さて。
ネットウヨクを騙るとある御仁のブログが、この程「凍結」ということになった。
反日活動への鉄槌、という事で頑張っておられたようだが、やってる事がたんなる罵倒や誹謗中傷の類、もっと分かりやすくいうと「ガキの悪口」の類でしかなかったのだからこれも当然の結果と思う。
身から出た錆としか思えないので何の同情もできないし、憐れみすら抱けない。
「自業自得だバカモン」「もうちっとマトモな事を主張しろ」と声を大にしていいたい。
そんなネットウヨクの一匹である俺なのだが、これまで全く政治的な主張などを書いてこなかった。
自分の立場を、自分の考えを一応は披露してはいたが、なんでそういう考えに到ったのかを述べてない。このままでは凍結という措置を執られた某人物と同じ穴の狢で終わってしまう。
なので、今回は左翼・リベラル、特に共産主義のようなふざけた理論や思想、そういったものを毛嫌いする理由の一部だけでも述べてみたいと思う。
しかし、残念なことに俺の考えは、俺が独自に考え出したものではない。
左翼、共産主義、統制体制、なにより「国民をロボットのように扱う政治体制」を毛嫌いする事については、既にある他の人物の考えや著書を真に受けているにすぎない。
そのあたりは、独自性
だけを崇高なものとするアカデミック気取りのバカには理解されないだろう。
だが、自分勝手な思いつきを偉そうに自慢するようなアホになるよりは、時代と歴史の中で取捨選択されてきたより良き智慧を素直に受け入れる方がよっぽどマシである。
残念ながら俺には独創性もなければ、世の中の真理を発見するだけの智慧もない。そんな俺にとっては、今まである知識の中で有用なものを身につけるだけで精一杯である。
せめてもの救いは、独創性を重視するアカデミック気取りのバカ共が、結局は昔から存在している理論や思想を繰り返し述べてるだけに過ぎないことだろうか。その一例が左翼であろう。
連中は過去からの伝統よりも新しい考えが優れている、というのを売りにしている。しかし、そんな連中がしがみついてる理論や思想は、もう何百年も前から存在している。そう言って良ければ、左翼連中は昔からある「伝統」にのっとっており、なんら新しい考えを提示していない。
こんな連中が伝統を破壊しようと言うのだから笑えてしまう。だったら自分らが学んだ理論や思想を破壊して新しい何かを構築しろ、と言いたい。
以上のような事はネットで見受ける左翼連中の戯言を眺めていて感じた矛盾である。
皇室もそうだし、日本の歴史や伝統を否定し、新しい体制を構築しようと言うのが左翼というものだろう。先祖が造りあげてきたこの日本というのを破壊したくて仕方ないようだ。
耐用年数が過ぎて老朽化したものを新しい部品と交換する、というならまだ分かるが、左翼のやろうとしていることはそうではない。
このバカ共がやろうとしているのは、まだまだ住み続けられる家をぶちこわそうとしている事であろう。強度計算に問題がある危険な建物でも何でもない、建築後何年もたっているが、まだまだ住み続けられる家である。それを倒壊させて新しい物を作ろうというのだからおそれいる。
そんな必要もないのにわざわざぶちこわそうというその神経は、俺には理解できない。
それでもこの家を再建するまでの間をすごす仮の宿があるならば、堪え忍ぶこともできるだろうが、そういう準備は全くしていない。
それでも左翼は新しい家を建築する。
しかし、元の主にこの家を受け渡すわけではない。
左翼は勝手にぶっこわした家の主を追い出し、その敷地に自分達だけの家を造り、かつての住人達を自分達の奴隷として扱うのである。さもなければ、新しい家から放り出して野垂れ死にさせる。
左翼とはそういうものだ。
この家を国家。
住人を国民。
家をぶっこわす連中を左翼、とすれば分かりやすいだろうか。
家の補修やリフォームは必要ではあるが、何も倒壊させる必要はない。とんでもない設計ミスをしているならばともかく、何年も何十年も風雪を耐え凌いできたのならば、構造上の問題はないはずだ。雨漏りや立て付けの悪いところは出てくるだろうが、家を壊すほどの手間をかける必要もない。
にもかかわらずそれをやろうとする。
全く理解が出来ない。
仮に、本当に家を再建するのが目的だったとしよう。
左翼連中が、あるいは国を憂える善意の者達(本当に善意から行動を起こす者達である)が家を再建するとしよう。
では、本当にまともな家が建つのだろうか?
