2007年01月19日

適当なこと183

**最初に**


 本来ならばもっと早くエントリーとして掲載したいと思っていたのだが、どうにもネットに接続できずにずるずると今日まで来てしまった。
 なんで、書いてある内容が現在とずれてるところもあると思います。
 どうかご勘弁を。

**以上、言い訳でした**




 2ちゃんねるが閉鎖になりそうです。
 詳しくは下のバナーをクリックして確認して見て下さい。


2ちゃんねる から子供たちを守ろう!


 該当記事はこれです。


「いよいよ2ちゃんねる崩壊へ!」
http://anti2ch.blog61.fc2.com/blog-entry-230.html#more


「『2ちゃんねる崩壊』報道の裏には何が?」
http://anti2ch.blog61.fc2.com/blog-entry-231.html#more


 これでネットから誹謗・罵倒が消えるというわけではないが、そういう事をする連中が屯する場所が消えるのは確かである。
 もっとも、西村は再び2ちゃんねるを作るだろうし、同じ様な「書き込み自由の無法地帯」をつくろうとする連中は出てくるだろう。
 だが、それでも2ちゃんねる崩壊は確実にネットから多くの罵倒・暴言を減少させるものと考える。
 なぜか?


 罵倒・暴言をいくらしてもよい、という無意味な自信が崩壊するからだ。


 人間というのは、良くも悪くも自信がないと何もできない。
 自信という言葉を、勇気ややる気、と置き換えてもよい。
 あるいは覚悟と言っても良い。
 ようは、「何が何でもやる」という気力だ。これがないと、どれだけ能力が有ろうとも技術があろうとも、人間は何もしない。
 反対に、やる気が有れば結果を気にせず行動をはじめる。
 人間というのは面白いもんである。
 もっと面白い事に、失敗を繰り返しながらも行動をしていくと、やがて成功に至ることがある、ということか。これは「失敗を反省し、二度と失敗しないようにしていく。成功するために改善を施していく」ことを絶えず繰り返すことで為されるのだが、それを繰り返していくのも「自信」である。


 ネットでの罵倒・暴言(これらは「荒らし」という言葉で表される。「悪口」と素直に言わないところに欺瞞性がある)が放置されてきたのも、こういうコトする連中がやたらと強気だったのも、「2ちゃんねるのような大きな存在があるのに、政府を始めとした誰もが手を出せずにいる」という事に寄りかかっていたことにあると思う。
 だが、それが今回一気に粉砕された。
「ネットであろうとも、悪事を働けば(言葉による暴力、つまり「悪口」の類であろうとも)決して許されることはない」
という良い前例をうち立てた。
 2ちゃんねる閉鎖というのはそういう意味を持つ。
 面白いことに、これを成し遂げたのも、一人の人間の覚悟である。


 詳しくは「2ちゃんねる から子供達を守ろう」のエントリーを参照してもらいたいのだが、今回の2ちゃんねる差し押さえが出来たのは、2ちゃんねる被害者の方の一人が、泣き寝入りすることなく、ネットでの暴言に負けることなく、傷口を拡大することを恐れず、「絶対に罪を償って貰う」「悪事を働いたことと、それを放置したことへの罰を受けて貰う」という強い気迫・新年があったればこそである。
 被害に遭われたその方に対しては同情を禁じ得ないが、彼のような人物がいなければ2ちゃんねる閉鎖という事態が現実味を帯びることも無かっただろう。
 こういう覚悟を持った人物を勇者というのであろう。
 勇者とは、特別な能力をもった存在ではない。王家の人間だとか、優れた神官だとか、教養のある人物、というわけではない。
 勇者とは、やらねばならない事を実行する人物の事を言う。
 やらねばならない事というのが、人を不幸にすることを撲滅することや、人が幸せに生きていけるようにすることであるのは言うまでもない。こんな事を書くのは「やるべき事ってなんだよ」というネットにおけるふざけた揚げ足取り’いわゆる荒らし行為)の為である。また、そんな事をするような空間だったのがネットである。
 それが覆った。少なくとも覆す勇気を与えてくれた事に感謝したい。


 とりあえず2ちゃんねる崩壊への序曲。あるいは助走が始まった。
 めでたい事である。
 今後は2ちゃんねるを根拠としたふざけた行動は少なくなるだろう。個人的に頑張る連中は残るだろうが、今までのように大多数を根拠としてきた横暴は少なくなるのではないか、と思いたい。






 とはいえ、これで問題が解決するわけではない。
 俺はあえてこう言いたい。


「2ちゃんねる崩壊による、言論の統制・官僚機構やマスコミによる独占の開始」


 あえてこれが始まると断言しておきたい。
 なぜならば、これまでの2ちゃんねる批判がそのままこれに繋がるからだ。
 その一例として非常に印象的なのだが、これである。
「ネット利用の免許制度」
 このような考えが出てくる事に驚きを隠せない。
 というのも、これは「ネット利用者の制限」に他ならない。
 免許制度ということは、免許を発行する存在がいて、こいつがネットにおける言論を統制する事になる。
 それは2ちゃんねる以上の統制と独占を実行するだろう。
 静かに。
 確実に。


 まず、免許を発行するのが誰なのか、という事である。
 それが各インターネット企業(プロバイダー)であるならば問題ない。
 好ましからざる利用者と判断されて一つのプロバイダーから利用停止処分を受けても、別のプロバイダーに乗り換えれば済むことである。
 全部のプロバイダーが拒否するほどの問題人物であるならばともかく、まともな事を言ってるならば全部のプロバイダーから排除されることはまずあり得ない。
 しかし、もしも国家などがネットを管理する、と言い題したらどうなるか。
 それは、「ネット活動は政府の手によって左右される」という事に繋がるだろう。
 少なくとも政府への敵対的な書き込みは全て削除される。
 それも書き込みを制限される、というレベルではない。そんな事をせずに、サイトを全部削除してしまい、そんなサイトを使っていた人物に今後二度とネットにアクセスできないようにするだろう。
 免許制度というのはそういう事である。


 これは2ちゃんねるに屯してる連中の暴言・罵倒よりもはるかに酷い措置である。
 こういった措置に対しては、コメント削除・書き込み禁止・承認制によるコメント制限をとれば多少は対応できる。
 また、警察がしっかりと対応してくれるならば、ふざけた書き込みをした者を逮捕する事もできるはずだ。
 いわば、各個人で有る程度対応できるのが、暴言・罵倒というものだった。
 だが免許制度とそれに伴う強健の発動は、個人や権限を持たない集団の暴行など足下にも及ばない横暴さを持つ。何せサイトを自分で持つ権利などを根こそぎ奪われるのだから。
 強烈な言い方をするならば、これは国外追放と同様な措置、と言っても良いだろう。


 恐ろしいことに、こういった免許制度は、そのうちプロバイダーまで拘束する、ということである。


 個人を対象にした免許制度であっても、ネット利用者が免許を発行する者達の制限をうけるならば、否応なしにプロバイダーもそれにならうことになる。
 プロバイダーは結局ネット利用者によって維持・運営されている。
 プロバイダーの活動は、利用者の料金によって成り立つ。
 であるならば、利用者の減少は企業活動の衰退・崩壊を招くのは当然である。現状維持ですら苦しくなるだろう。最悪の場合、倒産すらあり得る。
 それを避けるためには利用者の確保が必要となる。
 確保するためには免許制度に反する行動は出来ない。
 お分かりだろうか。
 免許制度というのは、利用者を縛り、利用者を必要とする企業をも縛る。
 免許制度というのは、ネットの独占に他ならない。


 企業活動が不可能ならば、政府が新しい行政機関を作ればよい。
 行政機関が問題ならば、企業に補助金を出せばよい。
 そんな馬鹿な事をいうアホもいるかもしれない。
 だが、それは「企業の国有化」でしかない。
 企業の国有化というのは、「新しい政府機関をつくる」事である。
 こうも言える「国家が企業を摂取する」。・・・・・いや、「窃取する」といった方がよい。


 補助金を出すと言うことは、そのための条件を出すということである。
 条件とは、「これに従わない限り、金は出さない」という事である。
 お分かりだろうか。
 結局政府なり免許を出す者達の言いなりになるのだ。


 以上の話はすべて「免許を国家が発行する」という前提に成り立っている。
 誤解してはいけないのは、国家がやってるから問題なのではない。また、国家と関係ない別の団体が免許を発行するのが問題なのでもない。
 この免許制度の問題点はただ一つ。


たった一つの存在が許可権を持つ。


 つまり、
 国家であろうと、
 2ちゃんねるであろうと、
 民間団体であろうと、
 企業が連合してつくる団体であろうと、
 たった一つの団体が免許を発行するのが大問題なのである。
 たった一つの団体(あるいは個人)などがある一つの行動への許可や認可を決定する。それが実行されるときには、否応なしに権力が付け加えられる。あるいは、否応なしに権力が発生する。
 独占にはそういった力があるのだ。


 今までのインターネット環境がそれを物語っている。
 超大型掲示板2ちゃんねる。
 これ以上の存在が無かったから、これに対抗できるほどの大きな存在が無かったから誰も対抗できなかった。
 少しでも成長する可能性のあるネット上の集まりがあれば、すぐさま2ちゃんねるの工作員が投入されて潰された。
 あるいは自覚無き協力者達が、2ちゃんねる以外の存在を潰していた可能性もある。
 工作員と協力者。この違いを明確にするのは難しいが、とりあえず以下のように考えていただきたい。


・工作員:
 明確な命令を受けて行動している者達。

・協力者:
 命令や指示は受けてないが、自分の信じてるもののために行動している者達。


 技術の優劣も確かにあるが、この両者を明確に分けてるものはこのようなものであろう。
 誰かの命令を受けて行動しているか、自分で勝手に行動するか。
 ただ、どちらも「所属団体が有利になること」のために頑張る、というは共通している。
 2ちゃんねるに工作員がいるかどうかは分からない。俺は「いる」と思ってるが確証はない。しかし、あれだけ大きなサイトが日本に一つしかない、というのは奇妙なもんである。
 また、ネット利用者の大半が利用しているのも不可解である。よほど優れた機能がなければそういった事態がおこると考えるのは難しい。
 おそらく、競争相手になりそうな他のサイトを根こそぎ潰してきたのではないだろうか。
 そして事実上の独占状態を創り出していたのではないだろうか。
 こうなってしまうと、対抗していくのが難しい。
 ご存じのように、2ちゃんねるへの対抗的なサイトがあらわれると、工作員や協力者が雪崩のように押し寄せる。この勢いというのは恐ろしいもので、人間の良心や常識・良識を根こそぎ破壊する。例え押し寄せる方が間違っていても、暴言を吐くのが悪いことだと知っていても、勢いのある方に味方するのが人間というものである。
 2ちゃんねるが圧倒的な多数派である、という印象をつくるだけでもよい。
 それで2ちゃんねるは安泰だった。


 それと同じ事が、免許制度という形で実行されれば、その惨禍は2ちゃんねるの比ではない。
 インターネット全体をネット免許発行者が独占する。
 そんな事態は絶対に避けねばならない。


 思うに2ちゃんねるは免許制度のための、そしてメディア独占のための第一段階だったのではないだろうか?
 インターネットは地球上を結ぶほどに拡張され、そこでは政府や特定団体の意志や意図を無視して様々な情報が流されている。
 その善し悪しは様々であるが、これによって情報の独占・世論の操作がしにくくなったのは確かである。
 例えば朝日新聞のようなメディアがそれである。
 誰もが「朝日新聞は日本の悪口しかいってない」と思っていても、それを口にする事はなかった。だから表に出なかった。
 出したとしても、それは侮蔑をもって返された。「天下の朝日新聞に何をいってるんだ」と。
 なぜならば皆が無意識のうちに「朝日新聞は正しい」と思っていたからである。
 だから本心では「俺もおかしいと思ってる」場合でも、「朝日新聞は正しい」という大多数派からの仲間外れが怖くて口に出せないでいた。
 しかし、ネットという思ってることを述べる空間が出来たことで、これが覆った。
「俺はおかしいと思う」
「え、あんたもそう思ってたの? 俺もだよ」
「実は俺もなんだ」
「あれ、みんなそう思ってたんだ。俺だけじゃなかったんだ」
「え、あんたもかよ」
 というような事があったのではないだろうか。
 それらが匿名のもとにおこなわれていたにしても、いや、匿名だからこそこうした本音が出てきたのだろう。
 匿名性の善し悪しである。
 ちなみに俺は匿名性が悪いとは思ってない。この辺りを誤解してる人がいるかもしれんが。
 こうした事で不都合なのは、マスコミだった連中だろう。
 情報を発信するという特権、情報の独占をしてきた各メディア・報道機関・報道企業にとって、インターネットは敵であったと思われる。
 これを封じる手段を誰もが望んでいたと思われる。
 免許制度はそのために有効なのだが、自由な空間を手放したいと思う者はまずいない。
 そこで自由を無法地帯という印象をつくりあげるために、無法地帯2ちゃんねるが作られたのではないだろうか?


