2012年05月02日

原発賛成、原発推進。原子力研究万歳。

 タイトル見て「え?!」と思う人の方が大多数だろうけど、俺はコレに賛成。
 話を聞くと、原発の方が安全で、むしろ他の発電方式のほうに疑問を抱くようになった。


 まず、火力発電だが、これは原発以上の規模が必要になるとのこと。
 また、石油などの資源も必要だし、原油価格上昇の現状では確実に日本にとって負担増加。
 更に言うならば、こんな状況で得をするのは、中東産油国だけではなく、日本にとって脅威でしかないロシア(実は大産油国)の利益になるだけ。
 むしろロシアに貢献するための原発反対じゃねえのか? と勘ぐる。
 原発反対を叫んでるのが左翼がらみの組合とか、左翼団体ばかり、というのも気になるしね。


 それに、原発があるからこれまでロシアは日本に石油・天然ガスを売りつける事ができなかった、というのも聞く。
 ならばなおさら原発推進するべきだろう。


 世界的に見ても原発推進の動きはかわらない。
 禁止したのはドイツ・イタリアのみ、とも聞く。今は更に増えてるかもしれないが。
 で、ドイツは太陽光発電で世界一だかなんだか、と聞いてるが、その実フランスから電力輸入してるという実情もある。
 加えていうなら、フランスの電気は7割以上が原発。ドイツこそ原発の恩恵を受けてる国である。
 また、そんなドイツでもいいかげん太陽光に嫌気がさしてる、ていう話しも聞く。


 関係があるかどうか分からないが、同じように太陽光を推進してるというスペインでは若年層失業率50%とか。
 これはスペインだけの事かもしれんが、まあ、自然エネルギーなんていう不安定な電力に頼ってるならば、産業もおちおち稼働できんわな。
 これは日本も同じだが。


 で、これはよく言われてる事だろうから聞いてる人も多いだろうけど。
 日本の電力における原発の占める割合は30%余り。
 そして、日本の電力消費の90%ほどが産業用とのこと。
 原発停止で産業の25%余りが停止するという単純な計算ができる。
 産業の25%ということは、就労者の25%が職を失うという事であろう。ものすごく単純な考えでは。
 こんな事してどうすんの?


 更に電力供給停止によってライフラインの維持が難しくなるであろう。
 産業、ひいては文明が停滞すれば今まで通りの生活はできなくなる。
 良く言われるが、昭和三〇年代にもどるだけ、あるいは江戸時代にもどるだけ、とかいうが、とんdねもない馬鹿げた発言だ。
 昭和三〇年代といえば、テレビ・冷蔵庫・洗濯機が普及してきた時代、と記憶している。
 今更これ無しの時代に戻れと? どんだけ生活水準落ちるんだよ。そんな生活できるわけないだろ。
 冷蔵庫無しでどうやって食料保存するんだ?
 洗濯機無しで、お前衣服はどうやって調達するんだ?


 江戸時代に戻るなんていうのは、もうばかげた話し。
 当時の技術力で養えた人口はおおよそ3000万人。
 この水準に戻る、なんていうとなると、現代の東京を中心とした首都圏だけで日本を更生する、という事になる。
 あほらしい事この上無い。
 そして、維持できない9000万人はどうするんだ?
 見殺しか?
 本当に馬鹿げている。


 何よりばかげているのは、電力があるから、余分の電力があるからこうしてインターネットで個人の意見発信すらできるのである。
 電力供給が止まったらこんな事すらできない。
 せっかく自由闊達に意見が述べられるようになったというのに、それを放棄したいのだろうか?
 そういう事も考えてものをいってもらいたい。


 で、原発反対派からは、
「いや、すぐに原発をなくすというわけじゃない、段階的に原発を別の発電にきりかえて……」
という言いくるめが出てくるだろうが、騙されてはいけない。
 原発に代わる発電方式なんぞ存在しない。
 原発に代わる発電方式なんぞ存在しない。
 原発に代わる発電方式なんぞ存在しない。
 原発に代わる発電方式なんぞ存在しない。
 原発に代わる発電方式なんぞ存在しない。
 大事な事なので繰り返してみた。


 もしそんなものがあるならとっくに実用化されてるか、少なくともおおいに宣伝されてるだろう。
 にも関わらずそれがなされてないのは何故か?
 現状で原発以上に効率的な発電方式が存在しないからである。
 それとも、段階的にまた火力発電に戻るというのだろうか?
 なんでわざわざ石油輸入のコストをあげねばならないのかさっぱりわからない。石油が天然ガスでも同じこと。


 放射能という恐怖を使って火力発電をさせたいのかもしれん。
 それを言うなら、
「石炭も放射線を発してる」
という事をあえてつげておこう。
 それに、核廃棄物問題をとりあげるならば、火力発電所からだって公害物質が出ている事も同時に述べてもらいたい。いくら公害物質除去技術が進んでるといってもだ。


 結局原発反対なんてのは、日本衰退を求める連中の願いでしかないのだろう。
 放射能への恐怖しかもたず、正しい知識のない一般人を扇動しての。
 バカバカしい事この上無い。
 少しは科学的な知識をもってもらいたい、と言いたいところ。
 特に科学を声高に言い張る左翼陣営は。
 そんな科学万能主義と思える左翼が、科学の粋である原発反対をとなえるなど滑稽以外のなんであるのか。矛盾もはなはだしいとしか思えない。


 以上、色々書き殴ってみた。
 たぶん文句いっぱいあるんだろうなあ。
 まあ、表示しないからいいけど。



<追記>


 左翼とは科学を信仰する……といったら言葉が悪いが、この進歩と発展を大事にしてるのではなかっただろうか。
 それが昨年の震災と原発についてはなぜか態度を真逆にしてるように思えてならない。
 放射能がどれほど危険なのか。
 どの段階から危険になるのか。
 その与える影響はどれほどなのか。
 こういった事をしっかり調べてものを言うのが『科学的』というものではないだろうか。
 この一年、原発反対を唱えるいわゆる左翼というのを見ていると、本当にそんな姿勢があるのか、と疑問を抱く他ない。
 原発事故にしろ放射能漏れにしろ、その実例は悲しい事にそれなりにある。
 広島・長崎の原爆もそうだし、チェルノブイリもそうだし。アメリカのスリーマイルもそうだろう。
 で、それらの結果、どういった結果が出たのだろうか?
 放射能汚染による人体への影響はどれほどあったのだろうか?
 具体的な数字として、どれほどの範囲にいた人々が何人影響を受けたのか。
 そういった事をしっかり提示した原発反対派は、ことに左翼はいたのだろうか?
 俺が知らないだけでそういう人もいるかもしれんが、寡聞にして聞いた事が無い。


 仮初めにも科学を絶対視し、対極となるであろう宗教・迷信を否定するならば、それなりの態度を示してもらいたいもの。


 また、電力がなければ、ライフラインが止まる。
 その結果、様々な分野で停滞・衰退が発生するのは容易に想像がつくこと。
 結果として、原発が無い場合には放射能被害以上の影響を日本国内に与えるであろう。
 それは既に述べたとおり、産業の25%が停止するという予想からも明かかと。
 これによる被害を、労働者25%が失業、としか書かなかったが、更に付け加える。


 まず失業が増えるのは言うに及ばないが、それ以外にも製造される製品・商品が減る、という事もあげておきたい。
 これによる物資不足は石油ショックの比ではないだろう。何せ実際に生産される物品がなくなるのだから。
 単に個人の居宅で「停電したって大丈夫、それくらい乗り切れる」という事には留まらない。
 その生活を支える物品が激減するのだ。
 それがどの程度の影響を及ぼすのか想像するのも怖いが。
 もの凄く単純に考えて、スーパーに置いてある工業製品の大半が消えるのではなかろうか。食品以外の製品である。
 そういう事を予想した事があるのだろうか、原発反対派は。


 書き漏らしていたのであらためてこの二点を追記しておく。


 それにしても。
 こんな更新なんか全然しないブログに結構な数の人が閲覧にきてくれている。
 ありがたい事だ。
 書いてる事に賛同する人がいないとしても。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月14日

グダグダな中で思う事をちらほら

 政治における右と左という区分けはあるとは思う。
 俺は右は興国であるし、左は亡国であると思ってる。
 体制側か反抗側か、というような区分けではない、と思う。


 ただまあ、そういう区分けで見てるとミギやヒダリという立場でそれぞれ語ってる方々であっても、「本当にコイツはミギなのか?」「これでヒダリとでもいうのか?」などと思う事もある。


 また、「いったい何をいってるのやら」と思う事も多々ある。


 政党支持にもそれが見てとれる。
 さんざん自民党を非難しながら、民主党が同じような事をしても何も言わない。むしろ擁護する。
 それはいったいどうなの? と思うのだが。


 大事なのは、どの政党を支持するか、ではないだろう。
 言うまでもないが、まずは何が国を栄えさせるのかを見極める事。
 それを踏まえてる政党なり政治家なり政策は何かを見ていくこと。
 それに最も沿ってる者をなるたけ選んでいくこと。
 ただそれだけだと思うのだが。
 不思議な事にこの点を見落としてる者が多いような気がしてならない。


 ましと思える事をやってるならばそいつを支持したいもの。
 少なくとも、複数の候補から最適と思える人間を選びたいところだ。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 21:29| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月06日

民主党支持者と自民党支持者、ひいてはネトウヨとの違いはいったいいずこに?

 タイトル通り。
 民主党のやってる事の何に賛同するのかさっぱり分からない。
 まあ、自民党憎し、自民党反対で考えてるのであればそうなるのかもしれないが。


 大事なのは「日本にとって最善の道筋は何か?」であり「それをどううちたてていくのか?」だと思うが。
 この点「自民党ダメ、絶対」の思考に陥ってる限り決してそれは期待できないだろう。


 仮に自民党の打ち出した政策に反対だったとしよう。あるいは自民党のとってきたやり方に反対だったとしよう。
 では民主党が似たような事をしたら何故反対も批判もしないのか? おかしいではないか。


 自民党憎し・アンチ自民党とでも言うべき立場でしか物を語らないのであれば、そんなヤツなど信用しない。
 というよりだ。


そんな言動をとってる反自民党の連中は、自分らが非難してきたネトウヨと本質において何が違うのか?


 批判対象とよって立つべき論点・視点が違うだけで、反自民党の連中も結局は同類かと思っている。
 少なくとも俺がネットで目にする民主党支持者において、「日本にとって何が良いのか」という視点でものを語ってる者は少ないように思えた。
 実に残念である。
 これが単なる俺の懸念である事を願わざるえない。


 民主党支持者の中にも、「だが、この点は自民党と変わらないではないか。この部分は変えねばならない」という事を発言してる者がいることを願わずにはいられない。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 14:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月03日

休止宣言から13回目

 うれしいニュースである。
 薮中三十二外務審議官が事務次官に就任とのこと。



 この人が務省では珍しく日本のために行動してきたのは周知の事実だろう。
 本当の意味で務省として活動してる有名人はこの人だけではなかろうか?
 他には田中均とかいう馬鹿や、その類例が多々いる屑機関としての印象しかなかった。
 それがこれだ。




 悪くかんぐると、日本のマスゴミのよくやる戦法の、

1、高い地位につけておだて上げる
2、持ち上げきったところで罵詈雑言をあびせて傷つける
3、最後はやる気をなくさせて辞任に追い込む
4、で「辞任したのは本人の意思。俺は知らない」とそっぽを向く

というのが考えられる。
 いわば害務省の保身だ。



 でなければ、良く言えば親中、実際は土下座・尻穴奉仕のこびへつらいしか出来ない福田のような馬鹿の下でこんな人事が成り立つはずがない。
 まして野党も小沢という屑が牛耳ってるような日本の屑政治の現実がある。



 正直俺にはこれが、去年の安部元総理大臣のような「孤立無援作戦」に思えて仕方がない。
 安部元総理はそれでも国会決議17回という快挙を成し遂げたが、ついに力尽きた。
 傍らに麻生太郎という人間がいたにもかかわらず、だ。
 それを考えると楽観視はできない。



 多少なりとも出来ることは、ネットの中だけでもいいので、藪中外務次官を応援し続けることだろう。
 それがどれだけ藪中氏に届くかわからないが、安部元総理のようなことにならないようにせねばなるまい。






 で、書いてる途中に思ったのだが。
 小沢ってのは結局「元自民党」だろ?
 つーことは、今の国会は福田と小沢の「旧自民党勢力の派閥争いの拡張」ってことにならないか?
 だとしたら、これは「爺政治による若手つぶしの結果」としか思えない。
 それを選択してる右や左の馬鹿は何を考えてるのやら・・・・。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 14:45| Comment(0) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月01日

2ちゃんねる から子供たちを守ろう!

 以下の人達の言ってる事を読む前に、上記の場所を読んで下さい。

 粘着イタイ非徒妄言居士レッテル貼り電波さん生態標本破綻
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 00:00| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月29日

休止宣言から12回目

 月刊現代とかいう雑誌がある。
 本屋に平積みされていたので「なんだこれ?」とか思ったのだが、その表紙の端っこに小さく掲載されていた文字が笑った。
 ちらっと見ただけなので正確なところは忘れたが、中島ナントカというどっかの大学の教授が自分のご意見を小林よしのりに誹謗中傷された、とかいうようなことでケンカをふっかけてるらしい。



 このお方のご意見は、確かパール判事の思想や考えについてのものだったと思うのだが、それが非常に「?」のつく内容だったのをおぼえている。
 記憶違いでなければいいのだが、パール判事は憲法九条支持者だとかいうようなことを述べていたのかな、と。
 あるいは違ったことを述べていたかもしれないが、俺の記憶ではそうなっている。



 だからこそおかしいと思うのだ。
 憲法九条に賛成・・・・・・・、だとすると、パール判事はなぜ
「日本は現在独立国とはいえない、しいて言うならば半独立国である」
という発言をしたのか?
 それは現状の憲法を否定することにもなるはずだ。
 何せ現在の憲法は、国家主権の存在しない(独立していない状態)でアメリカによって押し付けられたのだから。
 占領下の議会による議決など、占領者/征服者の意のままになるなど自明。そんなものをいまだに抱いている国家のどこが独立国なのか、ということである。
 その時点で日本が猛然とアメリカに反撃し、アメリカ軍を太平洋にたたき出していたのならともかく。



 まあ、こんな単純なところから俺は中島ナントカという人間の言動をまったく信用できない、と思うにいたった。
 そして、こんなことはゴーマニズム宣言に書かれていたと思うのだが。
 こんなのが教授やってるという事実には唖然とする。



 で、よりにもよってこんな人が小林よしのりに、
「自分の著書を誹謗中傷された」
などと言ってるのだから
「はあ?」
といいたくなる。



 おそらく、

・反対意見が出たので出版部数が減るのを恐れた
・今後、自分が出版できなくなることを恐れた

としか思えない。
 中島はパール判事の言葉の一部を自分の都合のいいように使ってるという印象をぬぐえない俺としては、
「売文業ってのは大変だねえ」
としか思えない。
 小林よしのりは噛み付き相手としてさぞありがたいだろう。
 論争に勝とうが負けようが、興味のある人はこの人の書いてるものに目を向けるだろうし、その中には本を買う人もいるだろうからね。



 こちらとしては、月刊現代は立ち読み、中島の本も立ち読み、古本屋に出回ったらそれを買う、という立場でいたい。
 新品で買うと高い。
 本屋は儲かるかもしれないが、それによって「儲かるから仕入れよう」などと思われてはかなわん。
 なおかつ、中島の収入に貢献してやるつもりもない。
 まあ、そのうち大量に古本屋に出回るだろうから、そのときに値崩れした中島の本を買って読めばいい。
 古本屋も儲かるし、俺も経済的に助かる。
 なにより中島の収入に貢献しないですむ。



 というわけで皆さん。


「中島の本は古本屋で買おう!」



 ということでこのエントリーをあちこちにトラックバックしてみようと思います。
 ここに目を通した方々の一助になれば幸いでやんす。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 16:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月28日

休止宣言から11回目

 世の中を悪くする連中に左翼というのがいる。
 左翼をもっと簡単に言うと「反体制」とでもなるのだろうか。
 事実連中のいってることややってることは、どんな理由がつこうとも「現状の否定」「現状の破壊」「悪い方向への突撃」にしかならない。
 だからこそ俺はそういう考え方に反対する。


 そんな左翼の求めるものは、どうも二種類あるように思える。


 一つは「政権奪取」
 自分が支配者になって欲望の限りを尽くそう、というもの。
 だからこそ今現在の政権が邪魔になる。
 邪魔だから、とるにたらないつまらないことに噛付いて、相手の足を引っ張ろうとする。
 こういう連中が政権を握ると、不思議なことに今までの政権よりも独裁的・命令的・統制的になっていく。
 いい例がフランス革命であり、ロシア革命であり、共産中国である毛沢東であり、金日成・金正日による北朝鮮であったりする。
 どこもかしこも「圧政からの自由を!」といって始まり、それまで以上の圧政を敷いている。
 いわゆる左翼、と言って簡単に思い浮かべるのはこっちではないだろうか。


 二つ目は「無政府状態」
 政府や政治、集団や組織といったものが人の自由をなくしていく。
 規制や法律、習慣や慣習が人の抑圧の原因である、と考えている連中である。
 一見正しそうに見えるが、こいつらの言ってる「束縛」というものには、人として守らなければならない最低限の礼儀や行儀というのも含まれているから注意が必要。
 つまり、
「殺すな」
「盗むな」
「壊すな」
「傷つけるな」
「悪口を言うな」
「これまであげた悪いことをするやつらを許すな」

というのを排除するのが目的である。
 これらのない状態がどんなにひどいものかは、インターネットにおける荒し問題を見ればわかるだろう。
 「野放し」を「自由」と言い換えて暴言を吐き続ける行為が「荒し」である。
 そういった荒し行為をなくしていくための行動を否定する。それでどうしてインターネットにおいて荒しをなくすことができるのか?
 インターネットでなくてもこれは同じで、先にあげた
「殺すな」
「盗むな」
「壊すな」
「傷つけるな」
「悪口を言うな」
「これまであげた悪いことをするやつらを許すな」