そこに疑問を挟む者は意外に少ないように思う。ここが一番重要な所であるにも関わらず。
家の建設には、専門知識が必要である。
図面を引くのはもちろん、図面通りに家を建設していくためには相当な知識と熟練が必要である。
左翼連中や善意の人々にそれだけの能力があるのだろうか?
世の中には、熱意や努力だけではどうにもならない分野がある。現場の智慧もそうだし、緻密な計算に基づく設計などもそうである。どんな些細な事でも、現場で培った智慧、それに必要な経験というものが要求される。
左翼連中や善意の人々にそんな能力があるとはとても思えない。
家であるならば、優れた設計士と、腕の良い大工が必要だろう。素人には無理である。
政治や国家についても同じ事が言える。
いやしくも国民と国家を預かる以上、最低でも過去と同等かそれ以上の状態を保つ必要がある。それが国民の生活であったり、国家の安全保障であったり、国内の治安維持だったりする。
それらを滞り無く実行していくために必要な知識や能力があるのか、という事が最大の問題だ。
残念ながら左翼連中にそんなものはない。
全くない。
かつての社会党、今の社民党、共産党、民主党左派、公明党、自民党の左派。
こういった連中の行動を見るにつけ、「こいつらには絶対に日本を渡せない」という思いだけが強くなる。
例えば、自衛隊への反対。
現実に核ミサイルを配備し、日本に照準を向けてる国家が日本のすぐ近くに二つある。ロシアと中国である。北朝鮮が新たな候補として加わるのは言うまでもない。
こんな状況だというのに、自衛隊反対、などとほざくあたりどうかしている。
おそらく、日本ではなく上記三国のどこかの(あるいは全部?)の工作員なのだろう。日本の滅亡を望んでいるとしか思えない。
例え核ミサイルを除いても、膨大な軍事力を保有しているのがロシアと中国である。この点、北朝鮮はまだ安心できる相手だが、ロシア・中国は違う。
問題は多々あるものの、ロシアはいまだに極東ロシア軍を保持しているし、中国は数だけならば数百万の軍隊を保有している。おまけに徴兵制の国々である。動員をかければすぐさま何倍にも膨れ上がる。
これらを前にして自衛隊不要論を口にするのはあきらかにおかしい、と見るべきだろう。
また、これらの軍備は日本に向けたものではない、というふざけた戯言もうんざりである。軍備というのは必要に応じて何処にでも使えるものである。周辺国に対しては特にそうだ。ロシア・中国に接している日本がこれらに備えるのは当たり前である。
例えば、朝貢外交。
ようするに、金をばらまくことである。
ODAを通じて日本の金を色々な国にばらまかれている。
その結果どうなったのか?
金は金を受け取った国の首脳部の懐に入り、首脳部が牛耳る国営企業(とそこの幹部である首脳部の親族)の懐に入り、軍事費に使われる。
援助先の国民が裕福にならないのはこのためである。
国際親善のお題目のもと、周辺国の軍隊が強力になり、日本はどんどん危険な状態になっていく。
更に笑えることに、援助先の国民はいつまでたっても貧乏のままである。
なお、俺の知ってる限りで最も巨額の援助・・・・・・いや、貢ぎ先である中国は、これまで三兆円ほどの金をぶんどっていっているとか。その分の見返りはどこにあるのだろうか?
