2007年12月29日

休止宣言から12回目

 月刊現代とかいう雑誌がある。
 本屋に平積みされていたので「なんだこれ?」とか思ったのだが、その表紙の端っこに小さく掲載されていた文字が笑った。
 ちらっと見ただけなので正確なところは忘れたが、中島ナントカというどっかの大学の教授が自分のご意見を小林よしのりに誹謗中傷された、とかいうようなことでケンカをふっかけてるらしい。



 このお方のご意見は、確かパール判事の思想や考えについてのものだったと思うのだが、それが非常に「?」のつく内容だったのをおぼえている。
 記憶違いでなければいいのだが、パール判事は憲法九条支持者だとかいうようなことを述べていたのかな、と。
 あるいは違ったことを述べていたかもしれないが、俺の記憶ではそうなっている。



 だからこそおかしいと思うのだ。
 憲法九条に賛成・・・・・・・、だとすると、パール判事はなぜ
「日本は現在独立国とはいえない、しいて言うならば半独立国である」
という発言をしたのか?
 それは現状の憲法を否定することにもなるはずだ。
 何せ現在の憲法は、国家主権の存在しない(独立していない状態)でアメリカによって押し付けられたのだから。
 占領下の議会による議決など、占領者/征服者の意のままになるなど自明。そんなものをいまだに抱いている国家のどこが独立国なのか、ということである。
 その時点で日本が猛然とアメリカに反撃し、アメリカ軍を太平洋にたたき出していたのならともかく。



 まあ、こんな単純なところから俺は中島ナントカという人間の言動をまったく信用できない、と思うにいたった。
 そして、こんなことはゴーマニズム宣言に書かれていたと思うのだが。
 こんなのが教授やってるという事実には唖然とする。



 で、よりにもよってこんな人が小林よしのりに、
「自分の著書を誹謗中傷された」
などと言ってるのだから
「はあ?」
といいたくなる。



 おそらく、

・反対意見が出たので出版部数が減るのを恐れた
・今後、自分が出版できなくなることを恐れた

としか思えない。
 中島はパール判事の言葉の一部を自分の都合のいいように使ってるという印象をぬぐえない俺としては、
「売文業ってのは大変だねえ」
としか思えない。
 小林よしのりは噛み付き相手としてさぞありがたいだろう。
 論争に勝とうが負けようが、興味のある人はこの人の書いてるものに目を向けるだろうし、その中には本を買う人もいるだろうからね。



 こちらとしては、月刊現代は立ち読み、中島の本も立ち読み、古本屋に出回ったらそれを買う、という立場でいたい。
 新品で買うと高い。
 本屋は儲かるかもしれないが、それによって「儲かるから仕入れよう」などと思われてはかなわん。
 なおかつ、中島の収入に貢献してやるつもりもない。
 まあ、そのうち大量に古本屋に出回るだろうから、そのときに値崩れした中島の本を買って読めばいい。
 古本屋も儲かるし、俺も経済的に助かる。
 なにより中島の収入に貢献しないですむ。



 というわけで皆さん。


「中島の本は古本屋で買おう!」



 ということでこのエントリーをあちこちにトラックバックしてみようと思います。
 ここに目を通した方々の一助になれば幸いでやんす。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 16:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月28日

休止宣言から11回目

 世の中を悪くする連中に左翼というのがいる。
 左翼をもっと簡単に言うと「反体制」とでもなるのだろうか。
 事実連中のいってることややってることは、どんな理由がつこうとも「現状の否定」「現状の破壊」「悪い方向への突撃」にしかならない。
 だからこそ俺はそういう考え方に反対する。


 そんな左翼の求めるものは、どうも二種類あるように思える。


 一つは「政権奪取」
 自分が支配者になって欲望の限りを尽くそう、というもの。
 だからこそ今現在の政権が邪魔になる。
 邪魔だから、とるにたらないつまらないことに噛付いて、相手の足を引っ張ろうとする。
 こういう連中が政権を握ると、不思議なことに今までの政権よりも独裁的・命令的・統制的になっていく。
 いい例がフランス革命であり、ロシア革命であり、共産中国である毛沢東であり、金日成・金正日による北朝鮮であったりする。
 どこもかしこも「圧政からの自由を!」といって始まり、それまで以上の圧政を敷いている。
 いわゆる左翼、と言って簡単に思い浮かべるのはこっちではないだろうか。