というのを守っていかないでどうやって世の中の平安を保っていくのか?
 悪さをするやつを排除することで平和を出現させ、これを続けることで平和を維持する。
 そのために警察や軍隊が存在し、それらが動く基準として法律が存在する。
 また、法律をつくるにあたり、基準となるのがこれまでの習慣などになる。伝統と言ってもよい。
 そして伝統といわれるものにはさまざまな試行錯誤が詰め込まれている。今ではなんでそんな事を守るのかわからないけども、それにはちゃんと意味がある、というのが伝統に含まれてるさまざまな要素である。あるいは習慣というのはそういったものである。
 だからこそ、一見理不尽なように見えても守らねばならないのが伝統である。
 こういった伝統、あるいは習慣、あるいはそれらに基づいて出来上がった社会秩序を維持するための法律。それらを破壊して人間の悪い部分を解き放とうというのが、左翼のもう一つの顔である。




 このどちらも最悪であることにかわりはない。
「選ぶならどっち?」という究極の選択の対象にもならない。
「どっちも選ばない」という回答以外に幸せになる道はない。




 一つ目の左翼の形は世界各国で出現した。
 ソ連、中国、北朝鮮を代表例として、その他にもいろいろあった。
 残念ながら戦争中の総動員体制の日本も、こういった体制といえる。
 不思議なもので、今現在の左翼といわれる人々は、ソ連や中国や北朝鮮の体制を賛美しながらも、日本の戦時体制は否定する。なぜなのか俺にはさっぱりわからない。




 そして二つ目の左翼は、今現在日本で猛威を振るっている。
 規制しなければならないものを開放し、開放しなければならないものを規制しようとしている。
 俺にはそのように見える。
 規制しようとしているものについては、タクシーの運賃値上げや農家への保障、福祉政策に在日朝鮮人といえる。
 保護という名の規制により、一部の人間に保障を与えてそのほか大勢の人間に負担を強いる。負担が税金であらわれるのは言うまでもないだろう。
 本来人間とは「自分で食べる分は自分でかせぐ」のが基本だ。
 ところがそんな基本を無視して、偽善としかいえない善意でかれらに施しを与える。
 施しを受けるのは、基本的に乞食である。
 そして乞食とは、「楽して(働かない)で儲けよう」という連中である。こんなのに与えるもんなんて、侮蔑以外に存在しない。
 むしろ「さっさと死ね」といいたい。



 そして規制しなければならないものとして、犯罪行為がある。
 断っておくが、犯罪とは「法律に引っかかるもの」ではない。
「人としてやってはいけないこと」である。
「人としてやってはいけないことを明文化したのが法律」でなくてはならない。
 実際に法律は人が作るものだから穴もある。それは気づいたときにどんどん直していくしかない。
 また、穴があるからもれることもある。間違いもある。
 だから法律が正しい、とは絶対に言わない。
 しかし法律がどうであれ人として守らねばならないことを投げ捨ててる連中が法律家に多いのは見過ごせない。
 その最たる連中が光市母子殺人事件の弁護士である。
 他にも法律を婉曲して自分の都合のいいように遣ってる連中は数多いだろう。そういった連中を知らないのは、俺のミスでもある。できればこの場においてでも少しは告発したいものだ。
 が、それは今のところ無理なので、知ってる範囲でものを言っていきたい。



 光市母子殺人事件の21人の弁護団がどんな連中なのかはネットで検索すればおおよそ分かるだろうから説明は省く。
 こいつらが様々な理由をつけて、
「何の罪もない」
「一人の女性を強姦し」
「その女性を殺し」
「その場にいた女性の子供をも殺した」
のは偽りのない事実である。
 こんなことをする人間をどうして無罪にできるだろうか?
 また、こんな人間の罪をどうして軽くすることができるのだろうか?
 こんな危険なことをするやつを排除してきたからこそ、人類は現在まで生き残ってきたはずだ。でなければとっくに人類同士での殺し合いを際限なく行っているはずである。
 こんな危険なことをする連中を追放したり殺してきたから、そのほかのまともな人間が安全に生き残ってきたはずである。
 人間の中には、時に危険なヤツが発生する。
 衝動的に暴力を振るう、人を傷つけるのを楽しむ。そういった連中が、どういうわけだから確かにこの世には存在する。
 それを説明した本にこのようなものがある↓


「良心をもたない人たち―25人に1人という恐怖

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 この本によると、世の中には人の痛みが理解できない人が確かに存在する。
 本文の中にも書かれているが、そういった人たちは誰かが傷つくところを見てもそれへの同情をおぼえない、理解できないのだそうだ。
 これは、脳の中の「他人への同情」「他人への共感」を覚える部分が働かないからだという。
 普通の人であれば他人が傷つくのを見て脳内のその部分に血液が集まるそうだが、他人の痛みが理解できない人はまったくそこが機能しないという。
 そんな人間、他人への同情をまったく抱かない人間とあなたは付き合いたいだろうか?
 こういう人間は自分の楽しみのために平気で人を傷つける。
 身近な実例としては、ネット内にいる荒し連中を見れば分かるだろう。
 俺はこういった人間との付き合いは願い下げである。




 人類の歴史、あるいは文明の発展は、こういう危険な人間を排除することで成り立ってきた、と思う。
 でなければ他人との協調は存在しない。
 強調のない人間がどうやって多くの作業をこなしていけるのだろうか。
 文明は一人で作り上げられたものではない。
 発案者は一人であったかもしれないが、それに賛同する多くの人間がいたから、今のような巨大で複雑な文明を作り上げてきたのではないだろうか。
 光市母子殺人事件の弁護団を見ていると、そういった文明のあり方に逆行しているようにしか見えない。
 この事件の犯人を即座に殺害してこの世から排除すると同時に、このような人間を擁護するような様々な人間もこの世から消えてもらいたい。
 でなければ世の中には目的達成のために殺人すら容易に行うような人間があちこちに野放しにされるだろう。
 2ちゃんねる問題に代表される荒し問題の現実版だ。
 どんな言い訳をしようとも、無法・野放しの助長でしかない殺人犯への同情・無罪放免の獲得に俺は断固として反対する。



 ただし、少しだけ条件をつけよう。
 長期にわたる(いや、短期であってもだが)虐待や罵倒・愚弄、そして理由なく行われる様々な傷害(殺人も当然含む)への反撃は当然である。
 また、そのために「加害者を殺す」のも手段の一つとして当然認められると考える。
 これはすでに述べた「これまであげた悪いことをするやつらを許すな」の中に含まれている、と考えてもらいたい。
 こんな事をあえて書くのは、揚げ足を取る馬鹿がでるからである。
 面倒なことこの上ない。




 長々となってしまったが、最後に一言。



 左翼の大勢は良心的な人のようだ。
 だからこそ夢のようなことを語る左翼の思想に共鳴するのだろう。
 だが、それは偽善である。
 あるいは小善である。
 それは決してよい結果を招かない。
 歴史がそれを証明してくれている。
 俺の好きな言葉を最後に書いてこのエントリーは終わりにしたい。


小善は大悪に似たり

大善は非情に似たり
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 17:02| Comment(0) | TrackBack(5) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月12日

休止宣言から10回目

 なんて言ったらいいのかねえ・・・・・・。



 しょーもない人のしょーもない行動はまだ続いてるのか、と思ったりする今日この頃。
 その概要は下記の場所を参照していただければよろしいかと。


保身と責任転嫁に必死な『反日ブログ監視所』管理人
http://komichin.blog80.fc2.com/blog-entry-117.html


 まず人間関係の基本だが、


・相手にしてほしかったら、相手にあわせろ
・反対の立場をとるなら、衝突になるのは当たり前
・自分が正しいというのは自分にしか通じない
・自分の基準で相手を裁くならば、相手の基準で自分も裁かれる


というのくらいは理解してもらいたいもんだ。
 篠原の言動は、
「そういう事を言う連中もいる」
「それに賛同するやつらもいる」
「でも、それが正しいとは限らない」
で終わる。
 まあ、反日に対抗する、というのは理解できるが。
 もっとも、反日の基準がポストコロニアリズムだけってのはどうよ?
 守り伝えていかねばならない日本てのは、「父祖が築き上げ、子孫に渡していきたい自由な国」ではないのかねえ・・・・・。
 その自由を、「今まで何とか伝えてきた。これを今後も継続する」というところにある。
「そのために、自由を何とかはぐくんできた、また維持してきた過去や現在の制度を何とか維持し、必要なら改善して伝えていく」というのがいわゆる保守だろう。
「これに反するのが反日」というならまだわかるが、「旧植民地・旧支配地域の連中がいってくる文句」であるポストコロニアリズムだけってのはいただけない。


 まあ、篠原って輩は、
「反日に該当しそうな連中をネット上でいたぶって遊ぶ」
ことにあるようにしか見えないので、そんなことはどうでもいいのだろう。
 いってみればヤツのよりどころは「正義」や「道理」にしかあるまい。
 もっとも、

・正義や道理というのは、個々人の勝手で使うことはできない
・それは後世から見て、「あれは結果として正しかった」「あれはその当時は正しかったかもしれないが、やはり間違ってた」というようなときにしか使えないだろう。
 そんなもんをふりかざしてどうすんのだろうか?




 ま、あれだ。
 コメントやトラックバックを承認してもらいたいなら、こっちに都合のよい事を書いて来い、というだけの話である。
 それがいやなら、こちらの目に触れないところで勝手にやってろ、というしかない。
 議論がしたいなら、それに応じてくれるやつだけを相手にしてればいい。
 ただ、議論てのは結局のところ「理非を問わず勢いのあるやつが勝つ」というもんなので意味があるとはまったく思わない。
 そもそも議論というから何か高尚なもんに思えるだけで、その実態は「言いくるめ」「嘘」「揚げ足取り」の応酬である。
 アホらしくてやってられん。




 久々にあほな人がいるなあ、と思ったのでエントリーにしてみた。
 
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 20:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月05日

休止宣言から9回目

 休止宣言から9回目。
 本当に休止かいな? と自分でも思いつつ思ったことを書く。




 俺が「荒らし」「炎上」と呼ばれる「罵倒」「暴言」などの行為が嫌いなのは、言ってしまえば次のような理由による。


・相手の権利の侵害


 どういうことかと言えば、


・サイト主への一方的な攻撃
・暴言を投げつける人間は安全圏にいる


 ということである。
 また、単にそれだけでなく、


・自分の行為は棚上げ
・不利なルールは相手にだけ押し付ける


 というのが見えるのが気に食わない
 なんでこれらが嫌いなのかというと、それが左翼と呼ばれる連中の常套手段であるからだ。



 もう少し突っ込んでみると、


・文句は言う
・しかし代案は示さない


 政治における野党と呼ばれる連中に共通する悪癖だ。
 言い換えれば、


・責任を放棄している


 といえる。
 それらが荒らしにも共通しているので反吐が出るほど嫌っている。


 また、荒らしが活動できるのはサイトなりブログなりホームページがあるからだ。
 それがなくなれば荒らしは行動できない。
 つまり荒らしは、自分の居場所を自分で破壊している。
 わかるだろうか?
 俺にはそれが、「自分の居場所たる国家を破壊する左翼」と同じに見えて仕方がない。
 あるいは平和な環境を破壊すべく、平和を維持している秩序を破壊している連中と同じに見える。
 これはテロリストにたとえる事もできる。
 また、死刑廃止論者や平和主義者などにも共通する。
 死刑廃止論者は、刑罰廃止論者とも共通するように見える。連中の意見や理論は一見それなりの説得力があるように見えるが、目指しているところは「秩序の破壊」である。
 光市母子殺人事件をはじめとする凶悪犯罪をみるがいい。
 あんなことをする連中をどうして生かしてこの世に徘徊させないといけないのだろうか? 犯罪を犯せばどうなるかぐらいはわかってるはず。にもかかわらず犯罪に手を染めたのだから相応の報いがあってしかるべきだろう。
 それをふざけた屁理屈で救おうとするのだから救いがない。
「自分の行為を正当化する。そのための屁理屈をいくらでもこねる」
「自分に都合のよい部分だけを抜き出す」
という荒らし行為の常套手段と、あの弁護団となんの違いがあるのか?
 俺には同じ種類の人間にしか見えない。


 平和主義者も似たようなもの。
 平和を求めるのは大切な事だが、そのために武装を放棄する、という意見は理解しかねる。
 平和を守るために武器が必要なのだろうが。
 もしこの世が本当に平和なら、なんで武器があるんだ、ということだ。
 世の中は決して平和ではない。
 残念ながら世の中には「相手から略奪して豊かになろう」と考えてる連中がいる。
 北方領土を占領しているソ連。その後継国家ロシア。
 日本の領海をおかして資源を採掘する中国。
 自国領土と言い張って竹島を占領している韓国。
 ゼロ金利という政策を強制し続けてきたアメリカ。
 日本の周りはそんな連中ばっかである。
 こんな連中にどうして言葉が通じるのか?
 言葉が通じないから態度と腕力で示さないといけないのだろうが。
 にもかかわらず「話し合いで解決を!」だと?
 頭がいかれてると判断するしかない。
 こういう「言っても無駄な連中」がいるから、俺は気に食わない連中のコメントやトラックバックは受け付けない、という方針を貫いている。
 その結果、このブログはかなり平穏だ。


 また、荒らし連中は自分の居場所をしっかりと確保している。
 そのくせ、他人の居場所はつぶそうとする。
 俺にはそれが自国の利益のみを言い立てるアメリカ・ソ連(ロシア)、中国、北朝鮮、韓国と同じに見える。
 なるほど、やつらはそういう考えなのだろう。
 では日本の立場は?
 日本の利益は?
 この日本を「荒らしの標的になってしまった被害者」と言い換えてみれば、インターネットにおける暴言・罵倒問題である「荒らし行為」というものの本質が浮かび上がってくる。
 俺はこれらを次のように考える。

「自国の利益だけを求めて、相手国の都合を無視し、踏みにじる」
「自分の娯楽のために、相手サイトにいる人々の気持ちを踏みにじる」

 この二つは本質的に同じに見える。


 だからこそ、俺は思想的には右(国体保護、自国優先、部外者の排除)であるにもかかわらず、いわゆる右な連中を非難している。正確に言えば、右翼的な言動を使って荒らし行為をする連中を。


 そしてこんな身近な体験から、やはり協力できない連中とは縁を切るしかない、という考えをいっそう強化することにもなった。
 インターネットで言えば「気に食わない連中とは付き合わない」
 国家で言えば、「日本に都合のよい連中としか付き合わない」
 これである。




 俺には荒らしが、侵略者に見える。
 2ちゃんねるがソ連に見える。
 2チャンネル系のサイトやブログなどがソ連の衛星国家に見える。
 だからこそ、荒らし連中が嫌いである。






 今回もあまり考えずに文章を書いている。
 だが、

「荒らしは本質的に侵略者(左翼)でしかない」

ということだけでも伝わればよい。
 例によって反論などは受け付けない。
 言いたいことがあるならば自分のサイトなりブログなりでやればよい。
 そしてブログというのはとてつもなく簡単に開設できる。
 どんな事情があるにせよ、これすら開設できないなどとはいわせない。
 どうしてもできない、というならば自分と同じ意見の人間のところにいけばいい。
 なんで俺が考え方の違う連中の言うことを聞かねばならんのか? 俺にはそれを聞く理由もなければ受け入れる理由もない。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 17:04| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月23日

休止宣言から8回目

 たまにはまともに。


 左翼とはなんだろう、と考えてみる。



 左翼が「独裁」「独占」「権力の独占」「抑圧」「特権」というものになってしまうのは歴史を振り返れば明らかだろう。
 結果として、


・権力を持つもの以外の自由がない


という事態に陥る。
 逆に言えば、これに該当するのが左翼であるともいえる。
 表向きの政治体制など左翼・右翼の分類手段・手法にはならない、ともいえる。


 一番わかりやすく左翼と認識されてるのは、共産党による一党独裁だろう。
 だが、これ以外にも独裁手段はある。
 ヒトラーによる権力集中も、これまた独裁という点では左翼といえる。
 日本における大東亜戦争中の軍部も、いわゆる左翼であろう。国家権力を軍部が好きなように使ったのだから。


 こう考えると、天皇陛下を担ぎ上げてるから右翼だ、というのはあたらない。



 これらの対極である「保守」というのも気をつけねばならない。


 保守、というと「現状維持」と考えられてしまう。
 こんな考えでは、「左翼政権を維持しつづるならば、それは『左翼政権の保守』である」などという頓珍漢なことをいうようになってしまう。
 そんなわけがない。
 保守主義や保守思想は「左翼に対抗するために」生まれたものである。
 また、「左翼から保守する」ために生まれたのが保守主義である。間違っても左翼を保守する保守主義や保守思想などありはしない。


 俺の知る限り(wiki)ではあるが、保守主義とは大事な何かを守るための思想であり主義である。
 その大事なものがなんであるのかを考えねばならない。
 そのためには、保守主義というのが何に対抗して明確に形となったのかを考えねばならない。


 保守主義が明確になった一番大きな出来事はフランス革命であるという。
 この革命に対抗するために猛然と唱えられたのが保守主義であり、保守思想であるという。


 つまり、保守主義が敵としたのは、

・王様殺しの革命であり

・富裕階級を殺しまくった革命であり

・民衆を暴徒として扇動した革命であり

・そんな革命を煽った革命家という権力簒奪者であり

・そんな権力簒奪者の思想根拠となった思想である


 といえる。


 となると保守主義や保守思想が守ろうとしたのは、


・王様であり

・富裕層である



と考えられる。
 なんだそりゃ、結局特権階級の保護かよ。と思ってしまうだろう。
 だけどちょっと待ってくれ。
 これには続きがある。


・そんな体制の中ではぐくまれた自由であり

・殺し合いを絶対に認めない世界



 が王様や富裕層を認めることで守られてきた。
 また、王様が各自の自由を認め、これを侵害させないことに注力したから社会全体が豊かになってきた。
 それもまた事実だろう。
 保障する、ではなく「侵害させない」ということに注意してもらいたい。


 王様は、あるいは権力機構は、決して誰かに手を差し伸べるということはない。
 ただ、権利の侵害になるあらゆることを許さなかった。
 それが正解ではないだろうか?
 王様は貧乏人を救わなかったかもしれないが、誰かが努力してなりあがろうとするのを侵害させはしなかった。
 だからこそ個人の自由が保障されたのではないだろうか?
 また、そんな国だから、結果として豊かになっていったのではないかと考える。
 時間はかかるが、これがもっとも間違いのない手段であると思う。
 即効性はないが。
 一言でまとめるのも難しいが、
「一人一人、己の務めを果たせ」
というのを結果として奨励してきた、ともいえる。
 こういったものを守るのが「保守主義」であり、「保守思想」であろう。


 これの対極が左翼思想であり、革命思想である。
 結局フランス革命は何十万人もの人間を殺した。
 そして結局はナポレオンによる皇帝即位にいきつき、ナポレオンによる海外遠征にいきつく。
 遠征を侵略と言い換えればもっとわかりやすいだろうか。
 この時フランスは徴兵制によって国民が大量に動員された。
 否応なしにそれはフランスの国力を大きく削ぐことになる。
 これも俺の知ってる限りだが、ナポレオンによって徴兵された兵士は数十万ではきかない。全部あわせれば百万から二百万にのぼったのではないだろうか。
 当時のフランスの人口は二千数百万人であったという。人口の一割が軍に徴集され、死亡した。
 国民の一割がいない、その大半が死亡したというのがどれだけ大きく産業にダメージを与えるのかを考えてもらいたい。
 加えて、フランス革命時に殺された人間の数を加えれば相当なものになる。
 革命からナポレオンの時代まで数十年の月日がたっているが、その間にフランスがこうむった被害はこれほど大きい。
 民主化をうたった革命が、民衆を災厄に巻き込む事態に至るというのはなんたる悲劇か。


 正直、こんな惨状をあらためて眺めれば、まだしも王政のほうがましだ、と思う。
 それが最善だとはまったく思わないが、革命よりははるかにましだ。
 まして、革命政権が倒そうとしているのが「革命よりまだましな王政」であるならば。
 こんな革命を肯定するのが左翼思想であるならば、俺はこんなものを否定し、弾圧し、抹殺したい。


 長い時間をかけて何とか各自の自由が保たれるようになったにもかかわらず、それを破壊して権力を奪取するのが左翼思想である。
 どんな理想をかかげていても、どんな口約束をしていても、結果は歴史を振り返れば明らかである。
 革命で幸せになった例はほとんどない。
 例外はアメリカにおける独立戦争くらいではないだろうか?


