2006年07月20日

適当なこと115

 山澤氏からコメントをいただいた。
 そして、山澤氏の最新エントリーがるいネットにあがった。

ネット右翼現象の背後にあるもの@〜ビジネスとしての差別主義
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=126168

ネット右翼現象の背後にあるものA〜自己中‘厨房’の問題性
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=126169


 考察ありがとうございます。
 ついでに、トラックバックをいただけるとありがたいです。

 とお礼と我が儘を述べつつ読んでみました。



 思ったことを述べるにあたり、ほんの少し知っている歴史的な事をちょこっとだけ述べたい。今回の件に関わることでもある。
 もっとも、俺の歴史知識が本当に正しいのかどうかにはいささか不安がある。それも踏まえて読んでいただきたい。


 イギリスが産業革命で発展した当時、イギリスは確かに飛躍的に発展した。しかしその陰で大量の貧民層が生まれてしまった。彼らの不満が社会主義などを増長させていった、とささやかな知識が囁いている。
 本当のところ、貧民層が生まれたのは決して悪いことではない。それ以前の時代であったのならば、貧民層に入ってしまった人々はとっくに飢え死にしているからだ。その日暮らしであろうとも何とか生きていけるのは、社会全体が裕福になったからだろう。たぶん、この当時人口も増えているはずである。
 単純に考えてもらいたい。
 いくら生産力が増大したとはいえ、それを消費する人間が増えたらどうなるだろう? おそらく個々人の富裕感は無いと思われる。
 あるいはこんな話がある。
 産業の発展によって恩恵を受けたと言うが、イギリスには貧民街(スラム)があったではないか、という意見があった。それに対して、「それ以前は貧民にすら成ることが出来なかった」というような反論が出たとか。伝聞情報なのでなんとも言えないが、なるほど、貧民にすらなれずに野垂れ死にする者がいたのが貧民街の生まれる前の時代だったのか、と。
 してみると、貧民であろうとも「街」を作れると言うことは、住むところがあっったということか。
 そんな空間があったということは、着る物と食べる物はなんとか調達出来たということか。
 といならば、産業革命の恩恵は誰にも与えられたという事だろう。

 それを肌で感じる事が出来ないというだけで。



 というような事が頭にあるおかげで、以下の部分が産業革命の頃のイギリスとかぶるのである。

 従って、差別的言論を常習する人物というのは非常に限られていて、反社会的勢力(チンピラ)か脱社会的勢力(ニート)かということになる。そして世の趨勢はニートの増大であるが、かつての貧困層と違い、ニートにはネットで憂さを晴らすヒマと(親に買い与えられた)ネット環境だけはある。

 かつては社会主義だったものが、今や愛国心に変わったわけだ。
 しかし、それを主張する根底は、「現状への不満」である。
 しかも、実は恵まれている事に全く気が付かないガキが、与えられた裕福な環境に文句を言っているという構図に何の変化もない。
 いやはや。
 時が幾ら流れても人間性というのはなかなか変わらないものらしい。

 こういう不満を言う連中の後押しで伸張したのが社会主義であるようだ。で、それが後々イギリスを没落させていくのだから面白い。
 現状のネットウヨク(の仮面をかぶった厨房)も似たような状況に日本を追い込んでいくのかもしれない。



 さて、厨房である。これについては山澤氏のエントリーを参照にしていただければ幸いである。俺もこの意見に賛成だ。
 してみると篠原や孤高やミラクルというのはネットウヨではなく、厨房という事だろうか。
 そういう連中が愛国心を使って、ネット世界で「サイト潰しゲーム」に興じているのは救いようがない。
 ミラクルがhttp://miraclemiracle.seesaa.net/article/21051923.htmlで述べてるが、ネットにはいる垣根が低くなった事でこういう輩が出没するようになったのは嘆かわしい。もっとも、そう言ってるミラクルは厨房のような発言をしているように思えてならないのが気がかりである。俺の気のせいである事を切に願う。