 言っておくが、自由とは無法地帯という事ではない。


 自由とは、誰にも侵されず・誰をも侵さないという事であろう。
 何をしてもよい、という言葉には「悪いこと以外ならば」という前提がある。
 他人に損害を与える、他人を侮辱するというのは、自由の大前提を無視している。
 多くの人が「自由=無法」と思ってるようなので、その勘違いだけは大いに反省してもらおう。
 自由とは道徳や常識、人としてわきまえる常識、自分も他人も大切にするというような事を前提にしないと発生しない。どれが欠けてもいけない。
 また、こうした自由を守り保っていこうと考え、なおかつ努力していかねばすぐにでも無くなる。
 こうした前提条件を、人は「徳」と言ってきたのだろう。あるいは「義務」と言ってもよいかもしれない。
 自由と徳は不可分である。
 自由の無い徳は、強制や教養の道具となる。
 徳のない自由は、力を持つ者が支配者となる無法地帯となる。



2ちゃんねるはネットに無法地帯を創り出した。


 そのおかげで自由だけが攻撃され、徳だけが残っていく。この場合、徳と言うよりは義務と言った方がよいだろう。
 そして義務とは名ばかりのルールの押しつけが始まる。
 従わないものに罰を与えることに何の躊躇いもない。
 規律から外れた者には精査を加える。
 おもしろいものである。それは2ちゃんねるによるネットの独占と全く変わらない状態である。潰せる分だけ2ちゃんねるの方がましだった、という状況にもなりかねない。


 2ちゃんねるの問題点は、無法地帯をネットに創り出したことである。
 彼らはそれによって「力のある者による独占地帯」をネットに創り出した。
 ネットにおける力とは、「屁理屈と暴言」である。
 古今東西、人が人として守ってきた規律、どの地域どの民族どんな宗教であっても、何故か共通してもっていたルール。
 傷つけてはいけない
 殺してはいけない
 騙してはいけない
 ぬすんではいけない

 そういった全人類に共通したルール、どんな小さな集団でも、どれほど大きな国家であろうとも必ず存在していたそういった最低限の約束事。洋の東西を問わず、時代の区分を超越して存在していた約束事。
 法律や教義がない頃から存在していたはずの、そんなものが登場する以前から人が守ってきた取り決め。
 それを破壊したのが2ちゃんねるであった。
 そして、そんな2ちゃんねるの「無法地帯」としての性格と、無法地帯であるが故にのさばる「力を持つ者が正しい」という横暴さ。
 2ちゃんねるの管理人西村の言葉が全てを表している。
「取り締まりたければ法律をつくれ」
 これこそ正しく法治国家を表している。
 法律に規定されてなければなにをやってもよい。書いてない事は何をしても良い。残念ながら法治国家の法治とはそういうもんである。
 そして、これこそが無法性の象徴である。力を持つ者が長になる野蛮な未開人の発想である。
 真っ当な人間ならば、正しく文明化された社会であるならば、こんな台詞は出てこない。誰もが次のような事を考えるだろう。
「法律や宗教の教典に書いてあることがどうであろうとも、人として守らなければならないことがある」
「たとえ何も書いて無くても、誰かが創り出してなくても、守るべき約束事というのはある」

 そうした考えがここにはない。
 法律で決めた事が正しい、なんてことがないのは百も承知だが、法律があろうがなかろうが守るべきものがある、という考えがどこにもない。
 無法の最たるもんだろう。


 その結果かどうか分からないが、「では法律で規定しよう」という事になれば、喜ぶのは統制する側である。
 今まで特権を振りかざしていた連中が再び特権を取り戻せた、と喜ぶだろう。
 しかし、もし2ちゃんねるのような無法地帯を野放しにしない、というのであれば、免許制度ではなく各プロバイダーへの働きかけであろう。
 良い例がブログサービスである。
 荒らし行為への対処法として、承認制のあるブログに引っ越すというのがある。これにより、承認制を設置してないブログサービスが廃れる事になる。
 実はkomichiさんの旧ブログを見てきずいたんだが、オートページのブログが承認制サービスを開始しているのに気付いた。俺がブログを始めるときに確かめた時にはなかったはずなのだが、どうやら始めたらしい。めでたい事である。
 また、あまりにも目に余る行為を実行したならば、ブログの提供を凍結する、という事もある。これはfc2ブログが反日ブログ監視所を、規約違反やユーザーへの迷惑行為を理由に凍結したことによる。これは反日ブログ監視所にとってみれば自由の制限であろうが、他の多くのユーザーからすれば自由の獲得である。
 こういった措置は常に後手後手にまわるのが常であるが、それでも俺は免許制度よりは各プロバイダー(企業)が自分の所のユーザーを管理する方がよっぽどましだと思う。
 プロバイダーがどれほど強健を発動しても、ネット全てに影響を及ぼせるわけがないからである。
 少なくとも国全体に影響を及ぼすことはない。競合他社がいるかぎりは。
 免許制度はネット全体に影響を及ぼさなくても、国全体には影響を及ぼす。
 良い例が中国のインターネット環境であろう。あそこは常に国家の監視下におかているし、国家に都合の悪いサイトは存在しない。それどころか国家に都合の良いサイトが多数であると聞く。
 免許制度、という訳ではないだろうが、特定の誰かが許可や認可の権限を持つというのがどういう事かは、そういう事例を見れば分かるだろう。


 インターネットにおける自由な発言を求める人は大勢いる、と思う。数えたわけではないから正確な所は分からないが、でも大勢居ると思う。
 しかし、そういった方々が「免許制度を」と言ってるのには矛盾を感じる。
 免許制度は否応なく「免許を発行する連中による独占」をつくりだす。
 それは2ちゃんねるによるネット支配より酷い言論弾圧をを創り出す。
 いや、弾圧なんてかわいいものではない。
 そもそも発言の機会すら与えられることなく黙殺されるのだ。そんな状態を引き起こしたいのだろうか?


 ただ、無法地帯を創り出すことには俺も反対である。
 ネットユーザーの全てが良識有る方々ならばこんな心配する必要はないのだが、そうでもないのが現状だ。
 この状態に対抗するには、やはりmixiのようなある程度の閉鎖性は必要だとおもう。
 ただし、それは各企業・プロバイダーが行うべきもので、国家などが集中的に管理するものではない。それは否応なしに管理者の権限の増大をもたらす。
 これを避けようとすれば、それは放任体制にはいるしかなく、それは2ちゃんねるのようなものをネット全体に拡大することを意味する。
 そんな事態だけはごめんだ。


 それよりは2ちゃんねるのような場所がたくさんあったほうがいいように思える。競合他社の存在がなかった事が2ちゃんねるの肥大化を生み出し、悪事・罵倒をのさばらせた。
 それによって無法地帯になったから、今度はガチガチに規制した空間をつくりだし、言論統制と弾圧を別の形で行えるようにする、というのだろうか。
 そして統制に嫌気がさして、今度は自由放任と言う名の無法地帯へと逆戻りして、再び2ちゃんねるを創り出す。
 そんな事の繰り返しをしていくのだろうか。
 冗談ではない。
 そんな事をするよりは、mixiのような会員制の空間を作りだしていったほうがはるかにましである。
 そして、それは現在のブログサービスでも十分可能である。
 パスワードによる限定した者達への閲覧可能状態にしておくことで、馬鹿な書き込みを排除していけばよい。
 また、ブログは一つだけという規制があるわけでもない。
 表に出しておくべき看板としてのブログと、限定した相手と会話を楽しむ場所との二つを用意すればそれで済む。表に出しておく看板のブログやサイトでは、コメント承認制などで対処しておけばよろしい。
 そうやって付き合う相手を限定していって、暴言・罵倒を書き込む連中を排除していくほうがよい、と俺は考える。それを誰もがやりはじめれば、暴言を吐く連中をネットの片隅においやれるのではないか、と考えている。
 実際にそれをやるにはかなりの時間と労力を必要とするが、免許制度という独占・統制よりはましだ。
 というわけで次のようなブログを作ってみた。


「気ままにつれづれ/特定会員様限定空間(仮)」
http://cvznahtadakja.seesaa.net/

ユーザー名 :angakangads

パスワード :gannnewqna



会員限定、というのは冗談だが、こういうやり方もある、という事を伝えたくてこんなものこさえてみた。


 簡単にこういう事ができるのに、「法整備を」「規制を」「免許制にしよう」というのはいただけない。
 まず、好ましからざる連中を遮断する事を各自でやっていけばよい。
 2ちゃんねるの非道ぶりを排除するために、また、そういう所を作っても意味がない、ということを徹底するために、まず各自が出来る事をやっていくのがよいのではないだろうか。



 2ちゃんねるがのさばった理由は、自由に書き込める場所を2ちゃんねるが潰して回ったからだろう。そうとしか考えられない。でなければ、似たような掲示板が乱立していたはずだ(統廃合や相互リンクなどであるていど棲み分けが為されていたとは思うが)。
 それがそうならなかったのは、鬱陶しい2ちゃんねるの連中があちこちを荒らして回ったからだろう。
 そんな連中に「自由」の御旗を使って欲しくはない。
 自由とは「自分も他人も侵さない」ことを条件の一つとする。
 横暴に布津舞うことを自由とは言わない。
 そんな連中を排除していく事も、今後のネットの課題だろう。
 そのため出来る事は結構あると思う。
 法律による規制も手段かもしれないが、俺はそれにあえて反対の立場をとりたい。


 俺は絶対に免許制度に反対する。
 そんな事をすれば、全ての人間が免許発行者の意図に従わざるを得ない。
 それは、現在の2ちゃんねる以上の横暴を認めることに繋がると確信するが故である。


 
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月08日

適当なこと182

 あいも変わらず自分が絶対正しいとでも思って行動しておられる方がおる。
 そういうのは左翼でも任せておけば良いのだが、どうもそういうことが出来ないらしい。
 問題なのは、そういう左翼みたいな事をしてる人が、アンチ左翼の立場をとっているというところだろうか。
 何のギャグですか、と問いただしたいところだ。


 で、そんな政治的主張を為されている御方であるが、その御方のブログには政治とは全く関係ないふざけたエントリーが並んでいる。
 以下がそれ。

・「市バスの後車ボタンは無線」?
http://hannichi.blog76.fc2.com/blog-entry-95.html

・それで反論したつもりか?
http://hannichi.blog76.fc2.com/blog-entry-97.html

・バナーはバーナーとは違うぜ同盟
http://hannichi.blog76.fc2.com/blog-entry-114.html


 まったくどうしようもない。
 一体何を考えているのだろうか。
 どうも反日ブログ監視所というのは、反日的な発言をするブログの反日的な部分を攻撃するのではなく、反日の烙印を押した相手をとことんイヂメ手楽しむのが目的らしい。
 やってる本人は違うと大声でわめくだろうが、そんなことを本人が言ったところで何の説得力もない。
 犯罪者が「俺はやってない」と言うのと同じだ。



 そんな方の最新エントリーがこれである。

・美爾依さん観察日記避難所
http://hannichi.blog76.fc2.com/blog-entry-123.html

 全文は最後に掲載するとして、このエントリーから浮かび上がってくる問題点を俺の視点で見ていってみよう。



>しかし、自分の記事に対抗する言論を他のプロバイダのブログで展開しても、わざわざ削除要請されては一体どうやって言論の自由が守られるのだろうか?


