能である、というべきだろう。少なくとも批判や苦言を述べるというのが不可能ではない事を示している。
 問題なのはそれを直接言う機会がなくなるという事だが、検索エンジンの存在がそれを助ける。
 この場合で行くと、山澤氏のエントリー内にて出された「反日ブログ監視所」という単語で検索すれば監視所にたどり着くことも可能である。そこで示されている言動を眺めていけば、山澤氏と篠原のどちらに理と非があるのか分かるであろう。少なくとも自分で考えることはできる。
 ネットとはそういう空間なのだから、コメントできない、トラックバックを受け付けてくれない、というので文句を言うのは幼稚としか思えない。


 さて、それはそうとして話を振り出しに戻した篠原には、こちらも同様に篠原に聞いてみたい事がある。というか最初から聞いていたのだが。

・いかなる権限があって、反日ブログ認定をしているのか?
 その明確な基準はなにか?

・必要に応じて教育的指導を施すというが、そのようなことをするだけの見識なり知識などが篠原にあるのか?

・最低でもこの二つくらいの条件を満たさなければ、篠原の行っている反日ブログ監視及び教育的指導は、個人の勝手な行動でしかない。そのような行動に対して丁寧に対応する義務などは一切ない。



 そもそも篠原は何の根拠もなくネットウヨクというレッテル貼りをされた(と思いこんでるだけなのだが)について怒ってるようだ。ならば反日ブログというレッテルを貼り続けている篠原にはどんな根拠や権限があるのか? その根拠なり権限などがどれほど公平かつ公正で正当なものなのか。それをさっさと述べて貰いたい。
 自分勝手にこんな事をしているならば、山澤氏を非難している篠原自身が同じ過ちを行っているという事にしかならないだろう。説明を要求する。

 また、批判意見を受け付けろというならば、自分に対して囁かれている苦情や文句についても受け入れて考えるべきである。なぜ彼らが素直に篠原の述べている事を受け入れられないのか? 他人にだけ原因を求めるのは幼稚な精神のあらわれであろう。
 大人というのは原因を自分にも求める。必要ならば改める。篠原にそんなものは全く見えない。
 こんな事を言った場合の篠原(及びその同類)は「俺は悪くない」といったような言動を繰り広げるだろう。実に馬鹿馬鹿しい。
 考えの違う人間が集まって暮らしているのが社会だ。自分と違う意見などあって当たり前だ。それを許容できないならばネットという不特定多数と接触する空間から去ってもらいたい。ここでは篠原と違う考えの人間が山ほど存在している。篠原の言動を見る限りでは、それらは篠原にとって敵であろう。おそらく今後も篠原は敵を求めて暴言をはき続けるに違いない。
 そういう輩の言ってることをまともに受け取る人間などいない。いるとしたら同類のみである。その事をわきまえる事が篠原に必要と思われる。



 篠原に対して言うべき言葉は山澤氏のこの言葉がもっとも適切である。
素人を排除しようとするのは、プロ気取りのセミプロ、プロくずれでしかないからでしょう。否そうでない、というのであれば、ホンモノの答えを提示するか、あるいはせめてインターネットを占拠しようなどというスタンスを改めていただきたいと思います。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 11:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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