2007年02月28日

適当な休止宣言、及び皇室についての俺の考えなど

 既に述べてることですが・・・・・・とりあえずこのブログでのエントリー更新は休止です。
 だからといってブログやネットを辞めるわけではないんですがね。
 おまけに俺は「適当なこと」をいう奴なので、なんかの拍子にここで何かを掲載するかもしれません。そんなわけですので、休止宣言も適当です。




 次に始めるブログも、確実にここと同じような雰囲気になるでしょう。ただ、もうちっとウヨ・サヨ的な事や2ちゃんねるについて思うところを書き込んでいきたい、と思っとります。
 やはり俺は共和制や共産主義や社会主義、それらが内包する自由の排除的な部分が好きになれないので、ウヨの立場から色々言っていこうと思う。
 と同時に、無法と自由を混同してる駄目な連中の愚かさも書きつづっていきたいとも思う。
 あと、束縛と秩序も違う、とか。



 何はともあれ、それは新しいブログで、という事にしたい。










 ・・・・・・・・のだが。











 このブログは、いわゆる左の人々も目を通す事が多いような気がする。
 何でこれだけは書いて置きたい。
「俺の考える皇室の意義」というやつを。











 「本当に皇室や天皇陛下、そういった皇族や王族というのは存在する意味があるのか?」ということは結構前から考えていた。
 基本的に俺は「無駄はつくるな」「不要なものはいらん」という考え方をしている。なので、どうしても皇室や王族などの存在については「?」がついていた。
 これについては「有るときには意味が分からなかったが、無くしてからありがたみを知る」というやつなのかもしれない。無くなってみれば、「なるほど、あれがあったから(あの人がいたから)」と思うことは多い。たぶん皇室や王族というのはそういうものなのだろう。
 しかしこれだけでは説得力に欠ける。
 そこで「王様がいなくなったらどうなったのか」を過去の例から考えてみたりする。日本以外で王様がいなくなった、あるいは殺された、あるいは追放された、といった事例が結構ある。それらを振り返ることが、皇室・王族のいる体制(王制、というか「王政」)を考える参考になるかもしれない。



 一番有名なところではフランス革命。それとロシア革命か。イギリスでも清教徒革命とかがあったなあ(違ったっけ? よく憶えてない)。こういった「王様を殺した革命」というのは、結局国の結束を破壊した。
 理由は様々だろうが、それは「一番エライ人がいなくなった」から発生したのではないか、と思える。
 というのも、王様の下にはナンバー2とかナンバー3とかの有力者達がいる。これらが権力争いをしつつも国がまとまってるのは、王様がなんとか纏めているから、という側面もあると思う。また、どんなに頑張っても、決してナンバー1にはなれない、というのを誰もがわきまえてる(あるいは諦めてる)から次席争いにとどまってるのだろう。
 もしこの王様という重石が無くなってしまったら、「俺の天下じゃー!」などとほざく野心満々の野郎共が続出するのではないだろうか。
 その良い例が、日本の戦国時代だったと思われる。俺が一番だ、一番になってやる、というような野心のある連中が日本中のあちこちにいたから、あんな覇権争いをするようになったのではないだろうか。「まあまあ。お前ら、その辺にしとけや」と取り仕切る偉い人がいなかったから、力の有るヤツラが実力で領土拡張を図ったものと思われる。少なくとも、それを止めるような奴はいなかった。
 幸か不幸か、日本には天皇陛下がいて、一応は権威を受け継いできた存在がいたことが戦国乱世を有る程度早く終わらせる要因になっのではないかと思える。
 偉い人の言葉、というのは結構威力がある。
 徳川家康も、天皇の名によって与えられた官職があったからこそ、権威の泊付けが出来たのではないだろうか? 征夷大将軍という名前も、自称したものと正式に認められた官職名とでは威厳が違う。
 この辺りは人間心理というやつが作用してくるのではないだろうか。学者が言ってた、有名人が言ってた、などというと「え、そうなのか?」などと思ってしまうのと同じであろう。実力が無くても、偽物であっても、偉い人が言った、と聞くと何だか正しいことのように思えてしまう。
 自称と正式な任命とでは天と地以上の開きがある。
 もし何の裏付けもなく「征夷大将軍」などを自称するならば、相応の実力を身につけねばなるまい。戦国時代の日本で名実共にそんな事をしようと思ったら・・・・・・その為に更に百年くらいは血みどろの戦争を続けていく事になっただろう。あるいは、有力大名が日本を分断し、統一性のない小国が乱立していたかもしれない。
 もしそんな状態であったら、西洋列強が日本に迫ってきたときに、一つにまとまって対抗していく、という事は出来なかっただろう。今頃日本はイギリス・フランス・ロシアなどに分断されていたかもしれない。その裏で、ヨーロッパ各国が暗躍し、日本人はその代理戦争を日本を舞台に行っていたかもしれない。
 そういった状態は、例え想像だけに留めるにしてもあまり愉快なものではない。現実でなかった事を心の底から「ありがたい」と思う。


