おそらくこれが最後のエントリーとなるだろう。
非常に唐突なのだが、ブログを続ける気力が無くなった。
理由は少々有るのだが、それについては触れないでおこう。言ってどうなるもんでもないことだ。
一応言っておくが、ネットウヨク絡みが問題ではない。それで辞めるようならばkomichiさんを助けたところで辞めている。
また、2ちゃんねる絡みでもない。それで辞めるならば最初からネット自由化運動などに肩入れしない。
理由は実に個人的、いや、気分的なものだ。
ともかく、「もうこれ以上やってても仕方ないな」と思ってしまったのである。
こんなブログでも楽しみにしてくれてる人はいたかもしれない。
また、心強く思ってくれてる方もいる。
そういった方々には大変申し訳ないのだが、俺自身がどうしてもブログを続ける気になれないので仕方ない。
とりあえずこのブログはほんの少しの期間だけ残しておくが、それが三ヶ月を越えることはあるまい。いや、今月中にも削除するつもりだ。
あわせて関連するブログも削除する。
ただ、何らかの形でブログは再開する予定である。
見え始めた問題の確信を放置しておくつもりもないし、ネットの問題についても多少なりとも継承を鳴らし続けたい。
何より、日本の危機に対して何もしないでいるつもりは毛頭ない。
左翼とは真っ向から対立する右翼として、自分自身を日本の保守派と任じている自分自身の意地のためにも、声の限りに、言葉を吐きだし、問題点を突きつけていきたい。
ただ、それをやるのが今のブログではイヤなのだ。
とはいえ誤解してもらいたくない事もある。
このブログを通じて知り合ったいわゆる「左」の方々である。
明確に「左」というのもなんなのだが、俺と対極の考えを持つ方々、それにも関わらずそれなりに良い関係を続けさせてもらった方々。
あなた達が嫌いになったわけでもない。
主張している事には何一つ賛同できないのは事実だが、人間としてそういった方々が嫌いになった訳ではない。むしろいわゆる右の立場にいるはずの連中の方がよっぽど嫌いである(誰とは言わないが分かってくれるだろう。某sとかその辺りである)。
ブログをやめるきっかけになったのは、もっと別の問題があるからだ。
何を言っても言い訳以上にはなるまい。
ただ、いずれは復活するつもりである。
その時までしばし休養を取り、再びネットにてささやかながら自分の思うところを主張するつもりだ。
当然ながら、左翼に対立する立場を捨てるつもりは無い。残念ながら左翼の主張はどう考えても日本の、ひいては世界の、さらには人類にとって害悪となる。
しかしながら、現在右翼と呼ばれている連中の主張にも与するつもりはない。そいつらのやってる事が許せない、というのもあるが、それ以上に右翼と呼ばれる連中の言動や考えが左翼と重なるからだ。
それゆえに右翼と呼ばれる連中をも毛嫌いしている。
おそらく連中との接点は今後もないだろう。
俺が変節するか、連中が変わらない限りは。
蛇足が長くなった。
ただ「やめます」と一言書けばいいだけなのにこんだけ長くなった。それだけ未練があるのだろう。女々しいことこの上ない。
今度出会うときは敵となってしまう人が多くいるだろう。
でも、どこの誰の味方でもない、どの勢力に身を寄せるでもない、自分自身の思うところをつらつらと綴っていく立場に自分を置こうと思う。
それが俺にとってではなく、より多くの人にとって正しいことであることを願いながら、このブログにおける最後のエントリーを終了しようと思う。
それでは、さようなら。
「気ままにつれづれ」ブログ主 つれづれなるまま・・・・に?
