2007年05月16日

休止宣言から4回目

 役に立つかどうか分からないが、思い付くかぎりの手段を書いてみる。



・塾の生徒とその父兄、塾の講師に今回の事件を報せる。


 まずは一番塾に接している者達に問うことから始めよう。
 事件のあらましを説明し、その上で考えてもらう。
 洗脳のような事実があったかどうか。

 また、塾の教育方針で生徒の成績が落ちたかどうか。
 塾に通ってる子供達の性格や人格に悪い影響があったのかどうか。
 この辺りをじっくりと考えてもらおう。

 思うのだが、やり方が間違ってれば生徒の成績は上がらない。また、彼らの性格や人格も悪い方向に向かって行くはず。そういった事実が無いならば、塾として問題がないことになるはずだ。
 にも関わらず洗脳教育などとぬかす週刊朝日は嘘八百を並べていることになる。



・他のメディアに現状を訴える。


 週刊朝日の販売数がどんなもんかしらんが、日本全国あちこちで販売されてるならば、その見出しだけでも結構な影響力があると思われる。
 だったらばこちらは週刊朝日以外の全ての媒体に現状を訴えよう。
 週刊朝日以外の全てのメディア、週刊誌に新聞などなど。特に好意的な記事を書いてくれた読売には。
 なんだったら朝日新聞にも頑張ってもらおう。少なくとも電話を入れても問題はなかろう。面白い反応が期待できそうだ。

 とにかくあらゆるメディアに訴えよう。

 これは想像でしかないのだが、読売の記事に対抗するために週刊朝日が馬鹿な事を書いたのかも知れない。



・ネット・塾内で繰り替えし現状を訴えていく。


 世のメディアや報道媒体は簡単に使えないが、自分でなんとかできるこういう空間では常に現状を報せ続ける。
 塾内の張り紙や父兄への手紙、ネットにおける現状報告などなど。今もるいネットで週刊朝日の非道を訴えているが、これを今後も継続する。

 訴訟を起こすならば、その過程を告げる。

 週刊朝日の非を訴え、追求したい点を常に掲げ続ける。

 それに対しての週刊朝日の反応を報せ続ける。

 反応がないならば「何も言ってこない」事を綴り続ける。

 週刊朝日以外のメディアがこの事件をどう取り上げているのかもちゃんと報せる。

 謝罪などが紙面にデカデカと掲載されない、見出しにもならない、などという向こうの都合の良い態度をとってきたら、「これで我々の受けた様々な被害が帳消しになると思っているのか」とその非を訴える。


・週刊朝日は自分達の打ち出した「洗脳教育」を繰り返し述べてくるだろう。さも当然であるかの如く。
 ならば、こちらは過去の実績という揺るぎ無い事実をもとに、「我々の教育が間違ってるのか、と」訴えていく。週刊朝日以外の全ての人達に。


 週刊朝日がデマと嘘による信用失墜を狙ってるならば、無視できない事実をしっかりと出してあげよう。
 生徒達の成績の伸びなどをもとに。
 余裕があるならば、生徒達のその後の進路などを追跡するのも面白い。もちろん事前に本人の承諾は必要だが、その後のるい塾の生徒達がどのような進路を歩んだのか知れば、他の多くの人達にもるい塾の成果が分かるだろう。
 komichiさんのところのコメントをのぞいてみたが、るい塾には32年の歴史があるようで(違ってたらごめん)。それだけの歴史があるならば、既に社会人になってる方々もいるはず。その方々にコメントを求めるのもよいかも。




 要点をまとめると、

・もっとも身近な人達に問いかける。そして理解してもらう。
・週刊朝日以外のメディアに現状を訴える
・自分達の意見を自由に表現できる場所で、とにかく現状を報せ続ける。それもこまめに、そしてたくさん。
・虚飾に対しては実像を。デマに対しては実績を。嘘に対しては真相を。向こうが勝手な決めつけでくるならば、それを覆す実像を表に出す。
 メディアへの露出が無理でも、塾内やネットではそれが可能。
 がんがん出してやろう。