 どっちにしろ、「大勢の意見」というのは利用しやすい。
 人間というのは「皆が言ってるから」「あの人が言ってるから」に弱い。それに従おうとする。それに逆らうのがいけないと思ってしまう。これは人間としての習性なのかもしれない。
 それが正しい場合もある。道徳などは「やってはいけないこと」「やった方がよいこと」の集合体である。これに従っていたほうが社会は円滑に運営される。
 しかし、一方で悪い場合もある。理由はともかく偉そうに見える人に従ってしまうのはやはり危険だろう。例としてヒトラーやスターリンなどを持ち出すまでもない。皆様の周囲にもいないだろうか。やたらと仕切りたがる人というのが。あれである。
 困ったことに、偉そうな人に従うというのは快感である。自分も同じように強くなれたような気がするから。
 こういう連中への対処の仕方は、

・徹底的に反撃する
・無視して縁を切る

のどちらかしかない。関わりを持ってはいけないのである。
 不思議なもので、良心や良識に反する行動をとる者は長続きしない。たとえ本人は幸せな一生を送ったとしても、残された者達(家族や一族、取り巻き連中)は悲惨な末路を辿る。かつての独裁者や征服者達のその後を見てみるがよい。歴史がそれを証明している。
 驕れる者久しからず、という言葉は、古今東西を問わずに真実であるようだ。

 横道にそれるが、コメント・トラックバックの削除や禁止を嫌がるのは、こういう事態を避けたいという本能的な欲求ではないだろうか。意外なことだが、賛同だけでなく反発も「他者との関係性の構築」という役割を果たしてしまう。しかし、「無視」というのはそれがない。絶対に相手にされない、というのは人間にとってもっともつらいものであるという。
 厨房がネットでの人間関係に依存しているとするならば、呆れるような罵倒発言にも頷ける。だからこそ無視しているのが一番なのだが。あと、削除とか。
 残念ながらこういう連中と付き合ってても得るものはない。不満と鬱憤がたまるだけ。健康に非常に悪い。縁を切るのが正解だろう。



 昨今問題になっている炎上やネットウヨというものも、突き詰めれば厨房と言われるどこか未熟な連中に原因があると思われる。
 連中の言ってることは一見して正しそうだが、最後に「ブログやめちまえ」「バカじゃねーの」などの言葉が付くのがどう考えてもおかしい。そんなもの不要である。
 また、こういう言動をとらなくても、文章全体に漂う雰囲気が悪い場合もある。このあたりを感じるのは慣れの問題だが、確かに雰囲気というのはあるのだ。
「他の人はどうかしらないが、自分はこう思う」というのではなく、
「俺がこう言ってるんだ。さっさと言うこと聞け」という態度はまさに厨房(中坊)であろう。いや、小学生やそれ以下のガキにも見られる。イジメという奴だと思っていただければよい。
 透けて見えるそういう態度が反感を買い、結局支持者を失っていくというのがいじめっ子の辿る末路である。
 ネットウヨクの仮面をかぶった厨房も、同じであろう。やがて誰にも相手されなくなる。


 言葉だけで成り立っているネットは、確かに相手を判断しづらい。それでも言葉からは人間が滲み出てしまうものである。
 やがてそういった人間は誰からも相手にされなくなるだろう。
 例外は同じ様な人間同士の集まりである。しかし、誰かをいじめてないと自分を保てない人間同士のこと、いずれ仲間の中にイジメの対象を見つけだして攻撃をし始める。内部分裂の開始だ。
 それが過ぎれば、お互いにお互いの顔色を伺う疑心暗鬼の世界に突入する。
 例外的な人間(これは実際に存在する)でない限り、そういう場からはどんどんと人間が流出する。
 最後に残るのは誰なのか。
 そして、そこから抜け出る勇気を持つのは誰なのか。
 そういう事になるのではないだろうか。



 何とも無意味に長くなったが、思ったことをとりあえず書いてみた。参考になる部分があれば幸い。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 21:20| Comment(2) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

適当なこと114

http://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20060719/p3#tb


あたしのやり方は、逐次「この人のこの言動、この部分が支離滅裂で痛々しい」とツッコんでるわけです。

 相手が何を言いたいのか、その主旨をを全く考えずに、叩けるところを叩いている、と。

中には、「学士様の言説は素晴らしい!なにが支離滅裂だ!!」という素晴らしい脳味噌をお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんが、そういう方はサナダムシを(ry。