**2/18追記**
各方面からコメントやトラックバックをいただき少なからず驚いている。ありがたい事ではある。
だが、それゆえにこのサイトを閉鎖したいのだ。
やはり俺はネット右翼であるし、保守的な考えを持っている。
身分や生まれによって出世が出来ない、というような体制を求めるつもりはないが、人間が千差万別である以上格差は開いて当然とも思う。
また、伝統や慣習というものが様々な弊害を抱えているとしても、それによって世の中のバランスが保たれ、治安がよく、自由を享受できるならば、旧来の伝統を存続させるような状態を続けていくべきだとも思う。
そういった考えでいると、どうしても革新的・革命的な考えや、国家の枠組みを越えた「地球市民」と言える考え方とは衝突してしまう。
そういった事をここで述べていくのも良いのかも知れない
あるいは「そういう考え方もあるのか」という別の視点を多くの人に提供する事にもなるのかもしれない(どうやらそうした役割は多少は果たせたようだ。ありがたい事である)。
だが、それがいつ火種として燃え上がるか分からない。俺も自制心豊かなほうではないので、どこで爆発するかも分からない。
それならば、あえてこのブログをうち切り、本当に自分の考えに沿った意見を展開する場所をあえて作りたい。その方が意見を突きつけ合わせるときにも変な遠慮はいらないだろう。
そう考えて閉鎖という道をとる事にした。
このブログについては、やはり今月中に閉鎖するつもりだ。
新たなブログも既に用意した。
あとはそこで自分の考えを展開していくつもりである。
そこではここで展開できなかった政治に対する自分の考えをもっと大っぴらにしていきたいと思う。
また、コメントやトラックバックを受け付けないし、こちらからどこかに送りつけもしないようにしたい。
誰かが検索やリンクを辿ってやってくればよい。「ああ、こういう考えもあるのか」と眺めていただければよい。そういう所にするつもりだ。
2ちゃんねるへの批判は続けていくつもりである。
あの存在は害悪にしかならない、と思うからだ。
ただ、それは「反2ちゃんねる」という形では行いたくない。
あくまで「ネットの自由のため」という立場から行っていきたい。
「反2ちゃんねる」というだけでは2ちゃんねるだけを対象にすることになる。それでは2ちゃんねる以外に目がいかない事もある。
そうではなく、「ネットの自由」を守るために、また、それを侵害する要素の一部(というにはあまりにも大きいが)として2ちゃんえるを批判していきたい。
もちろんネットの自由を脅かす存在として2ちゃんねるが縁時点で最も大きな存在ではある。だが、本当に目指すべきは誰もが言ってるように「2ちゃんねるの消滅」ではなく「二度と2ちゃんねるのようなものを作らない」事にある。
なぜそうしなければならないのか、と言えば、それは「ネットの自由」のためである。
断っておくが、自由は無法地帯を創り出すという事ではない。
誰もが自分の意見を述べる。誰もが己の意見を侵害されない。それは互いに自分の立場を譲り合い、相手を思いやる、という事にもいきつく。
主義主張を尽き付き合わせ、己の正義のみを言い立てるのは自由ではないはずだ。残念ながら2ちゃんねるというのはそれを大きく踏みにじっている。
それ故に反対する。
あまり上手くは伝わってないかも知れないが、俺の取る立場はそんなところだ。
そういった事も含めて、一度リセットボタンをおし、新しい形でブログを始めたい。
やはり俺には格差の対極にある平等は受け付けられないし、自由がもたらす格差を否定できない。
財産や文化の継承を大事と思う故に、それを阻止するような平等化は悪としか思えない。
そういった事を少しずつ今度のブログでは述べていこうと思う。
なんだかまとまりがないが、今の俺の気持ちを述べるとこんな風になる。
言い訳を綴ってるのもみっともないが、何を考えているのかを察していただければ幸いである。
これが本当にこのブログでの最後の書き込みになるだろう。
とりあえず今月いっぱいはここを残しておく。
もし参考になるような部分があればコピーしてもっていってもかまわない。自分のブログに掲載したい、プリントアウトしておきたい、とりあえずワードパットなどに書き写してパソコンのデータとして残しておきたい、というならこんなにありがたい事はない。
それだけの意義があったというならば、このブログで書き記してきた適当なことにも意味があったのだろう。
長くなったが、本当にこれで最後にしたい。
それではみなさん。
本当にさようなら。
**2/21追記**
・・・・・・さようなら、と言いながらまたも追記である。
予想以上に多くの皆さんに波紋投げかけてるようでびっくりしている。
また、このような事態になってあらためて自分がどのように見られていたのか、というのを知る。
まず、ブログの機能のアクセス解析で知ったのだが、アンチ2ちゃんねるの一人aicoさんのブログから。
「ショック!BLOG“気ままにつれづれ”更新終了宣言!」
