本当に休止かいな? と自分でも思いつつ思ったことを書く。
俺が「荒らし」「炎上」と呼ばれる「罵倒」「暴言」などの行為が嫌いなのは、言ってしまえば次のような理由による。
・相手の権利の侵害
どういうことかと言えば、
・サイト主への一方的な攻撃
・暴言を投げつける人間は安全圏にいる
ということである。
また、単にそれだけでなく、
・自分の行為は棚上げ
・不利なルールは相手にだけ押し付ける
というのが見えるのが気に食わない
なんでこれらが嫌いなのかというと、それが左翼と呼ばれる連中の常套手段であるからだ。
もう少し突っ込んでみると、
・文句は言う
・しかし代案は示さない
政治における野党と呼ばれる連中に共通する悪癖だ。
言い換えれば、
・責任を放棄している
といえる。
それらが荒らしにも共通しているので反吐が出るほど嫌っている。
また、荒らしが活動できるのはサイトなりブログなりホームページがあるからだ。
それがなくなれば荒らしは行動できない。
つまり荒らしは、自分の居場所を自分で破壊している。
わかるだろうか?
俺にはそれが、「自分の居場所たる国家を破壊する左翼」と同じに見えて仕方がない。
あるいは平和な環境を破壊すべく、平和を維持している秩序を破壊している連中と同じに見える。
これはテロリストにたとえる事もできる。
また、死刑廃止論者や平和主義者などにも共通する。
死刑廃止論者は、刑罰廃止論者とも共通するように見える。連中の意見や理論は一見それなりの説得力があるように見えるが、目指しているところは「秩序の破壊」である。
光市母子殺人事件をはじめとする凶悪犯罪をみるがいい。
あんなことをする連中をどうして生かしてこの世に徘徊させないといけないのだろうか? 犯罪を犯せばどうなるかぐらいはわかってるはず。にもかかわらず犯罪に手を染めたのだから相応の報いがあってしかるべきだろう。
それをふざけた屁理屈で救おうとするのだから救いがない。
「自分の行為を正当化する。そのための屁理屈をいくらでもこねる」
「自分に都合のよい部分だけを抜き出す」
という荒らし行為の常套手段と、あの弁護団となんの違いがあるのか?
俺には同じ種類の人間にしか見えない。
平和主義者も似たようなもの。
平和を求めるのは大切な事だが、そのために武装を放棄する、という意見は理解しかねる。
平和を守るために武器が必要なのだろうが。
もしこの世が本当に平和なら、なんで武器があるんだ、ということだ。
世の中は決して平和ではない。
残念ながら世の中には「相手から略奪して豊かになろう」と考えてる連中がいる。
北方領土を占領しているソ連。その後継国家ロシア。
日本の領海をおかして資源を採掘する中国。
自国領土と言い張って竹島を占領している韓国。
ゼロ金利という政策を強制し続けてきたアメリカ。
日本の周りはそんな連中ばっかである。
こんな連中にどうして言葉が通じるのか?
言葉が通じないから態度と腕力で示さないといけないのだろうが。
にもかかわらず「話し合いで解決を!」だと?
頭がいかれてると判断するしかない。
こういう「言っても無駄な連中」がいるから、俺は気に食わない連中のコメントやトラックバックは受け付けない、という方針を貫いている。
その結果、このブログはかなり平穏だ。
また、荒らし連中は自分の居場所をしっかりと確保している。
そのくせ、他人の居場所はつぶそうとする。
俺にはそれが自国の利益のみを言い立てるアメリカ・ソ連(ロシア)、中国、北朝鮮、韓国と同じに見える。
なるほど、やつらはそういう考えなのだろう。
では日本の立場は?
日本の利益は?
この日本を「荒らしの標的になってしまった被害者」と言い換えてみれば、インターネットにおける暴言・罵倒問題である「荒らし行為」というものの本質が浮かび上がってくる。
俺はこれらを次のように考える。
「自国の利益だけを求めて、相手国の都合を無視し、踏みにじる」
「自分の娯楽のために、相手サイトにいる人々の気持ちを踏みにじる」
この二つは本質的に同じに見える。
だからこそ、俺は思想的には右(国体保護、自国優先、部外者の排除)であるにもかかわらず、いわゆる右な連中を非難している。正確に言えば、右翼的な言動を使って荒らし行為をする連中を。
そしてこんな身近な体験から、やはり協力できない連中とは縁を切るしかない、という考えをいっそう強化することにもなった。
インターネットで言えば「気に食わない連中とは付き合わない」
国家で言えば、「日本に都合のよい連中としか付き合わない」
これである。
俺には荒らしが、侵略者に見える。
2ちゃんねるがソ連に見える。
2チャンネル系のサイトやブログなどがソ連の衛星国家に見える。
だからこそ、荒らし連中が嫌いである。
今回もあまり考えずに文章を書いている。
だが、
「荒らしは本質的に侵略者(左翼)でしかない」
ということだけでも伝わればよい。
例によって反論などは受け付けない。
言いたいことがあるならば自分のサイトなりブログなりでやればよい。
そしてブログというのはとてつもなく簡単に開設できる。
どんな事情があるにせよ、これすら開設できないなどとはいわせない。
どうしてもできない、というならば自分と同じ意見の人間のところにいけばいい。
なんで俺が考え方の違う連中の言うことを聞かねばならんのか? 俺にはそれを聞く理由もなければ受け入れる理由もない。