「あの事件どうなったの?」と思わせない。
 また、人々の記憶から風化させない。
 全てが解決するまで常に訴え続ける。
 でないと人は忘れる。



 なお、訴える相手は週刊朝日ではない。どうせ週刊朝日は態度を変えないだろう。
 だったらば週刊朝日以外の一億二千万の日本人全てに訴える。るい塾が何をしてきたのか、その功績がどれほどのものなのか、父兄からどれほどの評価を得ているのか。それらを訴え、その上で週刊朝日がどんな非道な記事を掲載したのかを訴え続ける。
 週刊朝日は報道媒体・報道機関の立場から非の無いはずのるい塾を貶めた。
 ならばその週刊朝日の信用性そのものを世間に強く訴えていく。




 これらはおそらく誰もが思い付く手段だと思う。そんなものを掲載してもうしわけないとは思うが、俺が思い付くのはこんだけだ。
 ともかく、非が一つもないのなら、それどころか誇れる実績を積み重ねて来たのならば、世間にそれをどうどうと公表し、「これが我々の行ってきた実績です。これでも我々を信用できませんか?」と問い続けていこう。
 もちろんるい塾も今後引き続きよりよき教育のために頑張ってもらわねばならないが、それを拒絶するつもりはないと信じる。
 なので、るい塾は堂々と主張していけばよろしい。
「我々にいかなる非があるのか!」と。



 以上、お役に立てば幸い。



 しかし思うんだが。
 朝日ってのは詰め込み教育に反対の立場じゃなかったっけ?
 詰め込みの対極である「自分で考える教育」を訴えてたんじゃなかったっけ?
 それを実行しているるい塾になんでこんなコトするのか分からない。
 週刊朝日ってのは朝日新聞の系列じゃないのか? それとも名前がかぶってるだけか?
 この点は是非朝日に問いかけたい。
 俺も実態を知らないから強くは言えないが、るい塾は「生徒の自主性を重んじる教育」を実践してきている、と見受けられる。

るいネットより
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=150733


読売より
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20060223us41.htm

 また、かつて主張していたはずの「生徒の自主性を重んじる教育」を実行しているるい塾をなんで攻撃するのか分からない。
 記憶違いでないならば、朝日新聞は自分達の理想を実現したかのようなるい塾擁護のために頑張ってもらいたい。そして週刊朝日の非道を総力を挙げて追求して貰いたい。自分達の立場を守るのにだくだくとしている朝日新聞なのだから、それくらいはやってもらいたい。
 もっとも、「自主性を重んじる教育」を訴えていたのが朝日新聞ではない他の媒体であるならばこの限りではないが。





 最後に読売オンラインの記事が消える前にそれを転載してこのエントリーは終わりにしたい。
 役に立ったかどうか分からないが、参考になったら嬉しい。
 でも、これ以上は思い付かないからご勘弁を。
 浮かんできたら何かを書くかもしれないが・・・・・・。


http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20060223us41.htmより


>対話がはぐくむ思考力


劇場のような会議室を使って行われた対話型授業。この講座の設置自体がこの会議室で決まった 異年齢の対話を通して思考力を鍛える塾がある。



 机が円形に幾重にも並んだ劇場のような会議室で、「国破れて山河在り……」と講師の矢野悟さん(24)が杜甫の「春望」を朗読する。それを子供たちが復唱した後、書き取った。

 大阪府で25教室を展開する学習塾「類塾」本部で、11日に行われた「本格コース」の特別講座。新年度に向けたオリエンテーション的な授業だった。コースの目的は柔軟な発想ができる本格的な思考力の養成だ。

 90分の授業のうち、最初の30分は聴く力や話す力を伸ばす準備にあてられる。漢詩の書き取りもその一つ。深呼吸の仕方も訓練する。そうして集中力を高めた後、受講者と講師が様々なテーマで対話を進めていく。「環境問題って、どんなものがある?」という問いかけに、「酸性雨」「オゾン層の破壊」「熱帯雨林の減少」と受講生から次々に声が上がった。「じゃあ、酸性雨って、何で起きるんだろう?」と対話は続く。

 実は、この日の受講生25人は、小学3年から中学2年までと幅がある。実際の募集対象は、小学4年から高校3年まで。「同世代では出てこない意見を知ることも大切」と年齢差も織り込み済みの授業だ。