http://arvel7aico.btblog.jp/cm/kulSc08z145D8672C/1/>脱2ちゃんねるして日が浅かったのか、そこのブロガーさんの筆跡が凄い2ちゃんねらーぽくてアイコは怖くて近寄れなかった記憶がありましゅ…
だって……初期の頃はおもいっきりVIPしてたんだもん……<
ぐはっ! ってなもんだ。
まあ、確かにそういうマネしてたけど・・・・・・・。
実際のところ、ネットに接続できるようになって以来2ちゃんねるは嫌いです。
何度か足を運んだこともあるが、生理的に2ちゃんねるは好きになれない。
その理由についてはこのブログのエントリーの中でもちょっとだけ触れたが、
「無法と自由をはき違えてる」
というところ。
何でもやって良い、というのは「無法」
やってはいけない事を制限し、あとは好きにしろというのが「自由」・・・・・・・・であろう。
言い方を変えれば、
「お互いに相手を思いやれ」
「自分のやりたいようにやれ・・・・・・・ただし誰をも傷つけるな、誰にも嫌な思いをさせるな、能うならば他の人達を幸せにするようなことをやれ」
「自分自身が誰にも侵されたくないと思ってるように、他の者も自分を大事にしているんだ。それを互いに大事にしろ」
というような事にもなろうか。
人間なんてのはもともと自分てのが強い生き物なんだから、どこかでその自分を抑えなくてはならない。でなければ社会という集団を形成することなどできはしない。
2ちゃんねるの連中はそれを忘れている。
そして、そんなのが世の中の基準だと錯覚している。
そういう自覚などどこにもないだろう。あったらあそこまで馬鹿なことが出来るわけがない。
そういう連中は反吐が出るほど嫌いだ。
また、ネットに接続するようになってから出会ったふざけた野郎共は、たいがい2ちゃんねるの癖が出ていた。
そういう事もあって、2ちゃんねるは産業廃棄物並に害を撒き散らす存在だと思っている。いや、核廃棄物、と言ったほうが良いだろう。破壊力は抜群であるが、それ以外に何の利点もない。そういう所まで似ている。
にも関わらず初期の頃に2ちゃんねるっぽい言葉遣いをやってたのは、連中に自分のやってる姿を見せてやろう、と思ったからである。全部が見よう見まねだった。
とにかく語尾に「w」をつけまくること。
相手を嘲笑するような言葉遣いをすること。
半角文字や誤変換を利用した言葉の置き換えをすることなどなど。
「>」を多用して相手の言葉の中から都合のよい部分を抜き出し、自分に都合良く引用し、相手の揚げ足を取ること。
そういった事をあえてやっていた部分はある。
それがどれだけ馬鹿げたことなのか、自分自身で味わって考えてみろ、と。
と同時に次のような考えもあった。
「相手が自分の考えを堂々と主張しているならば、こちらも自分の考えを堂々と主張しなければならない。
ただし、相手が揚げ足取りや罵倒を主眼においてるならば、こちらも同様に対処せねばならない」
ネットで遭遇した荒らし連中とのやり取りの中で感じたことである。
最近読んだ本の中にこれをより適切に語った言葉があったので引用したい。
「毒は毒によって制せられる。
金剛石(ダイヤモンド)は金剛石によって断たれる」(「インド人大富豪の教訓 大金を掴む45のヒント」123ページ)
ネットで馬鹿げた連中を見るにつけて思ってたことが、意外なところで正しいやり方だったと証明された・・・・・・ってほどでもないか。
しかし幾ばくかの教訓を含んでるとは思いたい。
荒らしの連中ならば、同じ種類の人間を毛嫌いするだろう、というような安直な考えで始めたことは、存外効果があったかもしれない。
というか、思った以上だ。
まさかねらーと同じに見られていようとは。
作戦は成功したのか失敗したのか・・・・・・・。
悩むところではある。
なので、俺は更正も後悔も反省もしてません。
今も昔も、たぶんこれからも2ちゃんねるが大嫌いです。
まともに運営されるようにならない限り、存続を認める気はありません。
でも、aicoさんははるかに良い方で、次にあげるやつなんかはモロに「自分に都合良く解釈」してる典型だ。
これぞ典型的なねらーという奴だろう。
ねらーで無いにしても、自分に都合の良い輩というのではなかろうか。
「「閉鎖」は寂しい出来事」
http://kei.txt-nifty.com/suki/2007/02/post_07f7.html こいつのいつも通りのご都合的な解釈は省いて結論部分だけ見てみましょう。
>それはともかく、気ままにつれづれさんの2ちゃんに対する態度は、いわゆる「ツンデレ」っぽさがありますね。2ちゃんをコケにしてらっしゃるものの、それとは逆に、2ちゃんを否定しきれず肯定するかのような記述も散見されます。<
凄いねえ。
最後になって、これで潰れると思って言いたい放題ですよ。
どの辺りが「2ちゃんをコケにしてらっしゃるものの、それとは逆に、2ちゃんを否定しきれず肯定するかのような記述も散見され」るんだろうか?