 言ってることは正しい。全くその通りである。
 反対意見を封殺してどうするのか、と言うところだ。
 問題なのは、これを言ってるのが反日ブログ監視所であることだ。


 ご存じのとおり反日ブログ監視所は、反日発言や反日ブログを掣肘し、日本を保守しようというブログではない。
 政治的な意見への掣肘ではなく、個人攻撃が目的のブログである。
 その理由は、このエントリー冒頭に掲げた三つのエントリーが証拠である。これらのエントリーのどこに政治性があるというのだろうか?
 ごく些細な間違い、あるいは勘違いを取り上げて声を大にして笑い、大いにバカにしている。
 そんな事をしている奴の言ってる事など、
「政治問題にかこつけた暴言・罵倒のたぐいだろう」
と思われても仕方ない。
 他人をどうこう言う前に、まず反日ブログ監視所が自分の姿勢をただすべきであろう。
 削除要請されたのも、その辺りが原因である。
 なお、反日ブログ監視所初代は次のような処罰を受けている。


http://blog.fc2.com/forbidden.htmlより

このブログは下記の理由などにより凍結されています。
・規約上の違反があった。
・多数のユーザーに迷惑をかける行為を行った。


 こういった措置をとられるようなブログの主催者だった篠原静流。
 そのエントリーを掲載している二代目の反日ブログ監視所。
 そんな所のエントリーが、「規約違反のエントリーを掲げ」て、「多数のユーザーに迷惑をかけてる」と思われてもしかたない。
 また、そうい行為を今も続行していると思われても無理はない。
 それ故に、まともに見える反対意見も「どうぜ次の暴言につなげるための布石だろう」と判断されても当たり前と言うべきだ。


>「それらのコメントが管理人に削除されたり非承認にされたとしても、それは言論の弾圧ではない。なぜなら言いたいことがあるならいくらでも無料のブログサービスがあるから、自分でブログを持って、そこに書けるから」である。

>※ここで誤解のないよういただきたいのは、管理人の削除・非承認それ自体が問題なのではないということだ。「自分のブログはサヨクの(あるいは右翼の)立場から書いているので、政治的に反対の立場のコメントはするな」と書かれているなら話は別であるということ。



 はて。
 なんで承認や削除が政治的立場と結びつくのか。
 承認・削除が問題でないならば、一々そんなことを持ち出すな。


 この連中は相変わらず「相手の削除・承認を否定する」という態度を崩していない。
 あらゆる理由を付けて、削除・承認制を突き崩そうとしている。だから騙されてはいけない。
 政治的な立場を明確にしろ、というのは、「削除基準・承認基準を明確にしろ」と同じである。この次に来るのは、「あんたの削除・承認基準と俺の意見の何処が食い違うんだ」という文句である。
 つまりは、「コメントやトラックバックしている俺達の考えを優先しろ」「俺達の許可も取らずに削除すんな、承認せずに黙殺するな」ということである。
 自分の政治主張を絶対視し、相手の政治主張などを粉砕することを目的とする左翼と何一つ変わらない。



 また、篠原にはもう一つの目的があるようだ。

>なぜなら、それが目立つところに書かれていれば、訪問者は「ははーん、これはサヨクの主張というものか、と理解できるからだ。ネットサヨクのブログに遺憾を感じるものは、あたかもそれが一般的な主張であるかのごとく装っていることで善意の訪問者へ誤解を与えること(これ自体がデマなのである)を憂慮しているからだ。コメントをいたずらに削除するなというのは、コメントを書くこと自体に価値があるのではなく、第三者に該当ブログの歪さを知らしめることが目的で、コメントはその手段である。


 この部分に篠原の目的が全部書かれている。
 つまり、

・相手を左翼扱いして攻撃対象に仕立て上げる。
・自分から言ったのだから、と言いがかりを付ける。



 何て言うか、あれだよ。警察が「ここで自供しておけば裁判で有利に成るぞ」という嘘と同じである。言えば確実に犯罪者にしたてあげられれ、無実の罪を着ることになる。
 そもそも左翼を見つけだして掣肘を加えるのは反日ブログ監視所が自ら執り行おうとしているのではないか? 
 だとすれば、なんで自己申告を強制するのか?
 おかしな話である。
 そういう手間は反日ブログ監視所が率先してやるべきことであり、目星をつけた相手に「やれ!」と強制するようなことなのかねえ・・・・。
 反日ブログ監視所の整合性のなさは相変わらずだ。


 この部分の問題点はもう一つある。
 反日ブログ監視所と篠原静流につきあってきた方々ならばご存じかと思うが、篠原は自分のことを「右翼でも左翼でもない中道派」と言っている。
 反日活動は基本的に左翼の十八番であり、それに対抗するのは普通に考えれば右翼である。
 にも関わらず自分の事は「どちらにも偏ってない」と強弁するのはどういう事なのだろうか?
 篠原こそが、そして反日ブログ監視所こそが、「あたかもそれが一般的な主張であるかのごとく装っていることで善意の訪問者へ誤解を与えること(これ自体がデマなのである)」に全力を挙げてるとしか思えない。
 いい加減、自分は右翼的な立場、あるいは保守的な立場、少なくとも反日である左翼とは絶対に交わらない立場にいる、と明言したらどうなのだろうか。
 どっちでもない中道派というならば、左翼に対しても寛容で有るべきであろう。
 あるいは左翼も許せないが右翼もダメだというならば、さっさと右翼も攻撃してくれ。それが中道派なのではないのか? 少なくとも篠原や反日ブログ監視所の行動を見ていると、左右問わずに攻撃を仕掛けても良いと思うのだが。

 
 なお、左翼についてであるが。
 左翼にも色々と派閥があるらしい。
 あるいは意見の対立があるようだ。
 左翼と一括りにしても、その内実は様々である、と聞く。
 しかし、俺にはその違いがどうにも理解できない。細々とした違いはともかく、結局の所「日本殲滅」「自分に都合の良い日本の構築」を目的としていることに変わらないからだ。また、それが政権を握った一部の左翼以外の大多数にとって苦痛と苦難をもたらす政治体制になっていくのが明白であるからである。これらについては今後述べていく事もあるだろう。また、そ考えの一部は「適当なこと181」でも述べている参考にしていいただければ幸いである。


 反日ブログ監視所に話を戻そう。


 この方は相変わらずコメント削除はこういう理由だからだ、と勝手な理屈をほざいている。

>コメントをいたずらに削除するなというのは、コメントを書くこと自体に価値があるのではなく、第三者に該当ブログの歪さを知らしめることが目的で、コメントはその手段である。


 いや、ここまで正直に述べてくれるとは思わなかった。
 コメントの目的は、コメントを眺めた何も知らない人達に「このブログの書いてることは間違ってます!」と知らしめるためだという。
 でも、コメントしてる奴の方が間違ってる可能性は全く示してない。
 あくまでそれは「コメントしてる奴の視点」での話である。
 とある漫画からこの状況に相応しい台詞を引用することで、この反日ブログ監視所のおかしな所を解説しよう。たぶん、この台詞だけで反日ブログ監視所のほざく「コメント絶対優位説」とでもいうべき戯言を粉砕できるだろう。


「ありがたいことに私の狂気は君たちの神が保障してくれるという訳だ。
 よろしい、ならば私も問おう。

 君らの神の正気は一体どこの誰が保障してくれるのだね?

(「HELLSING」平野耕太 少年画報社 129ページより)


 頭の悪い人の為に分かりやすく言葉を入れ替えよう。

「ありがたいことにそのブログの狂気は反日ブログ監視所をはじめとするコメントする方々が保障してくれるという訳だ。
 よろしい、ならば私も問おう。

 君らの反日ブログ監視所やコメントする連中の正気は一体どこの誰が保障してくれるのだね?



 篠原はかつてネットのどこかにおちてた右翼・左翼の判別テストなどを持ち出していた。それによると篠原は「右寄りではあるが中道派に入る」ということらしい。
 で、それが一体何の保障になると言うのだ?
 そのテストは本当に公明正大であり、何の欠陥もないというのか?
 馬鹿馬鹿しい。
 コメントする連中が「このブログに書いてあることは間違いだ」とほざくのは飼ってであろう。
 が、そんなコメントが正しいなどという保障はどこにもない。



 が、反日ブログ監視所の目的は正邪善悪の判別ではない。
 ようするに、
「こんな風に思われたくないならば、コメントを削除するな、承認制にするな!」ということである。
 全くあの手この手でよくやってくる。馬鹿馬鹿しいことに労力を使わずに、素直に反日的な部分への反対意見を述べておれ、といいたい。
 言うだけ無駄なのもこれまでの経験で分かっているが。


 あと、これは「お前が言うな」の典型であろう。


>しかしここがポイントなのであって、彼らサヨクは左翼であることを明確にせず、中道=ノンポリであるかのように振舞うことで、中間層を取り込もうとする。だからサヨクブログが非難されるのである。


 はいはい。
 中道派を名乗ってる篠原くんがいうような事ではないね。
 これも簡単に言葉を入れ替える事が出来る。

しかしここがポイントなのであって、彼ら反日ブログ監視所と篠原ちゃんたちご一考右翼であることを明確にせず、中道=ノンポリであるかのように振舞うことで、中間層を取り込もうとする。だから反日ブログ監視所とその同調者が非難されるのである。


 そして篠原の真の目的である「コメント欄の解放」「トラックバックの解放」が声高らかにうたわれる。


>したがって、自分の立ち居地を特に表明しないブログはコメント欄を開放し、第三者にそのコメントをも見る機会を与えることで、せめて当該ブログが極端にサヨク掛かっていることを知らしめる必要がある。ノンポリ気取りのサヨクの、その化けの皮をひっぺがす必要がある。


 ゲハハハハハハハ!!!!!
 と大笑いするところなんだろうなあ。いや、篠原さん、凄いギャグですよ。感動しちゃう。
 コメントの承認制や削除・書き込み禁止措置を怠れば、対立する陣営から野次や罵倒が目的の連中が大挙して押し寄せるのは明白。
 講演会などでそういう連中が警備員によって退場させられるのと同じである。
 また、株主総会における総会屋なるヤクザと同じであろう。株主である、という理由で企業をゆすって金を強奪しようと言う輩と変わらない。


 それに、そう思うならば勝手に思ってろ、とも言える。
 なんでこっちがあんたの言うとおりにしなきゃいけない?
 馬鹿なことは自分のブログで書いていろ。
 またもや凍結されないように注意する必要はあるがな。



 そして篠原は責任を全部他人に押しつけるという左翼のような事をしている。
 俺が貧乏なのは俺が悪いんではなく社会が悪い。
 俺が出世できないのは俺が無能だからではなく、他の誰かが俺を押しのけようとしているからだ、というあれである。
 そんな戯言を、さあどうぞ。


>反日ブログ監視所も、この発想の延長線上にある。仮にサヨクブログがすべて自分の政治的立ち居地(サヨク)をブログ上で訪問者に誤解を与えないように明確にし、コメント欄も開放していたなら、私もブログを作成してまで社会に警報を鳴らす必要がない。


 はあ?
 反日ブログ監視所はコメントもトラックバックも承認制だろうが。
 何を言ってるんだ。
 そこまで言うなら、さっさとコメントとトラックバックの承認制をやめて、全部を表示するようにしろ。


 自分が何もしないのに、他人には強制する。
 そんな反日ブログ監視所のデタラメには何一つ触れずに、自分の都合だけを垂れ流ししているのは「ふざけた態度」と言って良いだろう。


>ここでは悪名高い「右翼討伐委員会」というブログなどは、取り上げてこなかった。そのブログはコメント欄を開放し、エントリーに対する反論をも訪問者は見ることができるからだ。こういったブログに対しては反日ブログ監視所は必要ない。放置すればよい。すべてのサヨクブログがこのようであればすべて放置すればよい。反日ブログ監視所は不要である。


「全部左翼が悪いんだ。
 反日ブログ監視所だって、本当は必要ないんだ!」
 悪いのはイヂメの対象である誰かに押しつけ、自分は安全圏にいる。そんなクソガキの戯言を、こうしてネットで見るとは思わなかった。
 まあ、左翼が悪い、という考えには大いに賛同するが、反日ブログ監視所の存在は不要極まると言っておこう。無くてもよい。
 なぜならば、反日ブログ監視所の目的は「コメント欄解放による罵倒コメントの大量発生」に他ならないからだ。
 それが証拠に反日ブログ監視所におけるエントリーは、コメント欄の解放、承認制の撤廃、書き込み禁止措置の阻止とコメント削除への反対に終始している。
 単に反対意見を述べたい、左翼への対抗言論をはりたい、というならばコメント欄に固執する必要はない。自分のブログで色々と書いていればよい。それを見に来る人に見せればよい。
 なんでブログのコメントにこだわるのか理解できない。
 なぜならば、星の数ほど存在するブログに一々書き込みに行くが面倒だからである。
 暇人でもないかぎりそんな事をしている余裕はない。
 ブログならば自分で消さない限り、ブログを提供している会社で問題が発生しない限りネット内に自分の意見が常駐する。あちこちのブログのコメント欄にこだわる必要などこれっぽっちもない。
 あえてコメント欄やトラックバックにこだわるのは、「俺の事無視すんなー!」と叫んでるにひとしい。仲間外れにされて泣きわめいているガキと同じである。


 そして最後に自分勝手な基準を「世間の常識」のようにほざく。


>自分のブログへの他所での反論
【一般人】
自分が他のブログの記事に疑問を感じたり、ぜひ反論したいときには、反論記事を書くが、名指しされた側が再反論したいときにはそれができるように、コメント欄を開放するか、承認制にしていても、本人のコメントは承認する。
【反日日本人】
名指しして非難した相手が、その記事に反論するコメントを入れれば、削除する。承認しない。

 

 あくまで反日ブログ監視所基準である。
 それを明記しないで勝手に「一般人はこうなんだ!」と言われてもねえ。
 罵倒や暴言を相手しないのは当然なんで。そういう連中とは交わらないように、また接触しないように、場合によっては警察や精神病院などを用いて隔離するのが世の中ってもんだ。
 しかし、自分に都合の悪いコメントやトラックバックを承認制で排除している反日ブログ監視所は、反日日本人なんであろうか? だとすると反日ブログ監視所は反日ブログ監視所を非難しないといけない。
 いや笑える論理展開だ。
 わははははははは!!!!!!!!!



