http://shizurus.blog63.fc2.com/blog-entry-38.html#comment-top
ダークマターさんへ
>山澤氏が「ネトウヨという偶像」的なものや、凄まじい思いこみを理由に適当なことを言っている、というのは私もそう思いますが、それならばそれのみを批判すべきです。<
これに関しては見解の相違としか言えません。それ(「ネトウヨという偶像」的なものや、凄まじい思いこみを理由に適当なことを言っている)のみを批判すべきかどうかは別にして、それ(同上)を中心に批判していましたよ。少なくとも、それを批判せずにそれ以外を批判したのではありませんでした。
>はっきり言えば、あなた個人が「ネットウヨ!」と言われたわけではないように、私にも見えるんです。<
当時ではなく現在形での発言ですね。では確認してみましょう。
るいネット山澤氏への確認事項
http://shizurus.blog63.fc2.com/blog-entry-52.html#trackback40
[ 118511 ] を投稿する以前に、山澤氏は既に反日ブログ監視所の管理人、篠原静流はネットウヨクであると認識し判断していた。そして、そのうえで[ 118511 ] を投稿した。YES or NO ?
125211 批判を超えた可能性を提起してこそ反左翼といえる@ 山澤貴志
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=125211
>YES
反日ブログ監視所を名乗る篠原さんは広義には「ネットウヨク」であろうと推察しました。・・・・・ネットウヨクとは「ネットの共認形成力を見逃せなくなった政権側が有料でフリーのライターなどを雇い、煽った結果の現象ではないか?」と推察した・・・・・、「篠原氏が権力で買われた可能性は高い」と思っていました。(今も思っています)
これでもまだダークマターさんは篠原個人が「ネットウヨ!」と言われたわけではないように見えますか?ちなみにこの山澤氏の発言を得たのは山澤氏が「ネトウヨという偶像」的なものや、凄まじい思いこみを理由に適当なことを言っているに過ぎないので、それのみを批判するだけで事足りるという態度ではなく、私が不明な点を確認するということをしたからこそわかったことですよ。
>取り上げたことには、「なぜ鵜呑みにしたのか」程度の批判しかできません。
取り上げただけなんですから。<
文責は山澤氏にあるでしょう。彼は一介の個人ブロガーではなく、巨大サイトの委員であり、投稿を審査する権限があります。しかも自称ITコンサルタントです。死ぬのはやつらだが取り上げたサイトを自らの投稿文に記載する際にはソースを調べるぐらい極めて容易なことです。無料で短期間で、数クリックでこちらへ到達します。それさえしていないと予想するのは困難です。そもそも山澤氏が「鵜呑みにしただけ」だというのは私から反論したからこそわかったことです。ダークマターさんは私からの反論に対する山澤氏からのレスを見る前に、山澤氏がこちらを見ずに鵜呑みにしていただけだと如何にして知り得たのでしょうか?