 二つ目は「無政府状態」
 政府や政治、集団や組織といったものが人の自由をなくしていく。
 規制や法律、習慣や慣習が人の抑圧の原因である、と考えている連中である。
 一見正しそうに見えるが、こいつらの言ってる「束縛」というものには、人として守らなければならない最低限の礼儀や行儀というのも含まれているから注意が必要。
 つまり、
「殺すな」
「盗むな」
「壊すな」
「傷つけるな」
「悪口を言うな」
「これまであげた悪いことをするやつらを許すな」

というのを排除するのが目的である。
 これらのない状態がどんなにひどいものかは、インターネットにおける荒し問題を見ればわかるだろう。
 「野放し」を「自由」と言い換えて暴言を吐き続ける行為が「荒し」である。
 そういった荒し行為をなくしていくための行動を否定する。それでどうしてインターネットにおいて荒しをなくすことができるのか?
 インターネットでなくてもこれは同じで、先にあげた
「殺すな」
「盗むな」
「壊すな」
「傷つけるな」
「悪口を言うな」
「これまであげた悪いことをするやつらを許すな」

というのを守っていかないでどうやって世の中の平安を保っていくのか?
 悪さをするやつを排除することで平和を出現させ、これを続けることで平和を維持する。
 そのために警察や軍隊が存在し、それらが動く基準として法律が存在する。
 また、法律をつくるにあたり、基準となるのがこれまでの習慣などになる。伝統と言ってもよい。
 そして伝統といわれるものにはさまざまな試行錯誤が詰め込まれている。今ではなんでそんな事を守るのかわからないけども、それにはちゃんと意味がある、というのが伝統に含まれてるさまざまな要素である。あるいは習慣というのはそういったものである。
 だからこそ、一見理不尽なように見えても守らねばならないのが伝統である。
 こういった伝統、あるいは習慣、あるいはそれらに基づいて出来上がった社会秩序を維持するための法律。それらを破壊して人間の悪い部分を解き放とうというのが、左翼のもう一つの顔である。




 このどちらも最悪であることにかわりはない。
「選ぶならどっち?」という究極の選択の対象にもならない。
「どっちも選ばない」という回答以外に幸せになる道はない。




 一つ目の左翼の形は世界各国で出現した。
 ソ連、中国、北朝鮮を代表例として、その他にもいろいろあった。
 残念ながら戦争中の総動員体制の日本も、こういった体制といえる。
 不思議なもので、今現在の左翼といわれる人々は、ソ連や中国や北朝鮮の体制を賛美しながらも、日本の戦時体制は否定する。なぜなのか俺にはさっぱりわからない。




 そして二つ目の左翼は、今現在日本で猛威を振るっている。
 規制しなければならないものを開放し、開放しなければならないものを規制しようとしている。
 俺にはそのように見える。
 規制しようとしているものについては、タクシーの運賃値上げや農家への保障、福祉政策に在日朝鮮人といえる。
 保護という名の規制により、一部の人間に保障を与えてそのほか大勢の人間に負担を強いる。負担が税金であらわれるのは言うまでもないだろう。
 本来人間とは「自分で食べる分は自分でかせぐ」のが基本だ。
 ところがそんな基本を無視して、偽善としかいえない善意でかれらに施しを与える。
 施しを受けるのは、基本的に乞食である。
 そして乞食とは、「楽して(働かない)で儲けよう」という連中である。こんなのに与えるもんなんて、侮蔑以外に存在しない。
 むしろ「さっさと死ね」といいたい。



 そして規制しなければならないものとして、犯罪行為がある。
 断っておくが、犯罪とは「法律に引っかかるもの」ではない。
「人としてやってはいけないこと」である。
「人としてやってはいけないことを明文化したのが法律」でなくてはならない。
 実際に法律は人が作るものだから穴もある。それは気づいたときにどんどん直していくしかない。
 また、穴があるからもれることもある。間違いもある。
 だから法律が正しい、とは絶対に言わない。
 しかし法律がどうであれ人として守らねばならないことを投げ捨ててる連中が法律家に多いのは見過ごせない。
 その最たる連中が光市母子殺人事件の弁護士である。
 他にも法律を婉曲して自分の都合のいいように遣ってる連中は数多いだろう。そういった連中を知らないのは、俺のミスでもある。できればこの場においてでも少しは告発したいものだ。
 が、それは今のところ無理なので、知ってる範囲でものを言っていきたい。