 そのアメリカにしても、大統領は民衆の直接選挙で選ばれるわけではない。民衆は大統領への投票権を持つ代理人を選挙するだけである。
 また、本当に民主主義で王政に対抗するならば、大統領は議会から選出されるはずである。だが、そうなってない。
 それどころか大統領は議会への拒否権をもっていると聞く。
 だとしたら、「民選による議員への抵抗装置」と言えるのが大統領である。民主主義の象徴たる民選議員の議会に抵抗する装置があるというのはおかしではないか。
 いわゆる民主というのを求めるのが革命の常套句であるならば、独立後のアメリカはそれを否定する方向で政治制度が作られている。


 俺が知る限りの知識ではこの程度しか考えられないが、結局は革命や独立の根拠となった「王様打倒」はどこかで否定されている。
 アメリカにおける議会への拒否権はイギリス国王の権利でもあるらしい。ならば、形は違えど似たような体制をとったことになる。
 王様と大統領は確かに違うかもしれないが。


 結局、王政か、それに近い制度が今のところ考え付く最善の、そうでなくても次善の制度であるように思える。
 次善ですらなくても、「最悪よりはまし」「最悪を排除する」という点においては革命よりはずっとましと考える。


 振り返って日本を見てみれば、この国は長い間天皇陛下を中心とする皇室という一族を頂点にしてまとまってきた。
 その中だけを見れば、確かに問題も多い。
 だが、外に目を向ければ、もっとひどい状態の国が多数存在する。
 もっとも近い外国であるシナ地域は王朝が変わるごとに戦乱と戦争を繰り返している。
 王朝交代などというが、とんでもない誤解だ。
 交代でなく、簒奪・破壊・虐殺である。
 王朝を破壊して新たな王朝を作る。それを数百年ごとに繰り返しているのがシナ地域である。
 こう言い換えてもいいかもしれない。

シナ地域では、

数百年ごとに、

フランス革命を行っている


 そして今まで作ってきたものを破壊し、何もないところからやりなおす。ものすごい無駄と手間だ。
 こんなののどこがいいのだろうか?


 世界中を振り返っても、内部からの革命がよい状態を作り出したことなんてほとんどない。
 ただ、混乱と権力争いによる内戦が続くだけである。
 それよりは革命なんてのを放棄して、現状の政権を維持しているほうがよい。
 その政権が左翼政権でなければ、であるが。



 結局、保守主義や保守思想とは、長い年月をかけて何とか安定してきた国内と、その中ではぐくまれる自由を守ろうとしているのだろう。
 その成長はとても遅く、その自由はとてもわかりにくいものだから、誰もがそれを大事と思えないのかもしれない。
 だが、ちょっと外に目を向ければ、平和で安泰な政権が続くというのがどんだけよいものなのかがわかろうというものだ。
 そして平和な時代に叫ばれるのは、どういうわけだか「格差問題」であるのも共通する、というところか。
 これは人間の嫉妬心によるものだと思う。


 同じ社会にいながら自分より豊かなものがいるのが許せない、というのが嫉妬心である。
 階級が固定されてるならともかく、立身出世が可能な世の中ならば、こんな嫉妬心は認められない。一念発起して努力するのがすじというもの。
 そして努力は常に報われるとは限らない。失敗する可能性のほうがはるかに大きい。
 その失敗が怖くて現状に甘んじているならば、文句を言うのはおかしい。
 なによりも、最底辺にいるにしても飢えに苦しむことがないということを忘れてはならない。世の中には飢えに苦しむ者達が数多い。
 そしてそんな国というのは決まって国内が安定してない。常に内戦状態だ。内戦でなくても治安が悪いことが多い。
 それらと比較して、現状を少しは考えろ。左翼に俺は強く言いたい。




 いつもどおり反論は受け付けない。
 いいたいことは自分でブログを作ってそこに書けばいい。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月15日

休止宣言から7回目

 さて、何を書こうか・・・・・・・。




 何から書こうか・・・・・・・・・・・?




 福田内閣誕生でも絶望的な気分を味わった。
 これを見て思ったのは「昔の(悪い)日本が復活したな」というものだった。せっかく安倍晋三という人物によって日本がよい方向に舵取りできる、と思ってた矢先のことだったので絶望感は大きかった。


 安倍晋三という男は、小泉議員以前の政治とも、小泉劇場とマスゴミと左翼がほざいていた「旧弊の」破壊型政治とも違う。
 淀みのたまった政治の世界を小泉がぶっこわし、安倍が更地となった政治の世界に作らねばならない国家という家を作る、というものだったと今は思う。
 が、日本人がそれをぶっこわした。
 これからの日本を考えることなく、ただただマスゴミの情報に従って民主党に入れた。





 まあ、日本人ってその程度か、と思って絶望し、あきれ、今は笑っている。





 で、民主党。




 ここで思いっきり「ばーか」と言ってやれば楽しいんだろうなあ、と思うんだが、今は少しばかりまじめに語ろうと思う。




 一時的かもしれないにしても、参議院選挙であれだけの議席を得たのだから少しは覚悟を決めねばらなかったのが民主党であろう。
 野党の第一党として、自民党という保守(?)政権とどこかで同じような政策を採りながらも、「でもこっちの方がいいんじゃねえのか?」というのを呈示していかねばならなかったはずだ。
 しかし現実にはそんなことがまったくできてない。
 というか、勝手にあれこれでっち上げて自滅した、というのが俺の知る限りの民主党の動きである。



 なぜインド洋における海上給油をさえぎったのか?
 そして、それ以上に危険極まりない陸上任務に自衛隊を投入しようとしたのはなぜか?
 まったく理由がわからない。
 給油活動すらも憲法違反というならば、交戦が確かな陸上任務に自衛隊を派遣するなど問題外ではないか。
 言ってることが滅茶苦茶だ。
 おまけに「憲法」を錦の御旗にして給油活動を阻止しておいて、「国連の決定ならば」といってるのだからおかしな話になる。

 自国の憲法を大事にするから

他国との強調を

切り捨てた


にもかかわらず、今度は

不特定多数の他国の集合体

である国連に従う、

とはどういうことか?



 これはとんでもない矛盾ではないか。



 その挙句が辞任騒動であり、間髪おかない続投宣言である。
 言葉は悪いが、続投を宣言してからほどなくして辞任を告げた安倍元総理のようだ。
 もっとも、安倍元総理と比べるのは安倍氏に対して失礼すぎるが。
 なぜか?
 安倍元総理は、国会議決をわずか一年あまりの期間に17回も実行したからだ。仕事の完遂能力とその意思において小沢ごときなど足元にも及ばない。



 しかしそれでも日本人は小沢のような男をおすだろう。
 それは安倍元総理を「お坊ちゃん」と言ってバカにする一方で、
 小沢のようなやつを「大将」といってもちあげるのがバカな日本人だからである。



 俺からすれば、豪腕・強引などというのはまったく評価対象にならない。
 声がでかい、腕力がある、というのはたんなる「暴れん坊」であり、ヤクザと一緒である。そんなやつを持ち上げるバカの気がしれない。


 大切なのは「自分の都合のいい方向に強引に持っていくバカ」ではない。
 「理非曲直を見定め、本質を見極め、やるべきこと・手をつけねばならないことを見定める能力」である。
 そして、
「やるべきことに立ち向かっていく勇気」であり、
「やるべきことを完遂する能力」である。
 結果論になるが、安倍元総理はそれをやった。実績がある。
 で、小沢にしろ民主党にしろそんなものがあったのか?
 俺の知る限りにおいて、野党の連中に何かを完遂する能力があるようには思えない。



野党にあるのは、

政権政党を

バカにするだけの

数多くの言葉だけ


ではないか。

 代表例が共産党だったり社会党(社民党)である。




 結局、文句しか言わない(何の提案もできない)野党の連中と、


 そんあ足を引っ張る連中を相手にしながらも国をしょってきた自民党(というか、その中の一部の議員だろうけど)


の差が出たと思える。最近の動向を見ていると。






 民主党に入れた連中は本気でこんな連中に何かを託したのだろうか?
 アンチ自民党として民主党に入れただけだとしたら、考えがなさすぎる。
 少しは考えるべきだろう。

「今後何年間か議員を務める連中を選ぶ」

ということを。
 言い方を変えよう。

「選んでしまったら何年間かはとりかえしがつかない」

 そのことを本気で考えたやつがいるのだろうか?
 選択する権利というのをもう少しまともに使ってもらいたいもんだ。





 人をけなし、たたき、引き摺り下ろす。
 マスゴミが参議院選挙でやったのは、ネットにおける荒らし行為以外の何者でもない。
 それにのっかった連中は、荒らしに便乗した連中だろう。
「そんなつもりはなかった」
と後から言うのだろうが、言い訳はやめてもらいたい。




 ここにいたって求めるのは、

・国民が少しは賢くなる
・自民党がこの難局を、それでも強引にでも乗り切る
・民主党が改心する

ことであろうか。
 どれも期待できそうにないものばかりだが。特に最初のやつは。




 ま、こんな政権を選んだのは(俺以外の)日本人だ。そのとばっちりをうけるのは腹立つが、俺が責任を感じる必要がないのがせめてもの救いか?
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 15:49| Comment(0) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月09日

休止宣言から6回目

 さて何を書こうか。


 テレビも見ない、ラジオも聞かない。ネットにも最近つながってない、という状況では世間の流れなんてもんがわかるはずもない。
 それでも福田内閣が誕生したのは何とか知っておるが、まあ、どうでもいいわな。日本が崩れていくのは目に見えておる。いまさら嘆いても始まらない。これを求めたのは日本人の大半であるし、その結果起こるさまざまな出来事はすべて日本人の責任である。


 まあ、マスコミの垂れ流す情報やら、功績のほうには目を向けずにしくじりのほうにばかり目を向けていたのだからそれも仕方ないのか、な?


 そんな連中とは一緒にされたくはないが。


 こちらとしては、無能が下流に流されていくのも、能力あるやつや努力したのが上に上っていくのも、その結果出てくる格差も当たり前と思ってるので、これがさえぎられるのが少々・・・・・いやカナリいたい。
 何より、平等の掛け声のもとに行われる努力した連中(=金持ちになったものたち)への迫害が本格化するのかと思うと目も当てられない。


 もともと人間は格差がある。
 それは生まれた身分もそうであるし、もって生まれた能力でもある。
 性格・人格、後天的な努力(それをしようという根性すら)も違う。
 やるヤツは人の二倍三倍働く(その結果手取りが増える)し、さもなくば要領よく(無駄な手間は省き、要点をまとめて効率よく)仕事する。
 あるいは、危険を覚悟でリスクのあるところに足を踏み込み(起業もそうだし、株などの金融に入っていくのもそう)、知恵を使って持ってるものを増やそうとしていく。
 なんにせよ、普通にはやってない。やってないから普通なだけの人間より大きく稼ぐ。
 それもしないで「格差」を叫ぶのは間違いだろう。
 いや、格差を叫ぶのは問題ないのかもしれない。
 稼いだヤツが有能で、それをしない自分が無能、もしくは安全なところに潜んで何もしなかったと自覚してるのだろうから。
 しかし、何もしないで格差が開くのを悔しがってるような連中がなんで格差に文句を言うのか。
 まったく理解できない。


 俺も最底辺である(と思われる)ホームレスやワーキングプアよりはましなところにいるにすぎないのかもしれない。
 だが、生活してほんの少し趣味に手を出し、それでも毎月過ごしていけるだけの金はある。
 酒もタバコもやらないし、付き合いもよくないから変な金の使い方をしないだけ、ともいえる。まあ、いわゆるオタク趣味はあるが、さほど金を使ってるわけでもない・・・・・と思いたい。
 結構気楽に暮らし、それでちゃんと生きていけるのだから文句はない。これ以上を望むならば今以上に働かなくてはなるまい。
 で、俺の場合これ以上は勘弁と思ってるからこのあたりにいる。これは俺の責任である。誰が悪いわけでもない。


 人によって考えはさまざまだろうが、「女房子供をもって、なおかつ自宅(戸建て、マンションは問わず)がある」というのを求めるならば、寝る間も惜しんで働くのが普通だろう。
 そしてそれは努力してるヤツか、能力のあるヤツの特権である。
 手抜きして生きていこう、誰かにたかって生きていこうなどと考えてるやつには本来できないことである。
 今までの日本は、少なくともバブルの頃の日本はそれができていたかもしれないが、そんなの例外だ。
 そして例外を基準にしてはいけない。


 しかし、世の中というのは偽善者が多いようで、他人の金である税金を使って最底辺(と思われるあたり)にいる連中に施しを与えるのが正義であると考えているようだ。
 福祉を充実させ、フリーター・ニート問題を解決させよう、としている。
 また、ワーキングプアも何とかしようと思ってるようで。
 頭が悪いとしか思えない。


 フリーター・ニートはそいつに能力がないかやる気がないのが問題である。こういうのはほっとけばよい。餓死するか途中でやる気を出して死に物狂いになるかはそいつしだいだ。
 死なせたら、厳しい生活させたらかわいそうだ、などという甘ったれた考えで接するな。マザコンボーヤを増やすだけだ。よっかかる相手がママか社会(政府)であるかの違いだ。


 ワーキングプアに関しても能力問題であろう。
 業種自体が縮小傾向にある、他にかわりがいくらでもあるようなものならば否応なしに値下げ競争になる。いやでも賃金は低く抑えねばならない。
 また、能力がないならば高い能力を要求される、そのために高賃金の職につけるわけもない。
 低い賃金の労働も似たようなもので、低賃金というのは「誰がやっても同じ。大差はない」から低賃金になる。
 俺がこの辺りにいるからよくわかるが、もし俺が今の職場からいなくなっても誰も困らないだろう。一週間もすれば他の誰かが代わりにがんばってくれる。そして職場は俺がいなくなる前と同じように仕事をこなしていく。
 こんな人間がどうして高賃金で雇われるのか?