>第一山澤氏の主張にはあの時点ではたいした根拠なんてなかったでしょう。<
だからそれは私と山澤氏とのやり取りを見て後でわかったことでしょう。
>これを片手に乗り込んでくる馬鹿がいたらその都度反論するか、そのときに記事書けばいいまでです(こういうのに対してこそ専守防衛です)。<
ダークマターさんが、こう述べるのには同意しかねます。山澤氏が死ぬのはやつらだを引用していた投稿への私のあるべき態度として「なぜ鵜呑みにしたのか程度の批判しかできません。取り上げただけなんですから。」と考えるなら、山澤氏の投稿を片手に乗り込んできた人に反論しようとしても「なぜ山澤氏の投稿を鵜呑みにしたのか程度の批判しかできません。取り上げただけなんですから」ということになりませんか?ダークマターさんは、この両者への対応に一貫性が無いように思います。
>私はあなたの「反日」の定義には賛同できません。
そうですか。では今度はダークマターさんの「反日」の定義を御掲示ください。
>私にとっては、左も右も、方法論の違いとしか思えないんですね。
これが「左も右も、方法論の違いであり、どちらも間違っている」というのなら同意します。私は何度もそう述べています。左右問わず極端な思想は全体主義へと傾倒します。
私の政治思想は極めて「一見右翼的なるもの」でしょう。しかしながら、それらは実際には右翼独特のものではなく、本来独立国家国民であれば誰しもが持つ自然な発想であると理解しています。私が右翼に賛同できない部分は「皇室を中心とした全体主義」です。そしてこれこそが右翼の本懐です。私はまさに右翼の真髄を完全否定しています。
だからこそ中道派を自認できるのです。中道派であるかないかは全体主義者であるかないかです。軍事や徴兵制の話題など無関係です。
私のブログの記事は中学生の方々も読んでいます。(ある理由で知りました)。私が恐れていることは、私の主張に賛同した若年層の方々が自分は右翼的だと思い込むことです。これらは実際には右翼(全体主義の片翼)思想とは無関係であるにもかかわらず、右翼思想に同意している自分という錯覚に陥ることです。そうなれば、ある人は「右翼に賛同している自分」に嫌気が差し、次第に中身ではなく、このブログの存在自体を避けることになるでしょう。またある人は逆に自分が右翼思想の持ち主であると考え、全体主義へと傾倒しかねません。これが怖いんですよ。
わたしがネットウヨクという一見右翼に関連するかのごときレッテルを貼られた際に、ことごとく否定するのは、このためです。
左翼全体主義者は右翼に批判されても平気です。彼らが恐れるのは中道派による批判なのです。だからこそ私の記事へ批判するのではなく、ひたすらレッテルを貼ろうとするのです。それに対してこちらが負けて「誰がどのようなレッテルを貼ってくれようと、自分は自分、この態度をネットウヨクと呼ぶなら俺はネットウヨクでいいよ」などと言おうものなら彼らは小躍りして喜ぶでしょう。おそらくその後はこちらを中傷しなくなるでしょう。工作完了とか何とか言って(笑)
私はこのブログを見て私に賛同していただいている方に「これは独立国家国民の当然の主張」であり「右翼、左翼の全体主義を否定するものの主張」であり、「善良な市民」という仮面を被った国家破壊主義者の化けの皮をはぐブログに賛同していただいてるのだということを繰り返し述べる必要があると考えています。
>あと、良く考えると私、ここの存在そのものに喧嘩売ってるみたいですね。
ダークマターさんの本心は私にはわかりませんが、私見では「存在そのものに喧嘩売ってる」ようには全然見えませんでしたよ。おかげさまで少々自己主張もできましたしね。楽しいやりとりだったと思います。喧嘩している訳ではありませんからね。また異論があれば、どんどんぶつけていただきたいなと思います。頼りにしているんですよ、本当に。
| 2006-07-13 (Thu) 17:47:19 | 静流 | URL [ 編集 ]
全体的に「答える振りして質問責め」という印象が拭えない今日この頃です。
ま、それはそれで問題ですが、もっと問題とするべき所をば。
私の政治思想は極めて「一見右翼的なるもの」でしょう。しかしながら、それらは実際には右翼独特のものではなく、本来独立国家国民であれば誰しもが持つ自然な発想であると理解しています。私が右翼に賛同できない部分は「皇室を中心とした全体主義」です。そしてこれこそが右翼の本懐です。私はまさに右翼の真髄を完全否定しています。
だからこそ中道派を自認できるのです。中道派であるかないかは全体主義者であるかないかです。軍事や徴兵制の話題など無関係です。