 悲しいからイギリスやフランス、ロシアで行われた王様殺しは、国家の分裂や分散、凶悪な圧政へと進んでいったように見受けられる。
 イギリスでは法律や制度の裏付けをしてくれる王様がいなくなったために秩序が乱れた、と聞く。その為、一応はイギリス王室と関係のある人物を外国から呼び寄せて王位に就ける、という荒技を実行しなくてはならなくなった、とか。
 その為イギリス王室では、血筋というものへの考え方が日本より弱いような気がする。


 また、権威がなくなれば実力がものをいうのは当然とも言える。
 フランス革命は、それが行われた後で様々な反乱を誘発し、その鎮圧のために数十万のフランス人の生命が奪われた。
 その他、貴族などをギロチンにかけたりしてるし、革命政府(パリ・コミューン)内部でも粛正が行われている。
 似たような事はロシア革命でも行われ、皇帝の一族はもとより、その愛馬まで殺し尽くされている。
 また、ロシアの富裕層である地主すらも殺されている。
 フランス革命では、各地の自由を認めすぎた故に反乱を誘発させた。
 ロシア革命では、反乱を起こす暇すら与えずに国民を殺し回った。
 そう思えてならない。



 何がこういう事態を引き起こすのか分からないが、こういった事に共通するのは、


・過去のやり方の排除


ではないだろうか。
 また、


・「その人がいうなら仕方ない」という存在を潰したこと


というのが非常にまずい結果を呼び寄せている、と思う。
 人間というのは欲望があるものだ。それを押さえつけるのが「権威」の役割である。
 大人が子供に言い聞かせるように、教師が生徒に言い聞かせるように、上司が部下に言い聞かせるように、どこかで人間には上下の区別と分担が必要になってくる。それがないと人間はまとまって行動することが出来なくなる。
 これは人間が持って生まれた「自己」のせいだろう。
 人間は己を侵害されるのを何よりもいやがる。
 しかし集団として行動するために、社会を作っていくには、とどのつまり「協力して生きていく」ためにはどこかで自分を抑えなくてはならない。
 それを円滑に行うのが「権威」なのだろう。
 その権威が無いとどうなるかは、最近のガキどもを見れば良い。まともな躾も与えられないガキがどうなるかは、それらを見照ればよく分かる。
 ネット内には2ちゃんねるという存在もあるのでもっと分かりやすい。悪い実例としては最高の存在である(だからこそ2ちゃんねるとそこに入り浸ってる連中には消滅して貰いたいのだが)。
 権威の存在しない空間というのは、非常に生きにくいものである。
 そんなところで生きていくには、より強力な力を得るしかなくなる。
 必然的に弱肉強食の無法地帯となる。



 もっと偉い人がいる、というのはもしかしたらありがたいものなのかもしれない。
 それが無くなれば「なら、もう誰の言うことも聞かなくていいや〜」となって好き勝手に行動する人間が現れるだろう。
 それが大勢射ればフランス革命後のフランスや戦国時代の日本のようにあちこちで紛争・戦争・反乱が発生する。
 それが一つに集約されてしまえば、ソ連や中国のような傍若無人な政府を誕生させる。
 反乱が発生したり、内乱で分裂が起こらない程度に国内をまとめあげ、独裁や独占にならないように力を分散させる。そんな状態を維持する為には、やはり「権威」が必要ではないだろうか。
 そのバランスが崩れたら、小国に分裂するか、圧政が始まる公算がすこぶる高い。そうでないにしても、周辺国の介入を容易に招き、国家の解体を促進する事になりかねない。
 そうなったらどうなるのだろうか。
 この場合はGHQ占領下の日本を思い出せばよいだろう。
 アメリカ兵の横暴を日本の警察は阻止できず、産業の分野すら制限される。言論の自由すらない。
 アメリカ占領下での日本は、重工業の産業が禁じられていたと聞く。それが撤廃されたのは、逃散戦争が始まり、速やかな兵器の供給が必要になったからだと言う。アメリカから物を運ぶよりは、日本で生産した方が便利なのは当然だ。見方を変えれば、朝鮮戦争がなかったら、今のような技術立国日本は無かったかもしれない。少なくとも、産業全般が今よりはるかに立ち後れていたと想像する事はできる。
 また、言論分野では「GHQへの批判は一切出来ない」という状態だったと聞く。ラジオや新聞でそんな事をしようものならば、すぐに制裁されたとか。だとすれば御用放送や御用新聞が多くなっていくだろう。残念ながら今現在もその後遺症は続いているように思える。
 いわゆる植民地というやつよりは遙かにましだったとはいえ、こういった事が当たり前のように行われるのが、他国の支配下にある、ということだ。
 今の世の中でそんな事は起こるまい、とか思ってる方々は、そんな今の世の中で発生した湾岸戦争やイラク戦争、アフガン戦争などを思い出してもらいたい。今の世の中であっても、火種というのはどこにでもあるもんだ。
 また、被害ヨーロッパ諸国は、ソ連の高圧的な政治体制の下にあった、というのを思い出してもらいたい。
「今の世の中で・・・・・」というのは何の言い訳にもならない。