 少しでも賃金を上げたかったら、残業代を稼ぐか、自分で勉強して技術を身につけ、能力を磨くしかない。
 そしてそのための時間と費用を会社に要求するな。
 会社は「能力のある人間が集まって仕事をする場所」である。
 能力もないのに会社に来るな、と言いたい。ささやかな実体験であるが、無能なやつや屁理屈こねて仕事をやらないやつなどがいるとそれだけで能率が下がる。いないほうがよい。できればこの世からも消えてもらいたい。
 こんな連中の支援のために、なんで会社(ひいてはまともに働いてるそのほか大勢の人々)がリスクを背負い込まねばならないのか。
 それは努力してる人、普通に生活している人への虐待である。



 一応いっておくが、ここでいう「普通」とは本当に普通の人々である。
 特に能力があるわけでもない、よくある仕事をごく普通にこなせる人である。人の何倍も働けるようなやつや、どんどん出世していく人間ではない。
 能力や技術的には、そうしたエリートからは劣るだろう。
 いわゆる中間層というべきか?
 無能というのは、こういう中間層を含めたそのほか大勢への無駄な負担になる。


 そしてこんな無駄な人間を何とか生かしていこうとしているのが、いわゆる社会正義やら福祉政策やら社会政策である。


 正直反吐が出る。


 まず基本に立ち返ってもらいたい。
 人間に限らず、この世に生きるものは「自分で糧を見つけるかつくる」のが基本のはず。
 なぜならば、
「稼いだ以上に消費することはできない」
からである。


「稼いだ以上に消費することはできない」


 この意味を理解してる人間がどれほどいるのだろうか?
 いわゆる社会福祉などを求める連中には皆無だと俺は思っている。
 もし本当にこの意味を理解してるならば、社会福祉なんて口にしないだろう。夢想だにしないはずだ。聞けば嫌悪感を抱くはずだ。


 この世は何もしないで生きていくために必要なものが提供されるほど甘くはない。
 衣食住という生きていくための基本セットからして「作り出さねば手に入れられない」ようになっている。
 木の実を採取してくる育てる必要はないかもしれないが、その場合でも山の中に分け入らねばなるまい。
 洞穴にこもるにしても、洞穴を見つけねばならない。
 衣服なんて作り出さねば存在しない。これなしで生きていけるのは赤道付近の暑い地域に限られるだろう。
 ごく限られた地域を除き、何もしないで生きていくことなどできはしない。
 生きていくためには否応なしに稼がねばならないのだ。


 であるならば、稼ごうとしないやつが生きていく資格などない。
 稼げないならば死んでいくしかない。
 基本的にはそういうものだろう。
 まだ未熟な子供や、勤めを果たした老人、怪我や病気で一時的に戦線を離脱せねばならない者はともかくとして。
 こういう例外的な者達(未熟な者たち、功績のある者達、不慮の事故など)を助けるというならばまだわかる(それでも今まで稼いだ分で彼らを養わねばならないのは理解するべきだろう。仕方ないとは思うが)。
 しかし、そうでない連中にまで手を伸ばそうというのはどういうわけなのだろうか?
 人間皆平等、というふざけた言葉のもとでこんなばかげたことが実施されてはたまらない。


 国の借金というのはこういうところから発生する。
 やらんでいい手助けのために、福祉は必要という根拠のないバカの信念のために、まじめに働いてる人々が圧迫される(税金や年金などの源泉徴収で)。
 それでも足りずに国責を発行して金を集めている。
 言葉をごまかしているが、国責とは借金である。
 借金はするもんじゃない、と俺は親に教わり多くの人に同じようなことを言われてきた。自分で考えてみても、借金はしないほうがいいな、と思うのだが、そう思わない人がこの世には多いようだ。
 カード破産などには大騒ぎするのに、国の借金には何も言わないのはどういうことなのだろう?


 小泉時代から安部政権にうつり、国責は25兆円にまで下がった。
 その結果福祉は圧迫されたが、これは当然である。本来必要ない物だし、あってはいけないものですらある。それがなくなるのはめでたい限りであったのだが、どうやらそう考えないアホが大勢いたようだ。
 なるほど、借金してまで自分の取り分を確保し、それを未来の青少年たちに押し付けようというのか。ひどいクズばっかである。


 社会主義や共産主義の社会政策、福祉政策が間違っていた、それに賛同していた自分たちがバカだったんだ、という反省はないのだろうか?
 そんなものに頼らず、自分の食い扶持と老後くらいは自分でなんとかつくる、という気概はないのだろうか?
 ろくな蓄えがなくても、それは自分の責任だ、という覚悟はないのだろうか?
 それはあまりにも無責任だろう。自分自身に対して。
 自分以外の誰かに手を差し伸べられる偉人になれとはいわんが、自分自身の面倒くらいはみたらどうだ、といいたい。



 まあ、いっても無駄だろう。
 日本人は自由が嫌いで、
 努力が嫌いで、
 自分以外の誰かにたかるのが大好きな、
 生来の共産主義者・社会主義者でしかないのだから。



 反論異論は多々あるだろうが、そんなもん受け付ける気はない。
 今これを読んでるあなたにあなたの考えがあるように、これが他の誰のものでもない俺の考えなのだから。
 これを受け入れる必要もないかわりに、
 あんたの考えを押し付けられる必然も必要も俺にはない。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 16:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月20日

休止宣言から5回目

生きてます。


まだ生きてます。







ゴキブリより盛大な生命力でもって、まだまだ生きてます。






 えー、このブログを楽しみにしている方がどんだけいるのかわかりませんが、一応は生存を報告しておかねば、と思って書き込んでます。



 周知のごとく参議院選挙における日本人のアホな投票には呆然としてるし、それについても書きたいことがいろいろあるんですが、どうにもこうにも・・・・・・。



 まずもって「やる気」がない。
 これが致命的ですね。
 まあ、まったくやる気がないのかというとそうでもないですが。

 ただ、それに追い討ちをかけるように・・・・・・、



パソコンの画面がぶっ壊れた!!



 もう何か精神的につらいもんがあります。たったこんだけのことで。



 もう何なんだよ、と。





 まあ、そんな状況で、とりあえずエントリーだけでもあげておこうかと。




 そして、一言二言だけいいたいことを書いておこうかと。




 参議院選挙ですが。


これって


民主党か自民党かの違いだけで


本質的に郵政民営化選挙と


何一つ変わらないじゃねえか!!





 自民党が負けた、といって喜んでる連中の気が知れない。
 そもそも自民党が負ければいいのか?
 確固たる政策や憲法に対する姿勢・態度をまったく出さず、ただただ「年金」と「大臣の醜聞・言動の揚げ足取り」だけに終始した今回の騒動のどこに日本の未来があるのか?



 右も左も郵政問題だけで選挙した、といった衆議院選挙と今回の選挙、その本質において何がどう違うのか?
 「郵政」と「年金」を入れ替えたら今回の選挙は何一つ違うところがない、と感じるのは俺だけか?



 むろん俺は自民党に投票した。
 それが実に正しい選択だった、と今でも思ってる。


 なぜならば、

形だけでも国防について考えてるのが、


安部総理(と一部の政治家)だけだからだ。




 国防とは国家が真っ先に取り組まねばならない問題である。
 国土が侵略されることなく安泰であることこそが、平和の根源である。
 今のイラクを見てみろ。
 独裁だなんだといわれていたフセイン政権がつぶれてイラクはどうなった?
 平和がやってきたのか?
 無秩序の混乱の中で犯罪が横行し、国境を越えて進入してくるさまざまな勢力がイラク国内を荒らしまわってるというではないか。
 やたらとアメリカを非難し、イラク戦争後の混乱を問い詰める連中は、なぜか日本の秩序や国防については口をつぐむが、いったいどういうことなのか?
 日本の場合、真っ先に思い浮かぶのが北朝鮮による日本人拉致であるが、これに対して行動を起こしている人間の足を引っ張ってどうするのか?
 今回の参議院選挙の結果については腑に落ちない。



 つまりはあれか。
 他人だから拉致被害者がどうなってもいい、ということか。


 つまりはあれか。
 自分が被害にあったときに、同じように無視されてもかまわないという覚悟があるのか(それはそれでたいしたもんである。俺はごめんだが)


 つまりはあれか。
 税金を食い荒らし、国民に・・・・・ひいては自分の子孫たちに負担をかける年金を今後も持続し、自分だけ小遣いをもらえればそれでいいのか。



 俺には日本人の考えが理解できん。
 一応俺も日本人だが、今回の選挙結果はまったく理解できなかった。



 この際理由や理屈などどうでもいい。
 出てきた結果が何をもたらすのか少し考えるがよい。




 などと書いたところで今回のエントリーは終わりにしよう。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 19:30| Comment(1) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月16日

休止宣言から4回目

 役に立つかどうか分からないが、思い付くかぎりの手段を書いてみる。



・塾の生徒とその父兄、塾の講師に今回の事件を報せる。


 まずは一番塾に接している者達に問うことから始めよう。
 事件のあらましを説明し、その上で考えてもらう。
 洗脳のような事実があったかどうか。

 また、塾の教育方針で生徒の成績が落ちたかどうか。
 塾に通ってる子供達の性格や人格に悪い影響があったのかどうか。
 この辺りをじっくりと考えてもらおう。

 思うのだが、やり方が間違ってれば生徒の成績は上がらない。また、彼らの性格や人格も悪い方向に向かって行くはず。そういった事実が無いならば、塾として問題がないことになるはずだ。
 にも関わらず洗脳教育などとぬかす週刊朝日は嘘八百を並べていることになる。



・他のメディアに現状を訴える。


 週刊朝日の販売数がどんなもんかしらんが、日本全国あちこちで販売されてるならば、その見出しだけでも結構な影響力があると思われる。
 だったらばこちらは週刊朝日以外の全ての媒体に現状を訴えよう。
 週刊朝日以外の全てのメディア、週刊誌に新聞などなど。特に好意的な記事を書いてくれた読売には。
 なんだったら朝日新聞にも頑張ってもらおう。少なくとも電話を入れても問題はなかろう。面白い反応が期待できそうだ。

 とにかくあらゆるメディアに訴えよう。

 これは想像でしかないのだが、読売の記事に対抗するために週刊朝日が馬鹿な事を書いたのかも知れない。



・ネット・塾内で繰り替えし現状を訴えていく。


 世のメディアや報道媒体は簡単に使えないが、自分でなんとかできるこういう空間では常に現状を報せ続ける。
 塾内の張り紙や父兄への手紙、ネットにおける現状報告などなど。今もるいネットで週刊朝日の非道を訴えているが、これを今後も継続する。

 訴訟を起こすならば、その過程を告げる。

 週刊朝日の非を訴え、追求したい点を常に掲げ続ける。

 それに対しての週刊朝日の反応を報せ続ける。

 反応がないならば「何も言ってこない」事を綴り続ける。

 週刊朝日以外のメディアがこの事件をどう取り上げているのかもちゃんと報せる。

 謝罪などが紙面にデカデカと掲載されない、見出しにもならない、などという向こうの都合の良い態度をとってきたら、「これで我々の受けた様々な被害が帳消しになると思っているのか」とその非を訴える。


・週刊朝日は自分達の打ち出した「洗脳教育」を繰り返し述べてくるだろう。さも当然であるかの如く。
 ならば、こちらは過去の実績という揺るぎ無い事実をもとに、「我々の教育が間違ってるのか、と」訴えていく。週刊朝日以外の全ての人達に。


 週刊朝日がデマと嘘による信用失墜を狙ってるならば、無視できない事実をしっかりと出してあげよう。
 生徒達の成績の伸びなどをもとに。
 余裕があるならば、生徒達のその後の進路などを追跡するのも面白い。もちろん事前に本人の承諾は必要だが、その後のるい塾の生徒達がどのような進路を歩んだのか知れば、他の多くの人達にもるい塾の成果が分かるだろう。
 komichiさんのところのコメントをのぞいてみたが、るい塾には32年の歴史があるようで(違ってたらごめん)。それだけの歴史があるならば、既に社会人になってる方々もいるはず。その方々にコメントを求めるのもよいかも。




 要点をまとめると、

・もっとも身近な人達に問いかける。そして理解してもらう。
・週刊朝日以外のメディアに現状を訴える
・自分達の意見を自由に表現できる場所で、とにかく現状を報せ続ける。それもこまめに、そしてたくさん。
・虚飾に対しては実像を。デマに対しては実績を。嘘に対しては真相を。向こうが勝手な決めつけでくるならば、それを覆す実像を表に出す。
 メディアへの露出が無理でも、塾内やネットではそれが可能。
 がんがん出してやろう。


「あの事件どうなったの?」と思わせない。
 また、人々の記憶から風化させない。
 全てが解決するまで常に訴え続ける。
 でないと人は忘れる。



 なお、訴える相手は週刊朝日ではない。どうせ週刊朝日は態度を変えないだろう。
 だったらば週刊朝日以外の一億二千万の日本人全てに訴える。るい塾が何をしてきたのか、その功績がどれほどのものなのか、父兄からどれほどの評価を得ているのか。それらを訴え、その上で週刊朝日がどんな非道な記事を掲載したのかを訴え続ける。
 週刊朝日は報道媒体・報道機関の立場から非の無いはずのるい塾を貶めた。
 ならばその週刊朝日の信用性そのものを世間に強く訴えていく。




 これらはおそらく誰もが思い付く手段だと思う。そんなものを掲載してもうしわけないとは思うが、俺が思い付くのはこんだけだ。
 ともかく、非が一つもないのなら、それどころか誇れる実績を積み重ねて来たのならば、世間にそれをどうどうと公表し、「これが我々の行ってきた実績です。これでも我々を信用できませんか?」と問い続けていこう。
 もちろんるい塾も今後引き続きよりよき教育のために頑張ってもらわねばならないが、それを拒絶するつもりはないと信じる。
 なので、るい塾は堂々と主張していけばよろしい。
「我々にいかなる非があるのか!」と。



 以上、お役に立てば幸い。



 しかし思うんだが。
 朝日ってのは詰め込み教育に反対の立場じゃなかったっけ?
 詰め込みの対極である「自分で考える教育」を訴えてたんじゃなかったっけ?
 それを実行しているるい塾になんでこんなコトするのか分からない。
 週刊朝日ってのは朝日新聞の系列じゃないのか? それとも名前がかぶってるだけか?
 この点は是非朝日に問いかけたい。
 俺も実態を知らないから強くは言えないが、るい塾は「生徒の自主性を重んじる教育」を実践してきている、と見受けられる。

るいネットより
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=150733


読売より
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20060223us41.htm

 また、かつて主張していたはずの「生徒の自主性を重んじる教育」を実行しているるい塾をなんで攻撃するのか分からない。
 記憶違いでないならば、朝日新聞は自分達の理想を実現したかのようなるい塾擁護のために頑張ってもらいたい。そして週刊朝日の非道を総力を挙げて追求して貰いたい。自分達の立場を守るのにだくだくとしている朝日新聞なのだから、それくらいはやってもらいたい。
 もっとも、「自主性を重んじる教育」を訴えていたのが朝日新聞ではない他の媒体であるならばこの限りではないが。





 最後に読売オンラインの記事が消える前にそれを転載してこのエントリーは終わりにしたい。
 役に立ったかどうか分からないが、参考になったら嬉しい。
 でも、これ以上は思い付かないからご勘弁を。
 浮かんできたら何かを書くかもしれないが・・・・・・。


http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20060223us41.htmより


>対話がはぐくむ思考力


劇場のような会議室を使って行われた対話型授業。この講座の設置自体がこの会議室で決まった 異年齢の対話を通して思考力を鍛える塾がある。



 机が円形に幾重にも並んだ劇場のような会議室で、「国破れて山河在り……」と講師の矢野悟さん(24)が杜甫の「春望」を朗読する。それを子供たちが復唱した後、書き取った。

 大阪府で25教室を展開する学習塾「類塾」本部で、11日に行われた「本格コース」の特別講座。新年度に向けたオリエンテーション的な授業だった。コースの目的は柔軟な発想ができる本格的な思考力の養成だ。

 90分の授業のうち、最初の30分は聴く力や話す力を伸ばす準備にあてられる。漢詩の書き取りもその一つ。深呼吸の仕方も訓練する。そうして集中力を高めた後、受講者と講師が様々なテーマで対話を進めていく。「環境問題って、どんなものがある?」という問いかけに、「酸性雨」「オゾン層の破壊」「熱帯雨林の減少」と受講生から次々に声が上がった。「じゃあ、酸性雨って、何で起きるんだろう?」と対話は続く。

 実は、この日の受講生25人は、小学3年から中学2年までと幅がある。実際の募集対象は、小学4年から高校3年まで。「同世代では出てこない意見を知ることも大切」と年齢差も織り込み済みの授業だ。

 対話のテーマは大別して、社会問題と教科につながるものの二つになる。例えば理科だと「燃える」。「燃えているものを消すには水をかけ、温度を下げればよい。しかし、水中でも燃える金属があり、氷点下でも燃える。それは、なぜなのか」。「なぜ?」を追究し、普段考えないようなことを、立ち止まって考える時間を作る。





 この授業は週1回で、今年度から設けられた。1年目の受講生は約160人。新年度は約400人に増やす予定でいる。

 1975年の開塾以来、公立難関高の進学実績を売り物にしてきた類塾。だが、広報・募集室長の北村浩司さん(45)は「学校の勉強や受験勉強は、現実の社会生活や仕事からかけ離れている。将来、役に立つ本格的な思考力をつけさせたいと考えた」と進学塾らしからぬ説明をする。「塾は、学校の足りない部分を補う所。求められる役割が変わってきた」とも。

 若手講師らのプロジェクトチームで議論を重ね、たどりついたのが、対話型授業だった。「思考力は、相手の考えを受け止め、自分の考えを述べる対話によってはぐくまれる」「周りに発信すること自体が思考訓練になる」との考え方だ。

 担当講師の安西(やすにし)伸大さん(32)も「自分の考えに反応が返ってくれば、子供たちのやる気が違ってくる」と考える。

 しかも、議論そのものは週1回の授業で終わるわけではない。新たな意見や話し合いで生じた疑問は、インターネットの専用サイトに投稿する。こうした文章での投稿にも相手を納得させる対話力が必要だ。サイトは4月から塾外からも閲覧できるようにして、一般の人も巻き込む予定になっている。(関口和哉)

 劇場会議 類塾には、専用の会議室を使って全社員が参加する「劇場会議」と呼ぶ最高決議機関がある。社内的なテーマだけではなく、「いじめ」などの社会問題も議題に上る。全員が自由に発言でき、問題意識の共有化や、若手とベテランの意見のすり合わせの場にしているという。「本格コース」も、この会議で設置が決まった。会議は内容によって、社外にも公開している。

(2006年2月23日 読売新聞)
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 07:43| Comment(1) | TrackBack(6) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月13日

休止宣言から3回目

 トラックバックをいただいたので、その返事がてら。





 朝日新聞がなにやらあほな事をやっておるようで。
 右を自称する俺からすれば、朝日とは「左の巣窟」「反日の牙城」「悪行報道の権化」としか思えない。少なくとも公正とか公平とかいった姿勢をもってるとはこれっぽちも思えないし思っていない。
 と言うとたいてい出てくるのが、「中にはいい人もいる」というものだろうが、そういう時に俺は常にこう思う。