その結果が反日暴動であったり、言質の日本企業への攻撃なのだから始末におえない。
例えば、社会福祉。
国民全員の面倒を国がみれるわけがない。そもそも国の役割は国民の生活空間を創り出すことではない。生活空間を外敵から守ることにある。また、内部の犯罪から守ることにある。
寝る場所・食う物・着る物の面倒は、本来自分でどうにかするものである。
にも関わらず、「弱者の保護」を名目にして、救済策を実施しようとする。
バカも休み休み言え。
老病傷苦はこの世にあって避けることが出来ないものだ。
老いて衰える、病を患う、怪我を負う、そういった苦しみは程度の差はあれど誰もが一度は被るものだ。その面倒は自分でみなければならない。誰かの手助けが得られたならば、それは奇跡のような出来事と思うのが普通である。
老病傷苦もいずれは必ずやってくるものとして備えておくべきものである。あくまで個人的に。
誰かがやってくれるのが当たり前、なんて事はない。
それを当たり前と思ってる馬鹿共が福祉を当然だと思っている。
こんなの無用な負担でしかない。
年金に、保険、失業手当。
そういったもんはいらない。そんなもんで税金を増やすくらいならば、いっそなくしてくれ。そして手取りを増やせ。
その中から貯金をしていけばそれでよい。
そもそも、老病傷苦は避けられないとしても、数え切れないほど頻繁に襲ってくるものではない。病といったって風邪を数日こじらせるのがせいぜいだし、怪我だって転んでかすり傷を負うていど。失業してから雀の涙の手当を貰うくらいならば、貯金をため込めた方がよっぽど良い。老い先の心配だって、働けるうちに頑張れば良いだけのこと。
一々国がちょっかいだすな。
そして、そんなことをさせるな左翼。
上記の他にもまだまだ色々あるだろう。
だが、これらに共通するのは次のようなものである。
・対外的には、他国への追従・隷属
・対内的には、国の借金の増大 左翼は様々な理由を付けてこの二つを実行する。
これを一言で言うと次のようになる。
・日本滅亡のための努力 日本人の一人として、これには断固として反対する。
なぜならば、俺が日本で生まれ育ち、この国で生きていくからだ。
将来、何らかの偶然や幸運、自らの努力で試算を築き、海外などに移住したりすれば話は別かも知れないが、今のところこの国で生きていくのは避けようがない。
例え海外で楽に暮らせるだけのものを築いたとしても、出来れば生まれ育ったこの国で死にたい。
そんな思いを抱いているだけに、日本は安泰であって欲しいし、繁栄してもらいたい。また、その為に出来ることは何でもいいからやっておきたい。
その為にも、次のような事を求めるのである。
・対外的には、日本の意見を主張する。 付き合う相手を選別するともいう。
少なくともロシアや中国、北朝鮮などは敵対国として接していても、友好国にはならない。
日本と仲良くしたいという国は他にたくさんあるのだから、そういった連中と付き合ってればよろしい。
・国の借金の削減 否応なしに予算を削減するしかない。
その為には、官僚機構や行政が動かしてる特殊法人などを売却・廃止するしかない。民営化も手段の一つ。
それで潰れるならばさっさと潰れてしまえ。今まで言い思いをしてきたのだから、もう十分だろう。
それで失業するならさっさとのたれ死ね。民間はリストラで何人もの自殺者を出したりしたんだ。
「自分の命大事」だけでなんとかやってけると思うな。
目指すべきは次のようなものである。
・小さな政府 具体的にどうすればいいのか、というのが難しいが、とりあえず税金負担が少ないのが望ましい。
その結果政府が行う福祉は無くなるだろうが、それで全然構わない。国民から搾り取らない分だけ手取りが増えるし、その中から貯蓄をしていけば良いだけの話である。
所得税の最高課税率が50%というふざけた税率が、この国に高額所得者を生み出さない原因である。
また、相続税があるから豊かな生活を後世に残すことも出来ない。累進課税とPもどもさっさと廃止するべきである。
それで手にする給料に差が付くならばそれで良い。
働く奴や有能な人間が巨額の報酬を手に入れるのは、世の摂理である。人間は誰一人として同じではない。有能なのもいれば無能なのもいる。ある方面で才能を発揮するが、別のことをやるとからっきし、というのもある。
報酬差はそれが表れるだけだ。何一つ問題ではない。
だいたい下流社会や格差社会を問題にする連中はたいてい左翼である。そんな連中が言ってることは胡散臭いと思って間違いない。
何より、貧富の差がつく、というのが間違いである。どんな時代、どんな社会であっても貧富の差はある。どこにでもある。当然のようにある。それを無くして成功した社会はない。その事に早く気付くべきである。
みんなと一者じゃなきゃイヤ! なんてのは、ベソをかいてるガキか、女の我が儘だけにしてもらいたい。
断っておくが、俺も格差社会の底辺、下流社会に属している人間である。
それでも、絶対に平等な社会は到来してもらいたくはない。
そんな事をすればかつてのソ連、昔の中国のようになるのは目に見えているからだ。
また、北朝鮮の現実が平等の結果を余すことなく示している。
そんな事ならば、格差のある方がよっぽどよい。
その格差が実力によってついたものならばなお良い。
また、出世や成り上がりのための道が幾つも用意されてるならばもっと良い。
今の日本はそういった社会である。
絶対に越えることの出来ない差という意味での「格差」などどこにもない。
せいぜい血筋によって制限される皇室・皇族になれないくらいである。
だが、なれなくてどうだというのだ?