 人間というのは、結集していた方が強い。
 その結集を穏やかに行うのは「権威」であろう。
 威張るわけでも何でもない、でもその人の言うことは聞いておこう、という存在はそれだけでありがたい。
 国内を穏やかに統合し、国外に対して強い結束力になる。
 そういうのがいる、という事のありがたさを少しは考えておくべきだろう。



 そして権威を発生させるのは、他とは違う何か、である。
 多くの場合それは武力のように思われる。
 天皇陛下の場合は、「男系統の男子にのみ継承されてきた」という事実だろう。
 非常事態には男系統の女子が一時的に即位した例もあるが、その女子から始まった血筋は無い。
 男親で辿っていけば初代天皇である神武天皇に辿り着く、という共通項を持つ男子のみが、継承権を持つ。そういう事を連綿と続けてきた。
 これだけが天皇の称号を継承する条件、とも言える。一番基本的な部分だ。
 もしこれを崩せば、様々な継承理由が後から後から出てくるだろう。その時には「俺が天皇だ」「俺も天皇だ」「いや、俺こそが天皇だ」と名乗る輩があちこちに登場するだろう。
 そんな自称天皇を生み出して喜ぶのは、万年野党の共産党くらいなもんだ。あるいは日本で政権が絶対にとれない連中であろう。
 何より、それで喜ぶのは日本の周辺国や、日本に対して野心を持ってる諸外国であろう。
 そんな連中を喜ばせてどうするのか、と俺は常々疑問に思っている。
 捕捉を含めてもう一度言う。


・天皇の地位に就けるのは、男系統男子の皇族のみ
・その条件があるならば直系・傍系の区別はない



 直系・傍系の区別がない、というのは、従兄弟でもなんでも継承し書くが発生する、という事だ。
 また、何代も前に遡らなければ共通の先祖(当然男を辿って、という条件で)にぶちあたらない場合でも継承権が発生する。
 優先されるのは天皇に近い血縁者になるのは当然(でないとこれまた継承争いが発生する。こういう継承順位を決めておくのも、無用な争いを無くすための手段である)だが、それらの中に適任者がいない(子供が女子だけだった、など)場合に天皇の断絶を回避する智慧といえる。
 また、現代的に言えば「女性の権利を守る」「女性を尊重する」という点から見ても優れている。
 もし直系の男子しか認めないならば、天皇の血筋を守るべく数多くの女性が側室として天皇陛下の周囲に送り込まれる事になるだろう。その女性達は、天皇以外との男性との接点を隔離される運命にある。
 やたらと女性の権利にうるさい方々は、こういった事態を回避するためにも旧来の天皇陛下の継承権を復活させるよう努力してもらいたいものだ。



 何はともあれ左の方々には、

・天皇という存在
・それが持つ権威と権威の効用
・その権威ある存在を今後も奉戴していく事の利点


などを考えてもらいたいものだ。


 蛇足ながら現在の日本国憲法も昭和天皇陛下の承認を得ている。
 護憲派の方々はやたらと憲法を大切にしているが、だったらそれを承認した昭和天皇陛下と、その承認を引き継いでいる今上陛下、そして今後も(改正がどう議されない限りは)引き継いでいく未来の陛下、を大切にしてもらいたいもんだ。




 最後に。
 権威が発生するのは、たいてい「長く何かを続けている」場合に限られる。
 新しく思い付いたことや、勝手に始めたことに権威は生まれない。誰もが反発する。
 そういう事をわきまえながら皇室問題に口をはさむように。
 女系の天皇や女性天皇なんて、権威に服している人には戯言でしかありませんので。そういう人達が旧宮家の方々をかついであちこちで反乱を起こす可能性も・・・・・・・・・無くはないですから。
 日本を分裂させたいなら話は別ですけどね。







 またもやまとまりのない文章で終わる。
 こういうところは改善して行けたらいいんだけどねえ・・・・・・。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月14日

適当・・・・・・・ではないこと

 おそらくこれが最後のエントリーとなるだろう。



 非常に唐突なのだが、ブログを続ける気力が無くなった。
 理由は少々有るのだが、それについては触れないでおこう。言ってどうなるもんでもないことだ。
 一応言っておくが、ネットウヨク絡みが問題ではない。それで辞めるようならばkomichiさんを助けたところで辞めている。
 また、2ちゃんねる絡みでもない。それで辞めるならば最初からネット自由化運動などに肩入れしない。
 理由は実に個人的、いや、気分的なものだ。
 ともかく、「もうこれ以上やってても仕方ないな」と思ってしまったのである。





