そして、山澤氏の最新エントリーがるいネットにあがった。
ネット右翼現象の背後にあるもの@〜ビジネスとしての差別主義
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=126168
ネット右翼現象の背後にあるものA〜自己中‘厨房’の問題性
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=126169
考察ありがとうございます。
ついでに、トラックバックをいただけるとありがたいです。
とお礼と我が儘を述べつつ読んでみました。
思ったことを述べるにあたり、ほんの少し知っている歴史的な事をちょこっとだけ述べたい。今回の件に関わることでもある。
もっとも、俺の歴史知識が本当に正しいのかどうかにはいささか不安がある。それも踏まえて読んでいただきたい。
イギリスが産業革命で発展した当時、イギリスは確かに飛躍的に発展した。しかしその陰で大量の貧民層が生まれてしまった。彼らの不満が社会主義などを増長させていった、とささやかな知識が囁いている。
本当のところ、貧民層が生まれたのは決して悪いことではない。それ以前の時代であったのならば、貧民層に入ってしまった人々はとっくに飢え死にしているからだ。その日暮らしであろうとも何とか生きていけるのは、社会全体が裕福になったからだろう。たぶん、この当時人口も増えているはずである。
単純に考えてもらいたい。
いくら生産力が増大したとはいえ、それを消費する人間が増えたらどうなるだろう? おそらく個々人の富裕感は無いと思われる。
あるいはこんな話がある。
産業の発展によって恩恵を受けたと言うが、イギリスには貧民街(スラム)があったではないか、という意見があった。それに対して、「それ以前は貧民にすら成ることが出来なかった」というような反論が出たとか。伝聞情報なのでなんとも言えないが、なるほど、貧民にすらなれずに野垂れ死にする者がいたのが貧民街の生まれる前の時代だったのか、と。
してみると、貧民であろうとも「街」を作れると言うことは、住むところがあっったということか。
そんな空間があったということは、着る物と食べる物はなんとか調達出来たということか。
といならば、産業革命の恩恵は誰にも与えられたという事だろう。
それを肌で感じる事が出来ないというだけで。
というような事が頭にあるおかげで、以下の部分が産業革命の頃のイギリスとかぶるのである。
従って、差別的言論を常習する人物というのは非常に限られていて、反社会的勢力(チンピラ)か脱社会的勢力(ニート)かということになる。そして世の趨勢はニートの増大であるが、かつての貧困層と違い、ニートにはネットで憂さを晴らすヒマと(親に買い与えられた)ネット環境だけはある。
かつては社会主義だったものが、今や愛国心に変わったわけだ。
しかし、それを主張する根底は、「現状への不満」である。
しかも、実は恵まれている事に全く気が付かないガキが、与えられた裕福な環境に文句を言っているという構図に何の変化もない。
いやはや。
時が幾ら流れても人間性というのはなかなか変わらないものらしい。
こういう不満を言う連中の後押しで伸張したのが社会主義であるようだ。で、それが後々イギリスを没落させていくのだから面白い。
現状のネットウヨク(の仮面をかぶった厨房)も似たような状況に日本を追い込んでいくのかもしれない。
さて、厨房である。これについては山澤氏のエントリーを参照にしていただければ幸いである。俺もこの意見に賛成だ。
してみると篠原や孤高やミラクルというのはネットウヨではなく、厨房という事だろうか。
そういう連中が愛国心を使って、ネット世界で「サイト潰しゲーム」に興じているのは救いようがない。
ミラクルがhttp://miraclemiracle.seesaa.net/article/21051923.htmlで述べてるが、ネットにはいる垣根が低くなった事でこういう輩が出没するようになったのは嘆かわしい。もっとも、そう言ってるミラクルは厨房のような発言をしているように思えてならないのが気がかりである。俺の気のせいである事を切に願う。
どっちにしろ、「大勢の意見」というのは利用しやすい。
人間というのは「皆が言ってるから」「あの人が言ってるから」に弱い。それに従おうとする。それに逆らうのがいけないと思ってしまう。これは人間としての習性なのかもしれない。