 そして名指しされたことに対する不満が最後に爆発する。


>※こういった反日はよく「意見を交わす必要がないから」という言い訳をするが、それなら最初から名指しするべきではない。自分から相手を非難攻撃するエントリーを立てたなら、それに対する言論も自分のブログで受けるべき。自分は名指しでアヤをつけるが、その相手本人からの反論は表示させないというのは非人間的である。こういうことが平気でできるのが反日日本人や、その取り巻き連中なのである。


 対立する者達が接触面で衝突するのはよくある話。
 また、意見を交わす必要がない、というのは手段の一つとして重要。
 今現在の日本と北朝鮮の関係などがこれに当てはまる。我々日本人は北朝鮮と国交を回復するべきだろうか? そうではないだろう。
 そんな事を望んでいるのは、日本に帰化したエセ日本人の北朝鮮人や元韓国人、日本の尊厳や日本の未来、同胞への同情や愛情に欠ける欠陥人間であろう。そういう人間を名指しで非難し、「意見を交わす必要がない」というのは至極当然と思うのだが。
 それとも反日ブログ監視所はねばり強く交渉して解決しようと言うのだろうか?
 それにしては態度が硬すぎる。もっとおおらかになってはいかがか、と言いたい。


 また、これの最後の部分については特にとりあげておきたい。
 次の部分だ。

>自分は名指しでアヤをつけるが、その相手本人からの反論は表示させないというのは非人間的である。こういうことが平気でできるのが反日日本人や、その取り巻き連中なのである。


 まあ、これも注意が必要なんだけどね。


 荒らしのブログに行って書き込んではいけない。そうすることでIPが相手に知れるからだ。
 それがどれほど危険なのかは、「2ちゃんねるから子供達を守ろう」に詳しい。
 なので、こういう誘いに乗ってはいけない。
 コメントなどする必要はない。
 無視して勝手に叫ばせとくか、自分のブログのエントリーにでも書いておけばよい。

 参考までにバナーを貼っておきます。
 皆さん、お手透きの時にでも、いや、可能な限り早いうちに下記の場所にてネットにおける危険性について触れておいて下さい。

2ちゃんねる から子供たちを守ろう!


 さて、「名指しでアヤをつける」などと行ってる反日ブログ監視所ですが、再び冒頭に掲げた三つのエントリーを再度掲載しよう。


・「市バスの後車ボタンは無線」?
http://hannichi.blog76.fc2.com/blog-entry-95.html

・それで反論したつもりか?
http://hannichi.blog76.fc2.com/blog-entry-97.html

・バナーはバーナーとは違うぜ同盟
http://hannichi.blog76.fc2.com/blog-entry-114.html


 はて?
 これらは「名指しでアヤつけてる」ことにはならんのか?
 反日ブログ監視所基準ではそうなるらしい。理解しにくいことだが。
 言ってることとやってることが全然違う、正反対である、という良い見本でした。


 そして、こんな事が平気で出来るのが反日日本人のようなので、反日ブログ監視所なるところは反日日本人の手によって運営されてるのでしょう。


 年明け早々に笑える真実をありがとう。
 呆れてものも言えなくなるところだったよ。
 いや、笑った笑った。



<<結論>>



 メンドクサイから、各自自分のブログの冒頭に「私は右翼だ!」と書いておきましょう。
 立場を明記しないから「コメント欄を解放しろ!」とうるさいようなので、立場を明記すれば言わなくなるでしょう。
 あるいは「私は中道派です」と言えばそれでいいのかもしれない。
 他にも「親日日本人です」とか「私は愛国者です」とか書いておくのも有効かもしれない。
 これでも文句を言うようならば、反日ブログ監視所とそのお仲間は嘘つきの集団という事で各自エントリーでもあげてやりましょう。
 いやー、どんな反応見せるか楽しみだ。



・文末掲載
「美爾依さん観察日記避難所」
http://hannichi.blog76.fc2.com/blog-entry-123.html


美爾依さん観察日記というタイトルのブログが存在する。
BLOG−「カナダde日本語」のエントリーの主張の誤りを指摘するコメントを入れたところ、管理人:美爾依から「ネット右翼からの嫌がらせ」だと根も葉もない誹謗中傷をされ、「自分でブログを持ってそこに書け」と言われたので、そのとおりにしたら、今度は美爾依からプロバイダのgooに削除要請されたという。

自分の政治性の高いエントリーに自分の主張とは正反対のコメントが入ったときの反日日本人や、無知からくる反日日本人への同情派の常套句は「それらのコメントが管理人に削除されたり非承認にされたとしても、それは言論の弾圧ではない。なぜなら言いたいことがあるならいくらでも無料のブログサービスがあるから、自分でブログを持って、そこに書けるから」である。

しかし、自分の記事に対抗する言論を他のプロバイダのブログで展開しても、わざわざ削除要請されては一体どうやって言論の自由が守られるのだろうか?

ここで反日日本人や無知なるがゆえの彼らへの賛同者と、彼らの行為を看過できないものたちの行為の一般的な違いを明確にしておこう。


エントリー
【一般人】
■ブログで政治的主張を展開
【反日日本人】
■ブログで政治的主張を展開(同上)

反対意見のコメント取り扱い
【一般人】
■反論は反論として、その存在にも価値を認めるため、単に反論されたからといって削除したり非承認にしたりしない。

【反日日本人】
■自分の記事に反論するのは「ネット右翼だ」と決め付け、自分を被害者に仕立て上げ、そのコメントに反論しない(本当は「できない」)こと、削除すること、非承認にすることの正当性の理由にする。

※ここで誤解のないよういただきたいのは、管理人の削除・非承認それ自体が問題なのではないということだ。「自分のブログはサヨクの(あるいは右翼の)立場から書いているので、政治的に反対の立場のコメントはするな」と書かれているなら話は別であるということ。

なぜなら、それが目立つところに書かれていれば、訪問者は「ははーん、これはサヨクの主張というものか、と理解できるからだ。ネットサヨクのブログに遺憾を感じるものは、あたかもそれが一般的な主張であるかのごとく装っていることで善意の訪問者へ誤解を与えること(これ自体がデマなのである)を憂慮しているからだ。コメントをいたずらに削除するなというのは、コメントを書くこと自体に価値があるのではなく、第三者に該当ブログの歪さを知らしめることが目的で、コメントはその手段である。

しかしここがポイントなのであって、彼らサヨクは左翼であることを明確にせず、中道=ノンポリであるかのように振舞うことで、中間層を取り込もうとする。だからサヨクブログが非難されるのである。

したがって、自分の立ち居地を特に表明しないブログはコメント欄を開放し、第三者にそのコメントをも見る機会を与えることで、せめて当該ブログが極端にサヨク掛かっていることを知らしめる必要がある。ノンポリ気取りのサヨクの、その化けの皮をひっぺがす必要がある。

反日ブログ監視所も、この発想の延長線上にある。仮にサヨクブログがすべて自分の政治的立ち居地(サヨク)をブログ上で訪問者に誤解を与えないように明確にし、コメント欄も開放していたなら、私もブログを作成してまで社会に警報を鳴らす必要がない。

ここでは悪名高い「右翼討伐委員会」というブログなどは、取り上げてこなかった。そのブログはコメント欄を開放し、エントリーに対する反論をも訪問者は見ることができるからだ。こういったブログに対しては反日ブログ監視所は必要ない。放置すればよい。すべてのサヨクブログがこのようであればすべて放置すればよい。反日ブログ監視所は不要である。

自分のブログへの他所での反論
【一般人】
自分が他のブログの記事に疑問を感じたり、ぜひ反論したいときには、反論記事を書くが、名指しされた側が再反論したいときにはそれができるように、コメント欄を開放するか、承認制にしていても、本人のコメントは承認する。
【反日日本人】
名指しして非難した相手が、その記事に反論するコメントを入れれば、削除する。承認しない。

※こういった反日はよく「意見を交わす必要がないから」という言い訳をするが、それなら最初から名指しするべきではない。自分から相手を非難攻撃するエントリーを立てたなら、それに対する言論も自分のブログで受けるべき。自分は名指しでアヤをつけるが、その相手本人からの反論は表示させないというのは非人間的である。こういうことが平気でできるのが反日日本人や、その取り巻き連中なのである。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 15:12| Comment(3) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

適当なこと181

 さて。
 ネットウヨクを騙るとある御仁のブログが、この程「凍結」ということになった。
 反日活動への鉄槌、という事で頑張っておられたようだが、やってる事がたんなる罵倒や誹謗中傷の類、もっと分かりやすくいうと「ガキの悪口」の類でしかなかったのだからこれも当然の結果と思う。
 身から出た錆としか思えないので何の同情もできないし、憐れみすら抱けない。
「自業自得だバカモン」「もうちっとマトモな事を主張しろ」と声を大にしていいたい。


 そんなネットウヨクの一匹である俺なのだが、これまで全く政治的な主張などを書いてこなかった。
 自分の立場を、自分の考えを一応は披露してはいたが、なんでそういう考えに到ったのかを述べてない。このままでは凍結という措置を執られた某人物と同じ穴の狢で終わってしまう。
 なので、今回は左翼・リベラル、特に共産主義のようなふざけた理論や思想、そういったものを毛嫌いする理由の一部だけでも述べてみたいと思う。
 しかし、残念なことに俺の考えは、俺が独自に考え出したものではない。
 左翼、共産主義、統制体制、なにより「国民をロボットのように扱う政治体制」を毛嫌いする事については、既にある他の人物の考えや著書を真に受けているにすぎない。
 そのあたりは、独自性だけを崇高なものとするアカデミック気取りのバカには理解されないだろう。
 だが、自分勝手な思いつきを偉そうに自慢するようなアホになるよりは、時代と歴史の中で取捨選択されてきたより良き智慧を素直に受け入れる方がよっぽどマシである。
 残念ながら俺には独創性もなければ、世の中の真理を発見するだけの智慧もない。そんな俺にとっては、今まである知識の中で有用なものを身につけるだけで精一杯である。
 せめてもの救いは、独創性を重視するアカデミック気取りのバカ共が、結局は昔から存在している理論や思想を繰り返し述べてるだけに過ぎないことだろうか。その一例が左翼であろう。
 連中は過去からの伝統よりも新しい考えが優れている、というのを売りにしている。しかし、そんな連中がしがみついてる理論や思想は、もう何百年も前から存在している。そう言って良ければ、左翼連中は昔からある「伝統」にのっとっており、なんら新しい考えを提示していない。
 こんな連中が伝統を破壊しようと言うのだから笑えてしまう。だったら自分らが学んだ理論や思想を破壊して新しい何かを構築しろ、と言いたい。


 以上のような事はネットで見受ける左翼連中の戯言を眺めていて感じた矛盾である。
 皇室もそうだし、日本の歴史や伝統を否定し、新しい体制を構築しようと言うのが左翼というものだろう。先祖が造りあげてきたこの日本というのを破壊したくて仕方ないようだ。
 耐用年数が過ぎて老朽化したものを新しい部品と交換する、というならまだ分かるが、左翼のやろうとしていることはそうではない。
 このバカ共がやろうとしているのは、まだまだ住み続けられる家をぶちこわそうとしている事であろう。強度計算に問題がある危険な建物でも何でもない、建築後何年もたっているが、まだまだ住み続けられる家である。それを倒壊させて新しい物を作ろうというのだからおそれいる。
 そんな必要もないのにわざわざぶちこわそうというその神経は、俺には理解できない。
 それでもこの家を再建するまでの間をすごす仮の宿があるならば、堪え忍ぶこともできるだろうが、そういう準備は全くしていない。
 それでも左翼は新しい家を建築する。
 しかし、元の主にこの家を受け渡すわけではない。
 左翼は勝手にぶっこわした家の主を追い出し、その敷地に自分達だけの家を造り、かつての住人達を自分達の奴隷として扱うのである。さもなければ、新しい家から放り出して野垂れ死にさせる。
 左翼とはそういうものだ。


 この家を国家。
 住人を国民。
 家をぶっこわす連中を左翼、とすれば分かりやすいだろうか。
 家の補修やリフォームは必要ではあるが、何も倒壊させる必要はない。とんでもない設計ミスをしているならばともかく、何年も何十年も風雪を耐え凌いできたのならば、構造上の問題はないはずだ。雨漏りや立て付けの悪いところは出てくるだろうが、家を壊すほどの手間をかける必要もない。
 にもかかわらずそれをやろうとする。
 全く理解が出来ない。