 こんなブログでも楽しみにしてくれてる人はいたかもしれない。
 また、心強く思ってくれてる方もいる。
 そういった方々には大変申し訳ないのだが、俺自身がどうしてもブログを続ける気になれないので仕方ない。




 とりあえずこのブログはほんの少しの期間だけ残しておくが、それが三ヶ月を越えることはあるまい。いや、今月中にも削除するつもりだ。
 あわせて関連するブログも削除する。






 ただ、何らかの形でブログは再開する予定である。
 見え始めた問題の確信を放置しておくつもりもないし、ネットの問題についても多少なりとも継承を鳴らし続けたい。
 何より、日本の危機に対して何もしないでいるつもりは毛頭ない。
 左翼とは真っ向から対立する右翼として、自分自身を日本の保守派と任じている自分自身の意地のためにも、声の限りに、言葉を吐きだし、問題点を突きつけていきたい。
 ただ、それをやるのが今のブログではイヤなのだ。





 とはいえ誤解してもらいたくない事もある。
 このブログを通じて知り合ったいわゆる「左」の方々である。
 明確に「左」というのもなんなのだが、俺と対極の考えを持つ方々、それにも関わらずそれなりに良い関係を続けさせてもらった方々。
 あなた達が嫌いになったわけでもない。
 主張している事には何一つ賛同できないのは事実だが、人間としてそういった方々が嫌いになった訳ではない。むしろいわゆる右の立場にいるはずの連中の方がよっぽど嫌いである(誰とは言わないが分かってくれるだろう。某sとかその辺りである)。
 ブログをやめるきっかけになったのは、もっと別の問題があるからだ。






 何を言っても言い訳以上にはなるまい。
 ただ、いずれは復活するつもりである。
 その時までしばし休養を取り、再びネットにてささやかながら自分の思うところを主張するつもりだ。
 当然ながら、左翼に対立する立場を捨てるつもりは無い。残念ながら左翼の主張はどう考えても日本の、ひいては世界の、さらには人類にとって害悪となる。
 しかしながら、現在右翼と呼ばれている連中の主張にも与するつもりはない。そいつらのやってる事が許せない、というのもあるが、それ以上に右翼と呼ばれる連中の言動や考えが左翼と重なるからだ。
 それゆえに右翼と呼ばれる連中をも毛嫌いしている。
 おそらく連中との接点は今後もないだろう。
 俺が変節するか、連中が変わらない限りは。








 蛇足が長くなった。
 ただ「やめます」と一言書けばいいだけなのにこんだけ長くなった。それだけ未練があるのだろう。女々しいことこの上ない。





 今度出会うときは敵となってしまう人が多くいるだろう。
 でも、どこの誰の味方でもない、どの勢力に身を寄せるでもない、自分自身の思うところをつらつらと綴っていく立場に自分を置こうと思う。
 それが俺にとってではなく、より多くの人にとって正しいことであることを願いながら、このブログにおける最後のエントリーを終了しようと思う。






 それでは、さようなら。





「気ままにつれづれ」ブログ主 つれづれなるまま・・・・に?



**2/18追記**



 各方面からコメントやトラックバックをいただき少なからず驚いている。ありがたい事ではある。
 だが、それゆえにこのサイトを閉鎖したいのだ。


 やはり俺はネット右翼であるし、保守的な考えを持っている。
 身分や生まれによって出世が出来ない、というような体制を求めるつもりはないが、人間が千差万別である以上格差は開いて当然とも思う。
 また、伝統や慣習というものが様々な弊害を抱えているとしても、それによって世の中のバランスが保たれ、治安がよく、自由を享受できるならば、旧来の伝統を存続させるような状態を続けていくべきだとも思う。
 そういった考えでいると、どうしても革新的・革命的な考えや、国家の枠組みを越えた「地球市民」と言える考え方とは衝突してしまう。
 そういった事をここで述べていくのも良いのかも知れない
 あるいは「そういう考え方もあるのか」という別の視点を多くの人に提供する事にもなるのかもしれない(どうやらそうした役割は多少は果たせたようだ。ありがたい事である)。
 だが、それがいつ火種として燃え上がるか分からない。俺も自制心豊かなほうではないので、どこで爆発するかも分からない。
 それならば、あえてこのブログをうち切り、本当に自分の考えに沿った意見を展開する場所をあえて作りたい。その方が意見を突きつけ合わせるときにも変な遠慮はいらないだろう。
 そう考えて閉鎖という道をとる事にした。



 このブログについては、やはり今月中に閉鎖するつもりだ。
 新たなブログも既に用意した。
 あとはそこで自分の考えを展開していくつもりである。


 そこではここで展開できなかった政治に対する自分の考えをもっと大っぴらにしていきたいと思う。
 また、コメントやトラックバックを受け付けないし、こちらからどこかに送りつけもしないようにしたい。
 誰かが検索やリンクを辿ってやってくればよい。「ああ、こういう考えもあるのか」と眺めていただければよい。そういう所にするつもりだ。



