
今日もこのバナーを頭に貼ってしまった。
2ちゃんねるとは直接の関係がない・・・・・と思われるのだが、観察対象を眺めていると上記バナーのリンク先に書かれている事が頭の中に浮かんでくる。
それほどネットウヨク、自称愛国者共のやってる事が荒らしと言う名の誹謗中傷・罵詈雑言に見えてきてしょうがなかったりする。
その代表が次のようなコメントだろう。
http://hannichi.blog76.fc2.com/blog-entry-33.html
>9.11はやらせ、アルカイダはCIA
http://blogs.yahoo.co.jp/roor6akio/41360708.html#41372148
テロはアメリカが戦争を起すために作っているものです。日本はアメリカに従属しなければテロの危険性はないはずです。
ひこの眷属ですが、これほど当たり前のように陰謀論をブツ人は初めてです。
ちょっといじってみます。
中畑|2006/10/24|edit<
あえて最後の部分を拡大し、赤く色づけした。
何故だか分かるだろうか?
こいつが本当にどういう考えで行動してるのかは分からない。
このコメントをしてる者が本音を喋るまでは永遠に謎だ。
どれほど優れた分析をしても、それは「状況から推測される」という領域を出ることはないだろう。
なのでこれから書くこともそうした数多く存在する推測の領域を出ることはない。
が、このコメントを見て、そしてこれに対しての周囲の雰囲気などを眺めていると、実に不愉快になる。
「ちょっといじってくる」とはどういう事だろうか?
この言葉から連想されるのは、「いじくって遊んできます」という意味合いしかくみ取れない。
つまりは、本気で日本の将来など心配などしてないのだろう。
そして、こいつの目的は、相手を茶化して遊ぶことでしかない。
相手の言ってることに憤りも何も無いのだろう。
思うに暇つぶしの遊び。
それに相手を巻き込もうとしている。
そんな奴を誰がまともに相手するか。
まともに相手されないのを非難するより、まずは自分の態度を戒める必要がある。
それは反日ブログ監視所に集まってる全ての人間に言えるだろう。
反日ブログ監視所に集まってるような人間にとって、愛国心や保守的な考えというのは道具に過ぎない。
連中の本音は、
「生まれ育ったこの日本を、先祖が築き上げ、子孫が受け継いでいくこの日本を守りたい」
というような殊勝なものではなく、
「最近ウヨクや保守的な考えが幅を利かせるようになった。
逆にこれまで支配的だったサヨク・革新的な考えが推され気味になった。
幅を利かせてる連中を攻撃するのは面白いから、そういう連中を血祭りにあげようぜ。
なーに必要な材料はネットに転がってる」
というようなもんだろう。
実に笑わせれてくれる。
そんな安直さが滲み出ているのが反日ブログ監視所の面々である。
何故そう思うのか? という問いに付いては、次のように応えたい。
「反日ブログ監視所やそこに集まる連中が、具体的に日本の何を守り、何を復活させようとしてるのかを述べてない」
と。
サヨクというのは洋の東西を問わず、その国や民族の枠組みを破壊し、自分の都合の良いものに置き換えるという侵略・反乱思想であると俺は見ている。そうでなければいわゆるサヨクと呼ばれる(あるいはそう分類される)連中を説明出来ないからだ。
これに対抗するのがウヨクであるならば、民族や国家が連綿と守り続けてきたものをサヨクの手から守らなければならない。その守るべきものとは、目に見えるものだけではなく、目に見えない習慣のようなものも含まれる。
この両者をはっきりと見極めないと、何を批判し、何を尊重するのかが分からなくなる。
反日ブログ監視所の連中が一体何を掲げてきたのだろうか?
ポストコロニアリズム?
他のブログで出ている意見の最大公約数?
自分ではなんの基準も出してはいない。
余所様からの借り物で賄っている。
いや、それは悪いことではない。優れた考えややり方・技術を真似るのは失敗を阻止し無駄を無くす有意義な手段だ。俺だって他人の考えややり方をマネしている。少なくともウヨク思想などは本を読んだりして吸収しているつもりだ。それはまさに他人のマネをしているだけであろう。
しかし、そうであるならばそうとはっきり明言し、なおかつ自分が考える何かを表明すればいいではないか。
自分の考えを表明しない、他人のふんどしを借り続けている所に反日ブログ監視所の卑劣さがある。
自分の考えを表明するだけならともかく、他人のブログにいちゃもんをつけるのだから相応の理由を表明する義務があろう。なんの理由もなく相手を罵倒するならば、それは暴力と同じで非難されるて当然だ。
反日ブログ監視所の連中は、日本の何を守るつもりなのだろう?