 仮に、本当に家を再建するのが目的だったとしよう。
 左翼連中が、あるいは国を憂える善意の者達(本当に善意から行動を起こす者達である)が家を再建するとしよう。
 では、本当にまともな家が建つのだろうか?
 そこに疑問を挟む者は意外に少ないように思う。ここが一番重要な所であるにも関わらず。


 家の建設には、専門知識が必要である。
 図面を引くのはもちろん、図面通りに家を建設していくためには相当な知識と熟練が必要である。
 左翼連中や善意の人々にそれだけの能力があるのだろうか?
 世の中には、熱意や努力だけではどうにもならない分野がある。現場の智慧もそうだし、緻密な計算に基づく設計などもそうである。どんな些細な事でも、現場で培った智慧、それに必要な経験というものが要求される。
 左翼連中や善意の人々にそんな能力があるとはとても思えない。
 家であるならば、優れた設計士と、腕の良い大工が必要だろう。素人には無理である。
 政治や国家についても同じ事が言える。
 いやしくも国民と国家を預かる以上、最低でも過去と同等かそれ以上の状態を保つ必要がある。それが国民の生活であったり、国家の安全保障であったり、国内の治安維持だったりする。
 それらを滞り無く実行していくために必要な知識や能力があるのか、という事が最大の問題だ。


 残念ながら左翼連中にそんなものはない。
 全くない。
 かつての社会党、今の社民党、共産党、民主党左派、公明党、自民党の左派。
 こういった連中の行動を見るにつけ、「こいつらには絶対に日本を渡せない」という思いだけが強くなる。


 例えば、自衛隊への反対。
 現実に核ミサイルを配備し、日本に照準を向けてる国家が日本のすぐ近くに二つある。ロシアと中国である。北朝鮮が新たな候補として加わるのは言うまでもない。
 こんな状況だというのに、自衛隊反対、などとほざくあたりどうかしている。
 おそらく、日本ではなく上記三国のどこかの(あるいは全部?)の工作員なのだろう。日本の滅亡を望んでいるとしか思えない。
 例え核ミサイルを除いても、膨大な軍事力を保有しているのがロシアと中国である。この点、北朝鮮はまだ安心できる相手だが、ロシア・中国は違う。
 問題は多々あるものの、ロシアはいまだに極東ロシア軍を保持しているし、中国は数だけならば数百万の軍隊を保有している。おまけに徴兵制の国々である。動員をかければすぐさま何倍にも膨れ上がる。
 これらを前にして自衛隊不要論を口にするのはあきらかにおかしい、と見るべきだろう。
 また、これらの軍備は日本に向けたものではない、というふざけた戯言もうんざりである。軍備というのは必要に応じて何処にでも使えるものである。周辺国に対しては特にそうだ。ロシア・中国に接している日本がこれらに備えるのは当たり前である。


 例えば、朝貢外交。
 ようするに、金をばらまくことである。
 ODAを通じて日本の金を色々な国にばらまかれている。
 その結果どうなったのか?
 金は金を受け取った国の首脳部の懐に入り、首脳部が牛耳る国営企業(とそこの幹部である首脳部の親族)の懐に入り、軍事費に使われる。
 援助先の国民が裕福にならないのはこのためである。
 国際親善のお題目のもと、周辺国の軍隊が強力になり、日本はどんどん危険な状態になっていく。
 更に笑えることに、援助先の国民はいつまでたっても貧乏のままである。
 なお、俺の知ってる限りで最も巨額の援助・・・・・・いや、貢ぎ先である中国は、これまで三兆円ほどの金をぶんどっていっているとか。その分の見返りはどこにあるのだろうか?
 その結果が反日暴動であったり、言質の日本企業への攻撃なのだから始末におえない。


 例えば、社会福祉。
 国民全員の面倒を国がみれるわけがない。そもそも国の役割は国民の生活空間を創り出すことではない。生活空間を外敵から守ることにある。また、内部の犯罪から守ることにある。
 寝る場所・食う物・着る物の面倒は、本来自分でどうにかするものである。
 にも関わらず、「弱者の保護」を名目にして、救済策を実施しようとする。
 バカも休み休み言え。
 老病傷苦はこの世にあって避けることが出来ないものだ。
 老いて衰える、病を患う、怪我を負う、そういった苦しみは程度の差はあれど誰もが一度は被るものだ。その面倒は自分でみなければならない。誰かの手助けが得られたならば、それは奇跡のような出来事と思うのが普通である。
 老病傷苦もいずれは必ずやってくるものとして備えておくべきものである。あくまで個人的に。
 誰かがやってくれるのが当たり前、なんて事はない。
 それを当たり前と思ってる馬鹿共が福祉を当然だと思っている。
 こんなの無用な負担でしかない。
 年金に、保険、失業手当。
 そういったもんはいらない。そんなもんで税金を増やすくらいならば、いっそなくしてくれ。そして手取りを増やせ。
 その中から貯金をしていけばそれでよい。
 そもそも、老病傷苦は避けられないとしても、数え切れないほど頻繁に襲ってくるものではない。病といったって風邪を数日こじらせるのがせいぜいだし、怪我だって転んでかすり傷を負うていど。失業してから雀の涙の手当を貰うくらいならば、貯金をため込めた方がよっぽど良い。老い先の心配だって、働けるうちに頑張れば良いだけのこと。
 一々国がちょっかいだすな。
 そして、そんなことをさせるな左翼。


 


 上記の他にもまだまだ色々あるだろう。
 だが、これらに共通するのは次のようなものである。


・対外的には、他国への追従・隷属
・対内的には、国の借金の増大



 左翼は様々な理由を付けてこの二つを実行する。
 これを一言で言うと次のようになる。


・日本滅亡のための努力


 日本人の一人として、これには断固として反対する。
 なぜならば、俺が日本で生まれ育ち、この国で生きていくからだ。
 将来、何らかの偶然や幸運、自らの努力で試算を築き、海外などに移住したりすれば話は別かも知れないが、今のところこの国で生きていくのは避けようがない。
 例え海外で楽に暮らせるだけのものを築いたとしても、出来れば生まれ育ったこの国で死にたい。
 そんな思いを抱いているだけに、日本は安泰であって欲しいし、繁栄してもらいたい。また、その為に出来ることは何でもいいからやっておきたい。


 その為にも、次のような事を求めるのである。


・対外的には、日本の意見を主張する。
 付き合う相手を選別するともいう。
 少なくともロシアや中国、北朝鮮などは敵対国として接していても、友好国にはならない。
 日本と仲良くしたいという国は他にたくさんあるのだから、そういった連中と付き合ってればよろしい。


・国の借金の削減
 否応なしに予算を削減するしかない。
 その為には、官僚機構や行政が動かしてる特殊法人などを売却・廃止するしかない。民営化も手段の一つ。
 それで潰れるならばさっさと潰れてしまえ。今まで言い思いをしてきたのだから、もう十分だろう。
 それで失業するならさっさとのたれ死ね。民間はリストラで何人もの自殺者を出したりしたんだ。
 「自分の命大事」だけでなんとかやってけると思うな。


 目指すべきは次のようなものである。


・小さな政府

 具体的にどうすればいいのか、というのが難しいが、とりあえず税金負担が少ないのが望ましい。
 その結果政府が行う福祉は無くなるだろうが、それで全然構わない。国民から搾り取らない分だけ手取りが増えるし、その中から貯蓄をしていけば良いだけの話である。
 所得税の最高課税率が50%というふざけた税率が、この国に高額所得者を生み出さない原因である。
 また、相続税があるから豊かな生活を後世に残すことも出来ない。累進課税とPもどもさっさと廃止するべきである。
 それで手にする給料に差が付くならばそれで良い。
 働く奴や有能な人間が巨額の報酬を手に入れるのは、世の摂理である。人間は誰一人として同じではない。有能なのもいれば無能なのもいる。ある方面で才能を発揮するが、別のことをやるとからっきし、というのもある。
 報酬差はそれが表れるだけだ。何一つ問題ではない。
 だいたい下流社会や格差社会を問題にする連中はたいてい左翼である。そんな連中が言ってることは胡散臭いと思って間違いない。
 何より、貧富の差がつく、というのが間違いである。どんな時代、どんな社会であっても貧富の差はある。どこにでもある。当然のようにある。それを無くして成功した社会はない。その事に早く気付くべきである。
 みんなと一者じゃなきゃイヤ! なんてのは、ベソをかいてるガキか、女の我が儘だけにしてもらいたい。




 断っておくが、俺も格差社会の底辺、下流社会に属している人間である。
 それでも、絶対に平等な社会は到来してもらいたくはない。
 そんな事をすればかつてのソ連、昔の中国のようになるのは目に見えているからだ。
 また、北朝鮮の現実が平等の結果を余すことなく示している。
 そんな事ならば、格差のある方がよっぽどよい。
 その格差が実力によってついたものならばなお良い。
 また、出世や成り上がりのための道が幾つも用意されてるならばもっと良い。
 今の日本はそういった社会である。
 絶対に越えることの出来ない差という意味での「格差」などどこにもない。
 せいぜい血筋によって制限される皇室・皇族になれないくらいである。
 だが、なれなくてどうだというのだ?
 日本国民で有れば、犯罪者でもないかぎり国会議員に立候補できるし、投票という形で政治にも多少は影響力を持てる。
 失敗する可能性を覚悟してるのであれば会社を作ることもできる。
 身分違いの恋というのはまだあるらしいが、それだって身分制度が絶対だった太古に比べればどれだけ緩和されたことやら。その良い例が、今上天皇陛下と美智子皇后陛下である。身分違いにもほどがある。
 格差というのは、生まれついた身分によって職業選択の自由が制限されたりすることをいう。
 全体主義国家の場合、職業選択すらさせてもらえない。左翼連中がよく非難する戦中の日本を思い出してもらいたい。労働への徴用などが良い例だろう。
 今の日本のどこにそれがあるのか? 犯罪歴があるからまともに就職できない、というのは差別でもなんでもないぞ。また、会社が求めるレベルで働けないから追い出されるのは当然だ。お前の都合で世の中動いてるわけじゃない。
 そういう事が分かってない連中が左翼に走ってるのだろう。正直、そんな連中の考えは全く理解できない。理解しようとも思わない。



 そもそも、日本に格差があるというならば、ホリエモンはなぜあそこまで出世することが出来たんだろうか? 村上世彰は? この二人を持ち出すのはどうよ、という話にもなるが、だったら孫正義や三木谷さんはどうする?
 他にも一代で会社を築いた人はいっぱいいる。そういう人達の本がいっぱい書店に並んでいる。
 もちろん誰もがこんな成功者になれるわけではない。失敗している人達だっている。
 だが、そういう人達は自分でその道を選んだのだろう。失敗を誰かに押しつけるのは間違っている。
 失敗がイヤならば、大人しくサラリーマンでもやってるしかない。
 上に昇るということは、何かに挑戦することである。挑戦には失敗と成功の二つがつきまとう。失敗が怖いならば、平々凡々に生きていくしかない。


 リストラされてしまった事を嘆いている人や、それに怒りを感じてる人、それが理不尽だと思う善意の人々にも、俺は「バカか」と言いたい。
 いてもいなくても同じな窓際族なんてのは追い出されて当然だ。会社は仕事をするところである。仕事をしない人間が追い出されるのは当然の結果。おかしいところは何一つない。
 むしろ、無能な人間を擁護する連中のほうがいかれている。
 うちの職場にもいるが、仕事してるフリしてパソコンに向かってる奴がいる。そんなのが長くいるというだけで責任ある立場にいる。まあ、下から数えてン番目というところだが、それでも下にいる人間にとってはたまったもんではない。
 こういうのはとっとと会社から放逐するべきである。
 似たようなことは官僚機構にも当てはまる。そいつがいるだけで人件費を腹罠糧はならない。その人件費は税金から抽出される。はっきりいって邪魔だ。さっさと公務員と行政法人などは削減してもらいたい。税金が跳ね上がるのは我慢できない。
 無駄を囲っているというのは結局自分にしわ寄せがくる。
 無能はさっさと首になってのたれ死んで貰いたいものである。


 というところまで書いて思ったんだが、リストラを嫌がる連中やそれに反対してる連中ってのは、無能者なんではないだろうか?