 2ちゃんねるへの批判は続けていくつもりである。
 あの存在は害悪にしかならない、と思うからだ。
 ただ、それは「反2ちゃんねる」という形では行いたくない。
 あくまで「ネットの自由のため」という立場から行っていきたい。
 「反2ちゃんねる」というだけでは2ちゃんねるだけを対象にすることになる。それでは2ちゃんねる以外に目がいかない事もある。
 そうではなく、「ネットの自由」を守るために、また、それを侵害する要素の一部(というにはあまりにも大きいが)として2ちゃんえるを批判していきたい。
 もちろんネットの自由を脅かす存在として2ちゃんねるが縁時点で最も大きな存在ではある。だが、本当に目指すべきは誰もが言ってるように「2ちゃんねるの消滅」ではなく「二度と2ちゃんねるのようなものを作らない」事にある。
 なぜそうしなければならないのか、と言えば、それは「ネットの自由」のためである。
 断っておくが、自由は無法地帯を創り出すという事ではない。
 誰もが自分の意見を述べる。誰もが己の意見を侵害されない。それは互いに自分の立場を譲り合い、相手を思いやる、という事にもいきつく。
 主義主張を尽き付き合わせ、己の正義のみを言い立てるのは自由ではないはずだ。残念ながら2ちゃんねるというのはそれを大きく踏みにじっている。
 それ故に反対する。
 あまり上手くは伝わってないかも知れないが、俺の取る立場はそんなところだ。



 そういった事も含めて、一度リセットボタンをおし、新しい形でブログを始めたい。
 やはり俺には格差の対極にある平等は受け付けられないし、自由がもたらす格差を否定できない。
 財産や文化の継承を大事と思う故に、それを阻止するような平等化は悪としか思えない。
 そういった事を少しずつ今度のブログでは述べていこうと思う。



 なんだかまとまりがないが、今の俺の気持ちを述べるとこんな風になる。
 言い訳を綴ってるのもみっともないが、何を考えているのかを察していただければ幸いである。



 これが本当にこのブログでの最後の書き込みになるだろう。
 とりあえず今月いっぱいはここを残しておく。
 もし参考になるような部分があればコピーしてもっていってもかまわない。自分のブログに掲載したい、プリントアウトしておきたい、とりあえずワードパットなどに書き写してパソコンのデータとして残しておきたい、というならこんなにありがたい事はない。
 それだけの意義があったというならば、このブログで書き記してきた適当なことにも意味があったのだろう。