 対話のテーマは大別して、社会問題と教科につながるものの二つになる。例えば理科だと「燃える」。「燃えているものを消すには水をかけ、温度を下げればよい。しかし、水中でも燃える金属があり、氷点下でも燃える。それは、なぜなのか」。「なぜ?」を追究し、普段考えないようなことを、立ち止まって考える時間を作る。





 この授業は週1回で、今年度から設けられた。1年目の受講生は約160人。新年度は約400人に増やす予定でいる。

 1975年の開塾以来、公立難関高の進学実績を売り物にしてきた類塾。だが、広報・募集室長の北村浩司さん(45)は「学校の勉強や受験勉強は、現実の社会生活や仕事からかけ離れている。将来、役に立つ本格的な思考力をつけさせたいと考えた」と進学塾らしからぬ説明をする。「塾は、学校の足りない部分を補う所。求められる役割が変わってきた」とも。

 若手講師らのプロジェクトチームで議論を重ね、たどりついたのが、対話型授業だった。「思考力は、相手の考えを受け止め、自分の考えを述べる対話によってはぐくまれる」「周りに発信すること自体が思考訓練になる」との考え方だ。

 担当講師の安西(やすにし)伸大さん(32)も「自分の考えに反応が返ってくれば、子供たちのやる気が違ってくる」と考える。

 しかも、議論そのものは週1回の授業で終わるわけではない。新たな意見や話し合いで生じた疑問は、インターネットの専用サイトに投稿する。こうした文章での投稿にも相手を納得させる対話力が必要だ。サイトは4月から塾外からも閲覧できるようにして、一般の人も巻き込む予定になっている。(関口和哉)

 劇場会議 類塾には、専用の会議室を使って全社員が参加する「劇場会議」と呼ぶ最高決議機関がある。社内的なテーマだけではなく、「いじめ」などの社会問題も議題に上る。全員が自由に発言でき、問題意識の共有化や、若手とベテランの意見のすり合わせの場にしているという。「本格コース」も、この会議で設置が決まった。会議は内容によって、社外にも公開している。

(2006年2月23日 読売新聞)
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 07:43| Comment(1) | TrackBack(6) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月13日

休止宣言から3回目

 トラックバックをいただいたので、その返事がてら。





 朝日新聞がなにやらあほな事をやっておるようで。
 右を自称する俺からすれば、朝日とは「左の巣窟」「反日の牙城」「悪行報道の権化」としか思えない。少なくとも公正とか公平とかいった姿勢をもってるとはこれっぽちも思えないし思っていない。
 と言うとたいてい出てくるのが、「中にはいい人もいる」というものだろうが、そういう時に俺は常にこう思う。

「いい人がいるから組織がいいわけではない」

「組織全体の方向性が不適切(悪行三昧)であるならば、そこにどれだけいい人がいようとも意味がない」


 もう少しつこんで言うと、


「そのいい人とやらは、なんで組織の体質を改善しようと行動しないんだ」
「何もやらないでいるなら、組織や集団の流れに逆らってないならば、組織の協力者でしかない」



 これは大東亜戦争中の日本(とそれをひっくるめて戦前の日本)を貶める左翼の論法をそのまま使っている。
 あるいは共産圏を擁護する連中の常套句を転用している。
 すなわち、
「国の体制は確かにひどい。でも、全部が悪いわけではないんだ」
 そんな戯言にいつまで耳を貸すか、っていうだけのはなしだ。




 で、朝日新聞だが。
 こいつらが自分らの都合で動くなんて当たり前で、そんなのは戦後と戦中の体制をみてれば分かるだろうに。
 戦争中は大本営発表を垂れ流し、戦後は一転して国家攻撃を担ってきた。
 時流に合わせて尻尾を振る相手を変えるなんてのは朝日新聞の体質ではないか。もっとも、それは朝日に限った話ではないのだろうが。
 ただ、「捏造? 朝日新聞なら当たり前だろうが」というのが正直な感想。今更騒ぐほどのことか、と思う。
 むしろ、今まで信じてたのか、という驚きの方が強い。



 報道機関も結局は利益を追求しなければならない。
 金がなければ組織を維持・運営できないからだ。
 青臭い正義だけで金がとれるんならともかく、事実の追求や真実の探求で飯が食えるわけではない。売れるものをつくっていくのはこの世で生きてる者の宿命だろう。
 報道機関が例外だと思ってるなら見当違いもいいところだ。