「いい人がいるから組織がいいわけではない」

「組織全体の方向性が不適切(悪行三昧)であるならば、そこにどれだけいい人がいようとも意味がない」


 もう少しつこんで言うと、


「そのいい人とやらは、なんで組織の体質を改善しようと行動しないんだ」
「何もやらないでいるなら、組織や集団の流れに逆らってないならば、組織の協力者でしかない」



 これは大東亜戦争中の日本(とそれをひっくるめて戦前の日本)を貶める左翼の論法をそのまま使っている。
 あるいは共産圏を擁護する連中の常套句を転用している。
 すなわち、
「国の体制は確かにひどい。でも、全部が悪いわけではないんだ」
 そんな戯言にいつまで耳を貸すか、っていうだけのはなしだ。




 で、朝日新聞だが。
 こいつらが自分らの都合で動くなんて当たり前で、そんなのは戦後と戦中の体制をみてれば分かるだろうに。
 戦争中は大本営発表を垂れ流し、戦後は一転して国家攻撃を担ってきた。
 時流に合わせて尻尾を振る相手を変えるなんてのは朝日新聞の体質ではないか。もっとも、それは朝日に限った話ではないのだろうが。
 ただ、「捏造? 朝日新聞なら当たり前だろうが」というのが正直な感想。今更騒ぐほどのことか、と思う。
 むしろ、今まで信じてたのか、という驚きの方が強い。



 報道機関も結局は利益を追求しなければならない。
 金がなければ組織を維持・運営できないからだ。
 青臭い正義だけで金がとれるんならともかく、事実の追求や真実の探求で飯が食えるわけではない。売れるものをつくっていくのはこの世で生きてる者の宿命だろう。
 報道機関が例外だと思ってるなら見当違いもいいところだ。



 報道機関の性格、あるいは性質というのは、基本的に写真週刊誌や女性週刊誌であろう。
 いわゆるフォーカスやパパラッチと呼ばれる、「他人のパンツの中を覗く」のが基本だ。
 嘘か真実かなんてどうでもよく、ただ「おもしろければ」それで良いのである。
 人は他人のしくじりを楽しむ浅ましさを持つ。
 ホリエモンや村上ファンドを持ち上げて一気に引きずりおろしたのもその一例。
 王侯貴族や金持ちから金を巻き上げ、それを分配すると言ってる共産主義や社会主義の思想もその一つ。
「なんで俺はあのような優れた人間になれなかったんだ!」という憤りを自分ではなく他人にぶつけるのが大好きな生き物。
 そこで努力するのではなく、他人の足を引っ張って自分と同じ所に引きずり落とし、更にそこから谷底に落としこもうとする生き物。
 そうでない例外も中にはいるが、例外はあくまで例外。全体の基本ではない。
 報道機関は、
他人の生活を暴き、
それを世に広め、
世間から嫉妬を集め、
評判を作って相手を貶し、
相手が落ち込んでいく様を映していく。

 それが仕事だ。




 俺は報道機関が中立だという幻想を全くもってない。
 連中は連中の利益のために行動してるのだし、その為に他人の生活を暴いて生きている。
 また、本来なら非難されるべき覗き見を「報道の自由」「知る権利」という言葉で正当化し、「正義」という偽りの御旗を翻して相手を追い込む。
 そういう連中である。



 何の事はない。
 ネットによくいる荒らし連中と同じだ。
 他人への追求はするくせに自分への追求は全く受け付けない。
 相手のしくじりを大げさに取り上げる癖に、自分のしくじりには無頓着。
 自分達が正しいんだと言い募り、その正義でもって人を集めて相手を叩く。
 正義というものを利用しているクズどもと何一つ変わらない。




 この世に中立や公正なんてのは存在しない。
 そんなものが本当にあるならば、世の中もっと平和で穏やかになってるはずだ。
 それがそうなってないのは、誰もが己というものを大切にしてるからだし、だからこそ自分が寄り添ってる場所などを大事にしている。
 そんなのがあちこちにあるから立場の違う者同志で対立が生じる。
 人類全体に共通する正義ってのも確かにあるんだろうが、それよりも自分の正義を大事にするのが人間だろう。
 朝日は朝日で己の生き残りをかけて行動してるし、それはそれで一つの正義だ。連中とてカスミをくって生きてるわけではない。金がないことにはどうしようもない。
 それを稼ぐ手段としてああいう事をやってるのだろう。公正なんてので飯が食えるならとっくにそうしている。
 そんな連中に何か期待をかけていたというならば、さっさとそんなものを捨て去る事をおすすめする。連中は連中の為に生きてるのであって、どこかの誰かの為に生きてるわけではない。
 正義や公正を主張する連中は、正義や公正を貫きたいのではなく、それがより多くの人を集めることが出来るから叫んでるだけである。そんなもんに騙されてはいけない。




 俺の勝手な思いこみだが、朝日新聞の購読者は基本的に左翼であろう。
 左翼であるならば正義や公正なんて言葉に酔いしれることなく、「今そいつが何をやってるのか。そいつのやってる事は正しいのか」という視点を常に持つべきだろう。
 なにせ戦中の大本営発表という嘘を批判し、日本を戦渦に巻き込んだ連中を非難してるのだから。
 そいつらが日本を煽動していった時につかったのが、やはり正義ではないか。
 東アジアの解放、鬼畜米英に対する聖戦、諸外国による皇国への圧迫などなど。
 そういった宣伝文句の根底にあるのは「正義」である。
 正義とは実に人を煽動し、思考力を奪い、善悪の判断基準を狂わせる。
 戦争中のそうした姿勢を非難するならば、戦後もそういった姿勢を非難してもらねば困る。
 ここで非難するべきは、「正義を掲げて人を煽動すること」である。
 朝日新聞のごとき(巨大ではあるが)たかだか一企業の言う正義ごときに目がくらんでるようでは話しにならない。
 「朝日を信じてたのに」という言葉は、「御国を信じていたのに」という戦後の風潮となんのかわりもない。信じる相手が違うだけ。
 結局自分で何も考えずにいることにかわりはない。盲目的に誰かに追従したいという姿勢が見えて反吐が出る。普段はそういうのを非難してるくせに。



 何度でも繰り返すが、朝日新聞が正義なわけがない。
 朝日新聞には朝日新聞の都合があるだけで、それを正義と言い張ってるだけだ。
 だからそんな朝日に「騙された」と思う方がおかしい。連中は以前からそういう事を繰り返しているのだから。
 そろそろブランドイメージではなくその正体を見極めてもらいたい。
 そして正体ってのは普段の言動や行動から推し量るものである。口にすることなど信じてはいけない。誰だって自分に都合の悪いことは口にしないのだから。
 ネットで荒らしの被害にあったのならばそれがよく分かると思う。正義を口にして他人を貶すという部分は、報道機関と荒らしに共通するのだから。




 という駄文でした。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 12:32| Comment(1) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月02日

休止宣言から二回目

 まーたバカが何かやってるよ・・・・・・、 などと思った今日この頃。


http://blogs.yahoo.co.jp/majono_takuhaibin2003/MYBLOG/guest.html


>majono_takuhaibin2003さん 嘘を嘘と指摘し、ダブスタをダブスタと指摘することはよくないことでしょうか? 少なくともwwwに意見を載せている以上人の評価の俎上に上がることは仕方がないと思いますがね。


2007/5/1(火) 午後 4:23 [ miracleさん ]




政治について向いているのは特定の政治家について向いてませんかね。まあ、それはいいです。あなたが個人攻撃を嫌がるように、私は嘘やダブスタコメント隠し、誇張による中傷、主張と関係のない部分での人格攻撃が嫌なのです。実害を受けたかといいますと、私の美意識が被害を受けたというところでしょうか。


2007/5/2(水) 午前 0:54 [ miracleさん ]




 まー、何といいましょうか。


・WWWに意見を公表してるなら、などと仰るならオノレらの行動・言動も批判の対象になることくらいわきまえろ。

・majono_takuhaibin2003さんも仰ってるが、「美意識が被害ってさ。そういうのを我慢するのが「大人」というものじゃないのかな?」

・美意識が被害、などというなら、篠原やそこに出入りしてる連中などが行ってる行為は、実害はないが美意識(プライドとか誇りとか矜持でもよい)への侵害ではないのかね?

・それとも他人の美意識の侵害は「健全な批判だ」といういつもの決まり文句で封殺するつもりなのかね?

・ひっくるめて、「文句言われるのが嫌ならWWWに何も書くな」というミラクル的な言動をそっくりそのままお返ししよう、ということになる。


などと思えてくるわけですよ。


 あと、恥知らずな御方もおられるようで。
 いや、彼(彼女?)にとっては当然の主張なのだろうか?


majono_takuhaibin2003さん。名指しされましたので管理人の私がコメントします。「執拗な荒らしと無礼なTB等」と書かれていますが、私は「荒らし」たことはありません。嘘をつかないでくださいね。「無礼なTB]とは何を指しているのでしょうか?まさか適当に書いているのではないでしょうね?


2007/4/29(日) 午前 2:26 [ 篠原静流 ]



 自覚がないのはどうしようもないですね。
「俺はやってない!」と思いこむのは勝手だが、やってることをどう受け止めるのかはやられた人や周りの人。
 まあ、お仲間からは擁護されるだろうけど、それ以外の人からどう思われるかまでは何とも。
 少なくとも俺は篠原のやってることに何の理解もない(少しだけ穏当な言い方をすると)。
 もうちっと本音をいうと、馬鹿なことをしてると思う(あくまで俺の意見。世間がどう思ってるかはしらん)。


確認しておきますが、こちらのブログで管理人に同意したり賛同したりした人は、管理人さんの「仲間」ということでよろしいでしょうか?


2007/4/29(日) 午前 2:29 [ 篠原静流 ]


 篠原から見たら「お仲間」になるのだろうか?
 それとも、「世間一般にむかってお仲間宣言をしろ」と言ってるのだろうか?
 どうとでもとれる発言ですな。
 そして発言内容を使ってあれこれと誹謗中傷しようと言う荒らし行為にも見えかねません。そうならないように、言葉遣いには気を付けましょう。



 そらそうとして、篠原にしても中畑にしても、最初は質問からくるんだな。
 相手の答えを使って揚げ足をとろう、「お前が言っただろう!」という風にもっていこうという姿勢がみえみえです。
 荒らしってよく質問するよね。しかも、答えを勝手に歪曲するし。
 そんなのがまともに相手されると思ってるのだろうか?




 そんな成長も進歩も発展もみられない人々を眺めていると、
「日本の夜明けは遠いなあ」
などと思って黄昏てしまうわけです。




 さて。
 このエントリーをmajono_takuhaibin2003さんのブログに送ろうにも該当するエントリーがないので送るに送れない。
 なので、当面の措置として、一応は面識のある方々に送ろうと思う。
 一応ネトウヨを自称し、革命・革新反対、国家の国民の生活への介入反対、国の規模は小さく、福祉などの生活擁護は国を滅ぼす基である、外国との付き合いはほどほどに、経済的に繋がりが深いからと言って国を損なってまで相手に付き合うな、日本も核軍備を、などと思ってる人間ですが、

「反日ブログ監視所なんかに付き合ってはいられません」

と思うわけです。
 少なくとも連中がもとめているのが、
「反日的な言動をしてる人間をおちょくって遊ぶ」
こととしか思えない以上はね。
「反日発言ならば、なぜ反日になり、どうして国を損なうのかを指摘し、今現在日本がとりうる最善の策はなにか、ということを提示していく」のが反日活動に対する最大の攻撃になるのではないだろうか。
 少なくともバスの降車ボタンにこだわったりするのは反日ブログ監視所のやることではあるまい。



 そう思って反日ブログ監視所を眺めていて思うのは、
「なんで個人的なことにまでげんきゅうしてるのか?」
ということになる。
 右も左も関係なく、無能な連中ってのは本題から外れたところで相手を貶めようとするんだなあ、と深く感じる今日この頃でした。





 上記文章を楽しく眺めていただければさいわい。






 政治的なことについての考えも少々のせて、今回は終わり。
 次回は未定にして不明。
 返事は期待しないように。


・残念ながら、国家は自らを防衛しなければならない
(他国は常にこちらを狙ってる、と考えたほうがよい。
 中国の軍拡、最近のロシアの強行的な態度、アメリカが最強の軍事力を保持し続けようとする態度、北朝鮮ですら核兵器によって優位に立とうとするところを見ると、世界はちっとも平和ではない)


・平和とは、国境線の内側でしか機能しない
(悲しいかな国境の接触面は、冷たかろうが熱かろうが戦闘状態、と心得ていた方がよかろう。
 各国が戦争してない状態は、平和なのではなく戦争準備期間のようなもの。
 人が戦禍を考えずに暮らせるのは国境線の内側の国内でしかない)

・経済力は安全の保障にはならない。むしろ他国の掠奪対象となる。
(豊かな国を前にした他の国がどういう思いを抱くのか、どういう行動をとるのかは歴史を眺めれば一目瞭然。
 友好的な貿易・交易関係を求めるものはいない。
 侵略し、相手から掠奪しようと思うのが人情。
 口先にのぼる「友好」と顔に浮かんでる作られた「微笑」は相手を油断させて懐に入る手段でしかない。日本人はもう少しそれを学んだ方がよろしい)

・自らの働きに応じた稼ぎしかこの世には存在しない
(国の保障などをあてにするな、国に生活の保障をさせるな、ということ。国が生活の面倒を見ようとしてどうなったかはソ連や中国を見れば一目瞭然。
 ソ連は崩壊した。
 中国は路線を変更するしかなかった。
 未だに「国が生活の面倒を見る状態」の北朝鮮では餓死者が続出してると聞く。
 福祉とは国に金を出させ、金を出した国は国民の税負担を増強させ、増強した税負担は国民の生活を圧迫する。
 既に分かってる結果なのに、何故に福祉を国に求めるのか俺には理解できん)

・善意を実行するなら自らやれ。自分以外の誰かや機関にやらせるな。
(上と同じ。
 共産党にしろ左翼にしろ、自分の身銭を切ったやつはいない。皆自分以外の誰かに金を出させる。
 それは形を変えた強盗か、理屈を憶えた乞食でしかない。
 人として間違ってる)

・偉いのは自分で稼いだ奴。稼ぎをどう使うかは、稼いだ奴の自由。
(人から奪ったのならともかく、人が欲しがる者やサービスをして得た利益は正当なもの。それをどう使うかを他人がどうこう言わない。
 当たり前のことだと思うのだが、金持ち嫌いの心理的貧乏人である左翼というのは、何故か金持ちを攻撃する。連中は不正や不当な手段で財をなしたのだろうか? だったら非難して当然だが、連中が真っ当に会社を運営し、社員と共に商品やサービスを提供し、その結果として報酬を得ているならやましいところはない。
 にも関わらず金持ちにあれこれ金を出せというのは間違ってる。少なくとも俺にはそういう風にしか思えない)

・企業は不当な利益を上げてるのか?
(常々思うのだが、企業というのはそんなに悪党なのだろうか?
 だったら、個人商店もそこで働いてる普通の人も全員悪党なのだろうか?
 共産党のポスターに「企業減税反対」などと書いてあるのを見ると、企業の衰退を願ってるように思えてならない。企業への減税は企業の存続を容易にし、そこで働く者達への雇用の供給につながると思うのだが。
 それとも、企業から絞るだけ搾り取って企業を解体し、失業者を増やそうというのだろうか?
 全く理解できん。
 ただ、「民衆への増税反対」には賛同できる。
 しかし、増税するのは共産党が大好きな福祉を維持しようとするからであり、その負担が累進課税の加速につながってるのだが。
 どうも共産党は頭が悪いとしか思えない。
 もっとも、累進課税をよしとしているのは貧乏人の僻み根性という悪癖によるものなのだろうが)

・社会保障(と言う名の国家保障)は国を内部から滅ぼす
(俺の身近な連中も社会保障は必要だ、などとぬかしてるんだからこれはどうしようもないだろう。
 だが、増大する国家による保障は、否応なしに財政を悪化させていく。結果として増税か国の借金となるのだが、その事を理解してる連中は少ない。
 結局、ジジイババアに留まらず、今を生きてる連中、社会保障を撤廃しようとしない連中は、破綻した制度や国の借金、さもなくばとんでもなく膨大な税金を後の子孫に残そうとしている。
 それを考える想像力は、「じゃあ今生きてる人を見捨てろというのか」という偽善で払拭される。
 つまり、子孫の事など、自分以外の者などどうでもいいのだろう)

・自分のことは自分でやらねばならない
(結局はここにいきつく。これが原点であり、結果である。
 自分の面倒を自分で見て、余裕があるなら他人の面倒を見る。
 他に宛がある、と思うから手を抜くし堕落する。
 そういうもんだろう。
 だが、今の世の中で自分の食い扶持を稼ぐというのがそんなに難しいことだろうか? それさえ怠り国に保障を出させようと言うのはどういう了見なのか理解しかねる。
 身体が動くんなら外に出て働け、といいたい。
 ニート対策なども同じだ。親の臑をかじってる連中などほっておけ。下流社会や格差社会と騒いでるが、まともに働いてない奴が下流や底辺に流れ込んでいくのは当然だ。助ける義務も義理もない。
 むしろ「何もしないロクデナシが!」と言って切り捨てるのが当然と思うが。何でそんなに救おうとしてるんだろうか?
 やる気のない奴なんて、結局何もしない。
 自分すら助けられない奴などに生きる資格はない)




 まあこんなところか。
 これで全部ではないにしろ、だいたいこういう考えの人間である。
 そしてこんな考えだからこそ、これと真っ向から対立する左翼が嫌いなのである。
 俺から見ると左翼とは「怠け者」であり、左翼思想とは「怠け者の屁理屈」にしか見えない。
 そしてこういう怠け者の屁理屈は何故か「反国家」となっていく。通る道は様々だが、結局は国家を、そこで生活する者達を踏みにじっていく。
 俺はそういうのが大嫌いだ。


 誤解のないように書いておくが、休むのと怠けるのは全く違うから。
 こういう注意書きを書いておかないといけないのが、今のネットの不便なところだ。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 17:02| Comment(1) | TrackBack(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月03日

休止宣言からの第一回目

 えー、休止宣言から数日しか経ってないのにエントリーをあげるのもなんですが・・・・・・

 AICOさん。
 わざわざエントリーを作らせてごめんなさい。


「お詫びと訂正。」
http://arvel7aico.btblog.jp/cm/kulSc08n745E455E2/1/


 ねらーっぽい言葉遣いとネットウヨクを名乗ったことが誤解の原因だったようで。こら気を付けないとならんな。




 ついでにネットウヨクを名乗る理由についても述べておいた方がいいかな。


 ネットウヨク、と名乗ってるのは単純なことで、
「ネット上で右翼っぽい事を言ってるから」
に他ならない。
 また、右翼と言っても黒い車で騒音を撒き散らす迷惑な連中とは一切関係がない。日本を攻撃し、日本を貶めることに一生懸命な連中が嫌い、というだけである。そういった日本を貶める連中を「左翼」というから、「右翼」を名乗ってるだけだったりする。
 難しいことは何にもありません。
「左の反対は右だろ」という安直な考えです。


 また、日本を侮蔑する報道機関の筆頭である朝日新聞などが、ネットで行動する愛国・保守的な言動に対して「ネットウヨク」というレッテルを貼ったから、
「上等じゃねえか。テメエラの都合の悪いのが『ネットウヨク』なら、今後ネットウヨクを名乗り続けてやるよ。
 このクソサヨクが!!」
てな思いもある。
 まあ、そういった事が理由で右翼とかネットウヨクとか名乗ってるわけです。


 こういう考えをするようになったのはネットに接続するずっと前からです。小林よしのりの「戦争論」やネットで展開される保守的な言動に触れるはるか前に今のような考えを持ってます。
 要約すると次のようになるのかな?