 長くなったが、本当にこれで最後にしたい。
 それではみなさん。
 本当にさようなら。



**2/21追記**




 ・・・・・・さようなら、と言いながらまたも追記である。




 予想以上に多くの皆さんに波紋投げかけてるようでびっくりしている。
 また、このような事態になってあらためて自分がどのように見られていたのか、というのを知る。


 まず、ブログの機能のアクセス解析で知ったのだが、アンチ2ちゃんねるの一人aicoさんのブログから。


「ショック!BLOG“気ままにつれづれ”更新終了宣言!」
http://arvel7aico.btblog.jp/cm/kulSc08z145D8672C/1/

>脱2ちゃんねるして日が浅かったのか、そこのブロガーさんの筆跡が凄い2ちゃんねらーぽくてアイコは怖くて近寄れなかった記憶がありましゅ…

 だって……初期の頃はおもいっきりVIPしてたんだもん……< 


 ぐはっ! ってなもんだ。
 まあ、確かにそういうマネしてたけど・・・・・・・。


 実際のところ、ネットに接続できるようになって以来2ちゃんねるは嫌いです。
 何度か足を運んだこともあるが、生理的に2ちゃんねるは好きになれない。
 その理由についてはこのブログのエントリーの中でもちょっとだけ触れたが、
「無法と自由をはき違えてる」
 というところ。
 何でもやって良い、というのは「無法」
 やってはいけない事を制限し、あとは好きにしろというのが「自由」・・・・・・・・であろう。
 言い方を変えれば、
「お互いに相手を思いやれ」
「自分のやりたいようにやれ・・・・・・・ただし誰をも傷つけるな、誰にも嫌な思いをさせるな、能うならば他の人達を幸せにするようなことをやれ」
「自分自身が誰にも侵されたくないと思ってるように、他の者も自分を大事にしているんだ。それを互いに大事にしろ」
というような事にもなろうか。
 人間なんてのはもともと自分てのが強い生き物なんだから、どこかでその自分を抑えなくてはならない。でなければ社会という集団を形成することなどできはしない。
 2ちゃんねるの連中はそれを忘れている。
 そして、そんなのが世の中の基準だと錯覚している。
 そういう自覚などどこにもないだろう。あったらあそこまで馬鹿なことが出来るわけがない。
 そういう連中は反吐が出るほど嫌いだ。
 また、ネットに接続するようになってから出会ったふざけた野郎共は、たいがい2ちゃんねるの癖が出ていた。
 そういう事もあって、2ちゃんねるは産業廃棄物並に害を撒き散らす存在だと思っている。いや、核廃棄物、と言ったほうが良いだろう。破壊力は抜群であるが、それ以外に何の利点もない。そういう所まで似ている。
 にも関わらず初期の頃に2ちゃんねるっぽい言葉遣いをやってたのは、連中に自分のやってる姿を見せてやろう、と思ったからである。全部が見よう見まねだった。
 とにかく語尾に「w」をつけまくること。
 相手を嘲笑するような言葉遣いをすること。
 半角文字や誤変換を利用した言葉の置き換えをすることなどなど。
 「>」を多用して相手の言葉の中から都合のよい部分を抜き出し、自分に都合良く引用し、相手の揚げ足を取ること。
 そういった事をあえてやっていた部分はある。
 それがどれだけ馬鹿げたことなのか、自分自身で味わって考えてみろ、と。
 と同時に次のような考えもあった。
「相手が自分の考えを堂々と主張しているならば、こちらも自分の考えを堂々と主張しなければならない。
 ただし、相手が揚げ足取りや罵倒を主眼においてるならば、こちらも同様に対処せねばならない」
 ネットで遭遇した荒らし連中とのやり取りの中で感じたことである。
 最近読んだ本の中にこれをより適切に語った言葉があったので引用したい。


「毒は毒によって制せられる。
 金剛石(ダイヤモンド)は金剛石によって断たれる」

(「インド人大富豪の教訓 大金を掴む45のヒント」123ページ)


 ネットで馬鹿げた連中を見るにつけて思ってたことが、意外なところで正しいやり方だったと証明された・・・・・・ってほどでもないか。
 しかし幾ばくかの教訓を含んでるとは思いたい。
 荒らしの連中ならば、同じ種類の人間を毛嫌いするだろう、というような安直な考えで始めたことは、存外効果があったかもしれない。
 というか、思った以上だ。
 まさかねらーと同じに見られていようとは。
 作戦は成功したのか失敗したのか・・・・・・・。
 悩むところではある。


 なので、俺は更正も後悔も反省もしてません。
 今も昔も、たぶんこれからも2ちゃんねるが大嫌いです。
 まともに運営されるようにならない限り、存続を認める気はありません。


 でも、aicoさんははるかに良い方で、次にあげるやつなんかはモロに「自分に都合良く解釈」してる典型だ。
 これぞ典型的なねらーという奴だろう。
 ねらーで無いにしても、自分に都合の良い輩というのではなかろうか。


「「閉鎖」は寂しい出来事」
http://kei.txt-nifty.com/suki/2007/02/post_07f7.html

 こいつのいつも通りのご都合的な解釈は省いて結論部分だけ見てみましょう。

>それはともかく、気ままにつれづれさんの2ちゃんに対する態度は、いわゆる「ツンデレ」っぽさがありますね。2ちゃんをコケにしてらっしゃるものの、それとは逆に、2ちゃんを否定しきれず肯定するかのような記述も散見されます。<

 凄いねえ。
 最後になって、これで潰れると思って言いたい放題ですよ。
 どの辺りが「2ちゃんをコケにしてらっしゃるものの、それとは逆に、2ちゃんを否定しきれず肯定するかのような記述も散見され」るんだろうか?
 あんな無法地帯なぞさっさと無くなればよろしい、と書いてきたつもりなんだが。どうやらそういう風には読みとれなかったようだ。


 で、冒頭ではこんな事を。

>以前に書き込みをして、ご批判を頂いたりした「気ままにつれづれ」様が閉鎖されるとのこと。こーゆー出来事は、なんだか寂しいモノです。180を超える気合の入ったエントリごと消滅してしまうのは勿体無いなぁと思うワケで。<


 では、そんなお言葉にお応えして、閉鎖はやめましょう。
 言ってもいない事、考えてもいないにも関わらず、「こんな事を言ってたよ」などと言われるのは心外なので。
 記念にここは残して置きましょう。
 その上で、keiが述べてる事が正しいかどうかを判断してもらおう。



 というか、今思い出したよ。
「書いてることを削除してしまったら、実際に何が起こったのか分からなくなる。
 そうなったら、居残ってるヤツラに好き勝手に処理される」
ということに。
 いかんいかん。
 大事な事を忘れてたな。


 ってなわけで、無くなると思った途端にこんなのを送りつけてきた素敵な野郎の口車にのってやろう。


 なお、好き勝手に編集してる部分。


気ままにつれづれ: 適当なこと183 (cache)

「2ちゃんねる崩壊による、言論の統制・官僚機構やマスコミによる独占の開始」
 あえてこれが始まると断言しておきたい。


(中略)
それよりは2ちゃんねるのような場所がたくさんあったほうがいいように思える。競合他社の存在がなかった事が2ちゃんねるの肥大化を生み出し、悪事・罵倒をのさばらせた。