 報道機関の性格、あるいは性質というのは、基本的に写真週刊誌や女性週刊誌であろう。
 いわゆるフォーカスやパパラッチと呼ばれる、「他人のパンツの中を覗く」のが基本だ。
 嘘か真実かなんてどうでもよく、ただ「おもしろければ」それで良いのである。
 人は他人のしくじりを楽しむ浅ましさを持つ。
 ホリエモンや村上ファンドを持ち上げて一気に引きずりおろしたのもその一例。
 王侯貴族や金持ちから金を巻き上げ、それを分配すると言ってる共産主義や社会主義の思想もその一つ。
「なんで俺はあのような優れた人間になれなかったんだ!」という憤りを自分ではなく他人にぶつけるのが大好きな生き物。
 そこで努力するのではなく、他人の足を引っ張って自分と同じ所に引きずり落とし、更にそこから谷底に落としこもうとする生き物。
 そうでない例外も中にはいるが、例外はあくまで例外。全体の基本ではない。
 報道機関は、
他人の生活を暴き、
それを世に広め、
世間から嫉妬を集め、
評判を作って相手を貶し、
相手が落ち込んでいく様を映していく。

 それが仕事だ。




 俺は報道機関が中立だという幻想を全くもってない。
 連中は連中の利益のために行動してるのだし、その為に他人の生活を暴いて生きている。
 また、本来なら非難されるべき覗き見を「報道の自由」「知る権利」という言葉で正当化し、「正義」という偽りの御旗を翻して相手を追い込む。
 そういう連中である。



 何の事はない。
 ネットによくいる荒らし連中と同じだ。
 他人への追求はするくせに自分への追求は全く受け付けない。
 相手のしくじりを大げさに取り上げる癖に、自分のしくじりには無頓着。
 自分達が正しいんだと言い募り、その正義でもって人を集めて相手を叩く。
 正義というものを利用しているクズどもと何一つ変わらない。




 この世に中立や公正なんてのは存在しない。
 そんなものが本当にあるならば、世の中もっと平和で穏やかになってるはずだ。
 それがそうなってないのは、誰もが己というものを大切にしてるからだし、だからこそ自分が寄り添ってる場所などを大事にしている。
 そんなのがあちこちにあるから立場の違う者同志で対立が生じる。
 人類全体に共通する正義ってのも確かにあるんだろうが、それよりも自分の正義を大事にするのが人間だろう。
 朝日は朝日で己の生き残りをかけて行動してるし、それはそれで一つの正義だ。連中とてカスミをくって生きてるわけではない。金がないことにはどうしようもない。
 それを稼ぐ手段としてああいう事をやってるのだろう。公正なんてので飯が食えるならとっくにそうしている。
 そんな連中に何か期待をかけていたというならば、さっさとそんなものを捨て去る事をおすすめする。連中は連中の為に生きてるのであって、どこかの誰かの為に生きてるわけではない。
 正義や公正を主張する連中は、正義や公正を貫きたいのではなく、それがより多くの人を集めることが出来るから叫んでるだけである。そんなもんに騙されてはいけない。




 俺の勝手な思いこみだが、朝日新聞の購読者は基本的に左翼であろう。
 左翼であるならば正義や公正なんて言葉に酔いしれることなく、「今そいつが何をやってるのか。そいつのやってる事は正しいのか」という視点を常に持つべきだろう。
 なにせ戦中の大本営発表という嘘を批判し、日本を戦渦に巻き込んだ連中を非難してるのだから。
 そいつらが日本を煽動していった時につかったのが、やはり正義ではないか。
 東アジアの解放、鬼畜米英に対する聖戦、諸外国による皇国への圧迫などなど。
 そういった宣伝文句の根底にあるのは「正義」である。
 正義とは実に人を煽動し、思考力を奪い、善悪の判断基準を狂わせる。
 戦争中のそうした姿勢を非難するならば、戦後もそういった姿勢を非難してもらねば困る。
 ここで非難するべきは、「正義を掲げて人を煽動すること」である。
 朝日新聞のごとき(巨大ではあるが)たかだか一企業の言う正義ごときに目がくらんでるようでは話しにならない。
 「朝日を信じてたのに」という言葉は、「御国を信じていたのに」という戦後の風潮となんのかわりもない。信じる相手が違うだけ。
 結局自分で何も考えずにいることにかわりはない。盲目的に誰かに追従したいという姿勢が見えて反吐が出る。普段はそういうのを非難してるくせに。