あんな無法地帯なぞさっさと無くなればよろしい、と書いてきたつもりなんだが。どうやらそういう風には読みとれなかったようだ。
で、冒頭ではこんな事を。
>以前に書き込みをして、ご批判を頂いたりした「気ままにつれづれ」様が閉鎖されるとのこと。こーゆー出来事は、なんだか寂しいモノです。180を超える気合の入ったエントリごと消滅してしまうのは勿体無いなぁと思うワケで。<
では、そんなお言葉にお応えして、
閉鎖はやめましょう。 言ってもいない事、考えてもいないにも関わらず、「こんな事を言ってたよ」などと言われるのは心外なので。
記念にここは残して置きましょう。
その上で、keiが述べてる事が正しいかどうかを判断してもらおう。
というか、今思い出したよ。
「書いてることを削除してしまったら、実際に何が起こったのか分からなくなる。
そうなったら、居残ってるヤツラに好き勝手に処理される」
ということに。
いかんいかん。
大事な事を忘れてたな。
ってなわけで、無くなると思った途端にこんなのを送りつけてきた素敵な野郎の口車にのってやろう。
なお、好き勝手に編集してる部分。
気ままにつれづれ: 適当なこと183 (cache)
「2ちゃんねる崩壊による、言論の統制・官僚機構やマスコミによる独占の開始」
あえてこれが始まると断言しておきたい。
(中略)
それよりは2ちゃんねるのような場所がたくさんあったほうがいいように思える。競合他社の存在がなかった事が2ちゃんねるの肥大化を生み出し、悪事・罵倒をのさばらせた。 うわー、すげー。
俺が書いてる次の部分には何一つ触れてないや。
自分の書いたことを引用するのもなんだけど、次の部分もよーくよんでもらいたいね。
今までのインターネット環境がそれを物語っている。
超大型掲示板2ちゃんねる。
これ以上の存在が無かったから、これに対抗できるほどの大きな存在が無かったから誰も対抗できなかった。
少しでも成長する可能性のあるネット上の集まりがあれば、すぐさま2ちゃんねるの工作員が投入されて潰された。
あるいは自覚無き協力者達が、2ちゃんねる以外の存在を潰していた可能性もある。
工作員と協力者。この違いを明確にするのは難しいが、とりあえず以下のように考えていただきたい。
・工作員:
明確な命令を受けて行動している者達。
・協力者:
命令や指示は受けてないが、自分の信じてるもののために行動している者達。
技術の優劣も確かにあるが、この両者を明確に分けてるものはこのようなものであろう。
誰かの命令を受けて行動しているか、自分で勝手に行動するか。
ただ、どちらも「所属団体が有利になること」のために頑張る、というは共通している。
2ちゃんねるに工作員がいるかどうかは分からない。俺は「いる」と思ってるが確証はない。しかし、あれだけ大きなサイトが日本に一つしかない、というのは奇妙なもんである。
また、ネット利用者の大半が利用しているのも不可解である。よほど優れた機能がなければそういった事態がおこると考えるのは難しい。
おそらく、競争相手になりそうな他のサイトを根こそぎ潰してきたのではないだろうか。
そして事実上の独占状態を創り出していたのではないだろうか。
こうなってしまうと、対抗していくのが難しい。
ご存じのように、2ちゃんねるへの対抗的なサイトがあらわれると、工作員や協力者が雪崩のように押し寄せる。この勢いというのは恐ろしいもので、人間の良心や常識・良識を根こそぎ破壊する。例え押し寄せる方が間違っていても、暴言を吐くのが悪いことだと知っていても、勢いのある方に味方するのが人間というものである。
2ちゃんねるが圧倒的な多数派である、という印象をつくるだけでもよい。
それで2ちゃんねるは安泰だった。
こう書いてる俺が、