 まあ、それはともかくとして。
 ちょっとした仕事をするならばさして能力はいらない。
 挨拶ができて、パソコンに向かって文字入力ができて、電話の応対が出来ればさして問題ない。最低限の仕事にはありつける。そして、それでありつける仕事というのは、結構金になる。
 ちょっと気になったのでフリーマガジンやフロムAなどの求人雑誌でオフィス系統の仕事を見てみた。
 ・・・・・・事務系の仕事で時給1000円から。
 コールセンターでの電話受付は1200円からが当たり前。
 派遣会社で同様の事務処理系だと1500円とか言ってるんですけど。
 これって毎月20日・一日8時間労働として、16万円から24万円くらいは稼げるって事だよね。
 何か問題あるんか?
 つつましくやってくんなら十分生活できるぞ。
 結婚して手も、旦那がこういったところで働いて、女房がちょっとパートしてれば生きてける。何が問題なんだか。
 おまけに、これが何十件何百件とある。リストラされても生きていけないほど苦労する事があるとは思えないのだが。
 こんな状況で不況だと騒いでる人達の考えが理解できない。
 本当に不況だったら、そもそも求人情報だけでなりたつ雑誌が存在するわけもない。
 まあ、これはバイトの話だが、こんなバイトでも首になるのならば、本当に無能という事だろう。もはや救いようがない。むしろそれは会社ではなく、首にされる人間の方に問題があるという事だろう。責任を社会に押しつけないでいただきたい。


 こういった状況に対して文句を言ってる左翼の寝言を欠伸をかみ殺しながら聞いてると、一つの疑問が浮かび上がってくる。
 すなわち、これ↓である。


「あんたら、楽して王様(あるいは社長、資産家)になりたいの?」


 どうにもそのように聞こえてくる。
 こういうのをまさしく戯言・寝言・妄言というのだろう。
 俺はそういうのが反吐が出るほど嫌いなので、そういう考えは断固として排除していきたいと思ってます。
 それなりに成功したければ、社会(あるいは会社など)が求める能力をみにつけなさい。
 それがイヤならば、自分一人でやっていける道を探しなさい。
 何より、それに挑戦する事もなく現状に甘んじてるならば、その口をさっさとつぐめ。自分が何も努力しないで、行動もしないで現状に甘んじてるならば、それは誰のせいでもない、あなたのせいである。


 本当に政府や一部の金持ちや特権階級が世の中を言いように操ってるならば、最近のIT長者のような存在が誕生する事もなかった。
 ニューリッチと呼ばれる者達が出現する事もなかった。 
 セレブなんて言葉やハイソ(これは古いかな?)なんてのが出てくるわけがない。
 新しい富裕層が出現しているならば、それは世の中には越えられない格差が存在しない事の証拠でしかない。
 それがなんでダメなのか全く分からない。


 こういった事は、ある意味社会の変革である。
 左翼とは社会が旧来のまま制度披露を起こして自滅するのを恐れていたのではないのか?
 だったら、こうした新しい富裕層の誕生を喜んだらどうだ。
 これらは旧来の富裕層とは別の存在である。これらが旧来の勢力と衝突するのはホリエモンが証明して居るではないか。フジテレビ買収や野球球団買収などで旧来の連中とぶつかっていたのを忘れたのか?
 既得権益を握ってる旧勢力に果敢に対抗した彼らを賞賛しないのか?
 それは、「俺に出来ないことをやってる奴が居る、ゆるせねえ!」というあさましい嫉妬ではないのか?


 自分がやりたかったことを他人がやってるからユルセネエ。
 そういう感情はよくわかる。
 だが、そう思うならば自分もそうできる立場にいくよう努力するべきであろう。そうなれるように挑戦するべきである。
 それが出来ないで叫いてるようなバカの言うことなど、まともな人間は誰も聞いたりはしない。
 行動しない奴は常に無視される。
 それが世の常だ。


 選挙が良い例だろう。
 理由や理屈を付けて投票しない連中がいるから、組織票を動かせる連中がのさばる。
 組織票を嫌う連中は口々に非難するが、自分は選挙にいかない。
 行動がちぐはぐである。
 俺一人が投票しても意味はない、というのがその理由らしいが、だったら諦めろ
というしかない。文句があるなら、自分一人でも投票に行くべきである。全てはそこから始まる。
 左翼が嫌いな小泉郵政選挙を思い出してもらいたい。
 普段選挙に行かない連中がほんんちょっと動いただけであれだけ変わるのである。
 意味がないなんて言ってないで行動するべきである。
 自分一人が投票に行くのは難しいことではないのだから。


 文句を言う連中というのは、この選挙に似ていると思う。
「言うだけで何もしない」
 そんな連中の言うことなどに傾ける耳はもっておりません。





 長くなった割にはまとまりのない話でした。
 でも、俺が左翼を嫌う理由の一端でもご理解していただければ幸い。

 最後になりましたが一言。
 コメントやトラックバックは、賛成意見しか反映しません(笑)
 上記の事などへの反論は、黙殺されやすいコメントではなく、自分のブログなどでエントリーとしてアップしましょう。
 なお、当然の事ながらトラックバックもこちらの都合で取捨選択しますのであしからず。

(しかし、こんな個人の戯言に反応する人っているんかいな?)
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 01:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月16日

適当なこと180

2ちゃんねる から子供たちを守ろう!


 どうあっても炎上を引き起こそう、コメント・トラックバックの削除・承認制をやめさせようと必死なKEIなる人物がおります。
 この御方、どうやら炎上を起こすことによる思想弾圧・言論弾圧を画策しているようで。

「炎上の原因のヒトツと思われるもの」
http://kei.txt-nifty.com/suki/2006/11/post_d3bc.html

にはITmediaからの引用がありました。

 炎上は恐れるものではありません。反社会的な行為を自慢するような書き込みは問題外ですが、自分が正しいと思うことを、炎上を恐れるあまりに発言しなくなってしまったならば、ネットの世界は危機的な状況に陥るでしょう。
 現実の世界でも、人に向かってはっきり言える自信があることは、ブログやSNSで発言すべきです。その結果、反論や批判的な意見があったとしてもそれは1つの意見であり、そのことに対しての自分の意見を述べ、議論すればよいのです。
 その結果、誤りであったと気づいたことは率直に謝罪し、それでも正しいと信じることは主張するような自由な議論がそこにあることが大切だからです。そして、真しにこれらの人たちと議論し、お互いを理解できたならば、炎上は逆に、新しい支持者を大幅に増やすチャンスに変わるでしょう。



というのがKEIの抜き出した部分。


本文は下記を参照。
http://www.itmedia.co.jp/anchordesk/articles/0609/04/news012_2.html


 相も変わらぬ「書き込む連中の都合だけ」を述べておりますな。
 コメントを書き込む連中の方が非常識極まりない連中だとは思わないんだろうか?
 どこまでも自分に都合のいい連中である。


 KEIもこれに同調しておる。

>おおむねITmediaの記事の意見には賛同できます。

 この言葉の前に長ったらしい逃げ口上が並んでますが、最終的な答えがITmediaと同じならば無意味な羅列ということでんな。


 おまけにブログの利用の仕方にまで文句を付けている。

>ブログを議論の場としたくない人も多いでしょうけれど、そのことが、意に沿わないコメントやトラックバックを批判する理由になるのでしょうか。

 そう思うんならあんたがそうしていればよろしい。
 勝手にしていろ。あんたが自分のブログをそういう風に使うのはあんたの自由である。


>ですが、削除をすれば、逆に批判を受ける理由にもなりえます。

 自分の運営方針を他人に押しつける横暴。
 とんでもない奴ですな。



 結局有効な対策を全く述べずに、「削除よくない」という結論で終わるKEI。
 いや、対策は出している。
「批判されたあんたが悪いんだから、さっさと謝罪して自分の意見をひっこめろ
!」

である。
 まあ、KEIがそうやっていく、というのは自由であろう。応援してくれる深沢ともどもそうしていればよろしい。

>他人にまで「とにかく削除すれば解決するよ」とオススメしまくるのは、ちょっと危うい面もあるのではないかと思う次第であります。<

と思うならばどうぞ御自由に。
 人の言うことにびくびくし、大勢の意見が正しいという横並び思考が大好きならばそれで結構だろう。
 だが、そんな考えをさも当然そうにネットに垂れ流すのはどうよ、と思う今日この頃。反対意見として提示するというのは、それを相手に勧めているという事だろう。対策手段を他人にお勧めすることを「危うい」というのならば、KEIこそがそれをやめるべきであろう。
 なんで自分の考えを出してくるのかねえ?


 ともあれKEIは自分の考えをあちこちに撒き散らしたいのだろう。自分が否定している事を平気で行うその精神は俺の理解を超える。
 そんな彼が次になんと言ってくるか実に興味深い。
「もっと炎上を!」という執念に満ちたエントリーが起こされるのを楽しみにしている。
 いや、全然楽しくないんだけどね。



 しかしKEIのお仲間である深沢も、たまに納得できるような事をいうのだから不思議である。


例)
「朝日社説「ウィニー有罪 開発者が萎縮する 」」
http://blog.goo.ne.jp/GB3616125/e/d04343ef1bcb268add10d627c65c76b2

「石田衣良の「いじめられている君へ」」
http://blog.goo.ne.jp/GB3616125/e/48ac2011f6a40163f44477a52d65a47b


 石田衣良については今週のR25で反吐が出るほど嫌いになったので余計に共感できる。
 こういう言動をする人間が炎上擁護に賛同しているのは理解しがたい部分がある。まあ、深沢なりの考えがあるのだろう。
 その考えがいつか理解できる時が来るのだろうか、と思いながら今回は終了。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 21:44| Comment(0) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月11日

適当なこと179

 コメント欄とトラックバックをご利用の皆様。毎度ありがとうございます。
 ろくろく返事もしないで申し訳有りません。


 さて。
 常日頃ネットウヨクを自称している俺ですが、今までそういう事をほとんど書いてきませんでした。それが皆さんとの無用な衝突や摩擦に成ることを恐れていた、というのが最大の原因です。
 が、いつまでもそんな逃げをうってるわけにもいきません。
 今回は俺が政治経済に求める方向性を述べていきたいと思います。
 皆様のコメントへの返事にはなりませんが、皆様と俺の違いを明確にするためにも、この駄文に付き合っていただければさいわいです。


 とはいえ、それはさして難しいことでもありません。
 まとめればおおよそ次のようになります。


・小さな政府
・格差の容認
・いわゆる金持ち優遇とでもいうべき一律税制と資産税の廃止・撤廃
・犯罪者への厳罰
・外国人の政治参加排除
・統制経済の排除・自己責任による自由経済


 とでもないりましょうか。
 細かく説明していくといくら時間と能力があっても足りなくなりますが、おおよそ上記のような事が俺の求めるもの、といえましょうか。
 政治については保守的、経済については自由放任が基本。
 社会福祉などは言語道断。
 資産への介入は国家と言えども不可侵。
 まあ、だいたいそんな所です。


 基本的には怠け者が嫌いで、働けるのに働こうともしない人間は反吐が出るほどの嫌悪感を抱きます。
 ぶつくさ文句を言いながらも自分の食い扶持を稼いでる人間が大好きです。
 病気や怪我で体が動かない、というのでもないのに、幼少や老年でもないのに何もしてない、というのは許し難い悪行に思えます。


 こういう考えとは反りの合わない人も多いでしょう。
 しかし、俺の考えは上記のようなものです。
 これらが根底にある、様々な考えのもとにこういったところに落ち着いている、という事をおぼえておいてください。


 ある意味、俺は差別や格差を歓迎します。
 全く同じ人間など存在しないし、人によって優劣は確かにあるからです。
 それを平等だなんだと言って同じように扱おうというのには無理があります。
 功績のある人間も怠惰な人間も同じ報酬を受け取る、というのはおかしいと思います。
 善人と犯罪者の権利が平等であるわけがありません。
 だからこそ俺は、人間の間に差を付けることに賛成です。
 自由は好きですが、平等と博愛には興味がありません。
 勤労と愛国が大好きで、自堕落と外国が嫌いです。
 生まれ育ったこの国が大好きであり、それが損なわれるのが嫌いです。
 やればやった分だけ手元に残るというのが理想であり、怠けた結果のたれ死ぬならそれも良いと思ってます。


 コメントを下さる(なおかつ反映している)皆さんとは考え方が反対方向を向いてます。
 この先どうなるかは分かりませんが、自分の考えを表明しないで続けていくのも無理があると思ったので、今回こうしてエントリーにしてみました。
 こんな人間でよければコメントやトラックバックをどんどんよこしてください(承認するかどうかはべつですが)。  
 




2ちゃんねる から子供たちを守ろう!
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月03日

適当なこと178

 あの手この手で荒らしを擁護する人々の共通点は、とにかくコメント・トラックバックの削除・禁止・承認を否定しようと躍起なところだろう。
 KEIもそうだが深沢なる人も同様なようである。

「ブログについてちょっと思ったこと」
http://blog.goo.ne.jp/GB3616125/e/3573e8ec4894bbc32852ec40cbbb003e


 中畑については、「暴言と罵倒を残す荒らしじゃねーの?」というのが俺の見解だし、そういう人間にはやってきて欲しくない。そんな輩のコメントを反映する気は毛頭ない。
 言いたいことがあるなら自分でブログでもやれば? としか思えないし、コメントを掲載してくれるところに書き込みにでもいけよ、としか言えない。
 自分の考えを右翼の街宣車のように叫き散らすのがそんなに良いことなのだろうか、と常々思う。
 とりあえず他人の家に押し入ってやりたい放題なのは強盗であろう、と考える今日この頃。