 うわー、すげー。
 俺が書いてる次の部分には何一つ触れてないや。
 自分の書いたことを引用するのもなんだけど、次の部分もよーくよんでもらいたいね。

 今までのインターネット環境がそれを物語っている。
 超大型掲示板2ちゃんねる。
 これ以上の存在が無かったから、これに対抗できるほどの大きな存在が無かったから誰も対抗できなかった。
 少しでも成長する可能性のあるネット上の集まりがあれば、すぐさま2ちゃんねるの工作員が投入されて潰された。
 あるいは自覚無き協力者達が、2ちゃんねる以外の存在を潰していた可能性もある。
 工作員と協力者。この違いを明確にするのは難しいが、とりあえず以下のように考えていただきたい。


・工作員:
 明確な命令を受けて行動している者達。

・協力者:
 命令や指示は受けてないが、自分の信じてるもののために行動している者達。


 技術の優劣も確かにあるが、この両者を明確に分けてるものはこのようなものであろう。
 誰かの命令を受けて行動しているか、自分で勝手に行動するか。
 ただ、どちらも「所属団体が有利になること」のために頑張る、というは共通している。
 2ちゃんねるに工作員がいるかどうかは分からない。俺は「いる」と思ってるが確証はない。しかし、あれだけ大きなサイトが日本に一つしかない、というのは奇妙なもんである。
 また、ネット利用者の大半が利用しているのも不可解である。よほど優れた機能がなければそういった事態がおこると考えるのは難しい。
 おそらく、競争相手になりそうな他のサイトを根こそぎ潰してきたのではないだろうか。
 そして事実上の独占状態を創り出していたのではないだろうか。
 こうなってしまうと、対抗していくのが難しい。
 ご存じのように、2ちゃんねるへの対抗的なサイトがあらわれると、工作員や協力者が雪崩のように押し寄せる。この勢いというのは恐ろしいもので、人間の良心や常識・良識を根こそぎ破壊する。例え押し寄せる方が間違っていても、暴言を吐くのが悪いことだと知っていても、勢いのある方に味方するのが人間というものである。
 2ちゃんねるが圧倒的な多数派である、という印象をつくるだけでもよい。
 それで2ちゃんねるは安泰だった。




 こう書いてる俺が、

2ちゃんをコケにしてらっしゃるものの、それとは逆に、2ちゃんを否定しきれず肯定するかのような記述も散見されます。

 という風に見えるんだ。ふーん。

 ついでに言えばこういう事も書いてるんだが。

 思うに2ちゃんねるは免許制度のための、そしてメディア独占のための第一段階だったのではないだろうか?

 こういう事を書くことが「2ちゃんねるの肯定」なんだ。
 へー。


 あと、赤字ででっかく次のように書いたんだけどねぇ・・・・・・。


2ちゃんねるはネットに無法地帯を創り出した。

 見えなかったのかな?
 だとしたら相当な節穴だな。
 というか、ここを中略してどうするのだろうか。
 本当に都合良く言葉をつまみ上げるな。
 さすが荒らし・炎上擁護のkei。



 あと、「適当なこと184」の最後に書いてあることだが。

> とりあえず独自のドメインをとったり、個人サーバーをたてる、とまではやらないにしても、今現在各社が提供しているサービスを利用して、出来ることはめいいっぱいやろう。
 それがどこまで効果あるかは分からないが、何もしないよりはましであろう。
 その中から反省点や成功が見えてくるかも知れない。


 あまり解決策にもならない事を述べてきたが、何かの一考になれば幸いである。<


 これ、2ちゃんねるに対抗するための手段として書いてるんですが。
 それが「2ちゃんねるの肯定」ですか。
 とても素晴らしい嘘ですな。



 こういう事を読んでる人が、「実は気ままにつれづれは2ちゃんねる批判の形を取った2ちゃんねる擁護だったんだ!」という嘘を流して行くんだろう。
 この時期にこんなエントリーを送ってよこすくらいなんだからしょうがない。
 最後まで自分に都合良く話を進めようとしている姿勢がよーく分かるkeiちゃんでした。




「閉鎖」は寂しい出来事気ままにつれづれ: 適当・・・・・・・ではないこと (cache)

非常に唐突なのだが、ブログを続ける気力が無くなった。
(中略)
もし参考になるような部分があればコピーしてもっていってもかまわない。自分のブログに掲載したい、プリントアウトしておきたい、とりあえずワードパットなどに書き写してパソコンのデータとして残しておきたい、というならこんなにありがたい事はない。
以前に書き込みをして、ご批判を頂いたりした「気ままにつれづれ」様が閉鎖されるとのこと。こーゆー出来事は、なんだか寂しいモノです。180を超える気合の入ったエントリごと消滅してしまうのは勿体無いなぁと思うワケで。