2ちゃんをコケにしてらっしゃるものの、それとは逆に、2ちゃんを否定しきれず肯定するかのような記述も散見されます。 という風に見えるんだ。ふーん。
ついでに言えばこういう事も書いてるんだが。
思うに2ちゃんねるは免許制度のための、そしてメディア独占のための第一段階だったのではないだろうか? こういう事を書くことが「2ちゃんねるの肯定」なんだ。
へー。
あと、赤字ででっかく次のように書いたんだけどねぇ・・・・・・。
2ちゃんねるはネットに無法地帯を創り出した。 見えなかったのかな?
だとしたら相当な節穴だな。
というか、ここを中略してどうするのだろうか。
本当に都合良く言葉をつまみ上げるな。
さすが荒らし・炎上擁護のkei。
あと、「適当なこと184」の最後に書いてあることだが。
> とりあえず独自のドメインをとったり、個人サーバーをたてる、とまではやらないにしても、今現在各社が提供しているサービスを利用して、出来ることはめいいっぱいやろう。
それがどこまで効果あるかは分からないが、何もしないよりはましであろう。
その中から反省点や成功が見えてくるかも知れない。
あまり解決策にもならない事を述べてきたが、何かの一考になれば幸いである。<
これ、2ちゃんねるに対抗するための手段として書いてるんですが。
それが「2ちゃんねるの肯定」ですか。
とても素晴らしい嘘ですな。
こういう事を読んでる人が、「実は気ままにつれづれは2ちゃんねる批判の形を取った2ちゃんねる擁護だったんだ!」という嘘を流して行くんだろう。
この時期にこんなエントリーを送ってよこすくらいなんだからしょうがない。
最後まで自分に都合良く話を進めようとしている姿勢がよーく分かるkeiちゃんでした。
「閉鎖」は寂しい出来事気ままにつれづれ: 適当・・・・・・・ではないこと (cache)
非常に唐突なのだが、ブログを続ける気力が無くなった。
(中略)
もし参考になるような部分があればコピーしてもっていってもかまわない。自分のブログに掲載したい、プリントアウトしておきたい、とりあえずワードパットなどに書き写してパソコンのデータとして残しておきたい、というならこんなにありがたい事はない。
以前に書き込みをして、ご批判を頂いたりした「気ままにつれづれ」様が閉鎖されるとのこと。こーゆー出来事は、なんだか寂しいモノです。180を超える気合の入ったエントリごと消滅してしまうのは勿体無いなぁと思うワケで。
というワケで、僕に対してのご批判などが掲載されたエントリを列挙。ひとまず引用ではなく、ウェブ魚拓利用。
気ままにつれづれ内 「KEI」記事検索結果 (cache)
気ままにつれづれ: 適当なこと169 (cache)
気ままにつれづれ: 適当なこと170 (cache)
気ままにつれづれ: 適当なこと173 (cache)
気ままにつれづれ: 適当なこと176 (cache)
気ままにつれづれ: 適当なこと177 (cache)
気ままにつれづれ: 適当なこと178 (cache)
気ままにつれづれ: 適当なこと180 (cache)
気ままにさんは、2ちゃん批判の記事を色々書かれていましたが、それに関連しそうな記事を見つけました。
Korean the 3rd : 自由なインターネットは匿名、実名に関係無い
これから、私たちがインターネットを利用していく上で、実名とか匿名というのは実は瑣末な問題に過ぎない。モラルの問題はそれこそネット内の自浄作用に任せなければならない問題だし、権力に監視される言論というのはそれこそ言論の自由を脅かすものである。これらは別個で語られるべきものであり、実名匿名の是非に関わらず、インターネットに触れる私たちが考え続けなければならない問題でもある。