それが正しい場合もある。道徳などは「やってはいけないこと」「やった方がよいこと」の集合体である。これに従っていたほうが社会は円滑に運営される。
しかし、一方で悪い場合もある。理由はともかく偉そうに見える人に従ってしまうのはやはり危険だろう。例としてヒトラーやスターリンなどを持ち出すまでもない。皆様の周囲にもいないだろうか。やたらと仕切りたがる人というのが。あれである。
困ったことに、偉そうな人に従うというのは快感である。自分も同じように強くなれたような気がするから。
こういう連中への対処の仕方は、
・徹底的に反撃する
・無視して縁を切る
のどちらかしかない。関わりを持ってはいけないのである。
不思議なもので、良心や良識に反する行動をとる者は長続きしない。たとえ本人は幸せな一生を送ったとしても、残された者達(家族や一族、取り巻き連中)は悲惨な末路を辿る。かつての独裁者や征服者達のその後を見てみるがよい。歴史がそれを証明している。
驕れる者久しからず、という言葉は、古今東西を問わずに真実であるようだ。
横道にそれるが、コメント・トラックバックの削除や禁止を嫌がるのは、こういう事態を避けたいという本能的な欲求ではないだろうか。意外なことだが、賛同だけでなく反発も「他者との関係性の構築」という役割を果たしてしまう。しかし、「無視」というのはそれがない。絶対に相手にされない、というのは人間にとってもっともつらいものであるという。
厨房がネットでの人間関係に依存しているとするならば、呆れるような罵倒発言にも頷ける。だからこそ無視しているのが一番なのだが。あと、削除とか。
残念ながらこういう連中と付き合ってても得るものはない。不満と鬱憤がたまるだけ。健康に非常に悪い。縁を切るのが正解だろう。
昨今問題になっている炎上やネットウヨというものも、突き詰めれば厨房と言われるどこか未熟な連中に原因があると思われる。
連中の言ってることは一見して正しそうだが、最後に「ブログやめちまえ」「バカじゃねーの」などの言葉が付くのがどう考えてもおかしい。そんなもの不要である。
また、こういう言動をとらなくても、文章全体に漂う雰囲気が悪い場合もある。このあたりを感じるのは慣れの問題だが、確かに雰囲気というのはあるのだ。
「他の人はどうかしらないが、自分はこう思う」というのではなく、
「俺がこう言ってるんだ。さっさと言うこと聞け」という態度はまさに厨房(中坊)であろう。いや、小学生やそれ以下のガキにも見られる。イジメという奴だと思っていただければよい。
透けて見えるそういう態度が反感を買い、結局支持者を失っていくというのがいじめっ子の辿る末路である。
ネットウヨクの仮面をかぶった厨房も、同じであろう。やがて誰にも相手されなくなる。
言葉だけで成り立っているネットは、確かに相手を判断しづらい。それでも言葉からは人間が滲み出てしまうものである。
やがてそういった人間は誰からも相手にされなくなるだろう。
例外は同じ様な人間同士の集まりである。しかし、誰かをいじめてないと自分を保てない人間同士のこと、いずれ仲間の中にイジメの対象を見つけだして攻撃をし始める。内部分裂の開始だ。
それが過ぎれば、お互いにお互いの顔色を伺う疑心暗鬼の世界に突入する。
例外的な人間(これは実際に存在する)でない限り、そういう場からはどんどんと人間が流出する。
最後に残るのは誰なのか。
そして、そこから抜け出る勇気を持つのは誰なのか。
そういう事になるのではないだろうか。
何とも無意味に長くなったが、思ったことをとりあえず書いてみた。参考になる部分があれば幸い。
左翼思想の温床はルサンチマン(否定意識)であるとはニーチェ以来いわれていることですが、その総括が不十分な左翼的言説が学校教育を支配してしまうことで、ルサンチマンを再生し、差別主義の温床となっているのでしょう。
徹底した近代思想批判=現実否定意識からの脱却が必要なのです。是非、お読みください。
観念パラダイムの逆転1 現実捨象の倒錯観念から、観念捨象の現実直視へ
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=20199
観念パラダイムの逆転2 現実否定の倒錯思考
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=20354
観念パラダイムの逆転3 現実とは、人々の意識である
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=20355