 何度でも繰り返すが、朝日新聞が正義なわけがない。
 朝日新聞には朝日新聞の都合があるだけで、それを正義と言い張ってるだけだ。
 だからそんな朝日に「騙された」と思う方がおかしい。連中は以前からそういう事を繰り返しているのだから。
 そろそろブランドイメージではなくその正体を見極めてもらいたい。
 そして正体ってのは普段の言動や行動から推し量るものである。口にすることなど信じてはいけない。誰だって自分に都合の悪いことは口にしないのだから。
 ネットで荒らしの被害にあったのならばそれがよく分かると思う。正義を口にして他人を貶すという部分は、報道機関と荒らしに共通するのだから。




 という駄文でした。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 12:32| Comment(1) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月02日

休止宣言から二回目

 まーたバカが何かやってるよ・・・・・・、 などと思った今日この頃。


http://blogs.yahoo.co.jp/majono_takuhaibin2003/MYBLOG/guest.html


>majono_takuhaibin2003さん 嘘を嘘と指摘し、ダブスタをダブスタと指摘することはよくないことでしょうか? 少なくともwwwに意見を載せている以上人の評価の俎上に上がることは仕方がないと思いますがね。


2007/5/1(火) 午後 4:23 [ miracleさん ]




政治について向いているのは特定の政治家について向いてませんかね。まあ、それはいいです。あなたが個人攻撃を嫌がるように、私は嘘やダブスタコメント隠し、誇張による中傷、主張と関係のない部分での人格攻撃が嫌なのです。実害を受けたかといいますと、私の美意識が被害を受けたというところでしょうか。


2007/5/2(水) 午前 0:54 [ miracleさん ]




 まー、何といいましょうか。


・WWWに意見を公表してるなら、などと仰るならオノレらの行動・言動も批判の対象になることくらいわきまえろ。

・majono_takuhaibin2003さんも仰ってるが、「美意識が被害ってさ。そういうのを我慢するのが「大人」というものじゃないのかな?」

・美意識が被害、などというなら、篠原やそこに出入りしてる連中などが行ってる行為は、実害はないが美意識(プライドとか誇りとか矜持でもよい)への侵害ではないのかね?

・それとも他人の美意識の侵害は「健全な批判だ」といういつもの決まり文句で封殺するつもりなのかね?

・ひっくるめて、「文句言われるのが嫌ならWWWに何も書くな」というミラクル的な言動をそっくりそのままお返ししよう、ということになる。


などと思えてくるわけですよ。


 あと、恥知らずな御方もおられるようで。
 いや、彼(彼女?)にとっては当然の主張なのだろうか?


majono_takuhaibin2003さん。名指しされましたので管理人の私がコメントします。「執拗な荒らしと無礼なTB等」と書かれていますが、私は「荒らし」たことはありません。嘘をつかないでくださいね。「無礼なTB]とは何を指しているのでしょうか?まさか適当に書いているのではないでしょうね?


2007/4/29(日) 午前 2:26 [ 篠原静流 ]



 自覚がないのはどうしようもないですね。
「俺はやってない!」と思いこむのは勝手だが、やってることをどう受け止めるのかはやられた人や周りの人。
 まあ、お仲間からは擁護されるだろうけど、それ以外の人からどう思われるかまでは何とも。
 少なくとも俺は篠原のやってることに何の理解もない(少しだけ穏当な言い方をすると)。
 もうちっと本音をいうと、馬鹿なことをしてると思う(あくまで俺の意見。世間がどう思ってるかはしらん)。


確認しておきますが、こちらのブログで管理人に同意したり賛同したりした人は、管理人さんの「仲間」ということでよろしいでしょうか?