 光市母子殺人事件の21人の弁護団がどんな連中なのかはネットで検索すればおおよそ分かるだろうから説明は省く。
 こいつらが様々な理由をつけて、
「何の罪もない」
「一人の女性を強姦し」
「その女性を殺し」
「その場にいた女性の子供をも殺した」
のは偽りのない事実である。
 こんなことをする人間をどうして無罪にできるだろうか?
 また、こんな人間の罪をどうして軽くすることができるのだろうか?
 こんな危険なことをするやつを排除してきたからこそ、人類は現在まで生き残ってきたはずだ。でなければとっくに人類同士での殺し合いを際限なく行っているはずである。
 こんな危険なことをする連中を追放したり殺してきたから、そのほかのまともな人間が安全に生き残ってきたはずである。
 人間の中には、時に危険なヤツが発生する。
 衝動的に暴力を振るう、人を傷つけるのを楽しむ。そういった連中が、どういうわけだから確かにこの世には存在する。
 それを説明した本にこのようなものがある↓


「良心をもたない人たち―25人に1人という恐怖

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 この本によると、世の中には人の痛みが理解できない人が確かに存在する。
 本文の中にも書かれているが、そういった人たちは誰かが傷つくところを見てもそれへの同情をおぼえない、理解できないのだそうだ。
 これは、脳の中の「他人への同情」「他人への共感」を覚える部分が働かないからだという。
 普通の人であれば他人が傷つくのを見て脳内のその部分に血液が集まるそうだが、他人の痛みが理解できない人はまったくそこが機能しないという。
 そんな人間、他人への同情をまったく抱かない人間とあなたは付き合いたいだろうか?
 こういう人間は自分の楽しみのために平気で人を傷つける。
 身近な実例としては、ネット内にいる荒し連中を見れば分かるだろう。
 俺はこういった人間との付き合いは願い下げである。




 人類の歴史、あるいは文明の発展は、こういう危険な人間を排除することで成り立ってきた、と思う。
 でなければ他人との協調は存在しない。
 強調のない人間がどうやって多くの作業をこなしていけるのだろうか。
 文明は一人で作り上げられたものではない。
 発案者は一人であったかもしれないが、それに賛同する多くの人間がいたから、今のような巨大で複雑な文明を作り上げてきたのではないだろうか。
 光市母子殺人事件の弁護団を見ていると、そういった文明のあり方に逆行しているようにしか見えない。
 この事件の犯人を即座に殺害してこの世から排除すると同時に、このような人間を擁護するような様々な人間もこの世から消えてもらいたい。
 でなければ世の中には目的達成のために殺人すら容易に行うような人間があちこちに野放しにされるだろう。
 2ちゃんねる問題に代表される荒し問題の現実版だ。
 どんな言い訳をしようとも、無法・野放しの助長でしかない殺人犯への同情・無罪放免の獲得に俺は断固として反対する。



 ただし、少しだけ条件をつけよう。
 長期にわたる(いや、短期であってもだが)虐待や罵倒・愚弄、そして理由なく行われる様々な傷害(殺人も当然含む)への反撃は当然である。
 また、そのために「加害者を殺す」のも手段の一つとして当然認められると考える。
 これはすでに述べた「これまであげた悪いことをするやつらを許すな」の中に含まれている、と考えてもらいたい。
 こんな事をあえて書くのは、揚げ足を取る馬鹿がでるからである。
 面倒なことこの上ない。




 長々となってしまったが、最後に一言。



 左翼の大勢は良心的な人のようだ。
 だからこそ夢のようなことを語る左翼の思想に共鳴するのだろう。
 だが、それは偽善である。
 あるいは小善である。
 それは決してよい結果を招かない。
 歴史がそれを証明してくれている。
 俺の好きな言葉を最後に書いてこのエントリーは終わりにしたい。


小善は大悪に似たり

大善は非情に似たり
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 17:02| Comment(0) | TrackBack(5) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月12日