 こういう人達は他人を尊重するとか、他人の領域に踏み込まない、という考えがないのだろう。朝日新聞の勧誘(という名の押し売り)や、いつまで経っても同じ主義主張を繰り返す社民党や共産党のようである。


 しかし深沢さんというのは凄いお人である。

>中畑さんのコメントの顔アイコンをいわれひこさんが改竄し、

 改竄したのが何で分かったんだろう?
 ヤフーのブログではそんな事が可能なんだろうか?
 どうやって見破ったのか是非教えていただきたい。
 まさか中畑の言ってることを鵜呑みにしている訳ではあるまい。


 もっとも、深沢さんはコメント絶対主義というべき立場のようで、「コメント欄を解放しろ!」「削除何かするな!」というのを堅持したいらしいので、ブログ主の思いや考えを否定したいのだろう。
 次の辺りにそれが漂っている。

>ブログがインターネット上で公開されている以上、反対者に来るな見るなと言うのは不可能な話だ。

 一応次のような予防線をはって逃げる手段を用意しているのが姑息である。

>(もちろん、「意見」の名に値しないような単なる暴言、罵倒のたぐいは排除して当然だが)


 問題なのは、深沢が暴言・罵倒と批判的意見の境を明確にしてない事にある。
 KEIもそうだし反日ブログ監視所の連中もそうだしミラクルもそうだが、反対意見・批判意見と暴言・罵倒を区別するのだろう?
 良識・常識などという曖昧な言葉や、客観的に見て、などというどうとでもとれる内容ではなく、明確に「これが分岐点だ」というのを示してもらいたい。
 でなければ、各ブログ主やサイト主が自主的に判断するしかないだろう。
 深沢にしろKEIにしろ反日ログの連中にしろミラクルにしろ、ついでに孤高にしろ、それが無いから困る。
 そもそもこいつらは何を持って暴言・罵倒としているのだろうか? こいつらの削除基準はなんなのだろうか?
 今のところ、エロサイトなどへの誘導リンクなどが削除基準のようだが。それ以外の暴言・罵倒コメント・同様の内容のトラックバックなどは何を持って決めるのだろうか?
 俺が知る限りでは全く示されてない。
 おそらくこいつらは、「既に示した、お前が気付いてないだけか読んでないだけだ」とほざくのだろうが。


 あげくの果てには「ブログ主が悪い」というところに落ち着く。

>それならそれで、コメントを承認制にするとか、対策はいろいろあるはずで、こんなエントリを設けるのはかえって自分で自分の首を絞めてしまうことになりはしないか。

 あんたが設けてるエントリーは何の問題もないのかよ、と呆れてしまう。
 どこまでいっても他人を叩くだけで自らを省みないその姿勢には嫌悪感を抱いてしまう。


 それともこいつらは仲間外れにされるのが嫌なのだろうか?
 自分の言いたいことをあらゆる所で吹聴したいのだろうか?
 自分がトラックバックしたのを削除されたことにご立腹のようで。

>中畑さんはどうあれ、反日ブログ監視所関係の人との会話は当然拒否なのだそうだ。

 何か問題でも?
 こういう姿勢が深沢からすると「まともな社会人ではない」ことになるらしい。

>それは要するに言論の自由の尊重であり、まともな社会人なら当然持ち合わせているはずの感覚だと思うのだが

 ヤクザと関わってるのであれば、そんな人間とは接触を絶つのが普通ではないだろうか? やばそうな連中と一緒にいるのを見られれば、疑いをもたれるのは普通だろう。
 反日ブログの連中とよろしくやってるならば、「ああ、こいつらの同類か」とみなされても仕方ない。いやなら縁を切る事だ。


 何より、自分がどう思われてるのかを決めるのは自分ではない。他人である。反日ブログ監視所関係の人間と見ている人間がいるならば、それも仕方あるまい。


 しかし深沢というのは不思議な輩である。

>それが自分の意見に対する他人の反応なのだから、それを一概に自分が単なる被害者であるかのように考え、反対意見の排除に狂奔する姿勢はどうかと思う

 これは他人の意見なんだから甘んじて受けろ、という風にも捉えられる。
 にも関わらず、他人の勝手な評価(例えば、反日ブログ監視所の関係者と思われることなど)には反対のようである。
 自分に都合の良い人にしか見えないのは俺だけだろうか?


 暴言や罵倒は排除されるべき、と言いながらその一方で暴言や罵倒の擁護を行う。
 暴言や罵倒を批判・反論と言って擁護する。
 暴言と批判の違いを明確にしない。
 サイト主やブログ主の意志や主張を踏みにじり、コメントする側の言い分だけを守る。
 その姿勢は、政府のやることなすことに全て文句を付けるマスゴミや、「反対反対、とにかく反対」の旧社会党や現在の社民党・共産党のように見える。
 共産圏やロシア・中国の核武装・軍拡・勢力拡大を応援し、日本の権益や国益、国家の保守を損なう左翼連中とそっくりである。
 こういう連中が非難や擁護をすると、「何を考えてるんだか」と疑いたくも成る。
 それこそなんかの陰謀かと。
 少なくとも、自分達が横暴に振る舞えるような環境を整える為に頑張ってる、という風に見受けられるのは避けられまい。


 基本的にブログの管理についてはブログ主の自由であろう。
 そのやり方に文句があってもどうすることもできない。
 しかし、他人のブログなんだからそれも仕方あるまい。
 日本にいながら特権を要求する在日朝鮮民族ではないんだから、その辺りは自重するべきであろう。
 現実と違ってインターネットでは自分の言いたいことを述べる場所をかなり自由に確保できる。現実で自分の居場所を勝手に決めたらえらい騒ぎになるが、インターネットでサイトをもったりブログを借りるのは極めて簡単に出来る。
 言いたいことがあるならば、自分で確保すればいいのだ。なんで他人の場所に押し入ろうとするのか理解に苦しむ。




 そんな横暴な連中についての予備知識はここで。

 ↓↓↓

 ↓↓↓

 ↓↓↓

 ↓↓↓

2ちゃんねる から子供たちを守ろう!
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 11:58| Comment(2) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月30日

適当なこと177

2ちゃんねる から子供たちを守ろう!

 暴言の集合体である炎上支持者のKEIさんは、あの手この手でコメント欄を解放させたいようです。
 それが最後に出ています。


>全てのケースにおいて、"とにかく削除ありき"で対応して、いい結果が出るのかどうか疑問です。そして、自分のブログで実行するだけならともかく、他人にまで「とにかく削除すれば解決するよ」とオススメしまくるのは、ちょっと危うい面もあるのではないかと思う次第であります。


 自分のブログをコメント・トラックバックの自由にしているだけならともかく、他人にまでそれを強要しておいて何を言うんでしょうか?
 全く理解できない人です。
 この人は本当にコメント欄を解放させたくて仕方ないようですね。
 「とにかく削除ありき」がこちらの対応ならば、「暴言を野放しにする」のがKEIのやり方のようです。無秩序が大好きなんでしょう。あるいは、混乱・暴動・崩壊・破壊・というのが好きなんでしょう。


 どうとでもとれる官僚答弁に終始している辺りは相変わらずですな。
 何がどのように危ういのでしょうか?
 付き合う相手を選ばない方がよっぽど危険というものでしょう。


 コメント欄を解放しているのを基準にした結果、炎上や暴言の跋扈を許してきたのだろう。
 むしろ制限をかけたほうが危険は少ない。
 密入国者を取り締まるようなもの。
 その辺りを理解してないようで。


 まああれだ。
 他人にオススメするのが危ういと思うのならば、あんたも自分のやり方を進めるのをやめたらどうだ?
 自分は例外かよ。



 
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月23日

適当なこと176

2ちゃんねる から子供たちを守ろう!


「ぎゃふん!」
 http://kei.txt-nifty.com/suki/2006/11/post_c0a5.html


 そうそう。
 言いたいことは自分のブログでお好きなように述べればよろしいんですよ。


>>KEIのどうともとれる官僚答弁からは明確な答えが引き出せない。

>ぎゃふん。

>これは痛いところを突かれました(^^;)。



 自覚はあるようで。
 でも、最後に、

>僕は、【ブログで「炎上」は避けられない】というエントリを書きました。

 ただ、「炎上」は避けられなくとも、「減らす」方策はあるだろうと思います。

 根本にすえるべき方策は、「炎上しにくいエントリ」を書くことだと思います。

 誤解されないように書いておくと、僕は、荒らし・炎上・コメントスクラムを少しでも減らそうとしている方々の活動をむしろ応援させて頂きますよ。
 ただ、その活動に対して疑問点があれば、自分のブログのエントリに書くこともありますし、ヨソ様のブログにコメントを書き込むこともあるワケで。



 とのらりくらりとかわしてますなあ。
 炎上しにくいエントリ、とは文句をいう連中の意のままになるという意味ということで。
 でなければいったいどんな事を書けというのでしょうね。


>ただ、その活動に対して疑問点があれば、自分のブログのエントリに書くこともありますし、ヨソ様のブログにコメントを書き込むこともあるワケで。


 どうぞ御自由に。
 ただ、コメントはサイト主やブログ主のコントロール下にあるので、http://kei.txt-nifty.com/suki/2006/11/post_9d9e.htmlにおける、

>それをあなたは、自分の望むようにコントロールしたいと思っているのでしょうか?

と矛盾する。
 片方でコントロールに反対しておいて、片方でそれを認める。
 どっちがこの人の本音なんでしょうね。
「誤解されないように書いておくと、僕は、荒らし・炎上・コメントスクラムを少しでも減らそうとしている方々の活動をむしろ応援させて頂きますよ。」
と言いながら結局「俺は自分の好きなように行動するんだ。だから邪魔すんな!」というのが結論でしょうか。
 いや、最初からそう言ってるんだから仕方ないのか。
 ついでに言えば次の言葉とも矛盾するような気がする。


>潔癖症と言うよりは、単なるわがままではないかと。

ま、まぁ、そこらへんはオブラートに包んでおきましょう(爆)。



 深沢のコメントへのこの返答を見るに、コメント削除などを「コントロール」とみなし、それに否定的なようで。

 そんなKEIの炎上対抗手段がこれ。

根本にすえるべき方策は、「炎上しにくいエントリ」を書くことだと思います。

 根本に据えるべき方策がこれではどうしようもありませんね。
 左翼の全方位外交と同じで、「誰に対しても笑顔で」と言ってるようなもの。そんなの無理に決まってるだろうに。
 それともKEIいは可能なのだろうか?
 だとしたらスゴい。俺にはマネできねえ。


 根本的な問題として、
「その活動に対して疑問点があれば、自分のブログのエントリに書くこともありますし、ヨソ様のブログにコメントを書き込むこともあるワケで。」と言って、「自分のコメントは正しいものなんだ」とか勘違いしている連中の方であり、コメント・トラックバック削除に反対している連中であろう。
 なおかつ、「誤解されないように書いておくと、僕は、荒らし・炎上・コメントスクラムを少しでも減らそうとしている方々の活動をむしろ応援させて頂きますよ。」と言って荒らしや炎上に敵対しているようにみせかける嘘八百にある。
 まあ、炎上を避けられないものとし、それを軽減するしかできない、と考えてるような人とは何かが決定的に違うのだろう。
 今後もどうともとれる官僚答弁を掲載し続けて下さい。
 それこそがKEIなる人物の言う、『「炎上しにくいエントリ」を書くこと』なのだろう。


 つまり、官僚答弁のような、

・明確な言葉は書かない
・どうとでもとれる言い方をする


のがKEIのやり方なのだろう。



 何にせよ、荒らしや炎上を排除しようという気はさらさら無く、それを軽減する以外のどんな手段もないのだからこれも仕方ない。
 そういう処世術で頑張ってください。



 しかし、この人は自分の家にヤクザやチンピラが押し入るのに賛成なんだろうか? それはそれで一つの考えだし、彼の自由だが。
 彼の最大の問題は、そういった考えに基づいて他人を非難する事だろう。
 
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 20:28| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月22日

適当なこと175

 しかし本当にミラクルさんは分からない。


 次のコメントに注目

http://miraclemiracle.seesaa.net/article/27809391.html#comment


>深沢さん

彼は日本語の読解力が著しく低いので皆が匙を投げてます。そのくせ構ってもらいたがるんですがね。こういうアレな人でもネットで意見を言えるようになってしまったのはBLOGの暗黒面だなあと思います。


Posted by 管理人 at 2006年11月21日 10:54



 コメント内容についてはいつもの事なので流してもらってかまわないんですが、問題なのは・・・・・・もう分かりますよね。
 フレックスタイムとか「納期に間に合えばどのようにスケジュールを組んでも良い」というような職場なのかも知れませんし、とても余裕を持った仕事が出来る環境なのかも知れません。
 でもねえ・・・・・・。
 この時間って・・・・・・。



 えーと。




 うーん。




 むむむむむ。




 これは・・・・・・・・。





 いったい・・・・・・・・・?