 このような文章を書く人間をスバラシイと感じる人間もいるでしょうが、そのような方はご自分の人生を深く反省(ry。

もちろん、あたしのこういう行動様式自体を「イタい」と感じる方もいるでしょう。そういう方は思う存分晒していただいて結構です。法とプライバシーを侵害しない範囲で。

 法とプライバシー、ひいては道徳というものに反しない範囲での言動を期待したいものです。
 無理だと思うけど。


 孤高が丁寧になんかを書いてくれました。
 法とプライバシーを云々するくらいならば、言葉尻を捉えて叩くという行動は控えるべきでしょう。
 少なくとも人間とは多かれ少なかれ間違いをおかすもの。そうであるからこそ赦し合うという行為が発生するわけです。そして、それは法やプライバシーの根底たる道徳というべき分野にあるのではないだろうか?
 少なくとも孤高や篠原やミラクルのやってることに道徳的な部分や節度や真心という美徳が見いだせないのがつらい。それは俺の落ち度でもあるだろうし、相手の姿勢の問題でもあるだろう。
 少なくとも、

・L閣下。これはもうどうしょうもない。説明はしない。
・あるいは komichi タン:アンテナを知らず勘違いしアホな因縁をつけた上、ツッコミを攻撃とかいって被害者ぶる。これはイタい。
・学士様:江戸城の上の限定核。竹島のアレ。その他あーゆーエントリを読んで共感する人は、基地外の行動禁止です。
・ウヨトウタン:なんでもかんでも日本軍の侵略がー!と謝罪オナニー。
・唯一神:。。。。。ああ、神はいずこに。。。。。。
・嫌韓:ウリが、、ウリが、、、、


 というような人間に「法とプライバシー」などと言われても説得力が。


 孤高も篠原と同じで、

・そういうあんたの根拠はなに?
・で、指摘しているあんたの判断力は正しいの?


 という話です。
 「自分の考えと他人の考えは違うだろう。でも、これだけは言っておきたい」という思いから行動しているのならば、

>あー、こんなこと言っちゃってるよ、、イタタタタ、、と。もー言ってることややってることが支離滅裂ってな。

などとは言わないでしょう。


 どの部分というのではなく、文面全体から漂う雰囲気というものがイタイです。


そんな孤高のマネしてイタイと思える部分を摘出してみましょう。

http://miraclemiracle.seesaa.net/article/21051923.html#trackback

なんか、BLOGを書いてる人間て、そのあたりの認識が甘いんじゃねーのとか考える。かつてはwwwで情報を発信するにはHTMLというハードルがあり、それを乗り越えた人間は当然のようにそのようなリスクを認識していた。それはインターネット以前パソコン通信の時代から変わらない。
もちろん、その時代に戻れとも言うつもりは無い。ハードルが下がったことにより、より多くのコミュニケーションが取れるのだ。
だからこそ、自分の意見を世界中に晒すということに対するリスクを少しは感じて欲しいのだ。wwwは決してあなたにとって好意的な環境ではない。


 好意的でない環境にしている人間が何を言っているのやら。
 不毛なコメントを書き込む人間にも非はあるのだが。


 ハードルが下がったことによるメリットもあるはずだが、それよりもデメリットの方が大きいとお考えのようだ。それはそれで一種の差別思想であろう。
 一部のオタクの持ち物だったネットに一般の人間が大量に流入してきた。それに反発してるだけのようにも見える。


 先行者としての意地やプライドもあるのだろう。最先端の技術や発見が一般化していくときによく見られる現象。先に来ていたヤツラが偉そうにふんぞりかえる。やってる本人は「俺達がいたから!」といいたいのだろうが、その姿が逆に反感を買う。
 そして偉大なる先行者(の中で威張り散らしてるやつ)は、後からきた大多数に駆逐されていく。


 という懸念を抱いた俺がいる。
 ミラクルちゃん、言葉には気を付けたほうがいいよ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060718-00000013-inet-sci

