ポスコロと宣う御方がおるので思うところを少々。
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かつての植民地が支配者だった宗主国に恨み辛みを募らせるのはしゃーないわな。こればっかりはなんともね。
日本だってマッカーサーの支配を良しとしてるわけではないし、その延長線上にあるような現在の政治状態を良いと思ってる人はおるまい。昨今発売されるようになった占領当時の本を読むと、やはりアメリカへの敵愾心を募らせる。
占領と植民地は微妙に違うのかもしれないし、同じに扱う事も出来ないだろうけど、「他国に自由を奪われている」「他国の支配下にある」という事では共通するだろう。
ポスコロもある意味正しい行動とはいえる。
ポスコロだから、というのは理由としては弱いだろう。そんな事いうなら、日本だってアメリカのやり口を非難するのが躊躇われてしまう。
もっとも、日本がやったことと他の列強国がやったことを同列に扱っていいのか、というのは考えるべきではある。
というより、こんなもの持ち出す必要もないだろうに。
理屈や理論なんか後からついてくるもの。そんな付け足しを理由にしたってどうしようもない。
「俺は日本が好きなんだ!」
理由なんてこれで充分である。
「そんな日本を侮辱するような行為は許せない!」
これが反日への憎悪の理由で良いではないか。
日本が全て良いとはいわない。
日本が全て悪いとも言わない。
日本は様々な試行錯誤や紆余曲折、挫折や失敗と成功と栄光を繰り返しながら今に至っている。その延長線上に生きている以上、日本を卑しめたり貶めるような行為や言動に我慢ならない。
なんでそういう事を言わないのか非常に不思議である。
そもそも心というのは言葉で言い尽くせるようなものではない。理不尽さや矛盾だって抱えている。上記の言葉だって、日本至上主義と言われたらそれまでである。
が、自分の国を一番大切に思って何が悪い。
どんな理屈が付こうが、どんな理論で言いくるめようが、日本で生まれ日本で育ち、日本人として生きているのだから我が祖国を愛して何が悪いのか。
偏狭であるというなら確かにその通り。だが、柔軟な対応をして自らの国を失うくらいならば排他的で偏狭の方がましというもの。
それをウヨというならばウヨで結構。
誰にでも柔軟に対応して自らの生存基盤である国を失うよりはるかにましだ。
というような意気込みを期待したかったのだが、どうやら篠原には(今のところ)それはないらしい。少なくとも現時点では言葉になってない。それが残念なところ。
たんに反日狩りをしたいだけかコイツ?
だとしたら程度が低すぎる。そんなんで「必要に応じて教育を施す」などとほざくな。