休止宣言から10回目

 なんて言ったらいいのかねえ・・・・・・。



 しょーもない人のしょーもない行動はまだ続いてるのか、と思ったりする今日この頃。
 その概要は下記の場所を参照していただければよろしいかと。


保身と責任転嫁に必死な『反日ブログ監視所』管理人
http://komichin.blog80.fc2.com/blog-entry-117.html


 まず人間関係の基本だが、


・相手にしてほしかったら、相手にあわせろ
・反対の立場をとるなら、衝突になるのは当たり前
・自分が正しいというのは自分にしか通じない
・自分の基準で相手を裁くならば、相手の基準で自分も裁かれる


というのくらいは理解してもらいたいもんだ。
 篠原の言動は、
「そういう事を言う連中もいる」
「それに賛同するやつらもいる」
「でも、それが正しいとは限らない」
で終わる。
 まあ、反日に対抗する、というのは理解できるが。
 もっとも、反日の基準がポストコロニアリズムだけってのはどうよ?
 守り伝えていかねばならない日本てのは、「父祖が築き上げ、子孫に渡していきたい自由な国」ではないのかねえ・・・・・。
 その自由を、「今まで何とか伝えてきた。これを今後も継続する」というところにある。
「そのために、自由を何とかはぐくんできた、また維持してきた過去や現在の制度を何とか維持し、必要なら改善して伝えていく」というのがいわゆる保守だろう。
「これに反するのが反日」というならまだわかるが、「旧植民地・旧支配地域の連中がいってくる文句」であるポストコロニアリズムだけってのはいただけない。


 まあ、篠原って輩は、
「反日に該当しそうな連中をネット上でいたぶって遊ぶ」
ことにあるようにしか見えないので、そんなことはどうでもいいのだろう。
 いってみればヤツのよりどころは「正義」や「道理」にしかあるまい。
 もっとも、

・正義や道理というのは、個々人の勝手で使うことはできない
・それは後世から見て、「あれは結果として正しかった」「あれはその当時は正しかったかもしれないが、やはり間違ってた」というようなときにしか使えないだろう。
 そんなもんをふりかざしてどうすんのだろうか?




 ま、あれだ。
 コメントやトラックバックを承認してもらいたいなら、こっちに都合のよい事を書いて来い、というだけの話である。
 それがいやなら、こちらの目に触れないところで勝手にやってろ、というしかない。
 議論がしたいなら、それに応じてくれるやつだけを相手にしてればいい。
 ただ、議論てのは結局のところ「理非を問わず勢いのあるやつが勝つ」というもんなので意味があるとはまったく思わない。
 そもそも議論というから何か高尚なもんに思えるだけで、その実態は「言いくるめ」「嘘」「揚げ足取り」の応酬である。
 アホらしくてやってられん。




 久々にあほな人がいるなあ、と思ったのでエントリーにしてみた。
 
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 20:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月05日