僕はインターネットが普及する前のパソコン通信時代にネットを始めました。「ニフティーサーブ」(現@nifty)においてです。
パソ通のニフティは「実名制」ではなかったものの、そこに接続するには会員になってIDを取得する必要がありました。現在のID制サイトなどのように、適当なフリーメールアドレスに類するようなもので会員登録は出来ず、基本的にはクレジットカードや銀行口座、実名や住所などの個人情報を全て胴元に提供しなければなりませんでした。ネットに接続するにも、ニフティが設置したアクセスポイントに接続する必要があるため、今のWWWのように、串だのなんだのと「個人特定を妨げる要因」が介在するほとんどありませんでした(ま、あったのかもしれませが^^;)。
そのため、「実名性」に関しては、現在のmixiなどよりも、ずっと強固に確立されていました。
昔話はともかく…
「実名」か「匿名」か…なんて議論は、ネットを趣味で利用する上では、ある意味ではどうでもいいことです。
Korean the 3rd様で述べられている「言論の自由を脅かす」ような事態が起こらないためには、逆説的ではありますが、ある程度、個人を特定できる方法を確立しておく必要があると思います。
今の日本のインターネットの状況はどうか?
匿名がもたらす害悪の象徴として「2ちゃんねる」が祭り上げられていますが、実はその「2ちゃんねる」も、匿名性がもたらす害悪を防止している一面があります。「2ちゃんねらは匿名で好き勝手にやっている」という批判は多くありますが、2ちゃんねる発の逮捕者というのも多く存在しています。匿名ではあるけれど、個人を特定することは可能であり、2ちゃん側も、その情報を警察にキッチリ提供しているワケです。そして、利用者もそのことを肝に銘じて、"2ちゃんねらなりに"節度ある活動をしているワケです(これらは、何も2ちゃんねるに限らない匿名ネット社会の常識的なハナシですが)。
上に述べた昔のパソコン通信ほどすんなりと個人特定に至らないにせよ、必要な場合に必要な措置を取れる程度にはシステムが整備されています。
「よりモラルあるネット利用を啓発すべき」といった程度の前向きの姿勢は常に必要でしょうけれど、基本的に、現在の「匿名ネット社会」は必要最低限のシステムを確立しています。
「匿名であること=個人を特定されない」と思い込んでいる人はともかく、そうではない多くの人は、匿名で自由気ままにつれづれに活動しているように見えても、多くの縛りを自分に課していると思います。
気ままにつれづれ: 適当なこと183 (cache)
「2ちゃんねる崩壊による、言論の統制・官僚機構やマスコミによる独占の開始」
あえてこれが始まると断言しておきたい。
(中略)
それよりは2ちゃんねるのような場所がたくさんあったほうがいいように思える。競合他社の存在がなかった事が2ちゃんねるの肥大化を生み出し、悪事・罵倒をのさばらせた。
断言されますか(^^;)。
それはともかく、気ままにつれづれさんの2ちゃんに対する態度は、いわゆる「ツンデレ」っぽさがありますね。2ちゃんをコケにしてらっしゃるものの、それとは逆に、2ちゃんを否定しきれず肯定するかのような記述も散見されます。
気ままにつれづれ: 適当なこと184 (cache)
とりあえず独自のドメインをとったり、個人サーバーをたてる、とまではやらないにしても、今現在各社が提供しているサービスを利用して、出来ることはめいいっぱいやろう。 それがどこまで効果あるかは分からないが、何もしないよりはましであろう。 その中から反省点や成功が見えてくるかも知れない。
気ままにつれづれさんの今後のご活躍を祈念させて頂きます。
どうでもいいですが、個人的には2ちゃんは「北朝鮮」よりは、「アメリカ」っぽいかなぁとか思いまスた。