反日反日とお題目を唱えているが、反日と定めた者達が日本の何に反しているというのだろうか?
反日ブログ監視所を眺める限りではそれが全く見えてこない。
なぜならば、反日ブログ監視所の連中が「守るべき日本」を示していないからだ。
こいつらは日本の何を守ろうとしてるのだろうか?
戦後のアメリカ占領状態の日本か?
憲法を含めてありとあらゆるものを勝手に改竄された日本を守ろうというならば、日本の独自性を否定することになる。それはいわゆるサヨクとなんら変わらないだろう。
戦争中の軍部に牛耳られた日本か?
それはいわゆる一党独裁制のソ連に似ている。あるいいは今の中国や北朝鮮に似ている。政党の変わりに軍部が存在しているとも言える。名目上の天皇陛下という君主がいても、それは政治の道具として使っているだけ。それは実に共産主義体制に似ていると言える。
君主が存在していても国民を統制できるというおぞましき現実を目の当たりにする。
明治維新から軍部独裁に入るまでの日本であろうか?
確かに旧慣を保ちつつ日本なりの制度や体制を調えたのは素晴らしい。
が、やはり日本の独自性、日本が保ってきた制度をどこか歪に歪めているのはいなめない。
王政復古の大号令は確かにあったが、であるならばそれは平安時代の貴族時代を復活させるつもりだったのだろうか? 少なくとも鎌倉時代以降の幕府による武士政治主導体制ではなかろう。
いや、これもちょっと違う。どの時代でも名目上は天皇陛下がトップにあった。
天皇陛下の信任を得て政治の実権を委ねられたという形になっている。
ならばどの時代であっても「王政」であったはずだ。復古も何もあったものではない。
飛鳥・奈良時代のような天皇親政を目指したのだろうか?
ならば立憲君主制というのが成り立たない。
天皇親政ならば、天皇の権限はもっと大きくて良いだろう。なぜ憲法で天皇の権力を制限するのか?
明治憲法は天皇の権限を大きく認めながらも、その実天皇の権力を制限していた。天皇が何か言っても、大臣の副署がなければそれは個人の発した言葉となってしまう。力の行使の最大の発露と言える軍事力も、陸海軍の両大臣に分散されている。
政治に対しての影響力は、国政が混乱した場合の一時期くらいしか発生しないようになっている。この代表例が226事件だろう。反乱軍の鎮圧のために天皇自らが近衛師団を率いて鎮圧に当たると仰ったそうな。幸いにしてそこまで大事にはならなかったが、こうした政治が機能しなくなった時に天皇が事態収集のために動くことだけを認めた。ある意味もっとも優れた制度だったと俺は考えている。
だが、制限が加わってるのに変わりはない。
これを天皇親政と呼べるのだろうか?
はたまた更に過去に遡るのだろうか?
神話の時代までいくのだろうか。
それはそれで面白い試みだろうが、その時代がどういったものだったのかをはっきり示してもらいたいものだ。
反日ブログ監視所というくらいだから、日本のこれまでの何かに抵触するような発言などを監視しているのだろう。
ではいったい何を監視するというのだろうか?
今現在の日本というならば、GHQと日本のサヨク共による合作である「日本国憲法」を基盤にした現体制の死守をするのが普通。であるにも関わらず、反日ブログ監視所が攻撃している者の中には現体制を支持する者達が多分に含まれている。
これはいったいどういう事なのだろうか?
あるいはそれ以前の日本をふっかつさせようというのだろうか?
それならば現体制の打倒を述べても良いだろう。問題なのは、現体制を打倒した後にうち立てる体制の事。
どんな体制を求めているのかがはっきりしなければ賛成も反対も出来ない。
いや、とりあえず現体制で安穏と暮らしている俺としては、反日ブログ監視所を非難し、批判し、反対せねばなるまい。
さて。
今の日本は実にねじれた体制にあると思う。
その中で反日を認定するのは至難の業だ。
それをあえてやってる反日ブログ監視所の方々には敬意をあらわしたいが、では連中は何を基準に反日認定しているのだろうか?
ポストコロニアリズムがその理由では弱いというもの。
それは日本を乗っ取ろうとしてる連中を非難する事にはなるだろうが、守ろうとしている日本については全く述べてない。
反日ブログ監視所が世の多くの人々の支持を集めるには、守るべき日本・保つべき日本の再発見が必要になるだろう。
他人にいちゃもんつけるより、まずはそれからやってくれ。
まあ、中畑のような人間がいる限り、それらはただの暴言とみなして排除されていくのがオチだ。
相手を馬鹿にするより先に自分の馬鹿さを修正してくれ。