半数以上が“炎上”Blog を目撃、その感想は「不愉快」が約7割

昨年、ある企業が新製品のプロモーション目的で Blog を開設したが、批判的なコメントやトラックバックが殺到、あっけなく閉鎖されたことがあった。現在も検索結果にはネガティブな評判があふれている。

Blog を活用した口コミプロモーションには常にこのような危険が伴う。
インターネットコム と gooリサーチ が行った調査によると、半数以上が“炎上”Blog を見たことがあり、うち7割近い人が「不愉快」に感じていることがわかった。

調査対象は、20代から50代の男女1,084人。男女比は男性42.90%、女性57.10%、年齢別は、20代22.88%、30代43.45%、40代24.45%、50代9.23%。

全体1,084人のうち、Blog を閲覧したことがある人は929人。さらに Blog のコメント欄については、「よく見ている」22.39%、「たまに見ている」53.28%、「あまり見ない」17.22%、「ほとんど見ない」7.10%という結果。

Blog のコメント欄に膨大な数の批判・意見が書き込まれる、いわゆる“荒れている”状態は“炎上”と表現されることもあるが、53.71%(499人)がこのような状況にある Blog を見たことが「ある」と回答している。もはやありふれた光景のようだ。

企業や著名人が運営するプロモーション目的の Blog ならば、訪問者に不快感を与えてしまうのは避けたいところだが、このような“炎上”状態にある Blog は訪問者にどのような印象を与えるのだろうか。調査では、“炎上”を「楽しい」とする人はやはり少なく、わずかに3.21%にとどまった。7割近い人が「不愉快」と大半を占め、残りは「どちらともいえない」(29.66%)だった。書き込む人は盛り上がっていて楽しそうだが、見ている人はそうでもないらしい。

Blog のコメント欄が荒れる理由についても聞いてみたところ、最も多く挙げられた要因は「コメントを付ける人が過敏すぎること」(299人)だった。これに続いたのは「Blog の運営者の発言」(193人)、「コメントを付ける人が徒党を組むこと」(157人)、「Blog の運営者が扱う話題」などだ。どちらかといえば、Blog の運営者側よりもコメント側に問題があるとする回答が多い。さらに Blog へのコメントを煽る目的で「巨大掲示板などで特定 Blog の URL を周知する」ことを問題視する回答もあった。

“炎上”に対してどのような対応をすべきかという問いには、多くの人が「コメント欄の閉鎖」と回答。そのほかに「謝罪」、「Blog の閉鎖」なども挙げられたが、やはり Blog の運営者・団体やその目的などによって対処法は異なるだろう。

しばしば攻撃の対象になってしまう「コメント欄」だが、通常は Blog の運営者と閲覧者のコミュニケーション手段の一つである。「開放すべき」との意見は34.77%、「開放すべきではない」は9.04%だった。

調査協力: gooリサーチ )


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http://japan.internet.com/

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(japan.internet.com) - 7月18日19時6分更新



 そんなもんだろう。
 主義主張の違いを越えて、激越な攻撃姿勢は反感を買う。少なくとも日本人の多くは争いを好まない性質がある。最近のネットウヨ(ではなく厨房というべきか。山澤氏のコメントを参照すれば、確かにその通りとも思える)の言動などはまさしくこれだろう。
 どんなに言ってることが正しくても、態度一つで支持を失っていく。
 上記記事の「不愉快と思う者が7割」というのも、一つの結果だろう。この記事になんらかの作為が加わってる可能性を考えても、だ。
 本気で自分の主張を世間に訴えたいと思っているならば、主張する者は今少し自分の言動に注意するべきだろう。


 してみると篠原や孤高やミラクルは、右翼(ここでは生まれ育った祖国に愛着を感じ、そこでの生活を大切に思ってる、という意味で使ってます。政治思想的な右翼とは少々意味が違うかもしれません)の評判を貶めているように思えるのだが。
 あるいはそれが目的なのだろうか。だとしたら、この人達はネットウヨではなく、ネットサヨというべきなのうだろうか。迷うところ。


 
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 20:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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