・昔からこれで上手くやってきたのだからいいじゃないか

・天皇陛下と皇室を中心にして、あるいは頭上にいただいて上手くやってるのだからいいじゃないか

・不便なところはあるだろうけど、それでも独裁政権や中央集権体制のもっと酷い国よりはるかにましなんだから、今の日本でいいじゃないか

・朝日新聞や左翼の知識人・文化人・報道機関が賞賛するかつてのソ連や中国、今の北朝鮮よりはるかにましなんだから、今の日本でいいじゃないか

・むしろ左翼が大声で叫き散らした「人権」や「国際協調」や「平和主義」や「平等」の方が国を悪くしていったじゃないか

・守るべきケジメや規律、折り目正しさを排除し、そんなの必要ない・人間は自由だと言って人間を横暴にしてきたのは左翼じゃないか

・結果として今の日本を2ちゃんねるがはびこるネットのような無法地帯に陥れてるのは左翼じゃないか



 という風になる。
 実際、俺には2ちゃんねると左翼、左翼の作った国家である共産圏諸国との差が全く分からない。
 生理的に2ちゃんねるが嫌いなのはそういった所に理由があるのだろう。


 俺とて自由は大好きだし、それが制限されるのはイヤだ。
 だが、自由が「何でもしてよい」という事を意味するならば、やはりそこに制限が必要だとは思う。
 それは、

・他人を侮辱しない
・他人を傷つけない
・他人のものを盗まない
・なおかつ、決して自分を投げ出したりしない


という事だろう。
 自分が大事なのは当然ながら、他人も大事にしていく。それが損なわれるような事は絶対に認めない。それが本当の自由だと思う。
 2ちゃんねるは、自分だけを大事にしている、という点においてこの自由を大いに損なっている。
 あるいは、自分の自由のために他人の自由を当たり前のように侵害している、とも言える。
 その横暴さはソ連や中国、北朝鮮のような横暴な国家そのものだ。より正確に言うと、国家の上層部に似ている。自分達の利益のために、国民や国家をも犠牲にする。
 2ちゃんねるも書き込みに来る人を犠牲にして(集客のための餌にして)いるという点では非常に共通する。
 また、諸外国に工作員を送り込んだり、信者を増やしていくところなども似ている。日本でやたらと北朝鮮擁護や応援の言動をとる報道機関や文化人・知識人などがいるように、ネットの中にも2ちゃんねる信者や2ちゃんねる工作員がいるのに似ている。
 こういうのを見ていると、つくづく共産圏に似ていると思える。
 あるいは覇権主義国家と言うべきか。
 カルト宗教と言っても良い。
 上層部や教祖に近い立場の人間だけが得をする、という体制だ。
 イジメのグループと同じである、とも言える。
 自分達の仲間を増やしながら、敵対する連中を攻撃していくというそのやり方。屁理屈をつけてイジメを正当化するのにも似ている。
 その代表的な言い訳はだいたい次のようなもの。


・いじめられる奴に原因がある
・奴がイジメを受け入れたのならイジメではない
・外部の人間が俺達の中の事に干渉するな、などなど



 自分達の世界を作って、そこで好き勝手やる、という点において、共産圏も2ちゃんねるもカルト宗教もイジメも何一つ変わらない。
 違うのは規模だけで、根底にあるものは同じだ。



 左翼の反対(だから“右”翼なのだが)の立場をとる以上、こういったものに反発するのは当たり前と思っている。




 話が長くなった。
 だいたいこんな事を考えて行動していた、と思って下さい。まだまだ説明不足のところはあるだろうけど。


 あと、次のような場所も作ってみました。


「ブログで掲示板」
http://mgnask4kannga.seesaa.net/


 本当なこういう場所が必要だったんじゃないか、と思ってたので。
 2ちゃんねるの蔓延を防ぐには、対抗する場所が必要。
 そんな場所のはしりになればいいなあ、と思ってます。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 11:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月28日

適当な休止宣言、及び皇室についての俺の考えなど

 既に述べてることですが・・・・・・とりあえずこのブログでのエントリー更新は休止です。
 だからといってブログやネットを辞めるわけではないんですがね。
 おまけに俺は「適当なこと」をいう奴なので、なんかの拍子にここで何かを掲載するかもしれません。そんなわけですので、休止宣言も適当です。




 次に始めるブログも、確実にここと同じような雰囲気になるでしょう。ただ、もうちっとウヨ・サヨ的な事や2ちゃんねるについて思うところを書き込んでいきたい、と思っとります。
 やはり俺は共和制や共産主義や社会主義、それらが内包する自由の排除的な部分が好きになれないので、ウヨの立場から色々言っていこうと思う。
 と同時に、無法と自由を混同してる駄目な連中の愚かさも書きつづっていきたいとも思う。
 あと、束縛と秩序も違う、とか。



 何はともあれ、それは新しいブログで、という事にしたい。










 ・・・・・・・・のだが。











 このブログは、いわゆる左の人々も目を通す事が多いような気がする。
 何でこれだけは書いて置きたい。
「俺の考える皇室の意義」というやつを。











 「本当に皇室や天皇陛下、そういった皇族や王族というのは存在する意味があるのか?」ということは結構前から考えていた。
 基本的に俺は「無駄はつくるな」「不要なものはいらん」という考え方をしている。なので、どうしても皇室や王族などの存在については「?」がついていた。
 これについては「有るときには意味が分からなかったが、無くしてからありがたみを知る」というやつなのかもしれない。無くなってみれば、「なるほど、あれがあったから(あの人がいたから)」と思うことは多い。たぶん皇室や王族というのはそういうものなのだろう。
 しかしこれだけでは説得力に欠ける。
 そこで「王様がいなくなったらどうなったのか」を過去の例から考えてみたりする。日本以外で王様がいなくなった、あるいは殺された、あるいは追放された、といった事例が結構ある。それらを振り返ることが、皇室・王族のいる体制(王制、というか「王政」)を考える参考になるかもしれない。



 一番有名なところではフランス革命。それとロシア革命か。イギリスでも清教徒革命とかがあったなあ(違ったっけ? よく憶えてない)。こういった「王様を殺した革命」というのは、結局国の結束を破壊した。
 理由は様々だろうが、それは「一番エライ人がいなくなった」から発生したのではないか、と思える。
 というのも、王様の下にはナンバー2とかナンバー3とかの有力者達がいる。これらが権力争いをしつつも国がまとまってるのは、王様がなんとか纏めているから、という側面もあると思う。また、どんなに頑張っても、決してナンバー1にはなれない、というのを誰もがわきまえてる(あるいは諦めてる)から次席争いにとどまってるのだろう。
 もしこの王様という重石が無くなってしまったら、「俺の天下じゃー!」などとほざく野心満々の野郎共が続出するのではないだろうか。
 その良い例が、日本の戦国時代だったと思われる。俺が一番だ、一番になってやる、というような野心のある連中が日本中のあちこちにいたから、あんな覇権争いをするようになったのではないだろうか。「まあまあ。お前ら、その辺にしとけや」と取り仕切る偉い人がいなかったから、力の有るヤツラが実力で領土拡張を図ったものと思われる。少なくとも、それを止めるような奴はいなかった。
 幸か不幸か、日本には天皇陛下がいて、一応は権威を受け継いできた存在がいたことが戦国乱世を有る程度早く終わらせる要因になっのではないかと思える。
 偉い人の言葉、というのは結構威力がある。
 徳川家康も、天皇の名によって与えられた官職があったからこそ、権威の泊付けが出来たのではないだろうか? 征夷大将軍という名前も、自称したものと正式に認められた官職名とでは威厳が違う。
 この辺りは人間心理というやつが作用してくるのではないだろうか。学者が言ってた、有名人が言ってた、などというと「え、そうなのか?」などと思ってしまうのと同じであろう。実力が無くても、偽物であっても、偉い人が言った、と聞くと何だか正しいことのように思えてしまう。
 自称と正式な任命とでは天と地以上の開きがある。
 もし何の裏付けもなく「征夷大将軍」などを自称するならば、相応の実力を身につけねばなるまい。戦国時代の日本で名実共にそんな事をしようと思ったら・・・・・・その為に更に百年くらいは血みどろの戦争を続けていく事になっただろう。あるいは、有力大名が日本を分断し、統一性のない小国が乱立していたかもしれない。
 もしそんな状態であったら、西洋列強が日本に迫ってきたときに、一つにまとまって対抗していく、という事は出来なかっただろう。今頃日本はイギリス・フランス・ロシアなどに分断されていたかもしれない。その裏で、ヨーロッパ各国が暗躍し、日本人はその代理戦争を日本を舞台に行っていたかもしれない。
 そういった状態は、例え想像だけに留めるにしてもあまり愉快なものではない。現実でなかった事を心の底から「ありがたい」と思う。


 悲しいからイギリスやフランス、ロシアで行われた王様殺しは、国家の分裂や分散、凶悪な圧政へと進んでいったように見受けられる。
 イギリスでは法律や制度の裏付けをしてくれる王様がいなくなったために秩序が乱れた、と聞く。その為、一応はイギリス王室と関係のある人物を外国から呼び寄せて王位に就ける、という荒技を実行しなくてはならなくなった、とか。
 その為イギリス王室では、血筋というものへの考え方が日本より弱いような気がする。


 また、権威がなくなれば実力がものをいうのは当然とも言える。
 フランス革命は、それが行われた後で様々な反乱を誘発し、その鎮圧のために数十万のフランス人の生命が奪われた。
 その他、貴族などをギロチンにかけたりしてるし、革命政府(パリ・コミューン)内部でも粛正が行われている。
 似たような事はロシア革命でも行われ、皇帝の一族はもとより、その愛馬まで殺し尽くされている。
 また、ロシアの富裕層である地主すらも殺されている。
 フランス革命では、各地の自由を認めすぎた故に反乱を誘発させた。
 ロシア革命では、反乱を起こす暇すら与えずに国民を殺し回った。
 そう思えてならない。



 何がこういう事態を引き起こすのか分からないが、こういった事に共通するのは、


・過去のやり方の排除


ではないだろうか。
 また、


・「その人がいうなら仕方ない」という存在を潰したこと


というのが非常にまずい結果を呼び寄せている、と思う。
 人間というのは欲望があるものだ。それを押さえつけるのが「権威」の役割である。
 大人が子供に言い聞かせるように、教師が生徒に言い聞かせるように、上司が部下に言い聞かせるように、どこかで人間には上下の区別と分担が必要になってくる。それがないと人間はまとまって行動することが出来なくなる。
 これは人間が持って生まれた「自己」のせいだろう。
 人間は己を侵害されるのを何よりもいやがる。
 しかし集団として行動するために、社会を作っていくには、とどのつまり「協力して生きていく」ためにはどこかで自分を抑えなくてはならない。
 それを円滑に行うのが「権威」なのだろう。
 その権威が無いとどうなるかは、最近のガキどもを見れば良い。まともな躾も与えられないガキがどうなるかは、それらを見照ればよく分かる。
 ネット内には2ちゃんねるという存在もあるのでもっと分かりやすい。悪い実例としては最高の存在である(だからこそ2ちゃんねるとそこに入り浸ってる連中には消滅して貰いたいのだが)。
 権威の存在しない空間というのは、非常に生きにくいものである。
 そんなところで生きていくには、より強力な力を得るしかなくなる。
 必然的に弱肉強食の無法地帯となる。



 もっと偉い人がいる、というのはもしかしたらありがたいものなのかもしれない。
 それが無くなれば「なら、もう誰の言うことも聞かなくていいや〜」となって好き勝手に行動する人間が現れるだろう。
 それが大勢射ればフランス革命後のフランスや戦国時代の日本のようにあちこちで紛争・戦争・反乱が発生する。
 それが一つに集約されてしまえば、ソ連や中国のような傍若無人な政府を誕生させる。
 反乱が発生したり、内乱で分裂が起こらない程度に国内をまとめあげ、独裁や独占にならないように力を分散させる。そんな状態を維持する為には、やはり「権威」が必要ではないだろうか。
 そのバランスが崩れたら、小国に分裂するか、圧政が始まる公算がすこぶる高い。そうでないにしても、周辺国の介入を容易に招き、国家の解体を促進する事になりかねない。
 そうなったらどうなるのだろうか。
 この場合はGHQ占領下の日本を思い出せばよいだろう。
 アメリカ兵の横暴を日本の警察は阻止できず、産業の分野すら制限される。言論の自由すらない。
 アメリカ占領下での日本は、重工業の産業が禁じられていたと聞く。それが撤廃されたのは、逃散戦争が始まり、速やかな兵器の供給が必要になったからだと言う。アメリカから物を運ぶよりは、日本で生産した方が便利なのは当然だ。見方を変えれば、朝鮮戦争がなかったら、今のような技術立国日本は無かったかもしれない。少なくとも、産業全般が今よりはるかに立ち後れていたと想像する事はできる。
 また、言論分野では「GHQへの批判は一切出来ない」という状態だったと聞く。ラジオや新聞でそんな事をしようものならば、すぐに制裁されたとか。だとすれば御用放送や御用新聞が多くなっていくだろう。残念ながら今現在もその後遺症は続いているように思える。
 いわゆる植民地というやつよりは遙かにましだったとはいえ、こういった事が当たり前のように行われるのが、他国の支配下にある、ということだ。
 今の世の中でそんな事は起こるまい、とか思ってる方々は、そんな今の世の中で発生した湾岸戦争やイラク戦争、アフガン戦争などを思い出してもらいたい。今の世の中であっても、火種というのはどこにでもあるもんだ。
 また、被害ヨーロッパ諸国は、ソ連の高圧的な政治体制の下にあった、というのを思い出してもらいたい。
「今の世の中で・・・・・」というのは何の言い訳にもならない。



 人間というのは、結集していた方が強い。
 その結集を穏やかに行うのは「権威」であろう。
 威張るわけでも何でもない、でもその人の言うことは聞いておこう、という存在はそれだけでありがたい。
 国内を穏やかに統合し、国外に対して強い結束力になる。
 そういうのがいる、という事のありがたさを少しは考えておくべきだろう。



 そして権威を発生させるのは、他とは違う何か、である。
 多くの場合それは武力のように思われる。
 天皇陛下の場合は、「男系統の男子にのみ継承されてきた」という事実だろう。
 非常事態には男系統の女子が一時的に即位した例もあるが、その女子から始まった血筋は無い。
 男親で辿っていけば初代天皇である神武天皇に辿り着く、という共通項を持つ男子のみが、継承権を持つ。そういう事を連綿と続けてきた。
 これだけが天皇の称号を継承する条件、とも言える。一番基本的な部分だ。
 もしこれを崩せば、様々な継承理由が後から後から出てくるだろう。その時には「俺が天皇だ」「俺も天皇だ」「いや、俺こそが天皇だ」と名乗る輩があちこちに登場するだろう。
 そんな自称天皇を生み出して喜ぶのは、万年野党の共産党くらいなもんだ。あるいは日本で政権が絶対にとれない連中であろう。
 何より、それで喜ぶのは日本の周辺国や、日本に対して野心を持ってる諸外国であろう。
 そんな連中を喜ばせてどうするのか、と俺は常々疑問に思っている。
 捕捉を含めてもう一度言う。


・天皇の地位に就けるのは、男系統男子の皇族のみ
・その条件があるならば直系・傍系の区別はない



 直系・傍系の区別がない、というのは、従兄弟でもなんでも継承し書くが発生する、という事だ。
 また、何代も前に遡らなければ共通の先祖(当然男を辿って、という条件で)にぶちあたらない場合でも継承権が発生する。
 優先されるのは天皇に近い血縁者になるのは当然(でないとこれまた継承争いが発生する。こういう継承順位を決めておくのも、無用な争いを無くすための手段である)だが、それらの中に適任者がいない(子供が女子だけだった、など)場合に天皇の断絶を回避する智慧といえる。
 また、現代的に言えば「女性の権利を守る」「女性を尊重する」という点から見ても優れている。
 もし直系の男子しか認めないならば、天皇の血筋を守るべく数多くの女性が側室として天皇陛下の周囲に送り込まれる事になるだろう。その女性達は、天皇以外との男性との接点を隔離される運命にある。
 やたらと女性の権利にうるさい方々は、こういった事態を回避するためにも旧来の天皇陛下の継承権を復活させるよう努力してもらいたいものだ。



 何はともあれ左の方々には、

・天皇という存在
・それが持つ権威と権威の効用
・その権威ある存在を今後も奉戴していく事の利点


などを考えてもらいたいものだ。


 蛇足ながら現在の日本国憲法も昭和天皇陛下の承認を得ている。
 護憲派の方々はやたらと憲法を大切にしているが、だったらそれを承認した昭和天皇陛下と、その承認を引き継いでいる今上陛下、そして今後も(改正がどう議されない限りは)引き継いでいく未来の陛下、を大切にしてもらいたいもんだ。