2007/4/29(日) 午前 2:29 [ 篠原静流 ]


 篠原から見たら「お仲間」になるのだろうか?
 それとも、「世間一般にむかってお仲間宣言をしろ」と言ってるのだろうか?
 どうとでもとれる発言ですな。
 そして発言内容を使ってあれこれと誹謗中傷しようと言う荒らし行為にも見えかねません。そうならないように、言葉遣いには気を付けましょう。



 そらそうとして、篠原にしても中畑にしても、最初は質問からくるんだな。
 相手の答えを使って揚げ足をとろう、「お前が言っただろう!」という風にもっていこうという姿勢がみえみえです。
 荒らしってよく質問するよね。しかも、答えを勝手に歪曲するし。
 そんなのがまともに相手されると思ってるのだろうか?




 そんな成長も進歩も発展もみられない人々を眺めていると、
「日本の夜明けは遠いなあ」
などと思って黄昏てしまうわけです。




 さて。
 このエントリーをmajono_takuhaibin2003さんのブログに送ろうにも該当するエントリーがないので送るに送れない。
 なので、当面の措置として、一応は面識のある方々に送ろうと思う。
 一応ネトウヨを自称し、革命・革新反対、国家の国民の生活への介入反対、国の規模は小さく、福祉などの生活擁護は国を滅ぼす基である、外国との付き合いはほどほどに、経済的に繋がりが深いからと言って国を損なってまで相手に付き合うな、日本も核軍備を、などと思ってる人間ですが、

「反日ブログ監視所なんかに付き合ってはいられません」

と思うわけです。
 少なくとも連中がもとめているのが、
「反日的な言動をしてる人間をおちょくって遊ぶ」
こととしか思えない以上はね。
「反日発言ならば、なぜ反日になり、どうして国を損なうのかを指摘し、今現在日本がとりうる最善の策はなにか、ということを提示していく」のが反日活動に対する最大の攻撃になるのではないだろうか。
 少なくともバスの降車ボタンにこだわったりするのは反日ブログ監視所のやることではあるまい。



 そう思って反日ブログ監視所を眺めていて思うのは、
「なんで個人的なことにまでげんきゅうしてるのか?」
ということになる。
 右も左も関係なく、無能な連中ってのは本題から外れたところで相手を貶めようとするんだなあ、と深く感じる今日この頃でした。





 上記文章を楽しく眺めていただければさいわい。






 政治的なことについての考えも少々のせて、今回は終わり。
 次回は未定にして不明。
 返事は期待しないように。


・残念ながら、国家は自らを防衛しなければならない
(他国は常にこちらを狙ってる、と考えたほうがよい。
 中国の軍拡、最近のロシアの強行的な態度、アメリカが最強の軍事力を保持し続けようとする態度、北朝鮮ですら核兵器によって優位に立とうとするところを見ると、世界はちっとも平和ではない)


・平和とは、国境線の内側でしか機能しない
(悲しいかな国境の接触面は、冷たかろうが熱かろうが戦闘状態、と心得ていた方がよかろう。
 各国が戦争してない状態は、平和なのではなく戦争準備期間のようなもの。
 人が戦禍を考えずに暮らせるのは国境線の内側の国内でしかない)

・経済力は安全の保障にはならない。むしろ他国の掠奪対象となる。
(豊かな国を前にした他の国がどういう思いを抱くのか、どういう行動をとるのかは歴史を眺めれば一目瞭然。
 友好的な貿易・交易関係を求めるものはいない。
 侵略し、相手から掠奪しようと思うのが人情。
 口先にのぼる「友好」と顔に浮かんでる作られた「微笑」は相手を油断させて懐に入る手段でしかない。日本人はもう少しそれを学んだ方がよろしい)

・自らの働きに応じた稼ぎしかこの世には存在しない
(国の保障などをあてにするな、国に生活の保障をさせるな、ということ。国が生活の面倒を見ようとしてどうなったかはソ連や中国を見れば一目瞭然。
 ソ連は崩壊した。
 中国は路線を変更するしかなかった。
 未だに「国が生活の面倒を見る状態」の北朝鮮では餓死者が続出してると聞く。
 福祉とは国に金を出させ、金を出した国は国民の税負担を増強させ、増強した税負担は国民の生活を圧迫する。
 既に分かってる結果なのに、何故に福祉を国に求めるのか俺には理解できん)

・善意を実行するなら自らやれ。自分以外の誰かや機関にやらせるな。
(上と同じ。
 共産党にしろ左翼にしろ、自分の身銭を切ったやつはいない。皆自分以外の誰かに金を出させる。
 それは形を変えた強盗か、理屈を憶えた乞食でしかない。
 人として間違ってる)