日本国民で有れば、犯罪者でもないかぎり国会議員に立候補できるし、投票という形で政治にも多少は影響力を持てる。
失敗する可能性を覚悟してるのであれば会社を作ることもできる。
身分違いの恋というのはまだあるらしいが、それだって身分制度が絶対だった太古に比べればどれだけ緩和されたことやら。その良い例が、今上天皇陛下と美智子皇后陛下である。身分違いにもほどがある。
格差というのは、生まれついた身分によって職業選択の自由が制限されたりすることをいう。
全体主義国家の場合、職業選択すらさせてもらえない。左翼連中がよく非難する戦中の日本を思い出してもらいたい。労働への徴用などが良い例だろう。
今の日本のどこにそれがあるのか? 犯罪歴があるからまともに就職できない、というのは差別でもなんでもないぞ。また、会社が求めるレベルで働けないから追い出されるのは当然だ。お前の都合で世の中動いてるわけじゃない。
そういう事が分かってない連中が左翼に走ってるのだろう。正直、そんな連中の考えは全く理解できない。理解しようとも思わない。
そもそも、日本に格差があるというならば、ホリエモンはなぜあそこまで出世することが出来たんだろうか? 村上世彰は? この二人を持ち出すのはどうよ、という話にもなるが、だったら孫正義や三木谷さんはどうする?
他にも一代で会社を築いた人はいっぱいいる。そういう人達の本がいっぱい書店に並んでいる。
もちろん誰もがこんな成功者になれるわけではない。失敗している人達だっている。
だが、そういう人達は自分でその道を選んだのだろう。失敗を誰かに押しつけるのは間違っている。
失敗がイヤならば、大人しくサラリーマンでもやってるしかない。
上に昇るということは、何かに挑戦することである。挑戦には失敗と成功の二つがつきまとう。失敗が怖いならば、平々凡々に生きていくしかない。
リストラされてしまった事を嘆いている人や、それに怒りを感じてる人、それが理不尽だと思う善意の人々にも、俺は「バカか」と言いたい。
いてもいなくても同じな窓際族なんてのは追い出されて当然だ。会社は仕事をするところである。仕事をしない人間が追い出されるのは当然の結果。おかしいところは何一つない。
むしろ、無能な人間を擁護する連中のほうがいかれている。
うちの職場にもいるが、仕事してるフリしてパソコンに向かってる奴がいる。そんなのが長くいるというだけで責任ある立場にいる。まあ、下から数えてン番目というところだが、それでも下にいる人間にとってはたまったもんではない。
こういうのはとっとと会社から放逐するべきである。
似たようなことは官僚機構にも当てはまる。そいつがいるだけで人件費を腹罠糧はならない。その人件費は税金から抽出される。はっきりいって邪魔だ。さっさと公務員と行政法人などは削減してもらいたい。税金が跳ね上がるのは我慢できない。
無駄を囲っているというのは結局自分にしわ寄せがくる。
無能はさっさと首になってのたれ死んで貰いたいものである。
というところまで書いて思ったんだが、リストラを嫌がる連中やそれに反対してる連中ってのは、無能者なんではないだろうか?
まあ、それはともかくとして。
ちょっとした仕事をするならばさして能力はいらない。
挨拶ができて、パソコンに向かって文字入力ができて、電話の応対が出来ればさして問題ない。最低限の仕事にはありつける。そして、それでありつける仕事というのは、結構金になる。
ちょっと気になったのでフリーマガジンやフロムAなどの求人雑誌でオフィス系統の仕事を見てみた。
・・・・・・事務系の仕事で時給1000円から。
コールセンターでの電話受付は1200円からが当たり前。
派遣会社で同様の事務処理系だと1500円とか言ってるんですけど。
これって毎月20日・一日8時間労働として、16万円から24万円くらいは稼げるって事だよね。
何か問題あるんか?