私のブログの記事は中学生の方々も読んでいます。(ある理由で知りました)。私が恐れていることは、私の主張に賛同した若年層の方々が自分は右翼的だと思い込むことです。これらは実際には右翼(全体主義の片翼)思想とは無関係であるにもかかわらず、右翼思想に同意している自分という錯覚に陥ることです。そうなれば、ある人は「右翼に賛同している自分」に嫌気が差し、次第に中身ではなく、このブログの存在自体を避けることになるでしょう。またある人は逆に自分が右翼思想の持ち主であると考え、全体主義へと傾倒しかねません。これが怖いんですよ。
わたしがネットウヨクという一見右翼に関連するかのごときレッテルを貼られた際に、ことごとく否定するのは、このためです。
左翼全体主義者は右翼に批判されても平気です。彼らが恐れるのは中道派による批判なのです。だからこそ私の記事へ批判するのではなく、ひたすらレッテルを貼ろうとするのです。それに対してこちらが負けて「誰がどのようなレッテルを貼ってくれようと、自分は自分、この態度をネットウヨクと呼ぶなら俺はネットウヨクでいいよ」などと言おうものなら彼らは小躍りして喜ぶでしょう。おそらくその後はこちらを中傷しなくなるでしょう。工作完了とか何とか言って(笑)
私はこのブログを見て私に賛同していただいている方に「これは独立国家国民の当然の主張」であり「右翼、左翼の全体主義を否定するものの主張」であり、「善良な市民」という仮面を被った国家破壊主義者の化けの皮をはぐブログに賛同していただいてるのだということを繰り返し述べる必要があると考えています。
つまり、
・私は完全に中立だ
・中立の立場からの批判なのである
・中立であるという根拠はない
・しかし私の批判を恐れる者達の存在が私の立場を実証してくれる
・私が批判している者達の立場を見れば、私が中立派であることを即座に理解できよう
・私は中立なのだ
・私を中立以外の何かに分類するのを断固として拒否する
・なお何度も言うが、これらの主張に一切根拠はない
ということですか。
えー、なんといいましょうか。
だからあんたがそうやって自己主張するのは勝手だけど、周りがそう見るかどうかは別だっての。
ともう何度も俺は言ってるような気がする。
まあ、どこぞのテストで中道派だという判定結果が出てるから、という根拠であれこれ言われてもねえ。だから何なの? としか言いようがない。正義感と使命感と義務感による自己陶酔には呆れるしかないのが現状です。
それに本当に右でも左でもない中道派というならば、どんなレッテル張られたって何の問題もないだろう。見ている人達が「ああ、またレッテル貼りしてるバカがいるよ」と思うだけで終わる。自ら立場を説明する必要もない。見てる人達にはちゃんと伝わる。
何より普段のエントリーで篠原という人間の立場をそれとなく察するだろう。
こいつがレッテル貼りを極度に恐れているのは、レッテル貼りの効能を自分が良く知っているからだろう。
人は正体不明の相手には態度を決めかねる。だが、どこかの誰かが「あいつはこういう奴だ」と断言すれば、それを基準にして行動を開始する。その断言が良かれ悪しかれ。
篠原の場合、「反日ブログ」というレッテル貼りが武器であり、それによって攻撃目標を叩く理由にする。この際便乗するアホが多数いるので余計に楽しいお祭りとなる。
つまりは暇を持て余しているのだろう。そうとしか思えない。
人間とは嫌なもので、どんな悪いことでも権威のある者から言われたら従ってしまうという習性がある。それを拒絶する事が出来るものはなかなかいない。そして権威のある者とは「道理をわきまえた者」ではなく、「偉そうに見える人」である。
権威が善良なる存在だったら良い結果が生まれるのだろうが、そうでない場合にどんな悲劇が訪れるか。それはナチスドイツなどを見れば分かるだろう。権威であるヒトラーが命令するからこそ、ユダヤ人迫害などが出来たのだろうから。
あるいは共産圏諸国における強制収容所や秘密警察などを見ればそれが分かるかもしれない。どれほど非道であったとしても、それが「国家の」「主席の」「警察の」権威によるものならば、人はおそれおののきながらも従ってしまう。
悲しいかな、これが現実である。
ちなみに、こういった心理はとある実験で確認されている。
篠原のやってることは自らを権威とした統制状態、関連している者達を煽動するための催眠術、篠原が嫌っていると自ら述べている命令国家と同然である。認めないのは本人ばかりなり。
まあ、自分が独裁者だという独裁者はいないだろうし、これはこれでしょうがない事ではある。しかし他人が自分をどう見ているのか、という事を好きなように操作することはできない。それをこの御方は理解できていないように思える。おそらく気のせいだろう、そう思いたい。