休止宣言から9回目

 休止宣言から9回目。
 本当に休止かいな? と自分でも思いつつ思ったことを書く。




 俺が「荒らし」「炎上」と呼ばれる「罵倒」「暴言」などの行為が嫌いなのは、言ってしまえば次のような理由による。


・相手の権利の侵害


 どういうことかと言えば、


・サイト主への一方的な攻撃
・暴言を投げつける人間は安全圏にいる


 ということである。
 また、単にそれだけでなく、


・自分の行為は棚上げ
・不利なルールは相手にだけ押し付ける


 というのが見えるのが気に食わない
 なんでこれらが嫌いなのかというと、それが左翼と呼ばれる連中の常套手段であるからだ。



 もう少し突っ込んでみると、


・文句は言う
・しかし代案は示さない


 政治における野党と呼ばれる連中に共通する悪癖だ。
 言い換えれば、


・責任を放棄している


 といえる。
 それらが荒らしにも共通しているので反吐が出るほど嫌っている。


 また、荒らしが活動できるのはサイトなりブログなりホームページがあるからだ。
 それがなくなれば荒らしは行動できない。
 つまり荒らしは、自分の居場所を自分で破壊している。
 わかるだろうか?
 俺にはそれが、「自分の居場所たる国家を破壊する左翼」と同じに見えて仕方がない。
 あるいは平和な環境を破壊すべく、平和を維持している秩序を破壊している連中と同じに見える。
 これはテロリストにたとえる事もできる。
 また、死刑廃止論者や平和主義者などにも共通する。
 死刑廃止論者は、刑罰廃止論者とも共通するように見える。連中の意見や理論は一見それなりの説得力があるように見えるが、目指しているところは「秩序の破壊」である。
 光市母子殺人事件をはじめとする凶悪犯罪をみるがいい。
 あんなことをする連中をどうして生かしてこの世に徘徊させないといけないのだろうか? 犯罪を犯せばどうなるかぐらいはわかってるはず。にもかかわらず犯罪に手を染めたのだから相応の報いがあってしかるべきだろう。
 それをふざけた屁理屈で救おうとするのだから救いがない。
「自分の行為を正当化する。そのための屁理屈をいくらでもこねる」
「自分に都合のよい部分だけを抜き出す」
という荒らし行為の常套手段と、あの弁護団となんの違いがあるのか?
 俺には同じ種類の人間にしか見えない。


 平和主義者も似たようなもの。
 平和を求めるのは大切な事だが、そのために武装を放棄する、という意見は理解しかねる。
 平和を守るために武器が必要なのだろうが。
 もしこの世が本当に平和なら、なんで武器があるんだ、ということだ。
 世の中は決して平和ではない。
 残念ながら世の中には「相手から略奪して豊かになろう」と考えてる連中がいる。
 北方領土を占領しているソ連。その後継国家ロシア。
 日本の領海をおかして資源を採掘する中国。
 自国領土と言い張って竹島を占領している韓国。
 ゼロ金利という政策を強制し続けてきたアメリカ。
 日本の周りはそんな連中ばっかである。
 こんな連中にどうして言葉が通じるのか?
 言葉が通じないから態度と腕力で示さないといけないのだろうが。
 にもかかわらず「話し合いで解決を!」だと?
 頭がいかれてると判断するしかない。
 こういう「言っても無駄な連中」がいるから、俺は気に食わない連中のコメントやトラックバックは受け付けない、という方針を貫いている。
 その結果、このブログはかなり平穏だ。


 また、荒らし連中は自分の居場所をしっかりと確保している。
 そのくせ、他人の居場所はつぶそうとする。
 俺にはそれが自国の利益のみを言い立てるアメリカ・ソ連(ロシア)、中国、北朝鮮、韓国と同じに見える。
 なるほど、やつらはそういう考えなのだろう。
 では日本の立場は?
 日本の利益は?
 この日本を「荒らしの標的になってしまった被害者」と言い換えてみれば、インターネットにおける暴言・罵倒問題である「荒らし行為」というものの本質が浮かび上がってくる。
 俺はこれらを次のように考える。

「自国の利益だけを求めて、相手国の都合を無視し、踏みにじる」
「自分の娯楽のために、相手サイトにいる人々の気持ちを踏みにじる」

 この二つは本質的に同じに見える。


 だからこそ、俺は思想的には右(国体保護、自国優先、部外者の排除)であるにもかかわらず、いわゆる右な連中を非難している。正確に言えば、右翼的な言動を使って荒らし行為をする連中を。


 そしてこんな身近な体験から、やはり協力できない連中とは縁を切るしかない、という考えをいっそう強化することにもなった。
 インターネットで言えば「気に食わない連中とは付き合わない」
 国家で言えば、「日本に都合のよい連中としか付き合わない」
 これである。




 俺には荒らしが、侵略者に見える。
 2ちゃんねるがソ連に見える。
 2チャンネル系のサイトやブログなどがソ連の衛星国家に見える。
 だからこそ、荒らし連中が嫌いである。






 今回もあまり考えずに文章を書いている。
 だが、

「荒らしは本質的に侵略者(左翼)でしかない」

ということだけでも伝わればよい。
 例によって反論などは受け付けない。
 言いたいことがあるならば自分のサイトなりブログなりでやればよい。
 そしてブログというのはとてつもなく簡単に開設できる。
 どんな事情があるにせよ、これすら開設できないなどとはいわせない。
 どうしてもできない、というならば自分と同じ意見の人間のところにいけばいい。
 なんで俺が考え方の違う連中の言うことを聞かねばならんのか? 俺にはそれを聞く理由もなければ受け入れる理由もない。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 17:04| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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