つつましくやってくんなら十分生活できるぞ。
結婚して手も、旦那がこういったところで働いて、女房がちょっとパートしてれば生きてける。何が問題なんだか。
おまけに、これが何十件何百件とある。リストラされても生きていけないほど苦労する事があるとは思えないのだが。
こんな状況で不況だと騒いでる人達の考えが理解できない。
本当に不況だったら、そもそも求人情報だけでなりたつ雑誌が存在するわけもない。
まあ、これはバイトの話だが、こんなバイトでも首になるのならば、本当に無能という事だろう。もはや救いようがない。むしろそれは会社ではなく、首にされる人間の方に問題があるという事だろう。責任を社会に押しつけないでいただきたい。
こういった状況に対して文句を言ってる左翼の寝言を欠伸をかみ殺しながら聞いてると、一つの疑問が浮かび上がってくる。
すなわち、これ↓である。
「あんたら、楽して王様(あるいは社長、資産家)になりたいの?」 どうにもそのように聞こえてくる。
こういうのをまさしく戯言・寝言・妄言というのだろう。
俺はそういうのが反吐が出るほど嫌いなので、そういう考えは断固として排除していきたいと思ってます。
それなりに成功したければ、社会(あるいは会社など)が求める能力をみにつけなさい。
それがイヤならば、自分一人でやっていける道を探しなさい。
何より、それに挑戦する事もなく現状に甘んじてるならば、その口をさっさとつぐめ。自分が何も努力しないで、行動もしないで現状に甘んじてるならば、それは誰のせいでもない、あなたのせいである。
本当に政府や一部の金持ちや特権階級が世の中を言いように操ってるならば、最近のIT長者のような存在が誕生する事もなかった。
ニューリッチと呼ばれる者達が出現する事もなかった。
セレブなんて言葉やハイソ(これは古いかな?)なんてのが出てくるわけがない。
新しい富裕層が出現しているならば、それは世の中には越えられない格差が存在しない事の証拠でしかない。
それがなんでダメなのか全く分からない。
こういった事は、ある意味社会の変革である。
左翼とは社会が旧来のまま制度披露を起こして自滅するのを恐れていたのではないのか?
だったら、こうした新しい富裕層の誕生を喜んだらどうだ。
これらは旧来の富裕層とは別の存在である。これらが旧来の勢力と衝突するのはホリエモンが証明して居るではないか。フジテレビ買収や野球球団買収などで旧来の連中とぶつかっていたのを忘れたのか?
既得権益を握ってる旧勢力に果敢に対抗した彼らを賞賛しないのか?
それは、「俺に出来ないことをやってる奴が居る、ゆるせねえ!」というあさましい嫉妬ではないのか?
自分がやりたかったことを他人がやってるからユルセネエ。
そういう感情はよくわかる。
だが、そう思うならば自分もそうできる立場にいくよう努力するべきであろう。そうなれるように挑戦するべきである。
それが出来ないで叫いてるようなバカの言うことなど、まともな人間は誰も聞いたりはしない。
行動しない奴は常に無視される。
それが世の常だ。
選挙が良い例だろう。
理由や理屈を付けて投票しない連中がいるから、組織票を動かせる連中がのさばる。
組織票を嫌う連中は口々に非難するが、自分は選挙にいかない。
行動がちぐはぐである。
俺一人が投票しても意味はない、というのがその理由らしいが、だったら諦めろ
というしかない。文句があるなら、自分一人でも投票に行くべきである。全てはそこから始まる。
左翼が嫌いな小泉郵政選挙を思い出してもらいたい。
普段選挙に行かない連中がほんんちょっと動いただけであれだけ変わるのである。
意味がないなんて言ってないで行動するべきである。
自分一人が投票に行くのは難しいことではないのだから。
文句を言う連中というのは、この選挙に似ていると思う。
「言うだけで何もしない」
そんな連中の言うことなどに傾ける耳はもっておりません。
長くなった割にはまとまりのない話でした。
でも、俺が左翼を嫌う理由の一端でもご理解していただければ幸い。
最後になりましたが一言。
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