 最後に。
 権威が発生するのは、たいてい「長く何かを続けている」場合に限られる。
 新しく思い付いたことや、勝手に始めたことに権威は生まれない。誰もが反発する。
 そういう事をわきまえながら皇室問題に口をはさむように。
 女系の天皇や女性天皇なんて、権威に服している人には戯言でしかありませんので。そういう人達が旧宮家の方々をかついであちこちで反乱を起こす可能性も・・・・・・・・・無くはないですから。
 日本を分裂させたいなら話は別ですけどね。







 またもやまとまりのない文章で終わる。
 こういうところは改善して行けたらいいんだけどねえ・・・・・・。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月14日

適当・・・・・・・ではないこと

 おそらくこれが最後のエントリーとなるだろう。



 非常に唐突なのだが、ブログを続ける気力が無くなった。
 理由は少々有るのだが、それについては触れないでおこう。言ってどうなるもんでもないことだ。
 一応言っておくが、ネットウヨク絡みが問題ではない。それで辞めるようならばkomichiさんを助けたところで辞めている。
 また、2ちゃんねる絡みでもない。それで辞めるならば最初からネット自由化運動などに肩入れしない。
 理由は実に個人的、いや、気分的なものだ。
 ともかく、「もうこれ以上やってても仕方ないな」と思ってしまったのである。





 こんなブログでも楽しみにしてくれてる人はいたかもしれない。
 また、心強く思ってくれてる方もいる。
 そういった方々には大変申し訳ないのだが、俺自身がどうしてもブログを続ける気になれないので仕方ない。




 とりあえずこのブログはほんの少しの期間だけ残しておくが、それが三ヶ月を越えることはあるまい。いや、今月中にも削除するつもりだ。
 あわせて関連するブログも削除する。






 ただ、何らかの形でブログは再開する予定である。
 見え始めた問題の確信を放置しておくつもりもないし、ネットの問題についても多少なりとも継承を鳴らし続けたい。
 何より、日本の危機に対して何もしないでいるつもりは毛頭ない。
 左翼とは真っ向から対立する右翼として、自分自身を日本の保守派と任じている自分自身の意地のためにも、声の限りに、言葉を吐きだし、問題点を突きつけていきたい。
 ただ、それをやるのが今のブログではイヤなのだ。





 とはいえ誤解してもらいたくない事もある。
 このブログを通じて知り合ったいわゆる「左」の方々である。
 明確に「左」というのもなんなのだが、俺と対極の考えを持つ方々、それにも関わらずそれなりに良い関係を続けさせてもらった方々。
 あなた達が嫌いになったわけでもない。
 主張している事には何一つ賛同できないのは事実だが、人間としてそういった方々が嫌いになった訳ではない。むしろいわゆる右の立場にいるはずの連中の方がよっぽど嫌いである(誰とは言わないが分かってくれるだろう。某sとかその辺りである)。
 ブログをやめるきっかけになったのは、もっと別の問題があるからだ。






 何を言っても言い訳以上にはなるまい。
 ただ、いずれは復活するつもりである。
 その時までしばし休養を取り、再びネットにてささやかながら自分の思うところを主張するつもりだ。
 当然ながら、左翼に対立する立場を捨てるつもりは無い。残念ながら左翼の主張はどう考えても日本の、ひいては世界の、さらには人類にとって害悪となる。
 しかしながら、現在右翼と呼ばれている連中の主張にも与するつもりはない。そいつらのやってる事が許せない、というのもあるが、それ以上に右翼と呼ばれる連中の言動や考えが左翼と重なるからだ。
 それゆえに右翼と呼ばれる連中をも毛嫌いしている。
 おそらく連中との接点は今後もないだろう。
 俺が変節するか、連中が変わらない限りは。








 蛇足が長くなった。
 ただ「やめます」と一言書けばいいだけなのにこんだけ長くなった。それだけ未練があるのだろう。女々しいことこの上ない。





 今度出会うときは敵となってしまう人が多くいるだろう。
 でも、どこの誰の味方でもない、どの勢力に身を寄せるでもない、自分自身の思うところをつらつらと綴っていく立場に自分を置こうと思う。
 それが俺にとってではなく、より多くの人にとって正しいことであることを願いながら、このブログにおける最後のエントリーを終了しようと思う。






 それでは、さようなら。





「気ままにつれづれ」ブログ主 つれづれなるまま・・・・に?



**2/18追記**



 各方面からコメントやトラックバックをいただき少なからず驚いている。ありがたい事ではある。
 だが、それゆえにこのサイトを閉鎖したいのだ。


 やはり俺はネット右翼であるし、保守的な考えを持っている。
 身分や生まれによって出世が出来ない、というような体制を求めるつもりはないが、人間が千差万別である以上格差は開いて当然とも思う。
 また、伝統や慣習というものが様々な弊害を抱えているとしても、それによって世の中のバランスが保たれ、治安がよく、自由を享受できるならば、旧来の伝統を存続させるような状態を続けていくべきだとも思う。
 そういった考えでいると、どうしても革新的・革命的な考えや、国家の枠組みを越えた「地球市民」と言える考え方とは衝突してしまう。
 そういった事をここで述べていくのも良いのかも知れない
 あるいは「そういう考え方もあるのか」という別の視点を多くの人に提供する事にもなるのかもしれない(どうやらそうした役割は多少は果たせたようだ。ありがたい事である)。
 だが、それがいつ火種として燃え上がるか分からない。俺も自制心豊かなほうではないので、どこで爆発するかも分からない。
 それならば、あえてこのブログをうち切り、本当に自分の考えに沿った意見を展開する場所をあえて作りたい。その方が意見を突きつけ合わせるときにも変な遠慮はいらないだろう。
 そう考えて閉鎖という道をとる事にした。



 このブログについては、やはり今月中に閉鎖するつもりだ。
 新たなブログも既に用意した。
 あとはそこで自分の考えを展開していくつもりである。


 そこではここで展開できなかった政治に対する自分の考えをもっと大っぴらにしていきたいと思う。
 また、コメントやトラックバックを受け付けないし、こちらからどこかに送りつけもしないようにしたい。
 誰かが検索やリンクを辿ってやってくればよい。「ああ、こういう考えもあるのか」と眺めていただければよい。そういう所にするつもりだ。



 2ちゃんねるへの批判は続けていくつもりである。
 あの存在は害悪にしかならない、と思うからだ。
 ただ、それは「反2ちゃんねる」という形では行いたくない。
 あくまで「ネットの自由のため」という立場から行っていきたい。
 「反2ちゃんねる」というだけでは2ちゃんねるだけを対象にすることになる。それでは2ちゃんねる以外に目がいかない事もある。
 そうではなく、「ネットの自由」を守るために、また、それを侵害する要素の一部(というにはあまりにも大きいが)として2ちゃんえるを批判していきたい。
 もちろんネットの自由を脅かす存在として2ちゃんねるが縁時点で最も大きな存在ではある。だが、本当に目指すべきは誰もが言ってるように「2ちゃんねるの消滅」ではなく「二度と2ちゃんねるのようなものを作らない」事にある。
 なぜそうしなければならないのか、と言えば、それは「ネットの自由」のためである。
 断っておくが、自由は無法地帯を創り出すという事ではない。
 誰もが自分の意見を述べる。誰もが己の意見を侵害されない。それは互いに自分の立場を譲り合い、相手を思いやる、という事にもいきつく。
 主義主張を尽き付き合わせ、己の正義のみを言い立てるのは自由ではないはずだ。残念ながら2ちゃんねるというのはそれを大きく踏みにじっている。
 それ故に反対する。
 あまり上手くは伝わってないかも知れないが、俺の取る立場はそんなところだ。



 そういった事も含めて、一度リセットボタンをおし、新しい形でブログを始めたい。
 やはり俺には格差の対極にある平等は受け付けられないし、自由がもたらす格差を否定できない。
 財産や文化の継承を大事と思う故に、それを阻止するような平等化は悪としか思えない。
 そういった事を少しずつ今度のブログでは述べていこうと思う。



 なんだかまとまりがないが、今の俺の気持ちを述べるとこんな風になる。
 言い訳を綴ってるのもみっともないが、何を考えているのかを察していただければ幸いである。



 これが本当にこのブログでの最後の書き込みになるだろう。
 とりあえず今月いっぱいはここを残しておく。
 もし参考になるような部分があればコピーしてもっていってもかまわない。自分のブログに掲載したい、プリントアウトしておきたい、とりあえずワードパットなどに書き写してパソコンのデータとして残しておきたい、というならこんなにありがたい事はない。
 それだけの意義があったというならば、このブログで書き記してきた適当なことにも意味があったのだろう。



 長くなったが、本当にこれで最後にしたい。
 それではみなさん。
 本当にさようなら。



**2/21追記**




 ・・・・・・さようなら、と言いながらまたも追記である。




 予想以上に多くの皆さんに波紋投げかけてるようでびっくりしている。
 また、このような事態になってあらためて自分がどのように見られていたのか、というのを知る。


 まず、ブログの機能のアクセス解析で知ったのだが、アンチ2ちゃんねるの一人aicoさんのブログから。


「ショック!BLOG“気ままにつれづれ”更新終了宣言!」
http://arvel7aico.btblog.jp/cm/kulSc08z145D8672C/1/

>脱2ちゃんねるして日が浅かったのか、そこのブロガーさんの筆跡が凄い2ちゃんねらーぽくてアイコは怖くて近寄れなかった記憶がありましゅ…

 だって……初期の頃はおもいっきりVIPしてたんだもん……< 


 ぐはっ! ってなもんだ。
 まあ、確かにそういうマネしてたけど・・・・・・・。


 実際のところ、ネットに接続できるようになって以来2ちゃんねるは嫌いです。
 何度か足を運んだこともあるが、生理的に2ちゃんねるは好きになれない。
 その理由についてはこのブログのエントリーの中でもちょっとだけ触れたが、
「無法と自由をはき違えてる」
 というところ。
 何でもやって良い、というのは「無法」
 やってはいけない事を制限し、あとは好きにしろというのが「自由」・・・・・・・・であろう。
 言い方を変えれば、
「お互いに相手を思いやれ」
「自分のやりたいようにやれ・・・・・・・ただし誰をも傷つけるな、誰にも嫌な思いをさせるな、能うならば他の人達を幸せにするようなことをやれ」
「自分自身が誰にも侵されたくないと思ってるように、他の者も自分を大事にしているんだ。それを互いに大事にしろ」
というような事にもなろうか。
 人間なんてのはもともと自分てのが強い生き物なんだから、どこかでその自分を抑えなくてはならない。でなければ社会という集団を形成することなどできはしない。
 2ちゃんねるの連中はそれを忘れている。
 そして、そんなのが世の中の基準だと錯覚している。
 そういう自覚などどこにもないだろう。あったらあそこまで馬鹿なことが出来るわけがない。
 そういう連中は反吐が出るほど嫌いだ。
 また、ネットに接続するようになってから出会ったふざけた野郎共は、たいがい2ちゃんねるの癖が出ていた。
 そういう事もあって、2ちゃんねるは産業廃棄物並に害を撒き散らす存在だと思っている。いや、核廃棄物、と言ったほうが良いだろう。破壊力は抜群であるが、それ以外に何の利点もない。そういう所まで似ている。
 にも関わらず初期の頃に2ちゃんねるっぽい言葉遣いをやってたのは、連中に自分のやってる姿を見せてやろう、と思ったからである。全部が見よう見まねだった。
 とにかく語尾に「w」をつけまくること。
 相手を嘲笑するような言葉遣いをすること。
 半角文字や誤変換を利用した言葉の置き換えをすることなどなど。
 「>」を多用して相手の言葉の中から都合のよい部分を抜き出し、自分に都合良く引用し、相手の揚げ足を取ること。
 そういった事をあえてやっていた部分はある。
 それがどれだけ馬鹿げたことなのか、自分自身で味わって考えてみろ、と。
 と同時に次のような考えもあった。
「相手が自分の考えを堂々と主張しているならば、こちらも自分の考えを堂々と主張しなければならない。
 ただし、相手が揚げ足取りや罵倒を主眼においてるならば、こちらも同様に対処せねばならない」
 ネットで遭遇した荒らし連中とのやり取りの中で感じたことである。
 最近読んだ本の中にこれをより適切に語った言葉があったので引用したい。


「毒は毒によって制せられる。
 金剛石(ダイヤモンド)は金剛石によって断たれる」

(「インド人大富豪の教訓 大金を掴む45のヒント」123ページ)


 ネットで馬鹿げた連中を見るにつけて思ってたことが、意外なところで正しいやり方だったと証明された・・・・・・ってほどでもないか。
 しかし幾ばくかの教訓を含んでるとは思いたい。
 荒らしの連中ならば、同じ種類の人間を毛嫌いするだろう、というような安直な考えで始めたことは、存外効果があったかもしれない。
 というか、思った以上だ。
 まさかねらーと同じに見られていようとは。
 作戦は成功したのか失敗したのか・・・・・・・。
 悩むところではある。


 なので、俺は更正も後悔も反省もしてません。
 今も昔も、たぶんこれからも2ちゃんねるが大嫌いです。
 まともに運営されるようにならない限り、存続を認める気はありません。


 でも、aicoさんははるかに良い方で、次にあげるやつなんかはモロに「自分に都合良く解釈」してる典型だ。
 これぞ典型的なねらーという奴だろう。
 ねらーで無いにしても、自分に都合の良い輩というのではなかろうか。


「「閉鎖」は寂しい出来事」
http://kei.txt-nifty.com/suki/2007/02/post_07f7.html

 こいつのいつも通りのご都合的な解釈は省いて結論部分だけ見てみましょう。

>それはともかく、気ままにつれづれさんの2ちゃんに対する態度は、いわゆる「ツンデレ」っぽさがありますね。2ちゃんをコケにしてらっしゃるものの、それとは逆に、2ちゃんを否定しきれず肯定するかのような記述も散見されます。<

 凄いねえ。
 最後になって、これで潰れると思って言いたい放題ですよ。
 どの辺りが「2ちゃんをコケにしてらっしゃるものの、それとは逆に、2ちゃんを否定しきれず肯定するかのような記述も散見され」るんだろうか?
 あんな無法地帯なぞさっさと無くなればよろしい、と書いてきたつもりなんだが。どうやらそういう風には読みとれなかったようだ。


 で、冒頭ではこんな事を。

>以前に書き込みをして、ご批判を頂いたりした「気ままにつれづれ」様が閉鎖されるとのこと。こーゆー出来事は、なんだか寂しいモノです。180を超える気合の入ったエントリごと消滅してしまうのは勿体無いなぁと思うワケで。<


 では、そんなお言葉にお応えして、閉鎖はやめましょう。
 言ってもいない事、考えてもいないにも関わらず、「こんな事を言ってたよ」などと言われるのは心外なので。
 記念にここは残して置きましょう。
 その上で、keiが述べてる事が正しいかどうかを判断してもらおう。



 というか、今思い出したよ。
「書いてることを削除してしまったら、実際に何が起こったのか分からなくなる。
 そうなったら、居残ってるヤツラに好き勝手に処理される」
ということに。
 いかんいかん。
 大事な事を忘れてたな。


 ってなわけで、無くなると思った途端にこんなのを送りつけてきた素敵な野郎の口車にのってやろう。


 なお、好き勝手に編集してる部分。


気ままにつれづれ: 適当なこと183 (cache)

「2ちゃんねる崩壊による、言論の統制・官僚機構やマスコミによる独占の開始」
 あえてこれが始まると断言しておきたい。


(中略)
それよりは2ちゃんねるのような場所がたくさんあったほうがいいように思える。競合他社の存在がなかった事が2ちゃんねるの肥大化を生み出し、悪事・罵倒をのさばらせた。



 うわー、すげー。
 俺が書いてる次の部分には何一つ触れてないや。
 自分の書いたことを引用するのもなんだけど、次の部分もよーくよんでもらいたいね。

 今までのインターネット環境がそれを物語っている。
 超大型掲示板2ちゃんねる。
 これ以上の存在が無かったから、これに対抗できるほどの大きな存在が無かったから誰も対抗できなかった。
 少しでも成長する可能性のあるネット上の集まりがあれば、すぐさま2ちゃんねるの工作員が投入されて潰された。
 あるいは自覚無き協力者達が、2ちゃんねる以外の存在を潰していた可能性もある。
 工作員と協力者。この違いを明確にするのは難しいが、とりあえず以下のように考えていただきたい。


・工作員:
 明確な命令を受けて行動している者達。

・協力者:
 命令や指示は受けてないが、自分の信じてるもののために行動している者達。


 技術の優劣も確かにあるが、この両者を明確に分けてるものはこのようなものであろう。
 誰かの命令を受けて行動しているか、自分で勝手に行動するか。
 ただ、どちらも「所属団体が有利になること」のために頑張る、というは共通している。
 2ちゃんねるに工作員がいるかどうかは分からない。俺は「いる」と思ってるが確証はない。しかし、あれだけ大きなサイトが日本に一つしかない、というのは奇妙なもんである。
 また、ネット利用者の大半が利用しているのも不可解である。よほど優れた機能がなければそういった事態がおこると考えるのは難しい。
 おそらく、競争相手になりそうな他のサイトを根こそぎ潰してきたのではないだろうか。
 そして事実上の独占状態を創り出していたのではないだろうか。
 こうなってしまうと、対抗していくのが難しい。
 ご存じのように、2ちゃんねるへの対抗的なサイトがあらわれると、工作員や協力者が雪崩のように押し寄せる。この勢いというのは恐ろしいもので、人間の良心や常識・良識を根こそぎ破壊する。例え押し寄せる方が間違っていても、暴言を吐くのが悪いことだと知っていても、勢いのある方に味方するのが人間というものである。
 2ちゃんねるが圧倒的な多数派である、という印象をつくるだけでもよい。
 それで2ちゃんねるは安泰だった。




 こう書いてる俺が、

2ちゃんをコケにしてらっしゃるものの、それとは逆に、2ちゃんを否定しきれず肯定するかのような記述も散見されます。

 という風に見えるんだ。ふーん。

 ついでに言えばこういう事も書いてるんだが。

 思うに2ちゃんねるは免許制度のための、そしてメディア独占のための第一段階だったのではないだろうか?