というワケで、僕に対してのご批判などが掲載されたエントリを列挙。ひとまず引用ではなく、ウェブ魚拓利用。

気ままにつれづれ内 「KEI」記事検索結果 (cache)

気ままにつれづれ: 適当なこと169 (cache)
気ままにつれづれ: 適当なこと170 (cache)
気ままにつれづれ: 適当なこと173 (cache)
気ままにつれづれ: 適当なこと176 (cache)
気ままにつれづれ: 適当なこと177 (cache)
気ままにつれづれ: 適当なこと178 (cache)
気ままにつれづれ: 適当なこと180 (cache)

気ままにさんは、2ちゃん批判の記事を色々書かれていましたが、それに関連しそうな記事を見つけました。

Korean the 3rd : 自由なインターネットは匿名、実名に関係無い

これから、私たちがインターネットを利用していく上で、実名とか匿名というのは実は瑣末な問題に過ぎない。モラルの問題はそれこそネット内の自浄作用に任せなければならない問題だし、権力に監視される言論というのはそれこそ言論の自由を脅かすものである。これらは別個で語られるべきものであり、実名匿名の是非に関わらず、インターネットに触れる私たちが考え続けなければならない問題でもある。
僕はインターネットが普及する前のパソコン通信時代にネットを始めました。「ニフティーサーブ」(現@nifty)においてです。

パソ通のニフティは「実名制」ではなかったものの、そこに接続するには会員になってIDを取得する必要がありました。現在のID制サイトなどのように、適当なフリーメールアドレスに類するようなもので会員登録は出来ず、基本的にはクレジットカードや銀行口座、実名や住所などの個人情報を全て胴元に提供しなければなりませんでした。ネットに接続するにも、ニフティが設置したアクセスポイントに接続する必要があるため、今のWWWのように、串だのなんだのと「個人特定を妨げる要因」が介在するほとんどありませんでした(ま、あったのかもしれませが^^;)。
そのため、「実名性」に関しては、現在のmixiなどよりも、ずっと強固に確立されていました。

昔話はともかく…

「実名」か「匿名」か…なんて議論は、ネットを趣味で利用する上では、ある意味ではどうでもいいことです。

Korean the 3rd様で述べられている「言論の自由を脅かす」ような事態が起こらないためには、逆説的ではありますが、ある程度、個人を特定できる方法を確立しておく必要があると思います。

今の日本のインターネットの状況はどうか?

匿名がもたらす害悪の象徴として「2ちゃんねる」が祭り上げられていますが、実はその「2ちゃんねる」も、匿名性がもたらす害悪を防止している一面があります。「2ちゃんねらは匿名で好き勝手にやっている」という批判は多くありますが、2ちゃんねる発の逮捕者というのも多く存在しています。匿名ではあるけれど、個人を特定することは可能であり、2ちゃん側も、その情報を警察にキッチリ提供しているワケです。そして、利用者もそのことを肝に銘じて、"2ちゃんねらなりに"節度ある活動をしているワケです(これらは、何も2ちゃんねるに限らない匿名ネット社会の常識的なハナシですが)。
上に述べた昔のパソコン通信ほどすんなりと個人特定に至らないにせよ、必要な場合に必要な措置を取れる程度にはシステムが整備されています。

「よりモラルあるネット利用を啓発すべき」といった程度の前向きの姿勢は常に必要でしょうけれど、基本的に、現在の「匿名ネット社会」は必要最低限のシステムを確立しています。
「匿名であること=個人を特定されない」と思い込んでいる人はともかく、そうではない多くの人は、匿名で自由気ままにつれづれに活動しているように見えても、多くの縛りを自分に課していると思います。

気ままにつれづれ: 適当なこと183 (cache)

「2ちゃんねる崩壊による、言論の統制・官僚機構やマスコミによる独占の開始」
 あえてこれが始まると断言しておきたい。


(中略)
それよりは2ちゃんねるのような場所がたくさんあったほうがいいように思える。競合他社の存在がなかった事が2ちゃんねるの肥大化を生み出し、悪事・罵倒をのさばらせた。
断言されますか(^^;)。

それはともかく、気ままにつれづれさんの2ちゃんに対する態度は、いわゆる「ツンデレ」っぽさがありますね。2ちゃんをコケにしてらっしゃるものの、それとは逆に、2ちゃんを否定しきれず肯定するかのような記述も散見されます。

気ままにつれづれ: 適当なこと184 (cache)

とりあえず独自のドメインをとったり、個人サーバーをたてる、とまではやらないにしても、今現在各社が提供しているサービスを利用して、出来ることはめいいっぱいやろう。 それがどこまで効果あるかは分からないが、何もしないよりはましであろう。 その中から反省点や成功が見えてくるかも知れない。
気ままにつれづれさんの今後のご活躍を祈念させて頂きます。

どうでもいいですが、個人的には2ちゃんは「北朝鮮」よりは、「アメリカ」っぽいかなぁとか思いまスた。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 20:31| Comment(4) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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