・偉いのは自分で稼いだ奴。稼ぎをどう使うかは、稼いだ奴の自由。
(人から奪ったのならともかく、人が欲しがる者やサービスをして得た利益は正当なもの。それをどう使うかを他人がどうこう言わない。
 当たり前のことだと思うのだが、金持ち嫌いの心理的貧乏人である左翼というのは、何故か金持ちを攻撃する。連中は不正や不当な手段で財をなしたのだろうか? だったら非難して当然だが、連中が真っ当に会社を運営し、社員と共に商品やサービスを提供し、その結果として報酬を得ているならやましいところはない。
 にも関わらず金持ちにあれこれ金を出せというのは間違ってる。少なくとも俺にはそういう風にしか思えない)

・企業は不当な利益を上げてるのか?
(常々思うのだが、企業というのはそんなに悪党なのだろうか?
 だったら、個人商店もそこで働いてる普通の人も全員悪党なのだろうか?
 共産党のポスターに「企業減税反対」などと書いてあるのを見ると、企業の衰退を願ってるように思えてならない。企業への減税は企業の存続を容易にし、そこで働く者達への雇用の供給につながると思うのだが。
 それとも、企業から絞るだけ搾り取って企業を解体し、失業者を増やそうというのだろうか?
 全く理解できん。
 ただ、「民衆への増税反対」には賛同できる。
 しかし、増税するのは共産党が大好きな福祉を維持しようとするからであり、その負担が累進課税の加速につながってるのだが。
 どうも共産党は頭が悪いとしか思えない。
 もっとも、累進課税をよしとしているのは貧乏人の僻み根性という悪癖によるものなのだろうが)

・社会保障(と言う名の国家保障)は国を内部から滅ぼす
(俺の身近な連中も社会保障は必要だ、などとぬかしてるんだからこれはどうしようもないだろう。
 だが、増大する国家による保障は、否応なしに財政を悪化させていく。結果として増税か国の借金となるのだが、その事を理解してる連中は少ない。
 結局、ジジイババアに留まらず、今を生きてる連中、社会保障を撤廃しようとしない連中は、破綻した制度や国の借金、さもなくばとんでもなく膨大な税金を後の子孫に残そうとしている。
 それを考える想像力は、「じゃあ今生きてる人を見捨てろというのか」という偽善で払拭される。
 つまり、子孫の事など、自分以外の者などどうでもいいのだろう)

・自分のことは自分でやらねばならない
(結局はここにいきつく。これが原点であり、結果である。
 自分の面倒を自分で見て、余裕があるなら他人の面倒を見る。
 他に宛がある、と思うから手を抜くし堕落する。
 そういうもんだろう。
 だが、今の世の中で自分の食い扶持を稼ぐというのがそんなに難しいことだろうか? それさえ怠り国に保障を出させようと言うのはどういう了見なのか理解しかねる。
 身体が動くんなら外に出て働け、といいたい。
 ニート対策なども同じだ。親の臑をかじってる連中などほっておけ。下流社会や格差社会と騒いでるが、まともに働いてない奴が下流や底辺に流れ込んでいくのは当然だ。助ける義務も義理もない。
 むしろ「何もしないロクデナシが!」と言って切り捨てるのが当然と思うが。何でそんなに救おうとしてるんだろうか?
 やる気のない奴なんて、結局何もしない。
 自分すら助けられない奴などに生きる資格はない)




 まあこんなところか。
 これで全部ではないにしろ、だいたいこういう考えの人間である。
 そしてこんな考えだからこそ、これと真っ向から対立する左翼が嫌いなのである。
 俺から見ると左翼とは「怠け者」であり、左翼思想とは「怠け者の屁理屈」にしか見えない。
 そしてこういう怠け者の屁理屈は何故か「反国家」となっていく。通る道は様々だが、結局は国家を、そこで生活する者達を踏みにじっていく。
 俺はそういうのが大嫌いだ。


 誤解のないように書いておくが、休むのと怠けるのは全く違うから。
 こういう注意書きを書いておかないといけないのが、今のネットの不便なところだ。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 17:02| Comment(1) | TrackBack(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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