 こういう事を書くことが「2ちゃんねるの肯定」なんだ。
 へー。


 あと、赤字ででっかく次のように書いたんだけどねぇ・・・・・・。


2ちゃんねるはネットに無法地帯を創り出した。

 見えなかったのかな?
 だとしたら相当な節穴だな。
 というか、ここを中略してどうするのだろうか。
 本当に都合良く言葉をつまみ上げるな。
 さすが荒らし・炎上擁護のkei。



 あと、「適当なこと184」の最後に書いてあることだが。

> とりあえず独自のドメインをとったり、個人サーバーをたてる、とまではやらないにしても、今現在各社が提供しているサービスを利用して、出来ることはめいいっぱいやろう。
 それがどこまで効果あるかは分からないが、何もしないよりはましであろう。
 その中から反省点や成功が見えてくるかも知れない。


 あまり解決策にもならない事を述べてきたが、何かの一考になれば幸いである。<


 これ、2ちゃんねるに対抗するための手段として書いてるんですが。
 それが「2ちゃんねるの肯定」ですか。
 とても素晴らしい嘘ですな。



 こういう事を読んでる人が、「実は気ままにつれづれは2ちゃんねる批判の形を取った2ちゃんねる擁護だったんだ!」という嘘を流して行くんだろう。
 この時期にこんなエントリーを送ってよこすくらいなんだからしょうがない。
 最後まで自分に都合良く話を進めようとしている姿勢がよーく分かるkeiちゃんでした。




「閉鎖」は寂しい出来事気ままにつれづれ: 適当・・・・・・・ではないこと (cache)

非常に唐突なのだが、ブログを続ける気力が無くなった。
(中略)
もし参考になるような部分があればコピーしてもっていってもかまわない。自分のブログに掲載したい、プリントアウトしておきたい、とりあえずワードパットなどに書き写してパソコンのデータとして残しておきたい、というならこんなにありがたい事はない。
以前に書き込みをして、ご批判を頂いたりした「気ままにつれづれ」様が閉鎖されるとのこと。こーゆー出来事は、なんだか寂しいモノです。180を超える気合の入ったエントリごと消滅してしまうのは勿体無いなぁと思うワケで。

というワケで、僕に対してのご批判などが掲載されたエントリを列挙。ひとまず引用ではなく、ウェブ魚拓利用。

気ままにつれづれ内 「KEI」記事検索結果 (cache)

気ままにつれづれ: 適当なこと169 (cache)
気ままにつれづれ: 適当なこと170 (cache)
気ままにつれづれ: 適当なこと173 (cache)
気ままにつれづれ: 適当なこと176 (cache)
気ままにつれづれ: 適当なこと177 (cache)
気ままにつれづれ: 適当なこと178 (cache)
気ままにつれづれ: 適当なこと180 (cache)

気ままにさんは、2ちゃん批判の記事を色々書かれていましたが、それに関連しそうな記事を見つけました。

Korean the 3rd : 自由なインターネットは匿名、実名に関係無い

これから、私たちがインターネットを利用していく上で、実名とか匿名というのは実は瑣末な問題に過ぎない。モラルの問題はそれこそネット内の自浄作用に任せなければならない問題だし、権力に監視される言論というのはそれこそ言論の自由を脅かすものである。これらは別個で語られるべきものであり、実名匿名の是非に関わらず、インターネットに触れる私たちが考え続けなければならない問題でもある。
僕はインターネットが普及する前のパソコン通信時代にネットを始めました。「ニフティーサーブ」(現@nifty)においてです。

パソ通のニフティは「実名制」ではなかったものの、そこに接続するには会員になってIDを取得する必要がありました。現在のID制サイトなどのように、適当なフリーメールアドレスに類するようなもので会員登録は出来ず、基本的にはクレジットカードや銀行口座、実名や住所などの個人情報を全て胴元に提供しなければなりませんでした。ネットに接続するにも、ニフティが設置したアクセスポイントに接続する必要があるため、今のWWWのように、串だのなんだのと「個人特定を妨げる要因」が介在するほとんどありませんでした(ま、あったのかもしれませが^^;)。
そのため、「実名性」に関しては、現在のmixiなどよりも、ずっと強固に確立されていました。

昔話はともかく…

「実名」か「匿名」か…なんて議論は、ネットを趣味で利用する上では、ある意味ではどうでもいいことです。

Korean the 3rd様で述べられている「言論の自由を脅かす」ような事態が起こらないためには、逆説的ではありますが、ある程度、個人を特定できる方法を確立しておく必要があると思います。

今の日本のインターネットの状況はどうか?

匿名がもたらす害悪の象徴として「2ちゃんねる」が祭り上げられていますが、実はその「2ちゃんねる」も、匿名性がもたらす害悪を防止している一面があります。「2ちゃんねらは匿名で好き勝手にやっている」という批判は多くありますが、2ちゃんねる発の逮捕者というのも多く存在しています。匿名ではあるけれど、個人を特定することは可能であり、2ちゃん側も、その情報を警察にキッチリ提供しているワケです。そして、利用者もそのことを肝に銘じて、"2ちゃんねらなりに"節度ある活動をしているワケです(これらは、何も2ちゃんねるに限らない匿名ネット社会の常識的なハナシですが)。
上に述べた昔のパソコン通信ほどすんなりと個人特定に至らないにせよ、必要な場合に必要な措置を取れる程度にはシステムが整備されています。

「よりモラルあるネット利用を啓発すべき」といった程度の前向きの姿勢は常に必要でしょうけれど、基本的に、現在の「匿名ネット社会」は必要最低限のシステムを確立しています。
「匿名であること=個人を特定されない」と思い込んでいる人はともかく、そうではない多くの人は、匿名で自由気ままにつれづれに活動しているように見えても、多くの縛りを自分に課していると思います。

気ままにつれづれ: 適当なこと183 (cache)

「2ちゃんねる崩壊による、言論の統制・官僚機構やマスコミによる独占の開始」
 あえてこれが始まると断言しておきたい。


(中略)
それよりは2ちゃんねるのような場所がたくさんあったほうがいいように思える。競合他社の存在がなかった事が2ちゃんねるの肥大化を生み出し、悪事・罵倒をのさばらせた。
断言されますか(^^;)。

それはともかく、気ままにつれづれさんの2ちゃんに対する態度は、いわゆる「ツンデレ」っぽさがありますね。2ちゃんをコケにしてらっしゃるものの、それとは逆に、2ちゃんを否定しきれず肯定するかのような記述も散見されます。

気ままにつれづれ: 適当なこと184 (cache)

とりあえず独自のドメインをとったり、個人サーバーをたてる、とまではやらないにしても、今現在各社が提供しているサービスを利用して、出来ることはめいいっぱいやろう。 それがどこまで効果あるかは分からないが、何もしないよりはましであろう。 その中から反省点や成功が見えてくるかも知れない。
気ままにつれづれさんの今後のご活躍を祈念させて頂きます。

どうでもいいですが、個人的には2ちゃんは「北朝鮮」よりは、「アメリカ」っぽいかなぁとか思いまスた。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 20:31| Comment(4) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月27日

適当なこと184

 インターネットにおける2ちゃんねる問題。
 その横暴さを下記のサイトでは「インターネットの北朝鮮」と述べている。この指摘は実に正しい、と言いたい。



2ちゃんねる から子供たちを守ろう!



 とはいえ北朝鮮という言葉が本質をついているかと言えば「NO」と言わざるをえない。
 これは一人の親さんが間違ってるというわけではない。もう少し踏み込んでもらいたい、という事である。
 なぜならば、2ちゃんねるとは北朝鮮という一国のみを表した存在ではないからだ。
 2ちゃんねるとは、ヒットラーのナチスドイツやレーニンのソ連、毛沢東の中国などに見られる全体主義体制、独裁国家である。
 北朝鮮というのは非常に分かりやすい例えなのだが、更に掘り下げればこうも言える。


「2ちゃんねるこそが独裁国家・左翼体制を具現化したものである」と。


 俺には、どう見ても2ちゃんねるがそういうものにしか思えない。
 その思いを少しでも今回は述べていきたい。




 まず、左翼というのがどんなもんであるのか、ということだ。
 連中の述べる主張というのはじつに素晴らしいものである。
「富や資産を独占するな」
「国民の幸せを考えろ」
「一部の特権階級を許すな」
などである。
 それだけ聞いていれば何か正しいことを言ってるような気になってくる。
 が、そんな左翼連中が政権を握ったらどうなったのか。
 俺の知る限り最古の左翼革命であるフランス革命や、最も有名(と思われる)なロシア革命を振り返ってみたい。
 そこで行われたのは、


・政治権力を握った連中による地位や富の独占
・地位の二極化
・反対勢力の抹殺・虐殺
・政治権力(=国家)の許可を得ない限り何もできない


という事態である。
 これらは全て左翼が否定したものである。左翼が断固として粉砕しようとしたものである。
 にも関わらず、結果は粉砕したものがより強固になって出現していく事になる。
 左翼は、自分達以外に力を持った者が出るのを認めず、他人の意見を聞かず、自分達に従わない者を赦しはしない。
 自分達の思い通りにならない全てを破壊し、自分達に奴隷のようにかしずく者のみを認める。
 残念なことに様々な地域で行われた革命や民主化などはこういった事態を引き起こしている。
 俺が知る唯一の例外はアメリカだけである。


 こういった事実を見ていると、左翼というのが主張する様々なかけ声(スローガン)があやしくなってくる。耳に聞こえのいいことを言ってるが、本当にそれを信じて良いのか? と思いたくなる。



 インターネットにおいてそれを体現したのが2ちゃんねるであった。


 2ちゃんねるとはどんなものだったのか?
 下記のブログなどで述べられてる事を参考に考えて見たい。

2ちゃんねる から子供たちを守ろう!


 ここに書かれている事が正しいかどうかは分からない。
 しかし、ここに書かれている事の大半が正しいと思う。少なくとも「当たらずと言えど遠からず」という範囲にはおさまってるだろう。
 2ちゃんねるのとった行動は次のようなものになる。


1、参加自由という空間の提供

2、同様なサイトへの工作員投入による破壊

3、競合相手を潰すことで、ネット内における唯一の存在となる

4、人を集めることで宣伝能力を強化

5、後発の同様サイトへの破壊工作

6、ネットでの独占的な地位の確立



 といったところだろうか。
 独占というところに注目してもらいたい。
 本当に自由にサイトが作れるような状況ならば、こんな風にはならなかったはずだ。
 にもかかわらず、自由にものが言える(という触れ込みの)場所は2ちゃんねるだけに限定されている。
 なぜか?
 こんな風になる理由は至って簡単で、他の競合相手を潰しまわったからである。
 その為に様々な手段をとったのだろう。ネットにおける罵倒・暴言行為である「荒らし行為」などがそれである。普通の人間にはたえられないようなこういった事を平気でやる人間というのはまず存在しない。それを行うのは、それをやるだけの利益があるからに他ならない。
 荒らし行為が行われれば、普通の利用者は嫌気がさす。たとえ管理人に落ち度がなくても、足が遠ざかる。そうやって閑散としていけば、いずれは管理人のやる気もなくなり、サイトは潰れる。
 その結果、比較的マトモ(と思わせられた)2ちゃんねるに足が向くようになる。
 2ちゃんねるでは2ちゃんねるにたてつかない限りあまり酷い目にはあわない。
 逆に2ちゃんねるに歯向かえばどうなるのか?
 書き込みによりIPが判明し、それをたぐって書き込んだ人間の個人情報が簿迂路される。その結果2ちゃんねるを非難した人間は社会的に抹殺される。


 ここから見えてくる2ちゃんねるの戦略は実に単純である。
 だが、非常に有効な手段である。


・敵戦力の分散・弱小化

・弱小化による各個撃破



 古くから使われてきた戦争のやり方、侵略のやり方である。
 2ちゃんねるはそれに実に忠実だ。
 また、非常に汚いやり方をしてくる。


・自分への反論・意見は認めない

・相手が全部悪いと言い張る



 ガキのケンカと同じで、そこに理性も理屈もない。
「自分が良ければそれでいい」という実に我が儘な考えが見えてくる。
 では、2ちゃんねるの我が儘とはどんなものなのか?
 気が付いたところ部分だけでもあげてみたい。


・「ネットは自由な空間である」
→しかし、2ちゃねる以外の同じ様なサイトを作るのは許さない

・「発言するのは自由である」
→しかし、2ちゃんねる以外での発言は認めない

・「例え批判的な意見であっても、それを消すのはよくない」
→しかし、2ちゃんねるへの批判は荒らしが送り込まれる


 実に一方的である。
 2ちゃんねるには免罪符が渡されてるとでも言うのだろうか?




 こうなってくると2ちゃんねるというのは一種の特権階級であり、批判するのも文句を言うのも許されない。
 一言でもそんな事を言えばすぐに逮捕・投獄・強制労働送りになる左翼体制となんや変わらない。
 まさに「ネット世界の北朝鮮」である。
 次のように言葉を置き換えれば簡単に説明出来るのだろうか?


・ひろゆき=金正日

・運営部=共産党(労働党だっけ)

・工作員=スパイ、諜報員

・2ちゃんの荒らし共=軍隊

・その他の2ちゃん利用者
=こんな国家を(どんな理由がある)承認している民衆



 注目して貰いたいのは、一番下の「民衆」である。
 どんな独裁国家と言えども、それを認めている民衆なくしては存在しない。
 連中は「これは何か間違ってる」と思っていても、「しかし他に行くところがない」などの理由で現状を受け入れている。民衆や大衆というのはいつの時代でもそんなもんである。
 例外的な一部の人間は「ならば他に自分達の場所を作ろう」とするが、すぐに2ちゃんねるに潰される。それを見て民衆(2ちゃんの利用者)はますます自分でやる気をなくしていく。
 素晴らしい悪循環である。



 こういった体制が滅亡するのは大きく分けて二つ。


・制度そのものがいびつなので長期間存続できない。
 数十年もすれば滅亡か制度改革が必要になるので、それまでまつ。
(ソ連や中国がこれにあたる)


・外部に同等の組織なり集団があるならばそちらに逃げ込む事ができる。
 そちらを強化して独裁体制の衰退をさそう。
(東ドイツ・北朝鮮からの国外逃亡がこれにあたる)



 本来ならばここに第三の手段として、


・より巨大な力でもって叩きつぶす


 というのも加えたいところである。


 さて、上記のような滅亡が待ってるのはここ数十年の歴史をちょっと振り返れば分かることである。
 同様に対抗手段も過去の事例から拾い集める事が出来る。
 こういった独裁体制がどうやって滅んだのか。
 その道筋を見ればとるべき手段は分かってくる。
 それらをまとめると次のようになるだろうか。

 
1、反対派同士が結集すること

2、競合相手となるような場所を創り出す

3、敵勢力の人間を絶対に入れない



 敵が恐れるのは反対派が終結して力を持つことである。
 だからこそ、目が小さなうちに潰そうとする。
 そういった圧力に対してこちらがどれだけ対抗できるかである。


 残念ながら現時点で2ちゃんねる以上の集客力をもつところは存在しない。
 MIXIをはじめとしたSNSがそうなるかもしれないが、現時点ではどうかな、というところである。



 ただ、手をこまねいているだけでは状況は進まない。
 世の中というのは、勝手に進歩前進するものではない。当たり前だが、自分で行動しない限り、成果を積み重ねない限りなにも動きはしないし変わらない。
 とりあえず手の出せる範囲で何かをやっていこう。


 一番良いのは2ちゃんねるのような掲示板をつくることなのだろうが、残念ながらすぐに荒らしが飛んでくる。
 コメントの承認制も、数多くの人が集まる場所では不便極まる。
 可能な限り多くの人が集まり、なおかつ自由に使える場所、となると難しくなる。
 前のエントリーでその打開策になれば、と思ってブログのパスワード機能などを紹介したが、これも浸透するまで時間がかかるだろう。効果があるのかどうかも現時点ではまだ判明してない。


・参考までにもう一度掲載しておきます。

「気ままにつれづれ/特定会員様限定空間(仮)」
http://cvznahtadakja.seesaa.net/

ユーザー名 :angakangads

パスワード :gannnewqna



 こういった形でSNS的な空間を広げて行ければ、と思ってるが前途は多難だろう。
 ただ、それでも独裁体制に対抗するにはこういった場所が必要だとも思える。
 何より「人が集まる」という効果が大きい。



 2ちゃんねるがしぶとく生き残ってるのは「利用者が多い」という事に目を付けてる企業が多いからである。
 どれほど被害が出ていようとも、金になるならば企業も無下に着るわけにはいかないのが2ちゃんねるであろう。
 このシーサーブログにも様々なアフィリエイトが張り付けられている。投稿管理画面にもあるくらいだ。正直笑ってしまうのだが、企業というのはそういうものだろう。それが悪いとは何一つ思わない(これを攻撃するのが社会主義者や共産主義者である。そいつらの叫び声に騙された結果は、それこそ北朝鮮やソ連・中国を見てくれれば良いだろう)。
 という事は、利用者の多い空間を他に作ればよい、という事になる。
 生半可な事では出来ないが、やるしかない。
 それが出来なければ、いつまでたっても「声を張り上げるだけ」の活動になってしまうだろう。
 声を出すことは悪いことではないが、それだけで世の中が動くと思うのは少々甘い。


 とりあえず独自のドメインをとったり、個人サーバーをたてる、とまではやらないにしても、今現在各社が提供しているサービスを利用して、出来ることはめいいっぱいやろう。
 それがどこまで効果あるかは分からないが、何もしないよりはましであろう。
 その中から反省点や成功が見えてくるかも知れない。


 あまり解決策にもならない事を述べてきたが、何かの一考になれば幸いである。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 12:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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