2020年11月15日

アメリカ大統領選挙で不正があったとかなかったとかいう話が出てるようなので、思うことを述べてみる

 久しぶりに何か書いてみようと思う。


 アメリカ大統領選挙がおこなわれている。
 そこで不正があるという話が出ている。
 それについての調査がなされたというのも目についた。
 実際にどうなってるのかは分からんが。
 しかし、不正があるならそれを見つけて正すべきだろう。


 そう思うのだが、世の中にはそうは思わない人もいるようで。
 ネットを見ているとそんな言葉が目につく。
 それがどうも、バイデン支持者から出てるように見える。
 少なくとも俺の見聞きする範囲では。
 これも実際にはどうなのか分からんが。


 それらを見てると、どうもバイデン当選を推し進めたい。
 そうなってもらいたいというような考えで言ってるように見える。
 実際にどう思ってるのか、何を考えてるのかは分からんが。
 しかし、そんな理由で不正の調査反対などと言ってるなら呆れるしかない。
 それこそ民主主義の、選挙の否定でしかないだろう。


 不正を放置するなら、選挙になんの意味もなくなってしまう。
 それこそ、誰がどのような工作をしても良いと言う事になる。
 そんな選挙に何の意味があるのか?
 それだったら、勝手に当選を名乗ってしまっても良いのではないか?
 だって、選挙に意味がないのだから。


 誰が投票したのか。
 どこに投票したのか。
 候補者の得票数はどうなのか。
 これらがはっきりしないという事は、当選が誰なのか分からないという事だろう。
 これでは民主主義の、というか投票によって議員を決めるという制度の意味がない。
 不正をそのまま放置するというのは、こういう事だろう。


 まず、本当に不正があったのかどうか。
 そこをはっきりさせないと。
 そして、問題があったなら、それを是正しないと。
 でなければ、選挙の正確さが失われる。



 それで選挙結果が変わったなら、それを認めるしかない。
 でなければ、選挙の正当性が失われる。
 間違った結果でも、一度当選が出たならそれでいく、などとしたら、それこそ選挙への冒涜だ。
 間違いを間違ったままで通すなど、どんな理由や正義があるのか?


 間違いを間違いのままにしておいていいなら、どんな悪事も認められる。
 政治においては、圧政・悪政を許すことになる。
 そんな状態を認めるというのだろうか?
 理解しがたいものがある。


 また、今回の不正の調査に反対する意見には、どうも選挙結果が今のままの方が好ましいという思いがあるようにも見える。
 だから不正であったとしても、今のままがいい、と思ってるような気がする。
 正直、こんな考えでいるのならば、選挙なんてものに参加する資格がないだろう。
 どんな結果になろうとも、それが公明正大、間違いなく出てきた結果なら受け入れるのが選挙という制度ではないのか。
 そんなの嫌だ、自分の望んだ結果でないと許さない・認めないというのは、それこそ独裁者の思考だろう。
 そんな事でどうするのかと考えてしまう。


 とにもかくにも、不正があるなら、間違いがあるなら、絶対にそれをたださねばならない。
 本当にそれがあったなら、絶対にやりなおさねばならない。
 間違ったことを間違ったまま続行するような愚行は避けねばならない。
 ことに重大な事項ならば特に。


 政治において間違いを続行する事がどんだけ恐ろしいか。
 それは過去の凄惨な悪政を顧みれば分かる。
 その悪政を自ら認めるような、それを望むような言動や思考や行為は避けたい。
 俺は悪政の中で生きていくような悲惨な状況に陥りたくないので。





 ここに書いた危惧がただの思い過ごしであってもらいたい。
 また、前提条件である、不正を正すことを拒否するものがいるという想定。
 それがバイデン支持者から出てるように見えるという想定。
 これが俺の勘違いであるようにも願うところ。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 00:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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