 どのように解釈すればよいのでしょうか?
 あっしはあまり褒められた人間ではないし、社会の最底辺の辺りに生息している生物です。
 そんな物体から見ても、この時間はおかしいとおもうのですが。



 ネタでしょうか?



 なんらかの工作?



 ネットの知識をいかして、こんなネタを仕込んでくれたのだろうか?



 ミラクルさんは本当にミラクルです。
 あっしはとうてい及びません。
 及びたくもありません。




 俺もこんな事が出来るだけの余裕をかませる存在になりたい。





 ミラクルさん、ネタをありがとう。
 このネタ、大事にするよ。






 というわけでトラックバックです。
 しょーもない事をこんな形で通知するのは申し訳ないのですが。
 まあ皆様がパソコンの前や携帯電話の前で笑って下さればいいなあ。
 この「しょーもなさ」を皆さんと共有できたら幸いです。
 また、こんな内容なんですぐに削除してかまいません。こんなもん張り付けてる俺の方に問題があるんで・・・・・・。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 01:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

適当なこと174

 そうそう。
 言いたいことはちゃんと言えるのが日本のインターネット。
 深沢ちゃんも他人のコメント欄ではなく、自分のブログでちゃんとこのように言いたいことが言える。


 深沢ちゃんの言いたいこと

 ↓↓↓

「不可解なトラックバック」
http://blog.goo.ne.jp/GB3616125/e/5a24b271f4d28b59205b671f0100c90c

 自分の理解が及ばない相手は「不可解」ですか。
 いや、まさにその通り。
 俺も深沢ちゃんや深沢ちゃんのところにコメントしてる連中の言ってることや姿勢・態度は理解不能であり「不可解」としか言いようがない。


 こうやって気の合う連中が増えていくんだから、今後はそちらのお仲間で公開悪口でも述べてて下さいや。


 しかし深沢ちゃんも言行不一致な人ですね。

>Re:僭越ながらアドバイスを (深沢明人)

2006-11-21 23:39:56

 アドバイスありがとうございます。
 しかし、昨日また「適当なこと173」という記事のトラックバックが届いたのですが、この記事やこれまでの記事を見る限り、到底まともな対話が成立するとは思えないのですが。
>理解してもらえるまで根気強く
>できるだけ分かり易い様に噛み砕いて
 そうなのかもしれませんが、そうまでしてこの方の理解を得る必要があるかどうかですね。私はこの方には何の関心もありませんし。
 どうもありがとうございました。



 自分は他人に説明を要求する癖に、他人への説明はしない、と。
 いや、理解不可能です。
 他人に要求することはまず自分から実践しないといけないと思うのですが?


 要求するだけしといて自分は何もしないのか?


 それって乞食や強盗と似ているような。


 あるいは左翼連中や在日朝鮮人とか?


 中国を始めとする我が儘な連中にも似ているな。


 意志の疎通が不可能な連中がこの世にはいる、というのは上記のような方々のおかげで嫌と言うほど理解したつもりだが、ここにネットの住人も加えないといけませんな。


 しかし中畑ってのは何処言ってもつまらん事言うんだな。
 悪魔の話は面白い共通点だなあ、と思って「そんな事書いてあったよー」と出しただけなんだが。
 中畑から見ると「悪魔化」ではなく「悪魔扱い」となるのか。
 そもそも実際に悪魔がいるとでも思ってるのかこいつ。
 何にしても素敵な勘違いありがとう。


 あ、そうそう。
 深沢ちゃん。
 勘違いは誰にでもあるから別に気にしなくてもいーんじゃない。
 ウザイリンク張り付けてあって迷惑かもしれんが。
 ただ、こんなんでもちょっとした小遣い稼ぎになるからはずすのももったいないのよね。
 貧乏な学生のささやかな小遣い稼ぎということで大目に見てちょーだい。






 なお、上記の文章には一部嘘が含まれてますので、その部分を本気にしないで下さい。
 



 それとミラクルちゃん。
 勝手にやってきてカマッテカマッテとコメントやトラックバック飛ばすのはあなた方も一緒でしょうに。
 あなたも俺のお仲間よーん。

 自分を例外にするのは良くないという見本
 ↓↓↓
http://miraclemiracle.seesaa.net/article/27809391.html#commentより


>深沢さん

彼は日本語の読解力が著しく低いので皆が匙を投げてます。そのくせ構ってもらいたがるんですがね。こういうアレな人でもネットで意見を言えるようになってしまったのはBLOGの暗黒面だなあと思います。

Posted by 管理人 at 2006年11月21日 10:54



 乏しいのは、ミラクルさん(とそのお仲間達)の反省能力ではなかろうか、と思う今日この頃。


 もっとも、考え方が著しく違う存在を理解することは不可能であるというのは、在日を含む朝鮮の民族やシナ大陸の連中で実証済みだから仕方ない。
 国境で済み分けてる現実同様、ネット内でも接触を持たないようにしてた方がいいと思われる。
 あと、他人への暴言や罵倒、誹謗中傷の類も書き込まない方がよろしいかと。
 いくら自分が正しいと思っていても、だ。
 言いたいことがあるなら、ネットに垂れ流すんではなく、部屋の片隅で小声で囁くべきだと思います。
 ミラクルさんにそういう自制心を求めるのは無理かな?




不可解なトラックバック
2006-11-20 23:56:31 / 他の方のブログ
 先日アップした「堀端勤さんはこんな人」の記事に、「気ままにつれづれ」というブログの「適当なこと170」という記事からトラックバックが送られた。が、その趣旨がよくわからない。そこでその記事に以下のようなコメントを付けた。

「この記事について私のブログの「堀端勤さんはこんな人」という記事にトラックバックをいただいた深沢明人です。しかし、トラックバックの趣旨がよくわかりません。文中に私の名前は出てきますが・・・。私も、「悪魔のような連中」の一人ということなのでしょうか。
 せっかくの機会ですので、お尋ねします。トラックバックを送っていただいた私の記事は当然読んでいただいているものと思いますが、
1.自分で、このようにしたら議論に応じますと述べておきながら、相手がそのとおりにしてもまともに対応せず、ただ削除を繰り返すだけという堀端勤さんの姿勢を私は批判しているわけです。この堀端さんの姿勢について、あなたはどのようにお考えですか。
2.堀端さんが削除した私の最初のコメント(私のブログの「「ブロガー新党」なるものを僭称する輩」という記事に掲載)は、あなたから見て、問答無用で削除されなければならないほどのものでしょうか? 
3.たった1通の批判的見解に対し、問題無用で削除するのも一種の「暴力」であり、言論弾圧だと私は考えますが、どう思われますか? 」

コメントは確かに送られたようだ(コメント数の数字が増えた)が、この人のブログではコメント・トラックバックの表示は管理人の承認制を取っており、数日経っても表示されない。もちろん、私の所にも何の反応もない。

 昨日、上記の私の記事について、miracleさんが自分のブログで「小心者と図太い人」という記事を書いたところ、これに対して「気ままにつれづれ」さんが「適当なこと172」という記事を書いた(この記事も私の上記の記事にトラックバックが送られた)。その中で次のように私の名前が出ている箇所がある。

「深沢にしろミラクルにしろ、
「俺の言ってることをなんで無視するんだ!
 ふざけるな!!」
 とガキの駄々のような事を言ってるのが笑えます。
 コメントやトラックバック削除されたくらいで何を言ってるんだか。
 あんたの言ってることが相手と合わなかったってだけだろうが。
 なんでそこまでして自分の言いたいことを相手に押しつけようとするのか理解に苦しみます。」

 私の言いたいことは、上記の1〜3の質問に集約されている。とりあえず、私への批判は、上記の質問に答えてからにしていただきたいものだ。

 先にトラックバックが来た「適当なこと170」についても、ちょっと気になった点があるので触れておく。
 オカルト雑誌で悪魔祓いについての記事を見て、悪魔と「荒らし」の行動パターンが似ていることに気付いたとして、「荒らし」を「悪魔のような連中」と批判しているのだが、その雑誌の記述と称するものがどうもヘンだ。

「ついでに悪魔のとる行動パターン

・最初に嘲り「お前なんかに何ができる」」
・続いて懐柔「なあ、お前も楽したいだろ?」「つらいんだろ、分かるよ」
・そして罵倒「さっさと消えろ!」「失せろ!」

 とこのような順番でくるそうです。
 最初見たときには「ふーん、そうなのか」と思ってましたが、ネットで荒らし連中と同じ行動なのを見て笑ってしまいました。」

 懐柔と罵倒はどう結びつくのか? そもそもどうして悪魔が人間を罵倒しなければならない?
 悪魔とは、人間を誘惑して悪の道に引きずり込むものを指すのではないか。それが「消えろ!」「失せろ!」などと言うだろうか。対象者が誘惑に乗らなかったら、あきらめて別の人間を探すのではないか。悪魔が人間を攻撃するなど聞いたことがない。ましてや、「消えろ!」「失せろ!」などと。それはむしろ人間側のセリフではないのか。
 そもそも、この行動パターンなるものは本当にオカルト雑誌に載っていたものなのか? 「オカルト雑誌」という語句にリンクが張ってあるのだが、クリックしてもネットショッピングのウィンドウが開くだけ(何のつもりだこれは)。不可解な行為だが、図らずも馬脚を現したという感じだ。自分の書きたいことに合わせて、さももっともらしく雑誌の記述なるものをでっち上げた疑いが極めて濃厚だ。
 ついでに言うと、「荒らし連中」は懐柔などしてくれないと思う。
 
 まあ、カルト宗教は、脱会を勧める者を悪魔呼ばわりするらしいから、こうした人達からの悪魔呼ばわりはむしろ誇るべきことなのかもしれない。

「・悪魔と議論してはいけない
 ・悪魔の言葉にのってはいけない
 ・常に退散を命じ続ける」

 まさに、カルトだ。

 ところで、私はこの、「気ままにつれづれ」さんのことなど、今回トラックバックを受けるまで全く知らなかった。意に沿わない見解は無視せよと言うのだから、私のことなども無視すればよいと思うのだが、私についてほとんど言及されていない記事のトラックバックをこうして送ってくるというのは、どういう意図があるのだろうか。かまってほしいのだろうか。実に不可解だ。


コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )


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コメント




僭越ながらアドバイスを (トンチャモン)

2006-11-21 01:18:50

 彼には理解してもらえるまで根気強く説明する必要があります。一度や二度で正しく伝わるとは思わない方がいいかと思います。
 また、できるだけ分かり易い様に噛み砕いて説明する必要があるかと思います。
 既に薄々気が付いているかもしれませんが。



Unknown (miracleさん)

2006-11-21 12:44:28

>「オカルト雑誌」という語句にリンクが張ってあるのだが、クリックしてもネットショッピングのウィンドウが開くだけ(何のつもりだこれは)。

seesaaの迷惑仕様です。キーワードマッチで最適なアフィリエイトの広告リンクを表示します。私はウザイのでoffにしています。

以上、ご参考までに。



議論の中で (中畑)

2006-11-21 17:25:03

相手を極悪非道な何かに例えて「悪魔化」するという手段を使う人がいますが、そのまんま相手を「悪魔」としてしまうのには驚きました。

宗教的な教えの中では一般的に負の存在として悪魔を引き合いにだし説教しますが、

>・最初に嘲り「お前なんかに何ができる」」
>・続いて懐柔「なあ、お前も楽したいだろ?」「つらいんだろ、分かるよ」
>・そして罵倒「さっさと消えろ!」「失せろ!」

なんて事を言う悪魔の話は聞いたことがありませんねぇ。

漫画の「ブッダ」辺りをうろ覚えで言っているのじゃないのかしらん?




Re:僭越ながらアドバイスを (深沢明人)

2006-11-21 23:39:56

 アドバイスありがとうございます。
 しかし、昨日また「適当なこと173」という記事のトラックバックが届いたのですが、この記事やこれまでの記事を見る限り、到底まともな対話が成立するとは思えないのですが。
>理解してもらえるまで根気強く
>できるだけ分かり易い様に噛み砕いて
 そうなのかもしれませんが、そうまでしてこの方の理解を得る必要があるかどうかですね。私はこの方には何の関心もありませんし。
 どうもありがとうございました。



「オカルト雑誌」のリンクの件 (深沢明人)

2006-11-21 23:53:56

 miracleさん、ありがとうございます。よくわかりました。そういえばよそのブログでもこのようなものを時々見かけることがありましたが、あれば開設者の意志ではなくブログの仕様だったのですね。
 わざわざこのようにリンクを張ったものと誤解していました。「気ままにつれづれ」さんをはじめ、皆様にお詫びします。
posted by つれづれなるまま・・・・に? at 00:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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